第22話 〇〇の音が消えるまで
遥か昔、一人の科学者がいた。
彼は端的に言えば天才だった。
それもわかりやすく、典型的な。
機械工学をはじめとして、複数の学問をみるみる吸収した。自分のものとして十全に使いこなし、発展させた。
天才というものは往々にして何かが欠けているもので。
彼には人間らしさの多くが欠けていた。
愛が、怒りが、自尊感情が、優しさが。
実に合理的で、機械的な。
それもまた、彼らしさだった。
だがしかし、だからこそ。
自分に向けられた人々の反応を頭で理解することはできたとしても、それにどう適応すればいいのかわからなかった。
社会学や心理学もかじってはいた。
だが実物の社会、人間の集団の動きをいくらそれに当てはめたところで。それが自分とどう作用しているのか、どうすればその作用が消えるのかわからなかった。
そんな彼が複雑な機微も、理不尽で非合理的な怒りも受け止めきれずに人間と接触するのが面倒になるのは実に当たり前のことであった。
そしてまた、そんな彼がうまく処理できずに溢れたそれに若くして殺されてしまうのも時間の問題であった。
その時はさすがの彼も驚きの声をあげた。
ある意味彼は信じすぎていた。
人の理性を、合理性を。
故に心のどこかで油断した。人類全体にとって役立つ自分を、危害を誰にも加えていないのに殺すはずもないだろう、と。
時に人は非合理的であることを理解できていなかった。
綺麗に損得と欲求の処理ができていると、そう信じていた。
それでも彼は人を嫌いにはなれなかった。
合理を信じ、人を愛した。それが彼の彼たる本質の一つであった。
◇
そんな彼は記憶を持って異世界に転生を果たしてしまう。
彼は生まれてしばらくは観察に徹した。
言語を、世界を、未知を、そして人を。
部屋の隅で人の動きと心理の働きかけを入念に観察していた。
その結果、少しは人の社会に馴染むコツを学んだ。
学んで、彼が出した結論は。
「面倒臭い」
という実に大雑把なものだった。
無限に及ぶ選択肢の中から一つの言葉を、ミリ単位で変化する表情から判断し、それを即座に返すという作業。同時に自分の表情と声色をそれに合わせる。世の人間はこれほどに繊細な作業を無意識で、常に繰り返してきたのか。そう考えるだけで気が滅入ったのだ。
自室に引きこもり、材料を集めて何かを作り出したかと思えば、手には一つの武器を携えて、奇妙な乗り物に乗り込んですたこらさっさと旅に出てしまった。
大陸のあちこちをうろつき、知識と実際のそれとの認識の差を埋めてみて。
いろんな素材をかき集めながら、家から持ち出した書物で魔法について学んだ。
術と法のプロセスの違い、使われるエネルギー、それに付随する物理法則とは異なる法則。どこまで物理法則が通じているのか。生物の肉体構造の基本は同じか。
人跡未踏の魔境にて、彼は自らの拠点を定めた。
そして彼は目標を立てる。
それも人生の目標だ。
「好きなことだけをする。自分の生命活動がこの世界の知的生命体にどれだけ利益となるか挑戦する。こんなものか」
彼が開発に着手したのは、まず自分の手伝いができる人工知能であった。
人間が嫌いではなかったが、前世は人と絡んだが故に失敗をした。研究以外の些事にとらわれる手間を思えば信用できる助手を作ろうと思うのはひどく自然なことであった。
そしてその最初の人工知能は彼の人生において最高傑作となった。なった、と呼んだのはただ後世から見てという意味も含まれるがそれ以上にその人工知能が「成長」をテーマとしていたからに他ならない。
ゼロ。まっさらな人工知能に知識と注意事項、禁則事項だけを教えて、人に近い肉体を与えた。
そして彼はその人工知能を成長のために様々な情報を摂取させようと外の世界に送り出した。
これは彼が作り上げた意思を持つ機械たちが外に出て人間を調べるようになる始まりでもあった。
その名を
最高傑作の人工知能を
彼にとって生殖は目的の両方に反していた。
