第七音節

     1



 声が戻った奏多は学校へ向かっていた。本来ならば、昨日から学校に行けたのだが、諸事情により一日見送ったのだ。

 ガラリと戸を開けると、トククラの教室の中には瑛莉だけが居た。奏多が入った事を確認した瑛莉は立ちあがると、奏多の所に歩み寄るとホワイトボードを見せて来る。

【またそのウザったい姿を見るとなると辟易しますが、クラスメイトのよしみで目を瞑って差し上げます】

 久し振りの罵倒だった。なんだか瑛莉がむくれている様な気がするが、奏多は気にせず自分の席に向かった。

 奏多が椅子に腰を下ろすのと同時に教室の戸が開かれ、村中がやって来る。そして奏多を発見すると

「おーぅ、奏多ー。声が戻ったんだってー? 進藤から聞いたぞ」

 心配していたようなので、頷こうとした。

「まーどうでも良いんだけどな。おまえの身体の具合なんて」

 だったら聞かないでほしい。

「つかおまえ、携帯買ったんだろ? だったらメアドとか携番教えろ。連絡が楽になる」

 奏多は携帯を取り出し、村中に手渡した。

「……なんだこのメアド……。いや、良いんだけどよ……。…………………ほらよ」

 メモを取り終わったのか、村中は携帯を放り投げて来た。


 すっ(奏多が手を出す)

 ゴッ(携帯が地面に落ちる)


「「……」」

 瑛莉と村中の二人は残念な生き物を見る目で奏多を見つめる。奏多は特に気にした様子も無く、落ちた携帯を拾った。

「……おまえってホントに珍奇な生き物だよな。片目がふさがっているから距離感がつかめてねぇんじゃねぇの?」

 確かにそうなのだが、奏多は片目の生活をかれこれ一○年以上過ごしている。いきなり飛んできたものは無理だが、ちゃんと見ていれば距離は取れる。

「眼帯取らねえの?」

 奏多はすぐに首を振った。その即座の行動に村中は驚いていた。

「……まあ、物もらいかも知れねえからな。別に無理強いはしねえよ。でもよおまえ、それ一年くらい前からしてるだろ?」

 奏多は興味を失ったのか、空を見上げていた。村中は何か言おうとしていたが、空を見上げる奏多の表情がなんだか憂いを持っていたので声をかけるのをやめた。

「……チッ、やる気を殺がれちまったな……。おまえら、筋トレかレポートでもやってろ」

 村中はそれだけを言うと教室から出て行った。

 瑛莉はカバンからレポート用紙と筆箱、本を取り出してレポートをやり始める。奏多はしばらくボケっとしていた。

 奏多もレポートをやろうと思い立ち、立ちあがる。瑛莉も同時に立ちあがった。どうやら瑛莉も図書館に用事があるようだ。

「「……」」

 両者は黙って図書館へと向かった。

 瑛莉は図書で、奏多はパソコンで情報を探していた。ネットをしていると、奏多はその記事を見てしまった。

「……ッ!?」

 奏多は反射的に心臓部を押さえていた。嫌な汗が背中を伝って行く。


『あの忌まわしい京都での良家の子女の誘拐事件から一○年が経過した。以前としてテロリスト集団「平和の種」の首謀者は捕まらない。国連安保理はこの組織を超危険組織として議題にあげており――』


 なぜ今頃になってその記事が挙げられているのか分からない。奏多は自身の身体が熱くなるのを感じていた。やっと治まった発作が、また出てしまう。

 奏多はやっとのことでブラウザを閉じた。肩で大きく息をしている。早く呼吸を整えなければならない。

【ゆっくり、空気を吸い込んで下さい】

 そんな文字羅列が見えた。肩越しに振り返ると、そこには瑛莉が居た。瑛莉は奏多の背中をさすりながらホワイトボードを再び見せて来た。奏多はそれでいくらか落ち着きを取り戻した奏多。呼吸もだいぶ楽になって来たし、嫌な汗も引いていた。

