第19話 レオンの回想 前

 俺の双子の妹――レオナが六歳を目前にしてやたらととある男の子の話をするようになった。

 そのことについて誰かに語ろうとすれば、まずはレオナ自身について俺の視点から話す必要がある。




 ◇


 レオナは身内びいきを抜きにしても優秀な人間だ。頭の回転が速く聡明にして早熟、行動力もある。俺はそんな妹のことを誇らしく思っていた。

 だが嫉妬はしなかったように思う。今から思えばそれは、身内だから気に留めなかった欠点というものを幼いながらに理解していたからかもしれない。


 五歳になるよりも前の幼い頃、一人の人間がとらえられたことがあった。罪状そのものはありふれたものだった。ただ、その時偶然俺たちがその側を通ったこともあり、捕まえる瞬間に立ち会ったのだ。

 罪の概要を聞かされ、衛兵に捕縛されて口だけが動かせる状態の罪人にレオナは近づいていって幾つか問いかけた。

 それはどうして決行の前に少し離れたところで陽動をしなかったのかとか、考えればこちらより警備の薄いところがあるのにどうしてこちらを狙ったのかとか、そうした犯行面でのことだった。

 父上は驚いていた。王族が罪人の視点に立ったこともだが、その指摘が的を射ていたからだ。まだ幼い少女が、いくら英才教育を受けているからとはいえ、1人の大人の思考を凌駕したのだ。

 罪人は黙った。一つ一つの知識は町の民衆でも得られるような単純なものばかり。実行にそこまで強さが必要なものでもなかった。つまるところ、思いつけたかもしれなかったし、実行可能だったからだ。


 ただ、俺はこう思ったのだ。

 ――思いつけないものに理由を聞いても仕方ないだろう――と。

 魚に飛べない理由を聞いて「羽がないからだ」と答えさせるようなもので、できないものは能力の問題なのだ。そんなことを聞いて得られるものがあるとは思えなかった。

 もちろん当時は俺も5歳。そこまではっきりと考えていたわけではない。なんとなく、そんなことを思っただけだ。何かもやっと「仕方ないだろ」と。


 つまるところ幼いころのレオナは、できない人間のことがわからなかった。


 なまじ王族として周りを教育を受けた中でも優秀なものや自分を幼い頃から知る家族で固めてあったこともある。レオナは自分にできること、思いつくことは大人はみんなできるのではないかとさえ思っていたのだ。

 そしてその日から世の中には自分よりも頭の回転が遅い人間がいるということを知った。そして世の中の人間を二種類に分類した。自分より優秀なものと、自分より優秀でないものと。

 その中でも優秀でないものが自分のことを利用できると考えて近づいてくるのをひどく嫌った。何故バレないと思っているのかわからなかったからだ。見え見えの下心、隠しているつもりの弱々しい腹黒さ、そうしたものに怯えた。

 もちろんそれらを表に出すことはなかった。表面上はますます完璧な王族として振舞った。だがその鬱憤を晴らすかのように時折王城を抜け出した。腕の立つメイドを一人つけてあるため、どうこうなることはなかったが。

 そして抜け出すようになってしばらくして、とある男の子の話をし始めることになる。




 ◇


 きっかけは妙な質問からだった。


「お兄様、空が青い理由を知っていますか?」


 レオナはそんなことを聞いた。

 空が青いのはそういうものだからだろう。理由など考えたこともなかった。そんなぞんざいな返事をした気がする。わからなかったからだ。

 レオナは光には色によって進む速さや曲がりやすさがあるとか空気中で光が小さなものにぶつかるとかよくわからないことを言った。だが俺はさっぱりわからず、レオナがまた妙な本でも見つけたのかと思っていた。そう、その時は何も変だとは思っていなかったのだ。


 するとレオナは誰にも内緒だと言って、とある男の子の話をし始めたのだ。熱に浮かされたように語るその様子は、新しいおもちゃを見つけた子供とも、発見に興奮する研究者のそれとも似て非なるものだった。


「そのお方の名前はレイル様とおっしゃっていましたわ」


 妹は彼に何も憧れだけを見ているわけではなかった。突飛な行動をとろうが、人とは違うことを言おうが王族としての自覚は残っている。彼に利用価値を見出してもいた。

 でも何が一番近いかと言われると……恋する乙女――が最も近いかもしれない。

 ◇


 レイルという少年を実際に見たのは、ギャクラの国でも様々な身分の者が通う学園に入学したその初日だった。

 入学生代表としての挨拶を終え、妹と同じく身分の高い者向けのクラスへと足を運んだ。自己紹介が次々とされていき、あるところでクラスの雰囲気はガラリと変わった。


「レイル・グレイです」


 そう、彼はグレイ家の人間であった。

 グレイ家には黒い噂がある。腕の立つ暗殺者を何人も召し抱えているとか、そいつらを使って気に入らない貴族を消しているとかそうした類のものからもっと些細なことまで。そのいくらかは勘違いだったり、推測に過ぎないことはわかっているが、それでも拭えない妙な恐怖があの家にはある。貴族の中でも妙に嫌われている家である。

 レイル・グレイについて調べさせたところ、グレイ家にそんな人間はいなかったとのこと。そもそも母親がいない。彼の妻はレイルが生まれるそれより前に死んでいるはずであり、もしも年齢が嘘だとしたら嘘をつく理由もわからない。隠し子か? という疑惑もあった。

 そんなこととは関係なく、レイルという人物を見定める必要があった。


 見た目だけだと目つきが悪く、妙におとなしい少年だったように思う。同年代にありがちな、狼狽えるような、もしくは浮ついたような雰囲気がなかった。今思い出すあの表情は懐かしんでいたように見えた。



 ◇


 レイルは恐るべき男であった。

 彼に専属の家庭教師などがついている様子は全くといってなかった。まともな世話係も、護衛も、従者もいない。つまるところ彼は衣食住以外の些事を全て自分で行っていることになる。


 王族に関わらず身分の高い者というのはそれなりの教育を受けてからこの学園へと入ってくる。もちろん授業もそれに応じて、ひらがなが書けること、数字を書けることを前提に行われる。ロクな教育を受けていない人間がついてこれるものではない。

 レイルはそんな段階を超越していたのだ。最低限の字が書けるどころか、とっくに教育の必要がないほどまでに漢字の読み書きが可能であり、文章も実に綺麗なものであった。数字はおろか、四則計算を暗算できる。それに対して得意げな様子の一つも見せないことから、彼にとってそれらは当たり前のことなのだろう。彼がわからないこと、知らないことは主に考え方や知識に集中していた。と言っても、彼が考えが至らないのではない。質問の内容は高度であったり、逆に常識であったりはしたが、彼の説明は実に論理的で破綻していなかった。教師が唸らされることの方がずっと多い。


 一方、戦いの技術は拙いものであった。

 貴族は嗜みとして剣術や魔法を学ぶ。もちろん戦争などで戦うことがないともいえない。皆、真剣に取り組んでいる。レイルもそれに同じく、実技に関しても真面目であった。

 だが驚くほどに才能がない。

 魔法は初級のものさえ使えず、剣技は中の下、つまりは魔法が得意なものとさほど変わらない。

 どちらも及第点ではあるが……といったところか。


 当初はその噂から人格も知らずに嫌っていた周囲もそのちぐはぐな能力に首を傾げながらだんだんとグレイ家の看板だけで判断する割合は減っていった。

 とはいえ、それはレイルの評判が高まったことを示すものではない。頭の良さは評価されているが、それ以上に気づき始めたのかもしれない。彼はグレイの名と関係なく性格が悪いことに。それを示す事件が起きたのは二年の頃だった。



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