第八音節

     1



「なんだ、それは……?」

 蓮杖はその姿を見て後ずさる。

「奏多……お前……」

 村中はそれを見て、絶句していた。

「奏多……少年」

 琥珀は恐ろしさか、自分の身体を抱きしめていた。

「カナ――ぅおえっ」

 千景はその光景に耐えきれず、戻してしまった。

「雪比奈……その身体……」

 侑里はそれをまじまじと見つめる。

「……それが、奏多君の秘密なんだね」

 昭人は真剣な顔つきになっていた。


 奏多の身体には火傷の痕と多くの手術痕があった。


 火傷は背中にもあるらしい。肌が変色していて、肌色の面積があまりにも少なすぎる。手術痕も、腹部が一番あった。

「これだけじゃない。足にだって火傷や手術痕がある」

 半裸の状態の奏多は、蓮杖を見つめる。

「恐いか……俺が」

「っ」

 蓮杖は明らかに、奏多に対して恐怖心を抱いていた。

「腎臓」

 奏多がボソリと言う。

「膵臓、肝臓、脾臓、胃、小腸、大腸、足の骨……。生命維持に必要な肺と心臓と生殖器以外はもう、俺のモノじゃない。『他人』から受け継いだものだ」

 奏多の内臓のほとんどは『他人』から移植されたモノだ。奏多が今まで生きてこれたのは、そういう『他人』の犠牲の上で成り立ってきた。

 左手のグローブを取ると、火傷のある左手が見える。

「これは俺の左手だ……。ま、すぐに血が出る、ボロい手だけどな」

 血で滲んでいるのは先ほど、蓮杖を殴ったからだろう。火傷によって皮膚の組織が弱っているので、そんな事で奏多の皮膚は裂けてしまう。

「こんなもの、まだ序の口だ」

 一同が驚愕をする。まだ他にも隠されているのかと。奏多がワイシャツを脱ぎ捨てると、目立つのは右腕に巻かれている包帯だ。

「……前から気にはなっていたが、奏多少年のその右腕の包帯は一体何なのだ?」

「見た感じは……怪我も、してなさそう……なのだ」

「これは、俺にとって大切なモノだからこうしてる。……今、見せる」

 そう言うと奏多は包帯を取り始めた。

「奏多、お願いだからやめて……。アンタが何もそこまですることじゃないよぉ……。なんでアンタ、そこまで見せようとするのよぉ……。あたしら『家族』が知ってればいいことじゃん……。アンタは傷つかなくて良いのに……なんで……」

 亜夕深は涙を流しながら止めようとしている。だが、奏多は包帯を取り続ける。

「亜夕深。この際だからハッキリ言っておくが、俺とおまえは『本当の家族』じゃない」

「奏多……」

「だから、俺はおっさんに見て欲しい。『本当の家族』である瑛莉とおっさんに。この俺の在り方を。『他人』である俺が書き換えられるはずなんだ。姉さんと兄さんが、俺にしてくれたように」

 包帯がすべて取り払われた。


 そこには、シミ一つないがあった。


 二の腕あたりから肌の色が変わっている。縫い合わせた術痕は、凄惨だった。奏多が右腕を見つめる。にぎにぎと手が動くことから、その腕はすでに奏多のモノとなっているのだろう。

 奏多は左目の眼帯を取り外した。だが、前髪でまだ見えない。奏多が前髪を掻き上げると、そこには縦長の切り傷があった。一同はその傷を見て息をのんだ。

 そして、まぶたを開けた。


 その傷ついた目蓋の奥には、があった。


 見るからに、奏多の右腕と左目は違うモノ――『他人』からのモノと言うのが顕著にわかる。奏多がなぜ、あのような珍奇な格好をしていたのかと言うと、これを隠していたのだ。

「……これは父さんの音楽団に居たアストラル姉さんから貰った目と……ヒューイ兄さんから貰った腕だ。もちろん、血なんて繋がっていない赤の他人だ。……俺はこの二人を、本当の姉さんや兄さんのように慕っていた」

