2 紙一重の虚構と現実

「んー」

 まるで夢のような冒険から一夜が明け。

 十月二十六日。

 そして、舞い戻る、いつもの、あるいは、まやかしの日常。

 自然と頭に浮かんだ単語ではあったけれど、まやかしとはどういうことなのだろうか。苦笑しながら思う。昨日の今日で、確かにいつものとは言い難い。

 リオが延々と語ってくれたことを整理すると、灼熱のピラーの他にあともうふたつ、暴風のピラーと激震のピラーと呼ばれるものがあって、全部で三本、地面に埋め込んでやらないと俺の家が元に戻らないということだった。そこで夜も更けたので、いったんは現実世界へと帰還し、リビングで夜を明かした。

 そんな状況なので、俺の家は昨日の放課後から事態が好転せず、階段の半分から上が異界金星の都市アイテルへの道が繋がったままとなっている。果たして、それを普遍的にいつものと呼べるだろうか。

(否だよなぁ。普通は)

 とはいえ、自宅が異世界の侵食を受けているからと、学校が休みになってくれるわけでもなく、二番目のピラーへの道は翌日――つまり今日――までに用意しておくから連絡を待てというリオの言葉に従い、とりあえずは毎日そうしているようにけだるい感じで登校している最中だ。

 空はどんよりと曇り空。天気予報では、雨は降らないとなっていた。風が強い。突風に注意というフレーズをよく覚えている。家を出た瞬間からちらほら見知った顔と朝の挨拶を交わしながら歩くと、すぐそこは例の二車線の国道だ。

 若干の身震いを覚えながら電柱の傍に立てかけられたままの花束に視線を送る。胸が詰まる思いを覚えた。それも昨日のままであったけれど、秋めいた半ば、朝夕は若干冷え込むようになってきたこの季節の朝露に晒され、しっとりとしているように見えた。

「んんー」

 まぁ結局のところ、立ち止まって、花束を――いや、一昨日の俺の事故現場を眺めて、何か考えているように唸ってみせて、何も考えていないのだけれど。

 ……何故か、考えたくないのだけれど。

「ソータ、おっはよー!」

 ばちん、と。

 とても酷い既視感に苛まれながら、ひりひりと痛む背中に顔を顰め、恨みがましく背後を振り返る。やはりそこでは、丸い顔の幼馴染みが両手を挙げて無抵抗のサインを示していた。

 文句のひとつでもと思ったけれど、昨日の件もあったので、多大な努力を用いて呑み込み。

「おはよう、カナカ。昨日はあれからどうなった?」

 我ながらふわりとした聞き方だと思ったが、同じ学校の生徒が通り過ぎる最中に「死んだか?」などとは、小声でも口にし難かったためだ。

 なのに、カナカの奴、

「いやぁ、死んだ死んだ。結構粘ったと思うんだけどねー」

 あっさりと、よく通る大声で朗らかに言う。

 だが、ぎょっとしたのは俺だけで、周りは気に掛けていない様子だった。思えば、ゲームらしい異世界を体験したという前提があったからこそ口にするのが憚れただけで、「死んだ」と言ったところでそれを聞いた人間はフィクションの話だろうと解釈するのが普通か。

「でも、すぐに家に戻されたからソウタがクリアしたんだと思って。安心してすぐに寝ちゃった」

「そうか」

 灼熱のピラーを押し込んだ後、すぐに現実世界に戻され、カナカとはそれっきりだったし、携帯からメールはしたけれど返信はなく、ちょっと心配はしていたのだが良かった。

「では、安心してたところで悪いんだが――」

 リオからもたらされた愉快でない情報をカナカに伝える。

 ピラーは全部で三つあるというくだりで、朗らかだった彼女の表情は地底の煉獄でも垣間見たようなものに挿げ替えられていた。

「もういいよぅ――ていうか、何、ぼーっと立ち止まってるの?」

 話を強制的に打ち切ったカナカは話題を逸らす。

「ん。いやな……」

 俺の視線の先を追って、カナカも電柱の花束を見たようだ。一瞬だけ、彼女もなんとも言えない苦い表情になった。

「気になってるの? ソウタのじゃないと思うけど」

 電柱に花を添えるなんて、だいたいはその場で事故があった証。毎日ただなんとなく通っていた通学路において、一昨日以前に花束が置かれてたかどうか、記憶は定かではないし、自分がワゴン車に当たられた場所の近くに置かれてれば、気分だって沈む込むものだろう。

