第3話 選択と決断

 ある日、俺は酷く疲れていた。

 足を引きずって、家に帰ってきたところで部屋から声が聞こえてきた。


「あのクソガキまだ外かよ」

「いいじゃない。ほっとけばいいんだから」

「でも気持ち悪いだろ?」

「まあね」

「俺らのガキか? あれ」

「産んだの見てたでしょ?」

「目障りなんだよ、あいつ」


 そんな会話だった。

 そうだな。こいつらと分かり合うのは無理だ。

 俺が、記憶を持っているから生きるために最低限のことだけしていたとしても気持ち悪いのは普通だ。

 俺は、死んでいるはずの赤ん坊だったのだから。

 俺にとって二人は、俺を産んだだけの他人だったように、二人にとっても自分たちから生まれただけの他人だったわけだ。

 そっと小さな手を握りしめる。

 このまま家にいれば、俺はそのうち死ぬだろう。

 勝手に家を出ていこうか。

 じゃあそのために必要なことは。


 ◇


 その日から、俺はあるものを探し始めた。

 途中で変なものもいっぱい見つけた。やたら燃えやすい草だとか、前世でも見たクローバーだとか。

 そして目的のものを見つけた。

 それは赤い細い花弁をもつ植物――彼岸花ヒガンバナだ。

 おそらく前世の日本でも見ることができる花で、田んぼのあぜ道などにモグラ避けとしても植えられる。

 なぜモグラ避けになるかと言えば、こいつは根っこが有毒なんだよな。毒だけど水で無毒化できて食えるからって救荒作物としても植えられていたとか。

 さほど珍しい花じゃない。

 そいつの根っこをごりごりと石で切って家に持って帰った。


 ここが異世界である以上、同じ見た目をしているからといって同じものだとは限らない。

 もちろん、生物の見た目にはきちんと理由があるのだから、進化や発達のことを考えると同じ見た目なら似た性質を持っていてもおかしくはない。

 と、いうわけで俺は実験を繰り返した。

 捕まえてきたネズミ、ウサギといった小動物に根っこを食わせたのだ。

 水でさらした根、そのままの根。

 ウサギ。ネズミ。

 二種類が二組あるってことは、対照実験ができる。

 結果、水でさらさなかった根を食わせたウサギとネズミが死んだ。

 つまり、どちらかにとって有毒なわけでもなく、水によって無毒化できたことがわかった。


 そしてそれを両親に食べさせた。

 普通に食事に仕込むことも考えたが、どうせならと俺は両親の目の前で水にさらして無毒化した根っこを美味しそうに食べてやった。

 すると目ざとく見つけた両親が俺からヒガンバナの根っこを奪い取った。

 俺が食ってるのを見て安全だと思ったのか、取り上げたものを一口、二口と食べていた。

 それでもまだ大丈夫だとわかると、俺に向かってまだないのかと尋ねてきた。

 だからとってきた根っこ全てを丁寧に差し出してやった。まだ無毒化されてないものを。


 これが、両親が今俺の目の前でのたうちまわっている惨状の理由だ。

 俺は調理用の刃物を持ってきて、二人を切りつけた。まだ用事で力がないから刺すのではなく切っただけだ。手首、足首、首の三箇所を順に。

 ボロ小屋に二つの血だまりができた。


 両親共に動けなくしたところで、月明かりだけを頼りに火をつける道具を探す。大体の見当はつけてある。

 無計画殺人ではないのである。

 親を殺そうとしているというのに俺は冷静だった。むしろ興奮していて一周回って冷静に見えるだけなのかもしれない。

 まだ火はついていないのに、やけに真っ暗な室内が明るく、そして熱く感じる。



 がさごそとやっていると油の入った瓶を見つける。それと道具を組み合わせて取り出した。噂に聞いた話では魔力を使う火付け道具もあるようだが、当然俺には使えまい。むしろ原始的な道具で助かった。

 むせかえるような血の匂いに息苦しさを覚えながら油をまいていく。


 何をやっているかって?