 奏多の青い瞳が、揺れる。

「誰にも理解できねえだろうな。当事者である俺も理解できてねえんだから。音楽団のみんなは……『他人』であるはずの俺を助けるために、俺に臓器をくれたんだよ!」

 青い瞳から一滴の涙が流れ落ちる。

「なんでなんだよ!? なんで俺だけ……俺だけ助かってんだよ!? みんなは日本での公演を控えていたのに! こんな俺に臓器を移植しなかったら生きていたかもしれないのに! 小さなガキ一人助けるために、テメェの命を張ってくれたんだよ!」

 奏多の目はもう、蓮杖たちを見ていなかった。その視線の先には、聖母マリア像があった。その像を睨みつけ、奏多は叫んだ。

「返せよ! 俺の『家族』を! 俺が大好きだった人たちを! 会わせろよ! どこに連れて行ったんだよ!? どこに行けば会えるんだよぉぉぉおおおおおおお!!」

 奏多の叫びが礼拝堂に響き渡る。その叫びは『家族』を求める、迷子になってしまった小さな子どものようにも見えた。

「偶然なんて曖昧な言葉で片付けんじゃねえぞ! てめえの所為でみんな死んじまったんだ! あんなに優しかった父さんや、俺を一番可愛がってくれたアストラル姉さん、俺のことを心配してくれてたヒューイ兄さん……おばさんも、おじさんも、みんなみんな死んじまった! 俺の大切なモノを奪ったアンタを、俺は絶対に許さない! この世に神なんざいねえんだよ!」

 神職者である村中は何も言えなかった。その悲痛な叫びこそ、奏多が今まで言えなかった『痛み』でもあるのだ。聖クリシチア学園の生徒あるまじき発言だったが、咎めようとも思わなかった。ミッションスクールといっても、必ずクリスチャンでなければならないと言う訳ではないからだ。

「俺はもう二度と讃美歌なんて歌わない! 俺は神を讃えない! あの日あの時に『奇跡のオルゴール』は死んだんだ!」

 瑛莉はハッとして奏多を見た。そして、涙を浮かべながら奏多のことを見ていた。

「俺は歌うことを辞めた。俺はもう歌えない。壊れたオルゴールは歌えないんだ! 俺の声は永遠に死んだ! 歌う時はもう二度と来ない!」

 痛哭の叫びが、慟哭が、礼拝堂に響き渡る。それは奏多の神に対する挑戦であり、敗北宣言でもあった。

「『家族』とか『他人』とか……関係ねえんだよ……。想いがあれば誰だって『家族』になれるんだ。……俺の『家族』はあの日に死んだ。俺はあの人たち以外を『家族』だなんて思わない」

 それは独りでいると同義だ。

「分かってる……これは俺の我が儘だってことくらい……。もうどうすることもできないことくらい……。もう、みんな……死んで、会えないってことくらい……」

 分かってるんだ。奏多は弱く呟く。

 奏多の周りには愛する『家族』はいない。

 だから奏多は拒絶をし続けた。夕実からの温かな言葉と思いを。何故なら、夕実は家族ではないから。

「俺は兄さんや姉さん……音楽団のみんなの夢を継げない。俺の夢は、過去にしかない」

 奏多はマリア像を見るのをやめ、仄暗い哀愁を漂わせ、罅割れたステンドグラスのような歪な笑みを浮かべて一同を見た。


「俺の好きな人は、過去にしかいないんだ」


 そのあまりにも居た堪れない姿にキュッ、と瑛莉が拳を作る。

 誰も知らなかった奏多の過去。それはあまりにも悲惨で暗くて重い。奏多が感じてきた『痛み』は誰にも理解することはできない。

 言葉にして表さない限り、共有することはできない。

「俺は永遠に独りだ。俺は声を失いながらも歌ってるんだ。ボロボロのメロディを、掠れた音で。ガラクタに成り下がった俺はもう……生きるうたうのに疲れた」

 その声は今まで聞いて来た奏多の声の中で一番、悲壮感が溢れていた。

「それでも、俺は生き続けなければならない。それは俺の使命なんだ。兄さんや姉さんたちの命を貰って死ぬわけにはいかない。そんな家族不幸なことは、もうしたくない。だから俺は歌い続ける。死者を讃える歌を」