「ソウタ。本当に覚えてないのー?」

「なにが」

「ソウタとワゴン車は本当に掠める程度の接触だったらしいよ。頑張って避けた弾みに頭を地面で強く打って、一時、意識不明なんて情けないことになってたんだけど」

「ほ、本当か?」

 カナカが頷くと同時、

「――つーか、情けない言うな!」

 そう、お前だって俺の家で泣き喚いてたくせに。

「あははっ! まぁ、接触したから交通事故は交通事故だしねー」

 やけに軽いなコイツと思うと同時、自分の心も幾らばかりか軽くなっているのを感じた。

 正直なところ、衝突の瞬間の記憶というのは、ない。鮮明なのは、当たられると思った直前、ヤバイと感じたその瞬間までだった。それでも超人的回避能力を以ってして、なんとか直撃だけは免れたものの、地面に頭を打ち付けてたおかげで昏睡状態だったというのなら、確かに自分の身体に傷らしい傷がないのも、クラスメイトたちの軽い反応も頷けないこともない。かも。

(そうとはいえ、ちょっとは心配してくれてもなー)

 やっぱり、自分の本音はそこにあるのだと自覚し、昨日のもやもやに対して苦笑する。

「ほら、もうすぐ信号変わるよ」

「おお」

「また、手繋ぐ?」

「アホかッ!」

「照れなくてもいいのにぃー」

 昨日の下校時には周りに誰もいなかったから良かったけれど、今朝はばっちりだ。本気で残念そうに口を尖らせるカナカを尻目に、大勢の詠高生に紛れて国道の横断を始める。ぱたぱたと賑やかな小走りでカナカが付いてきているのも分かった。

 横断を終え、詠高に続く坂道に差し掛かったところ、とうとう噛み殺しきれなくなったあくびと共に小さくぼやく。

「しかし、強烈にねみぃな……」

「あたしもー。昨日頑張ったからかなー。うぅ、全部、神楽坂リオのせいだ」

「リオの奴、今日中に連絡するって言ってたけど。あと二回もあんなことするのか」

「知らないよぅ。ていうか、なんであたしたちなのー」

「俺の家が元に戻りませんので」

「そうでしたね……」

 あたしたちというよりは、正確には俺ひとりなのだろうが、異界金星という設定のゲームの中で、三種のピラーを地面に差し込まなければならない理由はそれで説明が付く。だが、そもそもの、リオが魔法を使って異界金星のフィールドを俺の家で展開した理由が分かっていない。

 連絡すると言っているからしてくるのだろうが、そのときには必ず追求してやろうと思い至ったところで――

「あ」

 やや大きめに叫び、立ち止まる。

「……どしたの?」

 追い越す形になって振り返ってくるカナカ。

「俺、リオの連絡先知らないぞ? 俺のを知らせた覚えもないし」

「もう。知らなくていいし、知らせなくていいしッ!」

 何怒ってるんだ、コイツ。

「どーせ学校で会えるよ。神楽坂リオみたいな子が目立たないわけないじゃない」

「そりゃそうか。隣のクラスだし、リオのブロンドは目立つしな」

「鼻の下伸びてる!」

「伸びてねぇよ」

 そんな一連のやり取りが終わろうとした、そのとき。

「リオ、だと……?」

 驚愕にも似た奇声は俺たちの後ろからだった。超絶美少女で有名な転校生なのだし、そんなに声音を歪めて驚くほどのことでもないだろうと振り返って――

「ひっ」

 胸元から空気が抜けるような、そんな一言は俺のものだったか、カナカのものだったか。あるいは、両方か。とにかく、後ろを歩いていたその男子生徒の姿を見た瞬間、俺たちは示し合わせたように走り出していた。

