第33話 誤解はいつだって

 東雲と向かい合う。

 二人立ち尽くし、教室の真ん中でお互いの目を穴が開くほどに見つめている。

 じわりじわりと胸の底で何かしら燻る。不完全燃焼だ。

 さて、どうしようか。俺も東雲も黙ったままだ。どちらも距離を測りあぐねている。

 ふ、と目をそらし、そして視線を戻して東雲の顔を再び見る。すると東雲はびくりと肩を震わせた。

 まだ、怯えているのか。

「東雲、話を聞いてほしい」

「盗み聞きなんかしたから、嫌いに……なった?」

 完全に萎縮してしまっている。

 同時に酷く安心している自分に気がつき反吐がでる。

 嫌いになったかどうかを尋ねる、ということは、嫌われることに怯えているということだ。あのようなことがあってさえ、東雲は俺たちを嫌いになってはいない、ということでもある。

 それを聞いて、俺もまた、嫌われていないことに安堵したのだ。

 東雲が、こんなにいい奴なのに俺ときたら。

「そこは、誤解だ」

「そう……なの?」

「ああ。……とりあえず座ろう」

 着席を促す。

 一番の理由はもちろん立ったまま話すのは疲れるだろうからだが、二番目に落ち着いて聞いてほしいというものもある。

 ギシ、と椅子が体重で押されてきしむ音がする。


「最初に、悪かった」

「なに、が……?」

「俺たちは"優しいから"とか"同級生だから"とかそういう理由でお前に優しくしてたわけじゃない」

「それは、うん。なんとなく……そうなのかなって……でもその理由ってわからなくって……」

「俺と最上は最初からお前と仲良くなろうって下心を持って接してきた」

 決して、嘘をついていたわけではない。

 それでも、ようやく仲良くなってきたかという時分になってそんなことを知ってしまえば東雲がどれほどのショックを受けるか。

 もっと、後で笑って済ませられるぐらいになってから話すつもりだったのに。

 これは、裏切りだと目の前の彼女には思われてしまうのだろうか。

「もう一つ、誤解と言ったな。俺はお前が聞いたことを全然怒ってない」

「でも、さっき……すごく怖い顔して……」

「いや、あれはな……なんつーか、あれが元の俺の顔なんだよ」

 どういうこと? と東雲は疑問に満ちたままに「そうなの?」と返した。

「俺さ、東雲と接している時って笑顔と笑ってなくてもこう、楽しそうな顔をしてたつもりなんだけどさ」

「それって……」

「もともと表情が自然に動かなくてな。楽しい時に楽しい顔を、嬉しいときに嬉しい顔をするようにしてたんだ。中学のときに演劇部に入ってたのもその練習のつもりで」

 ここからは、誤魔化しは通じない。

 これまでは嘘ではない・・・・・ことや言葉を選んで情報を伝えてきた。

 その結果が今の東雲だ。

 俺はそれについて「間違えた」とは思っていない。

 最初から最上との会話そのままに「ハーレムを作りたい」と言って近づく不審な男のことをすんなりと受け入れてもらえるだろうか。いや、無理だろう。

 結局のところ、俺たちに悪意がない以上は「きちんと思いを伝える」以外に解決方法などないのだ。

 いつもしている表情かおを全て脱ぎ去るようにして、まるで東雲になんの価値も見出すことがないかのような無表情で会話を続けた。