 讃美歌は神を讃える歌。鎮魂歌は死した魂を鎮める歌。

 奏多は音楽界の誰もが歌う訳の無い領域に足を踏み入れた。奏多が部屋に籠っている時はたいてい歌を作っている。

 死者を讃える、その歌を。

「『他人』で構成された『家族』がここまでできるんだ。『本当の家族』ができねえはずねえだろ! 親が、子どもを道具扱い扱いする時点でそれは『家族』じゃねえんだよ!」

 奏多の青い瞳が蓮杖を射抜く。

「『家族』は助け合っていくもんだろうが!」

 奏多は血の繋がりのない『家族』に助けられた。文字通り、死の淵から。

「瑛莉が何をしたって言うんだよ!? 声が出ねえだけだろ!? たったそれだけのことなんだろ!? 人を殺したわけでも、何かの罪を犯したわけでもねえんだろ!? たかが声が出ない程度で道具扱いしてんじゃねえよッッ!!」

 かつては『奇跡のオルゴール』と物のように呼ばれていたが、それは称号のようなモノで、幼いながらも奏多はそれを理解していた。そして、奏多の周りにはそんな人たちは居なかった。誰もが笑顔に溢れ、『家族』を思いやっていた。

 蓮杖のように、物扱いなどされたことは一度足りとしてなかった。

「瑛莉の声が出なくなったのはアンタのせいなんじゃないのか!? アンタがそう言う扱いをするから、ストレスで出なくなっちまったんじゃねえのか!?」

 蓮杖はハッとして瑛莉を見つめた。

 瑛莉の失声症は心因性に因る可能性がある。だとすれば、父親からの扱いから発症したかもしれないからだ。

 奏多は涙を浮かべている瑛莉へと視線を移し、叫ぶ。

「瑛莉、おまえは今まで逃げてたんだ。自分の病から、親から。おまえはまだ手を伸ばしてない、手を伸ばせ! 訴えろよ! 叫べよ、『助けて』って! おまえはまだ何も行動を起こしてない! 全部与えられるもんだと思うな! 惨めでも、情けなくとも、自分の想いを伝えろ!」

 瑛莉は情けない顔だった。眉は下がり、涙目だった。いつもの無表情は崩れ、感情が露わになっている。瑛莉は肩を震わせていた。その手に持ったペンもガタガタと震えている。震えながらも、字を書いている。

「瑛莉……」

 蓮杖はそう呟いた。家でどう呼ばれているか解らないが、奏多は蓮杖が娘の名前を言ったのを初めて聞いた。瑛莉はハッとし、涙を流す。

 瑛莉はホワイトボードを向けた。

【お願 ぃだ か  ら、道 具  って 目 で見 なぃで。私は お 父さ んの子 どもな の 】

 もう字がガタガタだった。文字の大きさがズレていたり、間があったり。とても見にくい字だったが、それが瑛莉の本心なのだ。

 一旦字を消して、新しく文を書き上げる。瑛莉は涙を流し、しゃくりあげながらその文章を見せていた。


【A id e pa p a 】


 Aide助けて papaお父さん

 フランス語で書かれたそれは、瑛莉が『家族』に向けた精一杯の言葉だった。

 蓮杖も涙を流し、その場に崩れ落ちる。片手で目を覆い、礼拝堂の床に小さな水たまりを作りながら「私は、なんてことを」と呟いていた。それを見た奏多の顔から表情が消える。いつもの『無表情かめん』を被ったのだ。

 包帯を巻き、ワイシャツの袖に腕を通す。ネクタイをしめ、ブレザーを羽織る。眼帯をつけ、グローブをつけた。亜夕深に呼び止められたが、奏多は呼び止めを聞かず、そのまま礼拝堂から歩き去って行った。

 奏多は夕日を眺めて呟いた。

「……アストラル姉さん……ヒューイ兄さん……」

 今は亡き、大好きな『家族』はどこに居るのだろうか。

 奏多は空を眺めながら帰路に着いた。

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