「こら待て! 人の顔見て逃げるとか失礼だろ! おい――ッ!」



 振り返ること、今から半年ほど前。

 俺やカナカが二年生に進級した春のとある出来事。

 三年生に物凄いイケメンが転校して来たと話題になったことがあった。俺も遠目に何度か見た程度だけど、少し長めの茶褐色サラサラヘアがまず特徴的。そして、男子平均よりも頭ひとつ抜けるような長身。鋭利な顔立ちでありながらも、目元が人懐っこく映る笑顔の素敵な甘いマスクが始業式から先輩女子たちの羨望を、先輩男子たちの嫉み妬みを一手に掻っ攫っていったらしい。名前は、折笠ミカゲ。名は体を表すとは言うが、本当すかした名前だと思っていた。

 さて、そんなミカゲ先輩だが、朝の昇降口で自分の鞄を引っくり返してしまい、中に潜ませていた何冊ものアイドル写真集をぶちまけてしまうという大変な失態を転校一週間目にしてやらかしてしまった。それがその日たまたま間の悪いことに所持していたのか、恒常的に毎日所持していたものなのかは、今以って定かではない。

 その事件の日、折りよく登校して来たところだった俺も現場を目撃したのだが、正統派アイドルからアーティストと呼ばれるような歌手、教育番組で活躍中だったとある子役の少女、はたまた、どうして購入できたんだというヌード写真集に類する――つまり、エロ本に至るまで、実に様々なものが昇降口の床を彩っていた。

 無論、全ての生徒が現場を目撃したわけではないが、噂は瞬く間に学校中を駆け巡り、折笠ミカゲという人物像は始業式から一変することになる。とりあえず大半の女子からはそっぽ向かれ、そのテの話題が大好きな一部の男子に大変好かれるようになったとかなんとか。

 人の噂も七十五日。あれから半年が過ぎ、夏休み明けには、神楽坂リオという超絶美少女が二年生に転校してきたこともあって、その先輩のことは話題にも上らなくなったのだが――

「たのもーッ!」

 昼休み。道場破りよろしく折笠ミカゲがやってきた。

 どうして、そんな脛に傷を持つ先輩が俺たちのクラス、二年四組を尋ねてくるのかが分からない。いや、心当たりは、俺にはある。今朝、顔を見た瞬間に脱兎の如く逃げ出したという心当たりらしきはあるが、ただそれだけで俺たちのクラスに来る理由にはならないだろう。と思う。

「うわっ……」

「アイドル先輩が何の用だよ……」

 そういえば、『アイドル先輩』というあだ名が少なくとも下級生の間では流行っていた。『アダルト先輩』や『ロリコン先輩』じゃなくて良かったなと他人事ながら思ったものだ。

 昼食を終え、グラウンドに遊びに出たり、体育館に運動しに行ったり、彼氏彼女持ちの連中は校内の人気のない場所にふけてみたりと、半数ぐらいが居残っていた教室の中がアイドル先輩の出現によって俄かに騒がしくなる。

 アイドル先輩は自身の目当てを探し――俺でないことをひたすら祈るが――入り口のところで、あまり綺麗ではない二年四組の教室を見渡していた。俺は寝たフリをして机に突っ伏し、顔を隠す。

「ねー。アイドル先輩が来てるよ……?」

 くいくい、と。

 カナカが俺のシャツの袖を引っ張ってくる。

(バカッ、お前!)

 それでも当人はこそっと行動したつもりなのだろうが、カナカの席は窓際。俺の席は廊下側。人が半分以上減っている室内では、その移動が目立たないわけがない。とりあえず戻れと、顔を上げたその瞬間、

「見つけたぞッ!」

 やっぱり俺だったらしい。ずかずかと教室内に乗り込んできたアイドル先輩は俺の腕をしっかりと掴み、にやりと唇の端っこを吊り上げた。

「あいつ、アイドル先輩と仲良かったのか。意外だな」

「桜庭くんって、アイドル好きだったんだぁー」

 クラスメイトのひそひそ話がやけに大きく聞こえる中、俺は引き摺られるようにして廊下に出た。何となくだろうけれど、カナカも後から付いて来る。引き摺られるようにとはいったものの、半分は居た堪れなくなってという面もあった。