 証拠隠滅だよ。捜査能力の欠片も見当たらないような文明レベルであっても、殺された死体があれば足がつくかもしれない。

 このまま放っておいてもおそらく出血多量もしくは毒で死ぬだろう。

 ただそれではまだ足りない。

 家に火を放ってしまえば強盗に入られて殺された後、金目のものが奪われて火をつけられたと思われるはずだ。取るものもないほどに貧乏ではあるが。

 焼くというのは実に原始的で、王道な証拠隠滅方法だ。


 少なくとも幼児が殺したのだろう、と推測する人はいるまい。

 盗賊が奴隷目的に攫ったと考えるか、火に巻き込まれて死んだと思われる可能性の方が高い。

 もちろんこの世界に魔法とやらがあるのならばそれによって見つけることができるなんてこともある。

 しかし何もない平原を必死に警戒して歩く者が少ないように、ただ貧民が焼け死んだだけで血眼になって捜査にとりかかる組織がいるとは考えにくい。

 本当は原型をとどめないほどにぶつ切りにしてからの方が、より二歳児の犯行からかけ離れるし、俺が死んでいるかどうかもわからなくなってよかったのかもしれない。


 別に死体損壊の罪がーーなどとは思っているわけではない。

 単にあまり気分のいいものではないのと、子供の力では腕の一本も切断するのが難しかったからというだけである。

 燃やした方が気分もいくらかマシというものである。


 こうして俺は、忌まわしい過去のこびりついた、燃え盛る家屋を見つめていた。

 パチパチと何かが爆ぜる音が聞こえる。

 今頃は両親は煙と傷の両方で苦しんでいるところだろう。


「物語のように誰かが助けになんか来ない」


 転生した先が良い両親の元とは限らない。ましてや貴族の家で知識も寝床も手に入るとも限らない。

 運命は受け入れるものではない。

 自分で掴みにいくしかないのだ。

 奇跡など待つ意味もない。

 俺がこの世界で初めて学んだことである。


 前世、現世を合わせても初めての殺人である。

 吐き気がするのは匂いのせいだけではないだろう。

 しかし動けなくなっている場合ではない。

 俺は誰も周りで見ていないことを確認してその場を離れた。






 ◇


 少し離れたところにある川で体を洗った。返り血でガビガビしている髪を梳かしていく。ほんのりと赤く染まる川の水もすぐに透明に戻っていく。

 海なら血の匂いに誘われてサメみたいなのが来たりするのだろうか。


 いつもの馬小屋で夜を過ごした。

 藁の匂いには慣れてしまい、むしろないと落ち着かない。

 夜が明けたらここを出るつもりだ。

 事前に得ていた情報によると、この貧民街の北西に町があるらしい。まずはそこに行ってみよう。


 まずは、なんておこがましい。そこしか行けそうにないのだ。

 大人なら歩いてもいけるし、基本は馬か馬車で行くのが早いと言われる程度の距離だ。


 子供の足だと、歩き続けても半日。

 実際には休憩や獣から逃げたりでもっとかかる。

 まる一日と見ておいた方がいい。


 他に話せる人もいないので、自分の思考と周りの状況しかない。会話がないと何やら鬱々とした思考の悪循環に陥る。

 まあ他の人は俺が殺したんですけどね。

 そんなブラックジョークとともに、星空を見上げる。

 前世の日本では滅多に見ることができないだろう綺麗な澄み渡った星空が頭上に広がっていた。満天の星は残酷なほどに無機質で、静謐であった。


 あのまま運命とやらに甘んじてあの家で過ごしていれば近いうちに俺は死んでいただろう。かといって自分の殺人、しかも前世でも大罪にあたる親殺しを正当化する気なんてさらさらない。罪悪感を覚えているわけでもない。


 俺は親を殺した。それだけだ。

 殺す必要はなかった、だろうな。


 無計画殺人ではないとは言ったものの、殺さずに済む方法だって多分あった。ただ逃げるだけでもよかった。

 それを考えることを放棄して殺人を犯したのは、汚い自己保身によるものと、感情に任せた結果だと言える。あいつらを残したところで何もない、と。そんなことはよくわかっていた。

 計画的でありながら、衝動に駆られてやったのだ。と自らの醜い部分を誰にも言うことなく押しとどめておく。

 人類における大罪、親殺し。俺の殺人には何の正当性も合理性も、ない。俺はただの人殺しだ。それを悔やむことはない。


 両親の死は皮肉にも、俺に生まれてから一番平和な夜をもたらしたのだから。

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