エピローグ 神楽坂リオという少女

 三月二十日。

 詠憐高校の卒業式。

 本日は旅立ちの日に相応しい晴天。加えて、三月の下旬にしては心地のよい麗らかな陽気に包まれ、校舎三階の渡り廊下で思い切り背伸びをする。

「こんなところにいたのか。リオ」

 名前を呼ばれ、脱力。振り返る。式典の真っ最中だというのに、当事者であるはずの折笠ミカゲが校舎へ続く扉を開けて立っていた。私も送る側として出席者であるのだから人のことは言えないのだけれど。

「……あとでバレても知らないんだから」

「大丈夫だって。連中の記憶を全部消去して、もう一年居座るから。おお、そうなると、来年は同級生だな!」

「何故か全く嬉しくないわね」

 折笠ミカゲとは、あの日を以ってめでたく和解した。それはただそれだけのことで、別に特筆すべきことでもないのだが、一国の王女たるものが天空都市ホルスに伝わる英雄様といつまでも仲違いを続けたままというのも、それはそれで具合が悪い。

「そんなにも異界金星に帰りたくないのかしら。折笠ミカゲパティスリータンドレスさん」

「フルネームで呼ぶな。つーか、少年に教えただろ。それ」

「じゃあ、ラファイエト・ウィルドアークさんとお呼びすればいいかしら? 現世代の英雄として、世のため人のためという使命からいつまでも逃れられるものではないと知っておくことね」

「へいへい。承知しておりますよ。あと、そのラファイエトの名前もよせ」

 柵の上に腕を組んで、顎を乗せたミカゲタンはさも面倒臭そうに呻く。

「そっちは、大丈夫なのかよ」

「何のことかしら」

「巻き添えにしてしまった現地人という大義があったとはいえ、一国の王女が【ルシフェル】なんぞに肩入れしてたんだぜ。結構、当たり強いんじゃないのか?」

「日頃、真面目な私は【ルシフェル】幹部を差し出しただけで許されたわよ」

「そーですか。それは僥倖っすね」

 嘘だが。

 服部をはじめ、何人かの重要参考人を捕まえることは出来たが、それだって副次的な結果でしかなかった。賞賛を浴びる一方で、忌み嫌われる行為を犯したという声も多い。

 でも、そもそもがそんな程度の話ではなくって、本気でアセンションを発動させるつもりだった私は本来であれば、賞賛はおろか、罵声さえ浴びる資格はないのだ。

「あ。小耳に挟んだんだが……お前、執事の減刑を望む嘆願書を出したって本当なのか?」

 耳聡い奴だ。以前、ゴキブリと言ってしまったことに関しては謝罪したが、別にしなくても良かったかもしれない。

「別に服部だけじゃないわ。あの人たちだって、理不尽に課せられた痛みや家族を奪われた苦しみというを背景にアセンションを待ち望んでいたのよ」

 そこだけは、私となんら変わりのない人々だった。

 言われなくたって分かっている。嘆願書なんて自己満足だ。もしくは、偽善だ。

「私は――」

「ん?」

「最初から迷って、ブレていたのかもしれないわね。今思い返せば」

「一縷の迷いもなく全てを遂行していたというなら、そっちのほうが怖いわ」

 そんなもんだろ。と、おそらくは、ミカゲタン流の慰めの言葉を頂く。

 またちょっと心が軽くなった。

「リオ姫様」

 背後にもうひとり。地球日本国のフォーマルなスーツを身に纏ったアシェンが現れた。一礼し、それからミカゲタンを一瞥して苦い顔を浮かべ、それから言葉を続ける。

「ただいま桜庭夫妻をお送りしてまいりました」

「そう、ご苦労様。監禁中の待遇が悪くなかったのは不幸中の幸いね」

 そこだけは【ルシフェル】の連中を評価してもいい。まぁ、連中が身勝手に拉致したわけなので、勘違い甚だしい部分もあるが。

「それと――」

「何かしら?」

 そんなことを考えながら苦笑していると、何より待ち望んだ言葉がアシェンからもたらされる。

「桜庭ソウタ、黛カナカの両名が意識を取り戻したと病院から連絡が」

「――ッ!」

 待ち望んだ、待ち焦がれた瞬間が。

 張り詰めていた気持ちが瞬時に融解していく。ずっと待っていたはずなのに、いざそれがやってくると、何もかもが追いついてこず、私の口からはしゃっくりのような嗚咽が断続的に出るだけだった。

「……もうッ! また、十日も待たせて……遅い、遅すぎるわよッ!」

 涙腺が壊れたようにみっともなく雫が流れ出るので、ミカゲタンとアシェンに背を向ける。「半年待ってたんだし、十日ぐらい許してやれよ」とミカゲタンが軽口に続いて、ガッという物音がした。おそらく無言のアシェンがミカゲタンを蹴り飛ばしたのだと思うが。