「……なんスか、先輩。どこへ行くんだよ」

「いいから来い」

 ここでもまた、ひそひそ、ひそひそ、と。

 教室の居た堪れない雰囲気に耐え切れなくなって廊下に出ても、今度は違うクラスの生徒に後ろ指を指されるような感じ。

 写真集ぶちまけ事件は自業自得だと思いつつも、その後、折笠ミカゲは不登校になるわけでもなく、俺が知る限りは涼しい顔をして毎日登校してきている。それを思えば、この先輩の胆力は大したものだった。俺が同じ立場だったら確実に引き篭もっている自信があった。

「あの、先輩が求めるようなレア写真集は持ってないすよ?」

「うっせえっ! 俺が四六時中、写真集を所持してると思うな!」

 ぎろん、と。物凄い形相で振り返ってくるアイドル先輩。

 転校初日にその顔をしていれば、写真集に関係なく女子にはモテなかっただろうなと思いつつも反省はした。冗談のつもりだった。しかし、冗談でも触れてはならぬところだったらしい。まぁ、考えてみれば当然か。

 校内の好奇の目に晒されながら、アイドル先輩に連れられてやってきた場所は第一校舎と第二校舎の間にある三階の渡り廊下。それぞれの校舎の屋上は立ち入り禁止となっているため、屋根がなく解放的なこの渡り廊下を溜まり場としての用途に使用する生徒は多く、全く人がいないわけではない。いや、昼休みなんて時間帯はむしろ多いのだが、

「めずらし。誰も居ないなんて」

 カナカが言うように、今日はたまたま誰も居ないようだった。まぁ、アイドル先輩が来ることを敏感に察知して、蜘蛛の子散らすように逃げていったということも考えられるが、

(だとしたら、よっぽどだなー)

 恐るべし、アイドル先輩のネームバリューと思いつつ、天候もそこまで悪いわけではないのに誰もいない校内の人気スポットは少しだけ異様にも見えた。

「さて――」

 渡り廊下に人の気配がないことを変に思ったのかどうかまでは分からなかったが、その辺を一瞥した後、くるりと踵を返し俺とカナカのほうへ向き直るアイドル先輩。

「最初に言っておくべきことがある」

「何でしょう」

「俺は別にアイドルが好きではない」

「そうですか」

 すぐに訪れる静寂。

 グラウンドからの歓声、国道をひた走る車の走行音など、いつも聞こえる日常的なものは俺の耳にも、そしてアイドル先輩の耳にも届いていただろうから完全な静寂とは言い難いが、それでもそう表現して差し支えのない冷たい空気が俺たちの間に横たわった。

 だって、俺にしてみれば、だから? 程度の話だ。それ以上、何のリアクションをしろというのだろう。

 ああ、いや。分かったぞ。

「そうか、アダルトのほうですね?」

「違うわッ!」

「じゃあ、ロリコン……?」

「お前ェ……」

 こともあろうに、更に怒りを買ってしまったらしい。静寂に耐え兼ねて思いついた切り返しは絶妙だと思ったのに。しかし、先の反省が生かされていないことに後から気付いた。我ながら残念だった。

「いや、いい。本題はそれではない」

 痙攣止まぬこめかみに、深淵を思わせる深呼吸。マグマを飲み込むために多大な努力を用いたアイドル先輩は、上辺だけは何とか取り繕い、話を切り替えてくる。

「お前が今朝、通学路で呟いてたリオ――二年の転校生、神楽坂リオで間違いないな?」

 なるべく表情には出さないように努め、訝しむ。

 確かに当初のアイドル先輩同様、物凄い美形が転校して来たと話題になったのだから、上級生がその名を知っていてもおかしくはないだろう。が、たまたま通学路で聞いたその名前だけで、昼休みに下級生の教室まで押しかけるその目的は何だろうか。