 昔から、自然に笑うのが苦手だったこと。

 だから、無愛想だったこと。

 友達が少なくても全然平気だったから、高校一年の頃もあまり笑ったり積極的に話しかけたりしなかったこと。

 最上と出会い、仲良くなったこと。

「そっか……」

「怒ってないことはわかってもらえたか?」

「うん……」

「だからまずは、怖がらせてごめんって言いたくって。悪かった」

「ううん。もういいよ、逃げちゃってゴメンね?」

 東雲が謝ることはない。

 その癖は、東雲の魅力であると同時に弱点でもある。その優しさは気の弱さと同義で、いつか付け込まれる。

 嫌なフラグが立ってるような気もするけど今はただ、見守ろう。いつか困ったときにすぐ対処できるように。

「で、ハーレムを作ろうって話になったんだ。……ところで、東雲はハーレムって何かわかる?」

「えーっと、イスラム教での女の人の、部屋?」

「ああ、いやそういう原義でのじゃなくってな。俺たちが作ろうって言ってたのはラノベとかのだよ」

「確か……男の子が少なくって、女の子がたくさんで、みんなで仲良くすること?」

 ああ、眩しい。

 何この子。今時こんな子がいるのか? もしかして天然記念物か? だとしたら家に連れて帰って保護しなければいけない。

 おうそれであってるぞ、うん。

 今日における「ハーレム」の定義は実に広い。

 東雲の定義だけでもかなり広い範囲をカバーできるのだが、修羅場系のハーレムがあったり、主人公がそれぞれ単独でヒロインと接することでヒロイン同士が出会わないタイプがあることからもわかるように必ずしもハーレムにおける女の子同士が仲良しであるとは限らないのだ。

 仲良し、ってのを深い関係にあるとか、一緒にいるとかそういう意味で使っているならそれでもいいんだろうけど。

 それら全てをカバーしようとして定義するなら「男の子一人に対して恋愛感情を持つ、もしくは深い関係、親しい関係にある女の子もしくは可愛い子が複数いる状態」となるか。ちなみに可愛い子、と定義したのはブサイクはヒロインじゃないという凄まじい容姿による差別をするわけではなくて、男の娘を中に入れるためだ。可愛くない女装男子はただの性的倒錯者であって男の娘ではないことからこんな定義となった。

 そんなことをつらつらと東雲に説明する。

 ……何してるんだろうか、俺。

 謝りにきたんじゃないのかよ。何純真な同級生女子に向かってハーレムのなんたるかを語ってるんだろう。

「で、東雲はこれに嫌悪感を抱かないのか?」

「それは、うーん……わからない、かなぁ……」

「恋愛は一人だけを愛するものだ、とか言わないのか?」

「えーっとね、私って本が好き、でしょ?」

「ああ」

「恋愛物語も読んだり……する、んだけど……三角関係、とかあるじゃん……?」

「あるよな」

「どこかね、他人事だなって思ってたの……だって私だったら……仲の良い子を押しのけてまで男の子を奪いたい、なんて思えるかなぁ……って」

 自分に好意を向けていない人間に、そこまで執着できるのだろうか、と。

 その感覚は、俺にもよくわかる。

 でもそれは多分、俺たちがまだ恋をしていないからだ。俺たちのこれは確かに「好き」なのだ。愛とさえ言えるかもしれない。性愛でも恋愛でもないなら、これはきっと友愛や親愛で。

