レイルの憂鬱、アイラの決意
町外れの草原には二人の少年少女がいた。
風は二人の頬を撫で、その鼻腔の奥に草の匂いを届けた。
少年は草むらに寝っ転がり、右手を見つめる。
その右手に精神を集中させるが、何の変化も見られない。
そこにぽっかりと空いた何かを確かめるようにつぶやく。
「やっぱり無理か」
少年の名前はレイル・グレイ。
グレイという苗字はこの国の貴族に名を連ねているが、レイル自身は血筋は全く関係ない。
彼は前世の記憶を持っていたので、幼少期から様々な訓練をしてきた。
筋肉を鍛え、体力をつけようとした。
柔軟性を高め、俊敏性を磨こうとした。
剣技も、魔法も、二歳のときからずっと。
だがどうだろうか。
確かに彼は、全く動かない者よりは強くなった。
だがそれは恵まれた環境で努力した者にはあっさりと抜かされた。
才能を持つ者にも簡単に負けた。
結局、カグヤから一本も取ることができなかった。
王子にも、決闘で勝ったフォルスにも、ルールのあるような実技の模擬試合では一度も勝てなかった。
カグヤはともかくとして、二人とは剣技や肉体の見た目はそこまで大きく差があるわけではない。
だがうまく言えないが、力が入らないし、素早く動けないのだ。
( 戦うなんていう経験がない日本でぬくぬくと育ってきたからか? 戦うことを心の奥底で否定しているのだろうか? いや、それならば親を殺すことを真っ先に忌避するはずだ)
レイルはぐるぐると考えていた。
魔法も全くといって使えなかった。
基本技術である魔力放出さえできなかった。
魔法に適性のある者ならば、初級魔法の第一ぐらいは使える。
例えば、炎属性——火属性とも呼ばれるが——であれば、火種を起こす、ほんの少し加熱する、ぐらいは使える。
風属性ならばそよ風ぐらいは起こせる。
光の魔法も、水の魔法も——全ての属性が全く使えなかった。
転生したのだから、幼少期から訓練すれば人より、せめて人並みには魔法が使えると思っていたレイルにとってそのことはとても残念であった。
そう考えたこともある。
生前読んだ小説ではそういうものも多くあった。
いろいろ試してみたが、何もなかった。
ゲームでおなじみ、ステータス画面もなかったし、そもそもこの世界にはレベルがなかった。
人より早熟である、というのも貴族連中の中だとさほど浮いていないとレイル本人は思っていた。
実際は浮いていたどころではなかったのだが。
とにかく、転生による貯金も底をつきかけていた。
「レイルくんはたまに遠くを見て難しいことを考えているよね」
そう言ったのはアイラ。肩まで届くかどうかというその髪は真紅で、少し癖っ毛だった。
レイルの幼馴染だ。
そうだ、彼は現代知識で無双したくて、銃を作ろうとした。
彼女の器用さと鍛冶屋の娘という環境まで利用してさえ。
だがそれは全て彼女の糧となった。
レイルには銃を扱う才能もなかった。的に全然当たらず、思ったところには飛ばない。
ならばアイラが管理した方が良い。
現在では護身用に一つ、二つレイルに渡したもの以外、ほとんどをアイラが管理している。
彼女は
「レイルくんはきっと私たちとは違うモノを見ているんだよね。でもさ、私にはまだ無理かもしれないけど、私も見たいなあ————レイルくんと同じ景色」
レイルはいつも不思議に思っている。
アイラがいつも自分に正の感情を抱いていることを。
その気持ちの名前をレイルは知らない。
思慕なのか、恋慕なのか、尊敬なのか、それとも畏怖なのか。
決してそれは畏怖ではないのだが、レイルがそれをあまり気にしてはいない。
嫌われていない。
それだけで大丈夫な気がするから。
アイラとしては、自らの価値を見出し、そして手放しで認めるそんなレイルを慕うのはとても自然な感情であった。
あのままではアイラは武器の作れる人物を補佐において家を継ぐか、未来にできる弟や妹の補佐につかせられるか……それとも家を出て一人で暮らすかであった。
刃物ができない。それは魔物や魔族、他国との戦いが珍しくない今の時代の鍛冶屋としては致命的であった。
そんな彼女に生きる意味を、力をくれたとアイラは思っていた。
アイラは自分が思っているよりもずっと才気に溢れる人間ではあるのだが、レイルにはどこか劣等感を覚えていた。
いつも守られている、と。
「ねえ、レイルくん。レイルくんは何かを目指して頑張っているけどそれって何? その隣には私はいないの? それとも教えることすらできないの?」
「いいや。アイラになら教えてもいい。別に隠そうと思ってたわけじゃねえよ。いう機会がなかっただけで」
レイルは詰め寄られ、やや戸惑う。
それを表に出さぬように、遠くへと目を向けた。
「俺はな、神に会いたいんだ」
アイラは最初、酷い違和感を覚えていた。
この世界では神の存在を信じる者は多くいる。教会本部が国になるほどには。
しかし、レイルがそのような敬虔な人間には見えなかった。
もっと合理主義で、見えないモノを信じていないというか、見たものは信じるというか。
そもそもこれまで一度も『神』という言葉を聞いたことがない。
「神様……?」
「ああ、神はいるよ。信じているんじゃなくって知っているんだよ」
信じている、ではなく知っている。
その口ぶりに何か確信めいたものを感じてアイラは存在についての追及をやめた。
