第4話 逃げ込んだのは


 ◇


 夜が明けた。

 馬のいない馬小屋は所々に隙間があり、射し込む朝日が目覚ましの代わりになった。まるで染みるような気がして思わず目を閉じた。

 今が暖かい季節で本当に良かった。服まで洗って乾かしていたので、寒い季節なら死んでいた。


 体の節々が痛む。お湯があればいいのに。きっと肩まで浸かれば気持ちいいだろう。……俺はジジイじゃないぞ。


 荷物をまとめて小屋の外に出た。荷物なんて片手に持てるほどしかない。これまでに拾ったゴミみたいなものだ。

 人を殺しといてなんだが、あまりに清々しい朝だった。

 誰にでも平等に朝が訪れるというのは本当らしい。


 この世界の方角の決め方は前世と同じらしく、北西は太陽の正反対から斜め右である。これだけの情報を手に入れるのにどれだけ苦労したか。

 とにかく北西へ向かう。

 獣に見つからないように。

 人に見つからないように。

 暖かい季節とはいえ、この地域の気候は日本の平均より少し温度が低い。北海道ぐらいだろうか。体感でしかないのでイマイチわからないが。

 これでも夏なのか、と生存の危機にあった俺としては熱中症の確率が減ったことに喜んでいた。


 それにしても情報が少ない。


 体が大人ならもっと楽に進めたのに。と愚痴をこぼしながら孤独な旅を進める。


 日が落ちる前になんとか町へ辿り着く。

 町並みはそこそこ綺麗で、俺のような浮浪児が生活できるのか不安であった。


 もしかしたら孤児院的な施設や教会で保護してもらえるかもしれないが、俺の目的はそこではない。


 もちろん二進も三進もいかなくなればそこを頼る気まんまんだが、最初から数日は残飯を漁りながら情報収集を重ねていた。

 人のいない路地裏で、目をつけられないようにひっそりと寝ていた。

 道ゆく人が俺を見れば舌打ちをする。蹴られないだけマシか。俺だって道端に浮浪児がいたら良い思いはするまい。



 ◇


 ある日、俺は気になる噂を耳に挟んだ。道ゆく噂好きなおばさまの会話が聞こえてきたのだ。


「聞いた? あの大貴族、グレイ様が奥様が亡くなられてから未だに新たな妻を迎えてないそうよ」

「でもあのグレイ様よ? 何か企んでいるんじゃないかしら」


 噂によると、この町に住む貴族の一人にジュリアス・グレイという男性がいるそうだ。彼の評判は良いものの方が少なかった。

 弱っている家を潰したとか、とにかく貴族に対して苛烈であるような言われ方であった。

 平民からすれば庇護されているので表立ってどうこうすることはないが、冷酷無比な人間ではないのかと見られているようだ。

 ……貴族ってそんなものじゃないのか?

 平和な日本育ちの人間にはあまり実感はわかないが。


 一方で理由がわからないことをする時がある、とも聞く。

 わざわざ露店に出向いて自ら物を買ったり、怪しげな旅商人を招いたりだとか。

 実力主義者で、権威や血統にこだわりの少ない人間である、とも。


 隙がなく、堅実な手腕で今の立場を確かなものにした彼は他国の貴族との繋がりを持つために妻を娶ったという話も聞こえてくる。

 その妻が亡くなってからもう半年が経つ。跡継ぎがいるという話を聞かない以上、おそらく養子や新たな縁談の話が出てくるころだろう。それでも結婚しないのには何か理由があるのか――


 とそこまで考えて思いつく。


 噂が誤解であっても本当でも――これは使える、と。



 ◇


 有名人である彼の家は案外簡単に見つかった。尋ねた時に嫌な顔はされたが。

 邸宅と称するに十分な程の立派な家がそこにはあった。華美な装飾こそないものの、大きく丈夫そうなその建物は生まれてから見た建物の中では最も大きかった。


 俺はその家に着くと、門番にこともあろうかこう呼びかけた。


「ここの主人に会いたい」


 もちろんこの台詞だけで入れて貰えるなどとは微塵も思っちゃいない。そこまで脳内お花畑ではない。

 なんせ今の俺は見た目幼児なのだから。


「利益になる話を持ってきた。聞いてくれるだけでいい」


 下手に子供ぶらず、対等に話せるような態度をとる。

 不気味な幼児が来たら報告ぐらいはするだろう。見た目に惑わされず実力を認めるその性格ならば、会うぐらいのことはするかもしれない。

 兵士が戻ってきた。彼は家の者に何か言ったようだ。しばらく門の前で待つようにと言われた。

 そして俺の予想が正しかったことが証明された。


「ついてこい」


 庭もついていて、門の中には芝生があった。長い廊下を通り、客間へ通される。


「貴様が私に会いたいという子供か? 私がジュリアス・グレイだ。本当に子供だな」


 三十歳ぐらいだろうか。触れれば切られそうな鋭い眼光とやや彫りの深い顔立ち。さぞかし女にもてるだろう。まあ、ここまで剣呑な表情と突き放した雰囲気であれば、女性も近寄りがたいだろうけどな。