「いいこと? 異界金星の魔法医療を駆使して、必ずふたりを元の状態にまで戻しなさい。出来ないなんて泣き言は受け付けないわ」

「御意」

 意識さえ確かなら、出来ないことはないはずだ。

 ふたりの復帰を待ち望んでいたのは、それが理由なのだから。

「さて。じゃあ、どーしますかね?」

「姫様の歩まれる道、その先をどこまでも」

 これで私はどこへでも行けるし、何でも成せるようになる。

 禊の儀式なんて大袈裟なものではないけれど、それでもこの一年間、停止していたものを色々取り戻していかないといけない。

 どこまでも緩い英雄と頼もしい従者を振り返り、私は大きく頷いた。


  ・


  ・


  ・


「――ソータッ!」

 詠憐高校前駅の改札前で恥ずかしげもなくぶんぶんと右手を振ってる女子がいた。タンクトップに花柄ショートパンツという健全な色気全開の、所謂ところの不肖俺の彼女のカナカだ。

「朝から元気なのな、お前……」

「ソウタがおじいちゃん過ぎるだけだよー」

「いや違う。まだ六月だというのに最高気温が三十度を超えそうとか、季節外れの陽気のせいだ」

 他の男の目もあるから本当は止めて欲しいのだけれど、そんな格好したくなるカナカの気持ちも分からないでもない。

 高校卒業後、俺たちは揃って隣の市の大学へ進学した。

 学部は俺がカナカに付き合う形で、同じ文学部史学専攻所属。カナカのお気に入りは文化遺産や世界遺産の保存活用の講義。食いつき方と目の輝かせ方が半端ない。

 クラブ活動はカナカが俺に付き合う形で、同じ陸上競技部所属。四年間で何らかの結果が出せるかどうかは、これから次第といったところだろうか。高校では完全無名が実はデキる奴だったなんて面白展開を夢見るぐらいは許されるはずだ。

 あと、友人や先輩には、爆発しろと笑顔でよく言われるが、爆発はしない。

「ん……」

 ふとした瞬間、駅の隣の店舗が視界に映った。当然、朝早いのでまだ黒いシャッターで閉じられたままだけれど。

 そう、話は打って変わるが――

 高校卒業後、大学へ通うため、毎日のように詠憐高校前駅を利用するようになってから、なんとも言葉に言い表すことの出来ない違和感に見舞われるようになった。

 その違和感はこのケーキ屋「御影パティスリータンドレス」を見たときに一際強く発揮される。そのケーキ屋は昔からあって、特にチーズケーキが絶品――なのだが、ただそれだけ留まらない何かが常に胸の中を渦巻いていた。

 しかも、手探りで突き詰めていくと思い起こされるのは、違和感の始まりがそこではないということだった。高校生活、最後の一年。カナカと同じ大学に行くために血の滲むような受験勉強に明け暮れた思い出に押し潰され気味だが、その辺から違和感というか、喪失感のようなものがあった。

 何度話したところで上手く表現できないし、思いは共有できても結論は詮無きことになるし、今では口にもしなくなったけれど、カナカも同じ奇妙な違和感を抱いているということだった。

「……今日の帰り、ケーキ買ってソウタん家で食べよっか」

「ああ、そうだな」

 鞄から通学定期券を取り出し、自動改札口に触れさせる。ゲートが開き、駅の構内に入ったところで、いつものようにカナカが腕を組んできた。駅のホームは二階にあるため、ここから階段を昇らなければならないのだが――

 俺もカナカも、ふたりして同時に足を止めたのは、階段の前にいる女性の視線に気付いたからだった。長めの白いサマーコートに目深に被った中折れ麦わら帽子。正確に言えば、目元が見えなかったので視線というには変なのだけれど、確実にこちらを注視している姿勢ではあった。

