第10話 初めてのお仕事
学園では名前の通り授業を受ける。そのカリキュラムは座学が主である。この魔物と戦の世界で、なおも知恵を磨こうとしているのか。この国のそういうところは結構好きだ。貧富の差があろうと、それでもな。
ただ、問題なのは……授業がつまらない。
いや、当たり前のことなんだけどさ。
でも勉強が好きじゃないとか、そういうレベルじゃなかった。
やはり知っていることは二度習ってもつまらないのものなのだろうか。否、愛がないからだ。とかっこよく言い換えたところで、要するに教え方が下手なのだ。
身分の高い子供は既に平仮名程度を書けることを前提にしている。
俺にとってはまあいい。平仮名どころか、常用漢字の八割から九割は書ける自信がある。語彙としての組み合わせを考えても半分は余裕で書ける。今更簡単な漢字の書き取りなんてうたた寝しながらでもできるだろう。ただの作業だ。
ただ、「学ぶのに甘えるな」とばかりに面白さを追求しないそれは、学力とは別に勉強を作業としていた。日本の小学校はもっと工夫されていた気がするが。
それに口出しして変える気はさらさらないのだが。するとしても俺が卒業してからだ。
効率が悪ければ、周りは学力が向上しづらくなる。相対的に一人既に読み書きの能力が高い俺とその身内が楽に成績が良くなるという寸法だ。
そのあたりも、もしかしたら家でより優秀な教師をつけられる権力者たちへの優遇措置としてあるのかもしれない。
アイラは教えているし大丈夫だろう。
いやいや。自分のことに集中しよう。
余裕だからって余計なことを考えていては、先生の心証もよくない。
優等生の方が、何かあれば有利になる。
自分が悪いことをしていても、綺麗な言葉を並べて真実を一部隠しながら説明するだけで先生誰もが疑わない。または責めない。
何か悪いことをしようというわけではないけどさ。
そんなわけで、できなかったら恥ずかしいだろ! みたいな授業をここ一ヶ月ほど受けているわけである。
できないわけがない授業。
できもしない魔法の鍛錬。
そして強くならない剣をふる。
アイラと銃の開発。
そんな毎日の繰り返しだ。
ところでこの国は前世で言うと、中国とロシアの間ぐらい、つまりは日本の西にあると予想していた。
多分それは間違っていないのだろうが、気候がどうやら前世とは違うのかもしれない。
クスノキがあったのだ。
クスノキとは本来、日本や中国の暖地に多く、海岸に自生しやすい。
便利な木なので、見つけられればいいなあ程度に思っていた。場所の問題で諦めていた
しかし思っていたよりも暖かい気候なのか、それとも目測よりも南なのかもしれない。
まあいい。
これがクスノキであることは確かだ。
どうして見分けられるのかと言うと、クスノキは排気ガスなどに強いので街路樹としてよく家の近くにも植わっていたからである。
さっそく葉や幹などをクスノキが痛まない程度に採集して帰る。
ここしばらく暇だったのである。
もちろん、アイラ達との遊びや稽古、勉強会もしている。
だが、それではまだ足りない。能力を磨くだけではダメだ。そのためにも何かもうそろそろ何か行動に移さなければならないと思ってい。
それからしばらくは、俺は家に帰ると、大量のクスノキから取った素材を持って、アイラの遊び場に行く日々が続いた。遊び場といっても、窯のことである。
アイラは微妙な立場ゆえに放任されていて、自由が利く。その中には、窯が自由に使える、というのもある。子供にそんなことをさせても大丈夫なのか? と思わないでもない。
だが、疎ましく思われている割にはアイラの信頼は厚い。
そんなこんなでアイラに言って窯を使わせてもらう。
◇
試行錯誤を繰り返すこと何度目になるだろうか。ようやくの成功例が見つかった。
……蒸留って難しいなぁ。
クスノキから取った素材を水蒸気で蒸していく。
出た蒸気が漏れないようにパイプ的なものを設置し、少し離れたところまで水で冷却しながら運ぶ。
パイプからポタ……ポタ……と滴が垂れる。そしてその水をゆっくりとさらに冷やしていく。
その様子をじーっとアイラが見つめる。俺の動作を見逃さないかのように。
こんなものを見ていて面白いのだろうか。
「なにしてるの?」
「ああ、これはな。一旦蒸気に変化させてから冷やすことで、その成分だけを取り出しているんだ。で、ここからさらに冷やすことで溶解度が変化して溶け切れなくなった成分が結晶になるんだ。蒸留と析出だな」
ざっと説明するけどまだあまりわからないかもしれない。
「この前言ってたホウワ?っていうやつ?」
「おお。それだそれだ」
飽和。水に溶質を溶けきれなくなるまで溶かした状態である。その結果として溶けきれなかった溶質が沈殿したり結晶化する。
アイラの理解力に舌を巻く。なんとなくしかわかっていなくても構わない。そういうことがある、というだけでも違うものだ。
その日はつい楽しくなって、たくさんの樟脳液を作った。
数日後、析出した樟脳の結晶が出来上がる。
あんなにあったのに析出したのは僅かしかない。
いらない小瓶を四つほどもらって保存した。ちょっとずつ入れたのは貴重感を出すためであまり意味はない。
小さな欠片が透明の瓶の底で転がっている。
……なんか楽しいな。
手伝ってくれたアイラにも一瓶わける。
何故か使い方もわからないのに凄く嬉しそうに手のひらにのせた欠片をしばらく見つめていた。
気持ちはわかるよ。欠片ってなんだか楽しいよな? 俺だけか?
