第37話 衝突は出会いのお約束
この発言により最も被害を受けたのは他でもない諫早本人だろう。
何が楽しくて、母親からクラスメイトに学校での様子を聞かれなければならないというのか。
「ちょっと、いきなり何聞いてんの」
「いいじゃんいいじゃん」
そして第二に被害を受けているのは俺たちである。
何が悲しくて、クラスメイトの母親から本人の学校での様子を言わされなければならないというのか。
「特に問題なく過ごしてますよ。友達いっぱい!って感じじゃないですけどね」
実に無難な答えを返したのは最上である。
その空気の読みっぷりに、諫早もそう、それでいいんだ、と母親の背後で胸をなで下ろす。
「浮いてますね。髪染めてるし、目つき悪いし無愛想だし」
俺の遠慮のない罵倒に、ギロリと睨まれる。
ここで最上と同じ答えだと面白くないかと思って。
「あちゃー、やっぱ浮いてるかー……イマドキの子って髪染めてるのぐらい普通なんじゃないの?」
「他の高校は知りませんが、うちは比較的真面目な方なんで」
「じゃああんた、髪戻したら?」
「今更無理だし」
「あーそ」
母親の最後の言葉は、突き放したようではなかった。自然に、諫早ならそう言うだろうなと予想していたかのようだった。
母親が髪を染めている以上、娘に強くも言えないというのはわかるが……はたしてそれはどこまでが本音だ?
俺はそうやって少しずつ、探るようにその様子を観察していた。
だが俺以上のセリフのミサイルを撃ち込んだのは、誰よりも無害な東雲であった。
「諫早さんは、いい子……です。電車でも席を譲ったりしてたし……」
「ああ? あんたあの時みてたの! ちょっ……マジふざけんな……!」
「へーあんたが電車で……」
諫早の母はニヤニヤとしながら復唱する。
諫早はそれに耐えられなくなったのか、少し飲み物を買うとかなんとか言って飛び出していった。
「私、悪いこと言ったかなぁ……?」
「んー、まあ悪いことじゃないんだけどね」
「照れてんのよ、あの子」
不安げに見送る東雲を、女性陣が励ます。
いや、諫早のフォローもしてやれよ。
「トイレお借りしていいですか?」
「あーそこよ」
「はい。ちょっと外にも出てきます」
「ふーん……あらそう……いってらっしゃい」
さすがに見抜かれる、か。
最上と東雲も気がついたようだ。だが最上は踏み出せない。東雲を一人残していくわけにはいかないし、かといって東雲もくると失礼にあたるような気もする。
別に俺たちは娘側でここにきているわけだから、むしろ諫早を追うことに問題はないはず……なのだが。
何故だか気を使ってしまうのは、おそらくはこの
諫早がいなくなったことで今度は東雲と最上が二人の面倒を見はじめた。
俺一人でもなんとかなる、か……
「……西下くん。私もいこっか?」
息を一つ、東雲が申し出た。
「あ、いいじゃんいってきなよー」
普通に考えればおかしな会話のはず。
だが、それぞれがお互いの意図を読みあうことで成立している。
俺はトイレに行くという建前も捨てて、東雲と二人家の外へと出た。
探すために、と辺りを見渡すと意外なほど近い場所に彼女はいた。
「諫早さん……」
子どもたちがいない平日夕方の小さな公園。その滑り台の隣には、三人ギリギリ腰をかけられるかといった大きさのベンチがあった。
そこに一人の高校生が座っている。
手にはプリンシェイクを握っているところまで俺の視力で確認できた。
きちんと飲み物買ってるのかよとかそういう話はさておき、まごうことなき諫早だった。
「あいつ……リストラされて家庭内に居場所のないサラリーマンかよ……」
思わず全国のリストラされた中年サラリーマンに怒られそうな先入観と偏見に満ちた
しかも飲み物のチョイスが微妙に可愛いんだけどそれは。
東雲に人差し指を口に当てて静かにさせると、二人見つからぬように階段を降りていった。
「今日だけで二回目だよ……」
「スパイごっこみたいで楽しいだろ?」
「それは西下くんだけ、じゃないかな……?」
失礼な。男子の多くはこういうものに夢を見ている。それこそ姉妹がいない人間が姉妹な夢を見るぐらいの割合で。
そろそろと、少し遠回りしながら不審者にらない程度に近づく。
なんのかんの言いながらもそれに付き合ってくれる東雲はノリがいい。
「あんたら……きたんだ。バカにしにきたの?」
「ああ」
「違うよぅ? 違う……よね?」
「なんでそっちのが自信なくなってきてんの」
どうだ、東雲は可愛いだろう。
俺が威張ることじゃないんだけどな。
そんな東雲を立たせるわけにはいかないので、諫早の隣に座らせる。
「ほんっとわけわかんない……」
「そりゃそうだろう。お前は俺たちのことを知らないんだから。理解できなくても当たり前だ」
「そうじゃなくってさぁ……」
「……行動から人格が読めない?」
確かめるように、小さく囁いた東雲のそれに諫早は「そうそれ!」と合点がいったとばかりに調子よく答える。
「なんつーかさぁ……あんたらのいうストーカーってあの独占欲とか、守ってあげてるとかそういうタイプじゃないじゃん?」
「いや、暴漢に襲われたらさすがに守るぞ?」
「ああ、うん。うーん、なんつーのかな……」
ストーカーの意味は「つきまとう人」であるから、俺たちが後をつけた以上ストーカーと呼ばれることに問題はない。
しかし現代の学問において、ストーカーは精神疾患の一つとして詳しく分析されている。