「……すまないな」

 奏多は素直に礼を述べていた。

【どうしてあんな風になっていたんですか?】

 当然の質問だろう。だが奏多は「……色々あってな」と言ってそれ以上は何も言おうとはしなかった。瑛莉もそれ以上は何も言及してこなかった。

【それはそうと、そろそろお昼ですよ】

 頃合いだと思って作業を中断し、奏多たちは昼食を取りに向かった。

 会話も何もない昼食を終え、奏多は再び図書館へ向かって作業を再開した。瑛莉も遅れてレポートを始めた。

 図書館で作業をしていたら、なんと琥珀と千景に見つかってしまった。どうやら朝からずっと奏多のことを探していたらしい。

「奏多少年、なぜ着信拒否をしたのだ?」

「どうしてなのだ、カナタ」

 琥珀の言う通り、奏多は琥珀と千景に対してのみ着信拒否をしていた。理由は簡単で、寝れないからである。

 詰め寄ってくる二人の対応に困って(相変わらず無表情)いると、亜夕深が助けに来てくれた。どうやら、琥珀や千景を探していたらしい。亜夕深の説明により納得した二人は殊勝な顔つきで「これからは自重する」と約束をしてくれた。三人はそのまま授業へ戻って行った。

 日が暮れ始め、奏多はさっさと帰った。夕実に「お帰り~」と言われ、少しだけ視線を合わせると奏多はそのまま自室に向かい、滞っている作業に手をつけた。

 机に向かっていたら、携帯が振動した。メールの送り主は瑛莉からだった。


『失声症について聞きたい事があるのですが』


 どう言う訳なのか聞こうと思ったのだが、夕実から「晩御飯だよ~」と言われてそのまま携帯を閉じてリビングに行った。

 戻って来たころにはメールのことなど一切忘れ、そのまま寝てしまった。



     2



 翌日、奏多は妙な胸騒ぎを覚えながら学校へ向かっていた。

 いつもなら琥珀や千景からおはようメールが届くのだがそれも無く、朝起きたらいるハズの亜夕深の姿が無かった。

 変だと思いつつも、奏多はいつものように遅刻時刻に学校へ向かう。今更だが、奏多がなぜ遅刻の時間帯に来ているのかと言うと誓教による朝の挨拶運動があるからだ。それは誓教のメンバーがやっているので、普通の時間に向かうと琥珀と千景がいるので、その二人を避けるためである。

 学校に着き、トククラへと向かう。教室の中に入ってみるも、そこにはいつも居るはずの瑛莉の姿が居なかった。

「……」

 あのホワイトボードによる罵倒がないとなると、なんとなくだが調子が出ない。

 奏多は午前中、ボケっとして時間を潰し、昼食を取って、図書館でレポートをやっていた。

 教室に戻ってみても、瑛莉の姿はなかった。『特待生』の特権を使って、今日は休んでいるのかもしれない。自分の席の右隣にある空席を眺めながらそう思った。

「……」

 今年の『特待生』が入学して以来、奏多は毎日のように学校に向かうようになっている。別に罵倒されたくて向かっているわけではない。

 ただなぜか、傍に居たいと思ってしまったのだ。

 自分と似た病を持っている共感からか、それとも同じ声楽の道を進む者だからか。

 そんな事を考えながら、奏多は放課後まで時間を潰していた。



     3



 コンコン、と扉をノックする音で奏多は現実に戻って来た。

 教室の中は茜色に染まっている。どうやらもう夕暮れになっていたらしい。こんな時間に誰が訪れたのだろうか。出るかどうか迷ったが、奏多は立ち上がって扉に向かった。扉を開けると、そこには奏多よりも少し背が高い男性が立っていた。

「すみません、この教室は……特別待遇生徒クラス……で良いのかな?」

 男性は柔和に微笑みながら聞いて来た。奏多は小さく頷いた。

「そうか……じゃあ君は『特待生』……なのかな?」

 少し冗談っぽく聞いて来る。だが、奏多は『特待生』なので小さく頷いた。すると、男性は驚いていた。奏多が『特待生』だとは思わなかったのだろう。

「そうか……気味がこの学園始まって以来の大天才……初代『特待生』か。だとすると、アレと同じなのか」

「?」

 首を傾げていると、「失礼」と言って

「私は来羽くるは蓮杖れんじょうという者でね……。小さな音楽団の指揮者を務めさせてもらっているよ」

 来羽蓮杖――日本で唯一『マエストロ』の称号を持つスゴ腕の指揮者だ。本人は「小さな音楽団」と言っているが、かなり有名な音楽団に所属している。この人は謙虚なのだろう。

「この教室に居ると思ったのだが……違ったか。となると……礼拝堂かな? 申し訳ないけど……礼拝堂に案内してくれないかい? この辺の地理には疎くてね、迷ってしまいそうなんだよ……」

