第20話 レオンの回想 中
当時はまだ、子供だった。
誰も彼も。俺もレイルも。
「おい、お前貴族じゃないのになんでここにいるんだ?」
授業が終わり、教師が退室した後のこと。まだ何人も生徒が残っているその前で貴族の一人がそう尋ねた。まだ八歳。悪意などあるのか? と思う者もいるかもしれないが彼の顔ははっきりとレイルへの敵意を示していた。
「じゃあお前に聞くけど貴族って何?」
「えらばれたちすじのもんだよ! おれの部下が言ってたぞ! グレイ家には貴族でもないガキを養子にしてるって!」
それは半分噂で真実でもあった。学園で早々に目立ちはじめたレイルを妬み、剣や魔法よりもつけ狙いやすい血筋を揶揄するために流された噂。後から聞いたことによれば真実ではあったのだが、当時の彼らはそれを確証をもって言ったわけではない。
父親がジュリアスではない可能性が高い。それだけでは表立ってジュリアスをどうこうするわけにはいかなかったが、学園の取り決めで不可侵となった子供同士の諍いなら話は別だ。
誰もが入学当初から気にしてはいたが、誰も聞くことができなかったそれに正面からぶつかる度胸だけは認めよう。だがそれは悪手だった。
確かに周りの生徒たちは聞き耳をたてるばかりで止めようとはしない。何人かはニヤニヤと、気の弱い者はヒヤヒヤとしながら帰りの支度をしていた手を止めた。
机の鳴る音がやけに響く。机、頬に肘をついたまま気だるそうに返答した。
「選ばれた血筋、ねえ……」
「なんだよ」
「父親が偉いだけでよく威張れるよなって思ってさ」
「あたりまえだろ。えらい人の子どもはえらいんだ」
「けどさ、お前の言う血筋ってどうやって証明できんの? そんな魔導具あったっけ? まああったとしたら案外お前も選ばれた血筋とかじゃないかもしれないけど」
それは貴族に対する最上級の侮辱であった。事実として血が繋がっていないだろうことを公然の秘密としているレイルと違い、彼は正真正銘の貴族であった。レイルの追撃は止まない。
「お前が父親と似てたりする優れた部分って何? お前のお父さんって……ああ、あれだろ軍のお偉いさんだっけ。でもお前、用兵や戦術ダメダメじゃねえか。俺以下だろ?」
座学関係でレイルを上回るものはいなかった。だから自分と比べるのは間違いにしろ、確かに声を荒げる彼は戦いに関する座学はやや下の成績だった。
「うるさいぞ! 剣はお前より上だ!」
「そうだな。でも俺の記憶ではお前の父親は剣より槍の方が得意だったような。じゃあ似てないのに親子だからって何? お前がその息子だったら何があんの? もしかしてその血筋の看板しかないの? くくっだっせー」
高貴なる者の義務。それは民を導き、守ることで上に立つ資格があるのだという自覚。そんなことを教えられたことがある。
「じゃあお前はなにができんだよ!」
「魔物の知識、各国の地理について知ってるから遠征に関して適切な隊列が組めるけど何か? お前は剣がふれるもんなーだから先頭で魔物を倒してくれるといいな!」
「貴族がそんなことするか!」
レイルの目がきゅぅと細くなる。すっと乗り出し、顔を近づけ、裂けるような笑みを浮かべながら囁いた。
「じゃあ価値を示せよ」
誰もがその舌戦とさえ言えないレイルの逆襲に呑まれ、黙っていた。だからかもしれない。その声は小さいのにやけに響いた。
「喚くことしかできない人間が偉い偉いと主張するな」
「お前は……このっ……俺を――」
「俺は……何?」
「別に俺は貴族って仕組みを否定するわけじゃねえ。金や権力がある者が自分の子供にその跡を継がせたい、だからその力を使うことを教えていく、その繰り返しが合理的な支配体制だって考えもわからなくはない。誰も自分の子供でもないやつに自分の人生の成果を継がせたいとは思えねえだろうし、すでに環境の整ったところで育つ人間が能力を高めていくって論理もわからなくは、ない」
もはやそれは教師よりも言っていることが難しくなっていた。単語の問題じゃない、これは帝王学、つまりは俺たちが受けてきた教育の根幹に食い込んだ話だ。言われた当事者も、そして周りの貴族、そうした教育を受けたはずの俺さえも理解が追いつかない。こいつは何を見てきたって言うんだ……と今でも思っている。当時10にも満たない人間が語るにしては何か違うものが混ざったような気持ち悪さと、自分に敵対するものの心を折ることを楽しむようなそんな感覚があった。
「お前は与えられたものを吸収したのか? 考えることをしたのか? ただしたいことをするのに頭を使わなくなったとき、お前はただの獣だ。俺に何を求めた? この学園の退学か? 入学を認められ、成績上位を保持している人間をいちゃもんで追い出して。お前のその後の利益をちゃんと考えたのか?」
くるくると回る口、邪悪な笑み、そして皆は理解する。これがもしも血筋で生まれるとするならば、グレイ家が少し悪い噂があるだけの一貴族で終わっているはずがない、と。どこかで、いつかは目立つ。
言っていることが完全に正しいとは言いきれない。言いきれないが、それは言われた当事者からするとどうでもいいことである。自分の根幹である血筋、それを否定されて、かつ自分が自分の両親から生まれたわけではないかもしれないという疑惑を植え付けられて。彼はなにも言い返せずに逃げるようにして教室を飛び出した。
◇
この事件、そしてレイルという男を観察し続けたレオナの変化。この二つから俺はレイルを単なる貴族として見れなくなっていた。
レオナの変化に気がついたのは、歴史の授業で王を裏切って反乱を起こし、鎮圧された勇猛な騎士の話を聞いた後のことであった。
「――だから、反乱して、だから失敗したのですわね」
レオナは当時の状況、そして語り伝えられる騎士の人格から推測して反乱の理由、失敗の理由をぽつりと言った。
その時、俺の脳裏に浮かんだのは以前の盗賊のこと。
歴史書の文だけを見ると、この騎士は非合理的で無謀な反乱に臨んだ馬鹿のように見えるのだが、それが勇猛な騎士として語り伝えられるのには理由があった。その当時の社会体制における騎士の扱い、彼の人格である。他にもやりようはあった。やりようがあったことがわかっていてなお、物語として涙される逸話なのだ。
それに対してやっぱりレオナの返答は「なぜこうしなかったのか」だと思っていた。もっとうまくできただろうにと改善案を出してくるだろうとさえ。実際はその逆、共感と理解を示したのだ。だが次に妹が語りだしたのは――
「私が王様なら……」
王様側への理解と改善案であった。探るように、紅潮した頬でつらつらと語った。
それはむしろ騎士をどうやって支配するかにおける改善案であって、決して社会を良くする改善案ではなかった。あくまでも王の利益だけを考えていた。王ならどうするか、そしてそれができなかった理由も。
つまり妹は弱者の考えを理解した上で、なおどちらを相手にしても自らの立場を確立できるようになったのだ。有能なまま、頭の回転が速いままに弱者を理解した。
「レイルという男はレオナに何を教えたんだ……!」
頭を抱えるのは免れたが、それでも片手を当てて一人つぶやいた。
焦燥、怒り、そして恐怖が当時の俺の胸にはあった。
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