第13話 お転婆腹黒お姫様

 ギャクラの王族。

 それがレオナの身分である。

 物腰の柔らかさ、清楚な見た目にいつも穏やかな微笑を浮かべた文句のつけどころのない美少女。兄弟姉妹の中でも年齢以上の落ち着いた振る舞い。彼女は肩書き以上にお姫様であった。

 しかしレオナはその器用さ、そして聡明さを時折私利私欲のために振るう。

 

 とはいえ、ささやかなものである。

 レオナは、しばしば城を抜け出してお忍びで町に遊びに出るのだ。

 誰にも見つかることなく、証拠を掴まれることもない。

 王城の堅固な警備をすり抜けて、見つかる前に帰ってきていたのだった。

 王もそれに頭を悩ませる。だが、それを止めることは誰にもできず、専属メイドに護衛をすることを徹底させるという妥協点に落ち着いている。



 ◇


 私はあの日、いつものように部屋を出ました。

 教養の授業を終え、自由時間。自由とは義務を果たしてこそ得られるものです。

 当時はあくまでも自らに落ち度のないように目指していました。完璧主義とも言えます。

 

 メイドを置いていくことはしません。

 むしろ、彼女がいるからこそ、自由時間も多めですし、こっそり抜け出すことも黙認されているのではないでしょうか。

 それより私みたいな子供一人抜け出すのを止められないなんて、お城は意外と警備が甘いのではないでしょうか。

 私がお兄様とお城のことについてお話しすることがあれば、見直すのもいいかもしれませんね。

 今はまだ、見直されてほしくないのですが。


「姫様が優秀すぎるのですよ」


 と、メイドはおっしゃっていましたが。


 わざわざ王都から少し離れたことにも、きちんとわけがあります。

 バレにくくするためです。

 王都付近だと私の顔を知っている方もいらっしゃるかもしれません。

 

 王都、貴族や町の人がいる場所、そしてその周りに貧民街、農村があります。家庭教師の方はそれを少しはぐらかしますが、あまり治安の良い場所ではないのだ、と当時から察しておりました。

 そしてその貴族の多い地域と、街の人が多い地域から同程度の距離にある場所までやってきました。

 そこで、二人の子供を見かけました。

 二人は人のいない家の裏で、地面に何かを書きながら話をしています。


「どうしてお空は青いの?」


 真紅の髪の少女が少年に尋ねました。

 空が青いのは当たり前でしょう。

 そのようななものに理由なんてあるはずがありません。

 彼はどのように答えるのか気になってしばらくこっそり聞いていました。

 神様が青い絵の具で塗ったのだとか、適当なことを言うのでしょうか。


「お日様の光の中から青い光だけが空気中でバラバラになって空に広がるからだよ」

「お日様の光は黄色だけど?」

「白っぽい光の中には色んな色の光が混ざっているんだよ」


 私は言葉を失いました。

 そんな話は聞いたことがありません。

 それから彼は、どうして目に物が見えるのか、という仕組みを説明しました。

 それに太陽の光が複数の色を含んでいることの証明として虹の例などをあげて、光の三原色、という知識まで話していました。

 その大半を理解できたわけではありませんが、それがおそらく幼子の空想などではないことだけはわかりました。といっても、当時は私も幼子で、今でも大人とは言い難いのですが。


 彼の話は多岐にわたるものでした。

 単純に他の国の話だとか、魔獣の話など、私でも家庭教師の先生に聞いたことがあるものから、人の心理に関するものまで。

 ときには世界の本質に迫るものもありました。

 彼はそれをさも常識のように赤い髪の少女に教え続けているのです。しかも彼はおそらく教える範囲を少女のために制限しています。

 説明しようとして、時折途中でやめてしまうのです。


 彼はいつも彼女に言い聞かせます。


 これは絶対秘密だよ、と。


 どうしてあの場所にいるのが私ではないのでしょうか。


 優しげに教え続ける彼の話は、私が求めていたものでした。

 なにより、彼女が理解したときには頭を撫でられているのが羨まし――いえ、私はギャクラ王国の姫なのです、そんなことを考えてはいけません。はしたないですね。


 ああ、でもすごく嬉しそうです。


 どうして、私はこれまでそれらのお話を聞いたことがなかったのでしょうか。皆様は私に隠していたのでしょうか?