「……知り合い?」

「いや、俺は知らないけど」

 ぼそっと、俺にだけ聞こえるような声量で、カナカ。

「ホントにぃー?」

 半眼で疑いの眼差しを向けられても、知らないものは知らない。

 と――

「ああ、ついにッ! 神よ、感謝いたします。かつて、異界金星を救いし伝説の勇者様に巡り会うことが出来ましたッ!」

 小さな身体で駅の階段を塞ぐように、ど真ん中に立ちはだかったその女性は、過大に芝居掛かった口調でそんなことを叫んだ。

 自動改札機横の部屋から数人の駅員さんが何事かと顔を覗かせていた。どういう反応をしていいか分からず、とにかくなんでもないと首を横に振るが、

「勇者様。今一度、我ら異界金星の民のため、その力、お貸しくださいませッ!」

 まるでミュージカルのように大仰に叫ばれるものだから、全く説得力がなかった。

 時同じくして、ホームに滑り込んできた電車の降車客がどっと押し寄せる。階段前、ど真ん中で流れを断ち切るかのように立つ女と俺たちは非常に迷惑な存在だったに違いない。

「も、もう恥ずかしいから行こ? ソウタ」

「ああ……」

 カナカに腕を引っ張られる。

 だけど、なんだ。

 奥歯に物を詰められたような、この違和感。ケーキ屋を見るたび感じるそれとよく似ている。

 異界金星――とは、何の話だろう。

「お待ちください、勇者様ッ!」

「もう、勇者じゃないってば! だいたい誰なの貴女!」

 なおも芝居を続けようとする女に腹を据えかね、つかつかと女の前に歩み寄ったカナカがその顔を隠す麦わら帽子を強引に剥ぎ取った。

 その瞬間、零れ落ちるように広がるブロンドに近い栗色の髪。透き通るような透明感ある肌、完璧に整えられた顔のパーツたち。掛け値なしに、誰もが振り返る美少女という奴だった。

 こんな知り合い、いないと断言するけれど、そう遠くない過去、どこかで……

「リ、オ……?」

 いや。

 これは、どこかでなんてレベルではない。

 稲妻のように脳裏を駆け巡ったその二文字を口にした瞬間、俺の中で折り畳まれていた記憶が急速に展開を始める。そこに記述されていたものは、神楽坂リオという少女や異界金星という世界にまつわる数日間の出来事。

「リオ! お前、なんで……」

 口にしながら、なんでについては俺に対してだった。

 そう。なんで、忘れていたのだろう。

「お久しぶりね、ソウタくん。鳩が豆鉄砲食らったようなその顔は何なのかしら」

「あれ、なんで? 俺……」

 頭の中が酷くこんがらがっている。

 整合性を取ろうと、空白地帯を埋めるように忙しなく処理が走っているみたいだが、いつまで経っても終わりそうにない。俺ひとりの問題だけではなく、この一年、世界がリオのことを最初から存在しない者として扱っていたのは、どういうことか。

「神楽坂リオ――あたし、なんで、忘れてたんだろ……」

 カナカも同じだったのだろう。ただ、俺と違っていたのは、強く狼狽しながらも抱き締めるように、リオの首にしがみ付いたことだった。

「あたし……貴女にお礼を言わなきゃって、ずっと思ってたはずなのに……ごめん。ごめんね……」

「はじめまして、黛カナカさん。まぁ、貴方たちの記憶の不整合については、私の仕業だからそんな気に病むことはないわ」

「――またお前のせいかよ!」

 人の記憶を捏造するのが趣味なのかコイツ。

「あと、お礼なんて言われる筋合いもないわ。ふたりをあんな目に遭わせたのは、そもそも私が始まりの原因だから」

 だから、気にする必要なんてない。と、もう一度強く言い放ちながら、リオはカナカの背中を優しく擦った。

 その上で、彼女はとんでもないことを言い放つ。

「私がこうして再びやってきたということは、ソウタくんを奪い取る準備が出来たということなのだけれど、そんな悠長なことでいいのかしら。カナカさん」

「んなッ!」

 リオを軽く突き飛ばし、後ずさるカナカ。両手を広げて、俺の前に立ちはだかる。

「ソ、ソウタは今、あたしと付き合ってんのッ! 神楽坂リオの出る幕無し!」

「仕方ないわね……とりあえず愛人からでいいわ。ソウタくん」

「お前な、異世界の王女様が愛人とか言うなよ」

 どんだけVIPなんだ俺。

 フフ、と妖艶な笑みを浮かべ、リオは大仰に腕を振る。

 その瞬間、ホームに続く駅の階段に嫌というほど見覚えのある白銀の靄が溢れ出した。

 かつて、俺の家で。

 あるいは、リオの別荘で。

 はたまた、カナカのマンションで。

「さぁ、始めましょうか。苦難の末、庶民から勇者様を勝ち取る王女の物語――異界金星2を」

 そんなことは、誰も聞いてない。

 靄の向こうに映し出された煌びやかな異世界を見て、激しい目眩が襲ってきたのは言うまでもなく。

「今度のは、灼熱、暴風、激震に続き、吹雪、濁流、迅雷、常闇、極光、天界、冥界、天使、悪魔、女神、魔神、彗星、隕石、時間、空間、混沌、創造など、様々なピラーが登場するわ。それらから魔法を得ることで、ソウタくんの破壊衝動は飛躍的に高まっていくでしょうね」

 そんなことも、誰も聞いてない。

 それだけあれば、世界の上書きなんてレベルじゃ済まない気がするのだけれど。

「あと、製作にあたっては、ソウタくんが好きだったジェイドスカイをはじめ、地球の最新テレビゲームで研究したから絶対に気に入ってもらえるハズよ」

 胸を張って自信満々に鼻を鳴らすリオ。

 だが、俺たちは、

「やりませんからッ!」

「頼むからリオ、早く消してくれ――ッ!」

 ひたすら周りの視線を気にしつつ、ただ叫ぶばかりだった。


(了)

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神楽坂リオの世界召喚塔 しび @sivi

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