胸にギュッと抱き込むので、落としてなくさないうちに注意した。
「しまうならしまえよ」
「わかってるもん」
アイラは俺に「レイルくんこそわかってないなー」と言わんばかりに不服そうな目で見てきたが、何がわかっていないというのだろうか。
ゴソゴソと腕輪で出した亜空間への入り口に瓶を入れる。
もう完全に使いこなしているようだ。
俺はこれが売れないだろうか、と薬屋に出かけた。アイラはいない。
価値が理解してもらえるかわからないけど、この世界の本では未だ発見されていない薬のはずだ。
無煙火薬としての使い方は……まあ言わなきゃわかるまい。
薬屋についた。
どこか怪しげな匂いが漂う古めかしい木造の店舗に、所狭しといろんなものが並んでいる。こういう雰囲気は好きだ。
その入り口から中を覗いた。
「こんにちはー」
店の奥からお婆さんが出てくる。
すり鉢状の器具などをコトリと置いてこちらに目をやる。
生まれて六年、初めてお婆さんを見たかも……
「いらっしゃい。おつかいかい?」
どうやら親や親方に言われて買いにきたと間違われたらしい。
貴族の格好をしているのだから、金にまかせて怪しい薬を買いにきたとは思わないのだろうか。
「いえ」
「そうかい。でもうちにはぼっちゃんが欲しいようなのはないと思うがねえ」
台詞だけなら少し冷たいが、その声音には悪意は感じられない。
優しそうなお婆さんだと思った。
「今日は買い取ってほしいものが」
そう言って懐から用意してあった樟脳の瓶を取り出す。
半透明の結晶は未だ昇華することなく瓶の底で転がっている。
いや、沸点や融点は水より高いし、昇華されても困るんだけど。
「なんだいこれは?」
「樟脳といいます。消炎、鎮痛、清涼感、血行促進など汎用のきく便利なものですよ。水には溶けません。防臭にも使えます。安くても構いませんよ」
「嘘おっしゃい。そんなの子供に作れるわけないじゃろ」
そう言うと口に手を当てて笑った。
そこのところははっきり言う。
プロっぽい、と漠然とした
「嘘じゃないですよ」
カンフル剤としての使い方をさらりと端的に説明する。俺も作ったはいいけど正確な使い方までわかっているわけではないし。
兵士の士気高揚にも使えるのは言わない。
何故か一瞬お婆さんの視線が俺から離れる。
一拍の間をおき、お婆さんがうんうんと頷く。
「嬢ちゃんにいいとこ見せたいんだろう? 銅貨一枚で買ってあげようか?」
何か勘違いされたらしい。
どういうことだ?
俺が女の子にプレゼントするためにお金稼ぎしているとでも思ったのか?
今日はアイラは連れてきていないのだが。
「じゃあどうでしょう? これを見て、これが何から取ったか、どうやって作ったかのどちらかを当てられたらこれを銀貨一枚で買ってください」
銀貨一枚。前世での中学生のお小遣いぐらいか。ちょっとした日常品や食事数回分ぐらいの些細な金額である。効用から副作用まで未知の薬品に出してもらうにはこれが限界か。
「薬屋に勝負売ろうってんのかい。やるじゃないか。いいよ受けたげよう」
にっこり笑うがその目は本気だった。
子供が持ってこれる欠片ぐらいすぐに見抜けるだろうと舐めているのだろう。
現在のこの国の技術であれば、結晶を作れるものなんて限られているのだろうし。
「よく見せておくれ」
瓶ごと樟脳を渡す。
まじまじと眺めて唸ったまま、十分が過ぎた。
「わからないでしょう? どちらかでいいですよ。もちろん不正解ならどちらも教えませんが、不正解の理由だけは証明します」
さんざん見た後、ボソッと
「水晶かい?」
残念ながら全然違う。
というかそれしか浮かばなかったんじゃないのか?
一般人はこれを「わーなにこれ綺麗」ぐらいにしか見ないことを考えると、結晶を見てぱっと水晶が浮かぶあたり、薬屋だけに多少は博識なのかもしれない。
しかし実物は全然違う。
「違うのかい……?」
「証拠はそうですね……まずは開けて匂いを嗅いでみてください」
おばあさんは言われた通りにした。直接嗅いだのを見て少し不安を覚える。これがもしもヤバイ薬だったらそれだけで昇天できるというのに。中学の頃に手で仰いで嗅げと習わ……習うはずもないか。
「これは……クスノキかい?」
「素晴らしいですね。植物の匂いにまで精通しているなんて」
この場合皮肉だろうか。
「それに、この結晶はお酒に溶けますよ」
お婆さんは深いため息をついた。
「わかったわかった。わしの負けでいいわい。持っていきなさい」
やった。 銀貨を手に入れた。初の仕事の成功の喜びを誰かと分かち合いたいものだ。多分それはアイラだろう。
約束通り瓶に入った薬は渡した。
俺はその日、手のひらに偽造禁止の印が入った高級感の溢れる銀貨を握りしめて機嫌良く帰ったのだった。
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