閑話 それぞれは
綺麗な建物は一つとしてない。
申し訳程度の木でできた小屋が無造作に立ち並ぶ。歩くべき道は整備などされておらず、それらがこの地域の貧しさを端的に示していた。
その中を一人の男が歩いてくる。
若く、精悍な顔つきの彼はあたりを見ながら思案にふけている。
しっかりとした鎧に身を包み、立派な剣を腰に帯びていた。その装備に刻まれていたのはこの国の騎士団の紋章であった。
まったくといって、この場には似合わなかった。
彼がここに訪れている理由は職務によるものではなかった。
騎士は常にその動きを職務のために縛られているわけではない。訓練さえ行っていれば有事の際以外は多少の自由行動が許されている。単独行動で治安の悪い場所をうろつくのは、彼が若くしてそれだけの実力だからではあるが。
今回はこの近くまで偶然訪れ、本来なら見回りの範囲に入っていないここまで足を運んでいる。より多くを知るためにこうした、必要のない見回りを行うのが彼の常であった。
だが職務を離れていても、騎士は騎士であることを求められる。
少なくとも彼はそういう男だった。
「酷い有様だ」
彼は相変わらずのこの国の貧富の差にそんなことを呟く。
人がまばらにいるものの、人と人以外の区別がつかなくなっている。
人も建物も密度がバラバラで、統一感がない。やたらと密集している区域もあれば、ポツンと離れているものもある。農村のように家同士が一定の距離をとるわけでも、街のように近い場所に並んでいるわけでもない。
無秩序がそこにはあった。
乞食が食べ物を恵んでくれ、と足元に縋ってきた。
それを見た彼の目には迷いが浮かぶ。
彼にとってパンの一つ、大した痛手ではない。だが今ここで渡して何になるのか。先の見えない施しに意味はあるのか。それらの疑問は尽きない。
しばし迷い、今目の前で苦しむ人を見捨てる理由にはならないと結論付ける。
パンを渡して、その対価として尋ねる。
「最近何か変わったことはないか?」
パンを受け取った男は口元が緩み、まるでそれ以外が目に入らない様子であった。
だが騎士の問いかけにパンから目をそらし、目を丸くして答える。
「変わったことでごぜえますか? ああ、外れの家が火事にあいましたかねぇ」
この場所では火事そのものはさほど珍しくない。
だが事件には変わりないし、何よりその男がなんとなく変わったことだと認識した。
騎士はその話を詳しく聞き出す。
時間帯は深夜であったこと、起きた場所は周りに他の家がなかったこと、それぐらいの情報しかなかった。
騎士の彼には想像がつかなかったが、貧民街では明かりが勿体ないためにまだ明るいうちに火を使った料理は終えて、暗くなれば寝てしまう。つまりは暗くなると火事が起こる原因がなくなるのだ。
そのことを男は理屈ではなくなんとなく、で「変なこと」だと認識していた。説明ができなかっただけで。
あくまで、そういう傾向にあるだけで決してあり得ないことではない。
「わかった、ありがとう」
一つ小さな礼を述べると、彼はその火事のあったという場所へと向かった。
黒く焼け落ちた木材と僅かに残る、燃え尽きなかったもの。
部屋の中央だった場所に死体が転がっている。
――ここでは埋葬すらされないのか。
まだ、現状認識が足りなかったと真面目に考え込む。
そして、顔をしかめながら火事の後を検分していく。
やはりそれは単なる火事ではなかったのだ。
騎士として剣を嗜むからこそわかる。
家のあった場所の中央で横たわっている死体は焼けて死んだのではない。殺されたものだ。
黒く炭化した遺体を調べると、首元に鋭利な傷がある。
的確に人体の急所を斬りつけるということは、考えなしの盗賊ではないらしい。
そもそも強盗殺人であれば、この家を襲った理由がわからない。
とここまで調べて、周りにとある痕跡を見つける。
それは子供の生活跡であった。
小さな足跡をはじめとして、ここには幼い子供が居た跡があったのだ。
そして気がつく。
「そうか――だからか……」
子供が居た後、焼かれた家、親の死体。
それぞれの要因が点と点となり、一つの線として結びついた。