「恋愛物語だと、二人の人の間で迷うこととか、ある……でしょ?」

「あるある」

「でね、二人の人を同時に好きになったときにその……どっちかしか本物じゃないって否定しちゃうと物語が急に、なんていうか」

「陳腐になる、か?」

「そう、そうなの!」

 三角関係でどちらかしか恋愛的に好きじゃないなら、急に物語の性質は異なってくる。

 だから、本気で迷うということは、どちらも好きで、苦しみ悩んで選びとったのだ、ということだ。

 一人の人間が複数の人間を好きになることはある、と。

 東雲はそう言いたい、ということか。

「でね、私今、西下くん以外に仲良い男の子って、いないの」

「そうか……」

「憧れた近所のお兄ちゃんとか、夏になるたびに遊んだ従兄弟の子もいないの」

 つまり「フラグがない」んだろう。

 東雲はそれを「他に親しい異性がいない」と口にすることで伝えてきている。

 そうか。唯一親しい男子か。

「だから、西下くんは私に何かを無理矢理させようとしないし、困ることって何もないんだなーっていうのが一つ」

「他にもあるのか?」

「えーっとね、二人が私と仲良くなろうとしてるのがゲーム感覚とか、からかってるんじゃないって知ってるから、かな……?」

 そこでようやく東雲が「一度も俺たちの気持ちを疑わない」ことに気がつく。そしてその理由に思い当たる。

「あのさ、俺たちがハーレム云々ってどこで誰から聞いた?」

 俺の予想が正しければこれは。

「この間、龍田さんと私たちで教室使ってたとき、あったでしょ? お弁当箱忘れて取りに帰ったら教室で西下くんと綾ちゃんが喋ってるのが聞こえちゃって……」

 そうか、あの時か。

 あの時、確かに東雲が教室に戻ってきてもおかしくはなかった。俺と最上はあの場所に俺たち以外の人間が来ないことをよく知っていたから油断もしていた。

 そして話していたとき、人がいるような音は聞こえていた。あれがまさか東雲で、俺たちの話を聞いた動揺で音を立ててしまっていたとは。

「西下くんと、綾ちゃん、私のこと……ううぅぅ」

 そこまで言うと恥ずかしそうに顔を両手で覆って唸った。自分が言われたことを思い出してしまったのだろう。

 あの時、最上と俺はこんな会話をしていた。

『本当、文香ちゃん好きだよね。甘いったら』

『そりゃあな。あとお前もな』

『わかってる、私も。そういう自覚はあるし』

 そう。東雲が好きだという話を。

 そうか……このパターン、か。俺がしたことをそのままブーメランとは……

 嘘をつく必要がない状態で誤解する余地がないほどはっきりと、俺と最上が東雲を好きだと明言している。

 あの後、東雲が変な質問をしてきたことも、そして少し様子がおかしかった理由も今なら全て納得がいく。


 あの話を全て、聞いていたとしたら。


 サブカルチャーに馴染みのない東雲のことだ。

 話の全容については理解できなかったかもしれないし、俺たちの動機もわからないかもしれない。

 だがあの場での話は確かに、東雲への思いを素直に語ってしまっていた。聞かれたくない事情――下品な計画と共に。

 だから東雲は俺たちの好意を、疑っていない。

「じゃあ……東雲はこれまで通り、俺たちと仲良くして、くれるのか?」

 おそるおそる問いかけた俺の言葉を東雲が珍しく否定した。

「ううん」

「えっ」

「……西下くんと綾ちゃんには……もっと、仲良くしてもらいます」

 えっ? それは……いいのか?

「私だけ、仲間はずれは……ズルいんじゃないかな……? ズルい、でしょう? ズルい、と思います……」

 どういう口調で言えば安定するか探してる……!

 そしてわからなくなって結局敬語に落ち着いた……!

 最上、どこかで見てるか。俺たちの東雲がこんなに可愛い。

「そんなことでいいなら……」

「これからもよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げられた。俺からはいつもよりさらにつむじが見えている。

「こちらこそ、不束者ですが」

「それじゃ……違う挨拶になっちゃうよ……」

「はははは」

「ふふふふ」

 二人、なんだかおかしくなって笑い出した。

「東雲……」

「西下くん?」

 仲直り、できたのだろうか。

 東雲の華奢な肩を見つめる。

 東雲が俺を見つめ返す。

 なんていうか、すげえいい雰囲気だ。

 頭ぐらい撫でても……ハグぐらい許されないかな。


 その時、急に教室の掃除用具ロッカーがバタンと開かれた。

 心臓が止まるかと思った。下手なホラー映画よりよっぽどタチが悪いぞこれ。

 え、どういうことだ……

「お二人さん、いい雰囲気だね!」

 最上が爽やかに満面の笑みでスマホを構えて飛び出してきた。

 と、いうことは。

「素敵なシーンごちそうさまでした!」

 こいつ……ずっと聞いていたってことか。

 いや、スマホを構えていたということは、ずっと録音か撮影もしていたな……こいつ、鬼かよ……

「えっ?! なんで!? なんでここに綾ちゃんが!?」

 突然の最上の登場に東雲が大混乱。

 ……カタカナ片言で再生されちまったよ。

 グルじゃないということはわかった。

「二人にしてくれるって……」

 ああ、そこは俺の予想通り、出会ってから分かれたのか。

「やだなぁ、文香ちゃんの目の前……っていうと語弊があるかな、後ろで堂々とロッカーに入ったじゃん!」

 男子なら胸ぐら掴んでたな。

 女子だと胸に触れることができ……セクハラになるから俺は最上の頭を鷲掴みにした。そのままギリギリと力を込める。

「えっ! 痛い痛い痛い痛い! 西下ストップ! 私の頭が割れる! パーンぶちゃってなるぅ!」

「お前の頭はトマトか!」

「西下、くん……綾ちゃんが痛がってるからそれぐらいで……」

「さすが文香ちゃん! マジ天使! お礼にさっきのデータをそっくりそのままあげ――」

「続けてあげて」

「了解」

 最上がさっきのデータ、と口走った瞬間東雲の目からハイライトが消えた。

 最上の悲鳴が耳に心地良い。

 今なら俺は東雲と二人で世界平和について一時間語れそうだ。

 なあ、東雲。今目の前の悪さえ滅ぼせばなんとかなるとは思わないか?

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