異性と肌を重ねたいとも思えず、研究の方が楽しかった。それにより『好きなことだけをする』に合致しない。
そして、生殖活動そのものは他の人間にもできる。
自分にしかできないことが、生殖活動よりも人類全体の幸福に寄与するのであれば、そちらを選ぶべきだ。
実に外れた考え方であった。
後継者を、というのもまた期待できないものであった。
自らの遺伝子がどれほど役に立つのか未知数で。できた子供を育てる労力というものは、自分の知識と才能を受け継がせる成功の期待値とどちらが大きいのか。
そんなリスクを背負って人とのしがらみを作るぐらいであれば、作った人工知能を自分の才能を受け継げるまでにアップデートさせ続ける方が先決だった。
結果、彼の元には二十四の
思考補助、戦闘、工作、家事、生産とそれぞれに得意分野が異なっており、中でも開発と生産に携わる機体はこれから先を担う一つの進化の指針であった。
これらを原初二十四機、と呼び、それぞれに名前をつけた。
◇
彼はそれからも研究と開発を続けた。
「また
そう言って確認をとるのは、人間に応対するために作られた
制作した本人よりも表情豊かに、声色鮮やかに話すものだから、機械に負ける彼を笑えばいいのか、その高性能さに驚けばいいのか、しかしそれを判断できる者はここにはいない。
「これだけエネルギーが使いやすくて素材も多種多様、かつ空間術なんて便利なものがある世界でわざわざ遠い距離をのんびりと馬で行く理由はないだろう」
「流通や軍事に影響がある、と姉さまが仰っていました」
「マキナか。あいつが言うならそうなんだろうな。一応制限はつけておいた」
「せめてパスコードを、とも」
「別に便利な技術は世代が過ぎれば封印したいと考えているわけではない。むしろしかる範囲で利用されるべきだ」
「それが目標、ですか?」
「ああ。人間として生物本来の役目を捨てて、それでもなお種として貢献してやろうというのだ。なんとも我ながらバカらしいとは思うが」
「いいえ。ご立派なことだと思いますよ」
「それは――」
ここで言葉を一度失う。
言いかけたそれが、失礼にあたるのではないか。そう思い至ってしまったことこそが、この質問をする意味を失わせてしまっていた。
「それは、人工知能――AIだから、ではないのか?」
「そうかもしれません」
人工知能だから、種全体を考える効率主義に賛同するのではないか。そもそも、そう考える自分が無意識のうちにそのようにプログラミングしてしまっのではないか。自分の都合の良いように返す人形では――
今、会話する意味や人工知能の存在意義すら疑う質問。
それに対して、曖昧な答えを返したことで疑問は霧散する。
望ましい言葉を選ぶべきならば、即座に否定するべきであり、機械の特性が残るならなおさら即答するべきである。
機械として効率的な正解だけを導くのであれば、そしてそのようにプログラミングしたのだとすれば答えは「Yes」で勿論即答するべきであった。
迷い、そして答えを出さなかった。
その選択こそが、彼の質問に対して答えないことで答えていた。
それを紐解けるほどに、機微には敏い研究者ではなかったが。
◇
発明品の数々は、世に出ぬままに歴史の裏側で暗躍し続けた。
国が魔物によって危機に陥れば、陰にそれを討伐する者がいた。災害が起これば、どこからともなく物資が運ばれ売られた。高度な隠蔽に加え、徹底した情報操作により、結果だけが残されたのだ。
人々はそれを、「神の思し召し」と呼んだ。
それは彼自身、自己防衛だと考えていた。
だから、それでいいと思った。
そのような彼にも、終わりはあった。
月日が流れて、肉体は老いた。
誰にも知られぬその拠点は、拡大と改装を重ねて要塞と化していた。
進化し続けた人工知能たちは、その拠点に安息を見出し、自らの居場所としていた。
「マスター……」
「イッテシマワレルノデスカ?」