彼は納得と共にその家を後にした。
◇
自室で椅子に座っていた。
手には一冊の本がある。ゆっくりとその背表紙をなぞりながら書かれているものに目を滑らせる。
「あの子供……」
呟くと同時にその手が止まる。
私は最近悩んでいた。他でもない、自分が執事として働いている屋敷のことについてだ。
正確には私が仕える主人――ジュリアス様と、ジュリアス様が拾ってきた子供について、だ。
別にジュリアス様に不満があるわけではない。むしろ逆である。今仕えている主人は尊敬すべき人物であると感じている。
このまま今まで通り、真面目に働いて、たまにくる新人を教育したり……そんな風に穏やかに残りの人生を送れると信じて疑わなかった。
平和な日常は一人の幼児の登場によって瓦解した。
忘れもしないあの日。
何かを諦めたような目、利用しようと思って淡々と説明するその口、その全てが年端もいかぬ幼児のものだと思うと不気味で仕方がなかった。
そんな彼を、ジュリアス様はあっさりと受け入れた。
彼はジュリアスからレイルという名前と、グレイ家を名乗ることを許された。
最初は雇う、というと賃金を払わなければならないからその金さえ払う価値がないというのかと思っていた。養子という形を取ることによりタダ働きをさせる気なのか、と。
しかしその予想は的外れであった。
ジュリアス様はレイルを全く働かせようとはしなかった。
これといってなにかをするわけでもない。
最低限の食事と個室、屋敷の書斎を自由に使ってよいという破格の待遇を与えて放置したのである。
子供、というには干渉しない。
召使い、というには仕事をさせない。
私はジュリアス様が何をしたかったのかを察することができないでいる。
疲れてご乱心かと疑った。
確かに彼は年齢の割には賢い。だがそれだけである。神童と呼ばれる人間が何人も成人する頃には凡人に埋もれて、周りより多少優秀なだけの人間となってしまった光景は過去に幾度となく見てきた。
どうせ彼もまた、口だけの人間だ。
そんな風にたかをくくっていた。
あの身なりはきっと貧民街の子だろう。
どこで教育を受けたのかは知らないが、あまりにみすぼらしかった。
彼がこの世の貧困の底で、絶望を見たとしたら。
二歳児が世界を恨むことなく、平然と生きるために動くことを考えていることがおかしい。
恨んでいて隠しているのだとしたら。
その可能性に背筋が冷たくなるのを感じる。
だから、凡人になるか、主人に危害を加えるか。
どちらにせよあれを良くは思っていなかった。
時が経つにつれて、その感情は不審へと移っていく。
あの年頃ならば、許されるならばずっと遊んでいそうなものだ。
しかし彼は倉庫にあった木剣を使い素振りをするようになった。
毎朝、同じ時間。
毎回、おそらく百回。
確かに貴族は護身や趣味として剣を嗜むこともある。剣の腕はあって損をするようなものではない。
それを彼が知っているとは思えなかった。
そして素振りが終わると書斎にこもりきりで本を読んでいる。
何冊か取り出しては机の上に積み上げている。
多くて四冊、少なくとも二冊は取り出している。
小さな手で紙を一枚、また一枚とめくっている。
何も考えずに見れば微笑ましい光景なのかもしれない。
ときおり何かを呟いてニヤニヤとにやけている。
何がおかしいのだろうか。
そもそもあの場所にあるのは子供向けの童話などではなく、貴族に必要な国や世界の知識であったり、歴史物としての英雄譚である。
もちろん形を変えて子供向けにされたものが一般には多く出回っているが、貴族としての見栄であったり、教養のためにおいてあるあれらは子供が容易に理解できるものではない。
魔法の訓練らしきものをしているが、全く効果が出ていない。
あそこまで才能がないのは珍しい。最初の適性試験で魔力すらでないとは思わなかった。
頭の良さと引き換えに魔法の才能が奪われたのだろうか。だとすれば随分と損な取引だっただろう。
才能がないと、頑張ってもどうにもならないが、最低限の教養は時間が経てば身につくものなのだから。
魔法が使える、というのは出世の一つの条件でもある。