そのパターンとして「妄想」「ナルシスト」など自分が相手に好かれているはずだと勘違いするパターンと、拒絶された相手に悪意をもってつけまわしたり、もしくは相手に嫌われるのを恐れて声をかけられないなどのタイプが存在する。
そして俺たちはそのいずれにも当てはまらない。
正常に関係を認識した上で、尾行しただけの人間だ。
それが諫早が俺たちを怒りきれない理由だろう。世間一般のストーカーに対する認識とのギャップがそうさせている。
まあ俺たちがふざけてストーカーと称しているだけで、後をつけてきたクラスメイトというのが正しい。
「諫早は俺らにこう、怒りとか悪感情はないってこと?」
「は? あんたは別だから」
うわ怖っ。
そういえば東雲や最上には普通に話しているのに、俺にだけやたら対応キツいと思った。
何、俺だけ嫌われてるのかこれ。照れ隠しとか口が悪いとかそういう表情じゃない。俺がここにいること、存在そのものを不審者として見ている目だ。
そもそもクラスで話したことなかったから、どんなのかは遠巻きから見ての想像でしかなかったわけだが。
「諫早って男嫌いなの?」
「は? これぐらい普通でしょ」
と突き放すように答えて、そのあと一拍躊躇いの間をあけて付け足した。
「……まあ、かもね。信用できないし」
これを「仲良くなるのは難しそうだ」ととるか。
もしくは「信頼さえ得られればなんとかなりそうだ」と見るのか。
どちらにせよ、「男子はみなロクでもない生物」という認識を「西下は別」に変えねばならないのか。それは……大変そうだ。
東雲みたいな、まず心の距離を縮めてからの「お昼ご飯一緒に食べよう」よりも最上流形から入る
「じゃあお互いを知るところから始めようか」
「……あんた何言ってんの?」
「諫早さんは、みんなのことが嫌い……なの?」
「嫌いっていうか、仲良くする必要性がないだけ。なんかいいことあるの?」
ここで、正しい回答は「人生が豊かになる」みたいな青臭くって甘ったるい理想論、もしくは精神論なんだろう。
俺だって仲良い人がいることは幸せなことだと思っているから。
もしも正直に、照れず恥ずかしがらずありのままを伝えたならば、諫早は今は一度バカにするだろう。
しかし時間と共に、人との触れ合いが欲しくなってくるかもしれない。ウザがられようが、突き放されようが側にいれば。
そんなのは俺のキャラじゃない。
本心を正直に話すことと、自分というキャラクターを演じ続けることは別だ。
これをどう扱うべきか。
どう答えるべきなのか。
思案にくれるその間、東雲が。
「……ことあるよ」
「ん?」
「いいこと、あるよ……」
はっきりと、言いたいことを口にした。
すらすらと流暢に、ではないが少なくとも断言した。
「それはでも、あんたの感覚だろう?」
そう、それが返ってくるから言わなかった。
東雲は「でも……」と言い募ろうとする。
そこに突然声がかけられた。
「あるある!」
「最上……」
「様子を見てきてーって言われちゃってー」
テンション高めの声に、明るい口調、ぶりっ子と爽やかの中間ぐらいの笑顔と共に状況説明を加えた。
そう、仮面をつけっぱなしだった――ここまでは。
「いいこと、あるよ」
これだ。
最上が時折見せる裏の顔。どちらもホンモノなのだ。決して騙しているわけでも、嘘をついているわけでもない。表も裏も最上なのだ。
急激に温度の下がった見慣れぬクラスメイトのその様子に、諫早が言葉を失う。
俺だってぞわりとくる。たまにしか見れないこの顔。
俺はいつも、この顔を見るのは二人きりである。そこに悪意も敵意もないことを知っている。だから笑って流したり普通に会話を続行するが諫早は……どう出るか。
「へぇ、あんた、そういう顔もするんだ。で? 何が
「便利だよ。アリバイ工作とか授業行けない時のノートとかそういう、ちょっと何かあった時のヘルプ、それに何より何かあった時に先生に咎められにくくなるし」
「あんたは、友達をそういう扱いしてんのか?」
「何? 友達なんかいらないとか言っちゃうくせに随分とトモダチに夢見てるんだねー」
「あの、綾、ちゃん? 諫早さんも……喧嘩、しないで……」
これは怖い。
あからさまに見た目のガラが悪い諫早と、普通の格好ながら凶悪な笑みを浮かべながら威圧する最上。
同時に、最上が東雲にかなり気を許していることと、諫早に対して気を急いていることが窺える。
以前の最上は東雲に対して、なるべく表の面を向けてきた。優しくて、明るくて、気さくな人間のそんな面を。だが今はどうだ?
話したことの少ない相手にあからさまに挑発するようなやり取りをしている。
それは気を許しているのだと、誰がわかろうか。
「東雲、大丈夫だ」
「でも……」
「最上を信じろ」
諫早は不満げに鼻から軽く息を吐く。
「言うじゃん」
「私は文香ちゃんという可愛い可愛い仲良しがいるからね」
「西下はいーのかよ」
言外に俺を外したことについて馬鹿にしたようにあげつらう。
「そうだね、西下も文香ちゃんと仲良しだよ」
「いや、そうじゃなくって」
「わかってる。仲良いよ」
「……マジわけわかんない。私なんかほっときゃいいのにさ」
それっきり、諫早は何も言わなかった。
だからそれがその日の俺たちと諫早の会話の最後となった。
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