「この国にいるの?」
「わからない。だけど、このままこの国にいても会えない。だから俺は旅に出ようと思うんだ」
生まれたその意味を知りたい。世界をみたい。そんな理由でしかなかった。きっと人に言ってもわからない感情なのかもしれない。しかし、レイルはどうしても神にもう一度会おうと思った。あの時聞き忘れたことを尋ねに。
「じゃあ──」
「ああ。その時はついてくるか? いや、違うな。ついてきてはくれないか? お前の力が欲しい。何より、アイラが必要だ」
アイラ個人だけでなく、その能力まるごとを必要というレイルの言葉。
どことなく、アイラを物扱いしているといえばそれまでだが、アイラはそれが単なる実力主義だけではないと知っていたし、実力を認めてくれていることもわかった。
だから、とたんにこれまでの全てが価値のあるものだったかのようにアイラは顔を輝かせた。
レイルはこれまでにない爽やかな笑顔だった。
よく邪悪な笑みを浮かべるレイルとは同一人物とは思えないほどに。
「うんっ!」
◇
グレイ家。卒業式の日の後。
「養父上、お話があります」
ここまで約十年。食べるものも、寝るところも、着る服も、基本的な生活については何も不自由させなかったこの人に俺は感謝以外に何も感じることができない。
もしもあの日、この家に置いてもらえなかったら、俺は今頃単なる金を持っているだけか取られて無一文で野ざらしになっていたことだろう。
不気味な子供として、虐げられていたことだろう。
もちろんその費用以上のお金を家に納めた。
しかしお金で返せる恩ではない。
「貴方は僕に、学校卒業後、どうしてほしいですか?」
ここで止められれば、もしかすると揺らぐかもしれない。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「どうしてそんなことを聞く?」
「今まで育てていただきありがとうございます」
「だがお前は宣言通り、養育費以上の金を返した」
そっけない態度。だがいつも通りである。
対応しづらいのか、今まで何かあるごとにある程度は積極的に話しかけたのだが、何の話題もいまいち手応えがなかった。
今日もその流れの一つだ。
「それは単純な養育費です。お金では返しきれてはいないと思います」
「ふん、そうか。だが恩などもう十分だ。お前の好きなように生きろ」
その言葉を聞いて胸がきゅうと締めつけられる。
もしかしたら、跡を継いでほしいとかそんなことはないのかと思った。
あの日から結局、再婚も、養子もとらなかったから。
どうしてだろうか。自分にとってとても好都合なのに、傷ついている自分がいる。
やはり、俺はこの人に認められてはいなかったのだろうか。
必要とはされていなかったのだろうか。
「……旅に出たいと思うのです」
「理由をきいてもいいか?」
「世界を見たい、知りたい、そして神に会いたい」
「ふむ。神に会いたい、というのは意外だな。ただ、本音を言えば…………お前に家を継いでほしかった」
その言葉に目を丸くする。
じゃあ、どうして? と言う前に目の前のジュリアス様は続けた。
「だがな、お前がいつか、旅に出たいというのは何年も前から予想はついた。お前が見ているのは目下の民ではなかった。お前はこんなちっぽけな貴族の家ごときに縛られ、収まる存在ではないことを、私は誰より知っていた」
いろいろな感情がないまぜになる。
無愛想で、無表情で、誤解されやすいのは知っていたけど。
どうしてそんな大事なことを今まで……
「お前は好きなように生きろ。もともとこの家は父、私の代で成り上がった。元はもっと弱小貴族だった。周囲はこの家を取り潰したがっている」
だから親族に跡を任せても構わないのだ、と。
私が死んだ後のことなんてさほど気にしてはいないのだと言った。
「ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。私もあの日、寂しかったのだ。お前と同じように。お前が思っているよりも多くのものをもらっている」
「僕は、貴方を本当の父親のように思っていますよ」
「私はそうは思っていない」
突然の否定に困惑する。
しかし違ったようだ。
「ように、ではない。お前のことは本当の息子だと思っている」
そう言うと真正面から抱きしめられた。
くそっ。確かに年齢で言えば前世合わせても年下なんだけど。
どうしてだろうか。精神年齢はまだもう少し高いはずなのに。この人の前では、ただの子供に無理やり戻されてしまうのだ。
俺の背中が濡れているのはきっと気のせいだ。こんな厳めしい顔のおっさんが元浮浪児のちんちくりんが出ていくぐらいで泣くわけがない。俺の顎の下が温かいのもきっと気のせいだ。
両親を殺した人間が、こんなに家族愛を感じれるはずがないのだから。
自分が死んだと知った時も、虐待を受けても、親を殺しても、過酷に町までくるときも、一人で寝ても、才能がなくても、泣かなかった。
心のどこかで冷めていて、遠慮していて、舐めていた。
精神年齢がとか調子に乗っていたのかもしれない。泣いたらかっこわるいと。
そんな俺は、多分、生まれて初めて泣いた。
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