 照れたように笑う蓮杖。奏多としては礼拝堂にはあまり行きたくはないのだが、これは仕方ないだろう。奏多は頷いて、蓮杖と共に礼拝堂へと向かった。

 礼拝堂に向かい、奏多はそれを見上げた。僅かに表情を硬くしつつも奏多は礼拝堂の扉を開けた。蝶つがいの軋む音が耳触りだが、それは仕方ないだろう。

「来羽、それでお前は――誰だ? ……その珍妙な格好は……奏多か? 珍しいな、お前がこんな所に来るのは」

「奏多……?」

「奏多少年が? ……今は手放しに喜べんな」

「カナタ、来てくれるのは嬉しいのだ。だけど、今はちょっとお取り込み中なのだ」

「雪比奈って、やっぱ不思議だよな……行動が予測できない」

「奏多君のそう言う所は長所であり短所だね」

「……」

 中には村中を筆頭にした誓教の面子と瑛莉の姿が見えた。

「で、どうしたんだ奏多。お前この時間帯なら帰ってるはずだろ」

「私が道案内を頼んだので」

「……その声、誰だ?」

 ちょうど逆光だし、背丈もあまり変わらないので、奏多の後ろに人がいることに気付けなかったのだろう。奏多は立ち位置をずらし、もう一人の人間がいる事を明らかにした。

「……イヤ、マジで誰だ?」

「来羽蓮杖です」

「「っ!?」」

 村中と瑛莉が強張っていた。

 蓮杖が歩き始めたので、奏多はその後ろをついて行った。

「……蓮杖氏、なぜこんな所に?」

「なに、取りに来ただけですよ」

「約束と違いませんかね?」

「口約束など、約束のうちに入りませんよ」

「確かに、何の拘束力も持たない。ですが、私の仕事はまだ終わっていないので――」

「お言葉ですが」

 村中の言葉を遮るように蓮杖は言葉を言った。

「貴女では力不足です」

「……失礼、私はこれでもまだ修行中の身の神職者です。力不足は否めません。ですが、迷える子羊を導く者でもあります。何か言いたいのであれば、ハッキリとお願いいたします」

 村中は瑛莉を自分の背後に隠している。なぜかそれは、瑛莉のことをを守っているように見えた。

「お言葉に甘えて」

 蓮杖がそう言った瞬間、蓮杖の纏う空気が変わった。


「その楽器の声は戻ったのか?」


 ゾクリと、背筋に悪寒が走るほどの冷たく、低い声だった。

「……いえ」

「貴女はこれまでに多くの人間をカウンセリングし、救って来た。スゴ腕のカウンセラーと言うことで貴女に任せたのに……。やはり、そんな曖昧なものではなく、科学的に直すべきと言うことか」

「なっ!? あんな大博打みたいなモノに手を出すつもりか!?」

 村中は背後に居る瑛莉をちらりと見ると、蓮杖に向かって叫んだ。

「反対だと私は言ったはずだ! それに、あなたも解ってるはずだ! そんな成功率が低い賭け……四割を切っている手術を娘に受けさせるなんて正気の沙汰じゃない!!」

 その言葉に、誓教メンバーはおろか、ポーカーフェイスの奏多までもが驚いていた。

「貴女には関係ないはずだ。これは、私の問題だ」

「あなただけの問題じゃない! 娘である瑛莉の問題でもあるんだ!」

「貴女の意見など聞いていない。私だって忙しいんだ、さっさとそれを返してもらおう」

 蓮杖がそう言って瑛莉に近づいた。だが、瑛莉は怯えている。

「チッ」

 蓮杖は舌打ちをして、瑛莉に近づきながら言った。

「道具のクセに手間を取らせるな」

 奏多の目が大きく見開かれる。

 今こいつは何と言った? 瑛莉を――実の娘を、家族を、道具と言ったのか?

 ギリッ、と奥歯を強くかみしめる。そして力強く拳を作っていた。その拳は、震えていた。

 奏多の頭に血が上る。

 奏多の脳裏をよぎったのは幸せそうな、みんなの笑顔だった。

「おまえの取り得はその楽器こえだけなんだ。それ以外に価値なんて皆無だ。道具は道具らしく使われて居れば良い」

 奏多はもう、抑えきれなかった。

 先ほどまでは進藤家に対する恩で何とか抑えていたが、もう限界だった。

 誓教一同が何かを叫んでいるが、奏多の耳には届いていない。奏多は利き手である左拳にさらに力を込める。

 蓮杖は異変に気付き、振り返る。そしてギョッとしていた。


 そこには、鬼の形相をした奏多が居た。


「てめえ、歯ぁ食いしばれやぁぁぁああああああああああああああッッ!!」

 奏多の渾身の一撃が蓮杖の右頬に炸裂した。蓮杖は短く叫んで二メートルほど吹き飛ばされる。一同はそれを唖然としてみていた。余程興奮しているのか、奏多は「フーッ、フーッ」と息を荒くしている。