「変なアイドル先輩だねぇ。リオなんて名前、滅多にあるものじゃないのに」

 ぼそりと、カナカ。

 アイドル先輩の耳には届かなかったようだが、心の中で相槌を打っておく。そう、名前だけならわざわざ確認を取るまでもないだろうと言うことだ。だから、これにはまだ続きがあると考えていい。表情には出さないように努めていたが、その沈黙は警戒の色と取られたらしい。

「不躾すぎたか。すまない。その、怪しい者じゃないんだ」

「怪しい者は大抵そう言うんですけど」

 それに、下級生が勝手につけたあだ名とはいえ、アイドル先輩の怪しいラベルはどう説明するつもりだ。

「俺は訳あって、彼女を探している。ここ最近、とんと見かけないからな。何か知ってることがあったら教えて欲しいんだが――」

「写真撮影ですか?」

 口にしてからしまったと思った。またまた反省が生かされていなかった。横でカナカは腹を抱える勢いで吹き出しているし、アイドル先輩は顔を真っ赤にしてぶるぶると全身打ち震えていた。

(うん、なんだ。イジりやすい雰囲気の先輩が悪いんだな。気をつけよう)

 しつこいと、取り返しの付かないことになりそうだ。

 あまりの憤怒のためか、イケメンたる造詣が崩れて泡吹きかけてる――既に取り返しの付かないことになってそうにも見えた。

「な、なぁ、少年よ。俺にも我慢の限度ってモンがあるんだ……」

「少年って」

 ひとつ年上というだけで、変な言い方をするアイドル先輩だ。そう思った瞬間、身体にどんと衝撃を感じて――それ自体はカナカが身を寄せてきたからなのだが――彼女は若干怯えた様子で俺たちの後ろにある第一校舎への入り口を指し示していた。

「ソ、ソウタ……」

 カナカの視線を追って、言わんとしていることを理解する。

 二人の男が立っていた――ただ、そこまでなら良かったが、揃って見慣れぬ黒い服を纏い、かなりの大柄。高校生なんてものじゃない、鍛え上げられた大人の体格。服装にしても、そう。詠高は黒いブレザーだが、あれは遠目からして全くの別物。ブラックレザーのような光沢を放ち、動き易さを第一に誂えられた、まるで要人のSP、そうでなければ、ゲームの中の暗殺者のような出で立ち。

「ちっ」

 アイドル先輩は唾棄しながら自身の背後――第二校舎への入り口を見やる。いつの間にか、そこにも同じ出で立ちの偉丈夫が二人、通せんぼしていた。

 つまり、俺とカナカ、アイドル先輩は左右に逃げることが出来ない三階渡り廊下で、挟み撃ちにされたことになる――のだが、

「おい。ここ、学校だぞ……」

 校内に外国人傭兵部隊のような輩が徘徊しているという、このおかしな状況は一体どういうことか。

 いや、そもそもおかしな状況と言い出せば、この渡り廊下からしてそうだ。いつも遠目に眺めるだけだったけれど、悪天候でもない限り、休憩時間に生徒の姿が絶えることのないこの場に人っ子ひとりいないときから、何かがおかしかった。

「アイドル先輩……アンタ、まさか……」

 脳裏に浮かんだのは、まずその疑いだった。

 俺とカナカはアイドル先輩によってこの場に連れて来られただけ。ここでは本来あるべき人目が全く在らず、間もなく学校に似つかわしくない屈強の男どもに囲まれてしまった。

 これでは、目の前のイケメンの仕業ではないと思うことのほうが難しい。

「俺が手引きしたとか、勘違いするなよ少年」

 はっきりと口にはせず、疑いの眼差しを向けただけで、こちらの考えを的確に読み取り、即座に否定してくるなんて尚のこと怪しい――とまでは考えすぎだろうか。

 ほとんどしがみ付くような形で、カナカが更に身を寄せてくる。俺とアイドル先輩が水面下で腹の探り合いを繰り広げている間に、第一校舎側の黒尽くめが接近してきていたためだ。

「リオの差し金、か……? 可愛い顔してやることキツイよな」

 苦し紛れの自己弁護のようにも聞こえるが、どうだろうか。疑い出したらキリないのは確かだが。

 しかし、黒尽くめの行動によって、アイドル先輩の言葉はある程度裏付けられることになった。彼らは俺とカナカには一瞥さえくれず、素通り。問答無用でアイドル先輩を捕まえようと、右側の男が筋骨隆々の腕を伸ばす。