そんなことは瑣末なことだ。
問題は彼の危険性についてであろう。
「どう思いますか?」
私の質問に二人のメイドはさもどうでもいいとばかりに首を傾げた。
「私はメイドですので、ご主人様のすることに意見など申しませんよ」
「ただ、浮浪児を雇ったとなると周りがあらぬことを騒ぎ立てるかもしれません。黙っておくにはよろしいのではないでしょうか」
確かに、周りの反応は煩わしい。建前だけでも整えておくことは必要なのだろうか。
血筋
そのあと、門番にも聞いたが、門番は「どんなに不気味でもガキですよ」と甘く見ていた。
――どうしてあの子供の危険さが、不気味さがわからないのか。
仕える屋敷に異物が紛れ込んだ。それは歯の隙間に何かが詰まったような閉塞感をもたらした。
――自分が考えすぎているのだろうか。
自分しか反対がいない。
ならばもしも彼がジュリアス様に危害を加えるようなら、自分の手で始末しよう、と。
◇
私は機嫌がよかった。
それは休日の昼ごろ、 壁に飾られた絵画を眺めていた時のことであった。
執事のゲンダから、奇妙な報告を受けた。
不気味な子供が私に会いたい、と。
ただの乞食は追い返せ。そのように命令しておいた門番が、わざわざ取り次いだことに興味がわいた。
読んでいた本を置いて立ち上がり、客間に出向いて少し待っていた。
現れたのはみすぼらしい格好をした幼児だった。服を着ているともいえないような有様で、もしも私が短気な貴族であれば処刑していたであろう。
四、五歳ぐらいだろうか。それにしては体が小さい。栄養不足であることを考えても小さい。棒切れのような足に、やたらと冷静な目をしている。
話してみるとますます不思議な子供だった。歳のわりには受け応えに幼さを感じない。
何故か要求が「この屋敷においてほしい」というものだった。
世間は私のことを冷酷な悪魔のように囁く。囁く、と消極的なのは私自身が貴族だったからだ。
今は亡き妻と結婚したときは何故か徹底的に相手の家を乗っ取るつもりだ、と噂された。
貴族の結婚だからある程度は政略の二文字が上につくのも仕方ないかもしれない。
しかしどうして格下の家を結婚までして乗っ取らなければならないのか。この家一つとっても私の噂のせいで万年人不足だというのに。
現在の家政はメイド数名と執事のゲンダの体制で回している。残りは門番や料理長など。全てを合わせても二十に満たない。
愛する妻に先立たれたときもまことしやかに噂は流れた。
実は私が殺したのではないか。
何か思惑があるのではないか。
私が未だに結婚しないことが、後者に拍車をかけている。
結婚していないのは前の妻を愛していて、その哀しみから抜けきっていないだけだというのに。そんなことは微塵も思い当たらないらしい。
そのことを懸念した余計なやつらから「跡継ぎを産ませるためにも、ぜひ後妻を!」と面倒な縁談が続いている。特に中途半端に鼻がきいて、逃げ足ばかり速い貴族から。無神経な奴らだ、と一概に言い切れない。貴族とはそういうものだ。
そしてあの名もなき子供は、自分を養子にすることの利点に、「余計な縁談が減る」とあげた。
その一言が私の胸を貫いたことを、言った本人でさえ知らないだろう。
本当に縁談が減るかどうかは別だ。もともと、人気がない立場であってさえ、持ちこまれてきたのだ。今更それを期待できるかはわからない。欲深い貴族たちは能力や人格よりも金や血を優先する。
しかし、もしかしたらこの子が息子となるのであれば……
あの子はきっと優秀になるだろう。
確かに一部の者が言うように、妻に先立たれて寂しかったのもある。
そう、私は家族が欲しかったのかもしれない。血も繋がらない、何のしがらみもない、お互いの信頼関係だけで成り立つ、そんな家族。互いが家族と呼べればそれでいい。それを、あの子は見抜いていたのだろうか。年齢に見合わぬその思慮深さで。
あの子なら、私の本当の家族になれるだろうか。
私はあの子の本当の父親になれるだろうか。
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