「か、奏多……少年? そんなアクティブに動けたのか……?」

「カナタ……実は運動も出来たりするのだ?」

「いや、論点そこじゃねぇよお二人さん。問題は……」

 一同は吹き飛ばされた蓮杖を見ていた。これはどう見ても、暴力だ。さすがの理事会でも、これは奏多を辞めさせる以外に手段はないだろう。

「小僧……貴様、何をしてくれた……?」

「殴ったんだよ、それくらいも分からねぇのか!?」

 奏多は左手を強く握りしめる。

「アンタは最低な野郎だ! なんで娘を道具扱いしてんだよ!? アンタは瑛莉の家族なんだろ!?」

 蓮杖は立ち上がると殴られた頬をさすり「ふん」と鼻を鳴らした。

「だからどうしたと言うのだ。他人の君には関係ない。君こそ、何をしたのか理解できているのかい? これは暴力だ。君は退学どころじゃ済まされない。君の親御さんの教育は余程悪かったようだね」

「生憎とな……」

 親に迷惑をかけさせる子どもほど、親不幸はないだろう。だが、奏多は叫んだ。


「俺には両親が居ねえんだよ!」


 その一言に、亜夕深以外の誰もが驚いていた。そう、亜夕深は知っているのだ。

「俺の母親は幼い時に蒸発しちまった。父さんは事故で死んだ……。俺は今、他人であるはずの、なんの繋がりも無い進藤の家に与ってもらってるんだよ!」

 奏多の抱える大きな闇が今、白日の下にさらされようとしている。

「アンタが言う所の他人に育ててもらってるんだよ! 感謝してもしきれねぇよ! だったら! 親のいる子どもは一体誰に育ててもらうんだよ!? 血の繋がった両親だろうが! 瑛莉はアンタの娘だろ!? 責任もって育てろよ! 瑛莉は道具でも何でもない、命を持った人間だ!」

 奏多は叫ぶのをやめない。亜夕深以外の誰もが知らなかったのだ。この瞬間まで、一同は『奏多は親の都合で取りあえず進藤家に預けられている』という認識だった。だが、それは全く違った。

「亜夕深の家……夕実さんがあの日、俺を拾ってくれたんだ。俺の親戚は日本には全然居ないからな。こんな格好の俺でも、進藤家は俺を受け入れてくれた。の様な俺を、受け入れた」

「君がどう言う経緯で預けられたか興味なんて無い。もし考えられるとしたら……君の様な子を預かろうと思ったのはお金の――」

「そんなわけない!」

 亜夕深が力強く叫んだ。

「そんな下らないモノの為に、お父さんやお母さんは奏多を育てようなんて思ってないわよ! お父さんもお母さんも……奏多を『他人』のように扱ってなんていない! 『家族』のように扱ってる!」

 血の繋がりなんて無い『他人』に受け入れられた奏多。そんな奇跡はそう簡単には起きない。

「口ではなんとでも言える。だが、この失声症は『他人』が関わったところで――」

「失声症は治るんだよ!」

 奏多はそう言って自分の喉に手を当てた。

「俺だって失声症を患ってる。時々声が出なくなるけどな。だけど、その程度だ! 時々声が出なくなる程度で、失声症は治るんだよ! それに『他人』が助けにならないとは限らない」

 蓮杖は眉を動かした。

「それなら……君は『他人』からどのように助けられた?」

「……」

「言えないのか」

「違う、そうじゃない。……分かった」

 奏多はそう言ってブレザーを脱ぎ捨てた。それだけで、奏多がなにをしようとしているのか分かった亜夕深は止めようとする。

「ダメだよ、奏多! それはダメ!」

「亜夕深、コレは見せないと分からない。『他人』がいかにして助けてくれたかを分かってもらうには……こうするしかない」

「奏多ッ!」

 ネクタイを捨て、ワイシャツのボタンを外す。

「これが『他人』からの恩恵だ」

 奏多の上半身が晒される。そして、各人から短い悲鳴が上がった。

 そのに。

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