 線の細いアイドル先輩がその腕を邪険に払うところまでは、いわゆる日常的な中の一コマといえたが、そこから先はもう映画の中の世界。突然、加速するように左側の男が掴み掛かろうとして、ほぼ直角に振り上げられたアイドル先輩の足がカウンター気味に相手の顎にめり込む。

 それと同時、最初に腕を払われたほうの男の動きも加速し、第二校舎のほうを塞いでいた二人までが動き出した。

「おい、面倒なことにならんうちにさっさと教室へ戻れ!」

「面倒なこと、って」

 俺たちのことは彼らの眼中にないようだが、既に面倒なことになっているではないか。

 背後を取られ、羽交い絞めに遭いながらも、それを支点として利用しながらドロップキックを繰り出したアイドル先輩は一瞬の隙を突いてそれを振り解く。

「ソータ……」

 震えが収まらない様子で、か細い声のカナカ。彼女を背中に隠しながら、この場をどうすべきか、様々な考えが高速で駆け巡る。

 どういった理由か分からないが、少なくとも黒尽くめは自分たちに興味はないらしい。だとすれば、アイドル先輩が言うようにさっさとこの場を離れるべきだ。

 ただ、その場合、のっぴきならないこの状況下、得体の知れない屈強な男――しかも、四人――の中に、あの人を置いていくことになる。でも、それは本人自らがそうしろと言い出したことだし、良心の呵責に駆られる必要もない。

(と思えたら楽だよな)

 だったら、先生を呼んでくるというのはどうだろうか。体育教師兼柔道部顧問の小前田辺りなら何とか――そこまで考えて、すぐに思い直した。多分、ダメだ。あの四人はプロだ。何のカテゴリかはさておき、プロだ。体育教師なんて一般人が太刀打ちできる相手とは思えない。

(だったら、どうすんだよ!)

 ならば、頼るべきは警察か。

 というか、そういう話であれば、第一校舎からも第二校舎からもこの三階渡り廊下は丸見えなのだ。それこそ、これを見かけたら誰かがまず先生を呼んで来てくれてもいいはずなのに、そんな気配さえない。廊下を歩いている他の生徒たちは確かにいるのだが、まるで向こうからこの騒ぎが見えていない様子。

 その違和感は、俺があまりにも軽い扱いを受けた昨日の状況に良く似ていた。何故そう思ったのかは分からなかったけれど、人がいなかった渡り廊下という空間に、明らか学校関係者ではない連中による大立ち回り。これだけのことが起こっているのにも拘らず、外野は無関心、無反応。もしくは、軽薄。

(なんで――)

 もはや、リアリティがない。

 現実味のない中でそれを求めるなという話だが、もうその一言でしかなかった。

 これじゃ、まるで――

(ゲームって言われた異界金星のほうがリアリティあったぞ)

 息を呑む。

 街のNPCも普通の人間と話しているように違和感ないものだった。よっぽど拘りを持った、無駄に高度な人工知能が搭載されているのだと思っていた。

 しかし、あるいはアイテルの街が現実で、詠高は虚構のような――

「……タ! ソータッ!」

 カナカに揺さぶられ、思考が中断する。

 そんなプロたちを相手に、器用に立ち回っているアイドル先輩だったが、腕を後ろに取られた後、首根っこを掴まれ、ついには、地面に押し倒されてしまった。あんなのが四人で圧し掛かられたら、アイドル先輩に打つ手はない。

「カナカ! 職員室だ!」

「えっ」

「先生呼んで来い、それから――」

 この期に及んで、通報と言うのは躊躇われた。詠高の体面なんて知ったことではないが、半月ほど前にも図書室からの小火でちょっとした騒ぎになっているのが気に掛かったのだ。短期間ではあったが、マスコミも押しかけて来て大変ウザったかったから。