「ええ。貴方にお話があって伺いました」

「人に話すときは名前ぐらい名乗れないのか」


 ぴしゃりと言われた。失念していた。確かに名前も名乗らず話し始めれば無礼だろう。機嫌を損ねたか。


「申し訳ございません。何しろ親は私に名前をつけておりませんでしたので」

「名前がない? 貴様は何歳だ?」


 普通は名前があるよな。というか、名前がないことを自覚している子供ってのも随分変な話だが。


「まだ四年は経ってないかと」


 馬鹿な?!とばかりに隣にいた執事と正面に座っているジュリアス様が目を見開く。

 そうか、幼児は敬語を流暢に話さないか。つくづく不気味なガキだよなあ。

 大丈夫だろうか。まあ相手が驚いてくれている方がこちらとしては切り出しやすい。


「どうりで……体が小さいと思ったぞ。そんな子供がここへどうして来た。物乞いとかなら叩き出すぞ。せっかくの休日に無駄話に付き合っている暇はない」


 子供であってもまともに話はする。

 子供であっても容赦はしない。

 そんな彼のあり方は素直にかっこいいと思うし、実に都合が良い。予想通り話の通じそうな人でよかった。

 俺にあるのはこの身一つで、交渉の材料は可能性しかない。


「この屋敷においてほしいんです。もちろん貴方には利益があります」


 隣の執事の怪しむ目が一気に険しくなる。どうして執事なのに殺気が出せるのかが知りたい。この世界では執事も殺気を出せるのか。


「で、私になんの得がある? 体は小さく、肉体労働にはなんの役にも立たない。魔法の才能があるわけでもないだろう? 金を持っていればここにくることもないしな」

「まず、一番の希望である僕を養子にした場合です。貴方は僕の身元を保証する代わりに無駄な縁談や養子縁組を持ちかけられることが減ります。もちろん僕に跡を嗣がせてほしいなどとは言いません。グレイ家には優秀な奴がいる、その程度の評判でも十分得なのでしょう? 貴族というやつは」


 俺が欲しいのは、最低限度の生活と知識、そして自己鍛錬の時間である。

 跡は好きな人に嗣がせればいい。俺でなくてもいい。

 そして養育費はもちろんゆっくり返していくと宣言した。

 その代わり、俺がある程度の年齢になれば自由に動けるような契約にしたい。貴族になろうってのに、随分な話ではあるが。


「お前がいれば跡継ぎなんて押し込めない、欲にまみれた貴族どもにそう思わせることができる、と?」

「ええ。次は使用人として衣食住だけ与えてくれる場合です。この家に莫大な利益をもたらしましょう。新作のお菓子、玩具、生活用品……どれか一つとってもお釣りがきますよ」

「ガキの戯言だ、と取り合わないのは簡単だな。だが、その受け応え、利益が出るかもわからない賭けを持ちかけてくる辺り、余程の自信があるのか……」


 執事の俺を見る目が怖い。しかし掴みはいい。このまま行けば交渉成立だ。


「ふん、面白い。幸い我がグレイ家は子供一人養ったところで痛くも痒くもない。もちろん相応しくなければいつでも縁を切って放りだしてやる」

「養育費は十二歳にでもなれば返してみせますよ」


 気の早い話ではあるけど、保証はせねばなるまい。


「お前の名前は今からレイルだ。グレイ家の名前を名乗ることを許す。レイル・グレイ、お前は今からグレイ家の人間だ」


 俺は目を丸くしていたことだろう。まさか本当に養子にしてくれるとは。しかも保留期間もなしにいきなりだ。

 実力主義ならば、保留期間で実力を示せば雇ってくれるだろうと思って大きく出てみたのだが。

 噂通りの頭のおかしな貴族様で良かった。失礼か、せっかく置いてくれるってのに。


 養子ってことはやっぱり無駄な縁談や養子縁組の話が煩わしかったのか?

 それとも俺が名をあげればグレイ家の名誉になるからだろうか? いやいや、そんな保証はない。


 何はともあれ、俺はこの家の住人として認められた。

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