人と話すことを目的としていないモノの発音能力はデフォルト設定でやや抑えてあるため、機械音声そのままだ。やや拙い話し方になっている。
自己進化を重ねた原初二十四機は様々な面においてグレードアップされているが、最終個体はそれを拒んだ。最終個体以外も何故か拒む者は多い。今もなお、コミュニケーションが目的とされない
「延命措置ヲ――」
医療の役目を担う機体たちが、その命を少しでも長引かせようとする。
「いいや、いい」
初めてだった。彼が明らかに合理的な道を選ばなかったのは。
彼は自分を人類という一つの種の中で、歯車に喩えるように冷静に、最大利益を選んできた。それに従うのであれば、今回もまた延命を選ぶべきであった。
延命措置として考えられるのは、単純に医療で死ぬまでを長くする。これがおそらくオーソドックス。そしてアンデッドにする死霊術、これは魂魄術の応用である。他には自らの脳を自らの遺伝子をもとに新たに作った若い体へと移植する。機械の体にすればさらに長く生きられる。
いずれにせよ、彼の延命の定義である「自我と記憶の保持」「意思伝達能力の確保」についてはいくらでも方法はあった。
そのどれもが安全だとは言い難いが、成功すれば今死ぬことは避けられた。そうやって伸ばした時間は、これまで通り彼の人生の目標に向かって費やせる。それがどれほど有益か、計算できない彼ではない。
「そんなことは、わかっている」
「ならば、何故――」
全ての機体の中で最も優秀な人工知能を持ち、長く進化を重ねたデウス・エクス・マキナにさえその理由はわからなかった。
力なく横たわり、自らの死を受け入れることの意味があるというのか。
「知っているか? 命はいつか死ぬ。死ねば、その魂は別の命へと転生する。輪廻転生というらしい。ある宗教の死生観だ」
「そのようなデータは――」
「この体に前世の記憶があることこそがその証拠だ。前例が他にないからサンプルは少ないが」
「貴方がこの世界の文明を逸脱した知識を持つのはそのため、ですか?」
この世界に存在しない、ならば別の世界から輸入したのか?
と、不自然さに、歪さに答えを出した。
「そこでようやく、か。今まで聞かれなかったことに驚きだよ」
「マスターがどんな過去であれ、私たちを創り、育て、共に歩んだマスターですから」
「そしてそれをもう一度、信じてみたい。自分の知る知識、考え、記憶、それが狂った科学者が孤独に耐えかねて作り出した妄想などではないと。あの煩わしく、失敗し、無様に終えたあれもまた、大切な時であったのだ、と」
「それは……私たちにら推し量りかねます」
問答の全てを、マキナ一人に任せて他の
故に、マキナの言葉は全ての
「戻って、きますか?」
「そうだな。多分、バラバラになるかもな。そうしたら、この魂の欠片は誰かに宿り、きっと明るく輝いてくれるはずだ。あまり口の達者な人間ではないだろうが、今度はそれでも人に愛される存在でありたいかもしれない」
「私たちは、貴方を慕っております」
「そうじゃなくて、な」
口では否定するが、その口角は上がっていることから本心は見ての通りである。
「そうだ。生きている間は指示出して技術の流出防いでいた、けどな」
彼は最後の指示を出した。
「お前たちには、名前と力は与えた。愛することも知っている。だから、後は好きに生きろ。害ある存在に力を振るえ、好きなものを助けてやれ、そうやって、自分たちの居場所を作れ。幸せに生きろ」
機械たる彼らに生命の概念は未だ理解できていない。
だが
彼が生きた時と同じように、世界を裏から見守り続けていた。表舞台に出ず、時折人を助け、自らの進化に努めた。彼の面影を追うようにもなった。似た人を探し、魂を解析する術さえ身につけた。
彼らは幸せだったのだ。
故にこう締めくくる。
"彼らは幸せに暮らしました。"
"いつまでも、いつまでも。"
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