 とにかく、カナカを第一校舎のほうへ押しやり、早く行けと促す。

「おい、オッサンども! いい加減にしろッ!」

 黒尽くめのひとりに掴み掛かり、アイドル先輩から引き剥がそうと試みるも、突き飛ばされあえなく尻餅、転倒。落下防止の柵に後頭部を打ち付ける。

「つっ……」

「ソウタッ!」

 あのバカ、まだ行ってなかったのか。

 逃げろと叫んだアイドル先輩の気持ちをちょっとだけ理解する。

「早く行けっつの!」

「で、でも……」

 カナカの躊躇は無視。拳を握り締め、もう一度、アイドル先輩に殺到する黒尽くめに向かう。

「ちょっとイラっときたぞ、オッサンども!」

 次の瞬間、俺の叫びに呼応するかのように燃え上がる拳。

 それはけして比喩的なものではなく、確かな炎が握り締めた右拳に宿っていた。熱くはない。それどころか、際限なく湧き上がり、全身に浸透していく物凄い力を感じる。

 昨夜、銀の塔でリオが【フラムマ】と呼んだあの魔法と同じだった。

「らあああああああああッ!」

 ――もう、何がなんだか分からなかったが、細かいことは、後。

 黒尽くめのひとりの脇腹へ差し込むように拳を潜り込ませ、横に殴り飛ばす。先程のお返しとばかりに転倒させた後、次の黒尽くめの襟首を掴み、引き剥がした。

(俺スゲェ……)

 恐慌交じりの自画自賛も束の間、残った二人は俺から、そしてアイドル先輩からも距離を取り、視線で牽制しながらひそひそと何か耳打ちを始める。その間に俺が引き摺り倒した二人も合流し、ついには一言も発することなく黒尽くめ全員が第二校舎側から退散して行った。

「……なんだったんだ、いったい」

 と、呟くと同時、

「ソータ――ッ!」

 今度は俺が後ろから拘束される番だった。

 結局、職員室に逃げ込まず、最後までそこにいたのかカナカの奴。

「ふぅ。助かったといえば、助かったんだが……少年、まんまとリオの手の平だな」

 よれよれになったブレザーを戻しながら、アイドル先輩がぼやく。

「魔法のことか?」

「それもだけど……まぁ、いい。どうせ俺がいる限り、リオは姿を見せないだろうからな」

「今日も休みだったみたいだな」

 これは今日の一時限と二時限の間の休み時間中に知ったことだが、ここ数日、神楽坂リオは学校を休んでいるらしい。隣のクラスの友人に確認したことだから、間違いはないだろう。

「何かあったら三年二組まで来い。相談に乗ってやる」

「いや。まかり間違っても、先輩を訪ねるなんてことは――」

 同類と思われたら嫌だし。なんて俺の返事を聞くまでもなく、飄々とアイドル先輩は黒尽くめらが退散して行った第二校舎のほうへと消えていく。

(……大丈夫、なのか?)

 あとは、羽交い絞めというか、背後からベアハッグしたまま離してくれないカナカをどうするのかという問題が残る。

 なだめるには、若干の時間を要しそうだった。



「――エクスターミネーションフレア?」

 天気予報は大外れ。

 覆っていた雲が晴れ、空が見事な夕焼けを醸し出した放課後。

「大虐殺とか物騒だろうが」

「じゃあ、カイザーフレイムなんてどうかしら。シンプルでカッコイイと、私は思うのだけど」

「名称の問題じゃないんだが」

「もうあたしには神楽坂リオが何考えてるのか分からないよ……」

 ここまで来ると本当に違和感だらけなのだが、不審者による昼休み渡り廊下事件など無かったことのように午後の授業が終了した。しかし、そのときから予感はしていたのだ。全ての疑問は超絶美少女が解決してくれるのでは、と。

 今日は付き合わなくてもいいと俺は断ったのだが、カナカは今日も部活を休むことに決めたらしく、二人で校門をくぐったところで、ある意味、案の定、夕焼けの中、輝くブロンドを風になびかせ、とても様になっているリオの待ち伏せに遭遇した。