 もしかすると、尋ねないと教えていただけないのかもしれません。

 帰ると、早速レオンお兄様やお父様に尋ねます。


「どうしてお空は青いのですか?」


 答えは誰も知りませんでした。

 家庭教師の先生も知りません。

 じゃあレイル様はどこであんな知識を知ったのでしょうか。

 思わず先生に話して本当かどうか確かめそうになりました。

 しかし彼は「秘密」と言っていたのです。

 やめておきましょう。


 ただ、お兄様だけにはすごい男の子がいるとだけお教えしました。

 特徴と出会った場所だけを言うとお兄様はとても不機嫌そうでした。


 声をかけようかと思ったのですが、怖くて一歩が踏み出せません。

 ここまで来た理由の一つでもあるのですが、王都付近で遊んでいると、私の顔を知っている子供たちに避けられるのです。

 彼らが私を嫌いでそうしているわけではないことは知っています。

 だけど、私は怖いのです。


 避けられることが、まるで私個人を否定されているかのようで。


 お父様の言葉が、心の中で繰り返されました。

 王族は生まれたときから王族だ。

 私情を子供の時から忘れるように。

 子供であることに甘えるな。


 そう言い聞かされてきました。


 私はそれが嫌でした。

 なんとなくではありますが。


 豪華なお食事も、綺麗なお城も。

 楽しむ自分の感情を捨てて、何の意味があるのでしょうか。

 私は私の感情でお父様に逆らいます。

 もっと世界を見たい、好きな人と一緒にいたい。

 私はまだまだ子供です。

 誘拐犯から守られていても。

 明日の心配がなくても。

 周りの一歩引いたあの目が怖かったのです。

 周りが私に怯えたように、私も周りに怯えたのです。


 しばらくレイル様に話しかけられない日々が続きました。


 そんな私にも機会が巡ってまいりました。


 入学式です。


 私情を忘れろ、といったお父様ですが、人との付き合い方は必要だとおっしゃり、私と私の双子のお兄様を同じ学校に入学させました。

 もう一つ上のお兄様は別の学校に入っています。

 私にも、同じような年の友達ができるのかと期待に胸を膨らませて学校へ向かいました。


 その予想は外れることになります。


 ここでもやはり、一部の人間には私の素性が知れ渡っているようで、あの目で見つめてくる子たちが大勢いました。

 どうしてお兄様は平気なのでしょうか。


 私は一人の少年に気づきました。

 彼でした。彼もこの学校に入学したのです。しかも同じクラスです。周りからその視線を集めても、気に留めるでもなく堂々と構えていらっしゃいました。

 私はこの幸運を与えてくれたのが神様ならばその宗教に入っても構わないとさえ思いました。


 にもかかわらず、やはり私はレイル様とお話する機会のないままの日々が過ぎました。

 皆様が次から次へと話しかけてくるというのも一つの理由です。私からも話そうとしたのですが、なかなか近寄れませんでした。

 べ、別に私のせいというわけでは……いえ、私の不甲斐なさゆえですね。


 次から次へと人が話しかけてくるのは、この国の王族という肩書きに惹かれたのでしょうか。

 口を揃えて私を褒めそやし、讃えます。

 もっとすごい人がそこにいるというのに。

 みんなの目は曇っていると思います。



 ある日、偶然一人で歩くレイル様をお見かけして、その後を追いかけて見ました。

 すると彼は薬屋で何かを話していました。

 その様子を陰から見ていると、店主のお婆さんと目が合いました。

 思わず隠れたのですが、きっとばれてしまったでしょう。

 恐る恐るもう一度お婆さんの方を見ると、お婆さんはどうやら黙っていてくれたようで何もなかったかのように話は続いていました。

 ほっと胸を撫で下ろしたのはいいですが、話しかける機会を逃したことに気づきました。


 そして、九歳になった年のある日、私は妙な話を聞きました。

 レイル様に決闘を挑んだ愚か者がいるというのです。

 名前はフォルス・ガルフバード。騎士の家系の子です。

 同年代の中では腕がたつのだそうです。

 その頃には私も同じクラスの子たちに慣れ、楽にお話しできるようになりました。楽に、とは言っても気楽に、とはいきません。いつもの恭しい態度で教えてくれました。

 私はお姫様を崩さぬままに、微笑んで尋ねます。


「決闘ってどこでしてらっしゃるのかしら?」


 そうして今に至ります。

 決闘は見事にレイル様の勝ちです。

 そもそも負けるなどと疑いもしませんでした。

 どのように勝つかだけを楽しみに来たというのに、あんなにあっさり負けてしまい、拍子抜けもいいところです。弱すぎます。

 あんなのが剣の腕がたつなどともてはやされるなどとは、期待外れです。

 おそらくお兄様の方が強いでしょう。


 それでもレイル様には勝てないでしょうけど。


 それを周りは卑怯だ、こんなの決闘じゃないとか、無責任に喚きたてます。

 だから言ってさしあげました。


「やめましょう。レイル様は素晴らしいかたですわ。そこの方よりもレイルさまが優れていた。それだけのことです。信じることができないのならば、我が兄──レオンとも戦ってみればわかるでしょう?」


 と。そしてお兄様に耳打ちします。


「お兄様、よろしいですか?」

「構わない。どうせあいつとは一度決着をつける必要があったからな」


 この提案にはレイル様の能力を知らしめる、という意図はもちろん。他にも、お兄様をきっかけにレイル様と親しくなれるかもしれない、話しかけられるかもしれないと私の薄汚い戦略があります。

 つまり、お兄様を咬ませ犬にした挙句、踏み台にしてレイル様と親しくなるつもりだ、ということです。

 お兄様もなんとなくではありますが、それをわかっていらっしゃいます。

 それでもレイル様と決着をつけたいようです。


 お兄様にだけ聞こえるように囁きます。


「ならば勝てばいいのです。少なくとも咬ませ犬になりはしないでしょう」


 どうせレイル様が勝つのですから。

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