 遭遇したのだが――

「笑止。名前は大切よ。言霊ってご存知かしら? はっきりと言葉にすることにより、初めて力を持つものだってあるわ。必殺技と銘打って、共に叫ぶだけで威力が二割増しされそうな感じがするじゃない」

「いや、俺は現実の世界で魔法が発動したことを疑問に思って聞いてるんだけど。あと、お前のことを聞きたがってたアイドル先輩と、アイドル先輩を襲撃に来た黒尽くめのことな」

 アイドル先輩のくだりでリオは眉を潜め、顎に手を当ててブツブツと何かお経のように独り言を始めた。彼女は彼女であの男に対し、何か思うところがあるのかとしばし様子を見守っていると、

「そう、ね……」

「リオ?」

 溜め息のように言葉を紡ぐ。

「……ギャラクシアンエクスプロージョンは?」

「銀河爆発とか、漫画じゃねぇんだよッ!」

 周りの下校生が何事かと、一斉に視線を投げ掛けて来る。カナカは恥ずかしそうに顔を伏せ、リオはそれでも威風堂々と涼しい顔をしていた。

「仕方がないので、とりあえずソウタくんに話を合わせてみるけど――」

「お前は一体何様だ」

「アイドル先輩って、誰かしら」

「は?」

 一、二年生の間で、あれだけ有名なアイドル先輩を知らないとは、モグリ過ぎるんじゃないか。

「知らないのかよ」

「いえ、たまにその名前は聞くわ。でも、誰のことを指しているかまでは知らないわね」

「アイドル先輩のほうは旧知の仲って感じだったけどねー?」

「そうだな」

 と、カナカの言葉に頷いたところで、ふと彼女がこの学校に転入してきた時期を思い出した。アイドル先輩という名を冠せられるようになった昇降口の事件は今年の四月。リオが転入してきたのは、夏休み明け、今年の九月。

「あ、そうか。あだ名だけが先行してしまってるのか――」

 それならば、知らなくても無理はない。

「折笠ミカゲっていうイケメンだよ。三年二組の」

 その名を聞いた瞬間、リオは肩を竦めて見せ、

「なるほど。ミカゲタンのことだったのね」

「ミカゲタン、て……」

 真面目な表情のままタン付けするものだから、思わず吹き出してしまった。

 ミカゲちゃんと同じ用途で用いられる接尾辞ではあるが、主にネット界隈でのスラングだと思っている。そんなものとは無縁そうなリオが使用するのは、少しばかり意外だった。

「ミカゲタンがどうかしたのかしら。出来れば、ソイツの話題には触れたくないのだけれど」

「本当に知らなかったのか?」

「何を」

「アイドル先輩が折笠ミカゲであること」

「当然よ。何を根拠にソウタくんは突拍子もないことを言うのかしら」

「いや……いい」

 別に根拠などないが、ソイツ呼ばわりが気に掛かり、実は知っていて知らない振りをしたんじゃないかと思っただけだ。折笠ミカゲの名前を出した瞬間の彼女の反応と併せて、少なくとも仲睦まじいなどとは呼べない間柄なのだと悟った。

「そうね……あえて言うのであれば、ミカゲタンと私の関係は、ストーキングする側とされる側といったところね」

「え……?」

「私の行く先々に現れては、私のしたいことをあの手この手で妨害してくれる虫ケラのような奴よ」

「いや、待て。何言ってんだお前」

 悟ったまではいいが、そこまでとは思っていなかった。それって、おそらくは犯罪の領域に足を突っ込んでいると思うのだが、何をフラットなまでの表情で語ってるのだろうリオの奴。

「ああ。ミカゲタンといえば、チーズケーキが食べたくなってきたわね」

「あ、いいねー。駅前のケーキ屋さん!」

「いやいや、待て待て。何言ってんだお前ら」

 今ここで、名前が同じ「ミカゲ」――正確には、漢字で「御影」だが――というだけで駅前のケーキ屋の話を始めるのはごく自然な流れなのだろうか。

 場合によっては甚大な被害を被りかねない重大なことを話しているはずなのだが、言葉通り害虫が飛び回ってて五月蝿い程度のニュアンスでしかないし、この女子高生どもの反応を見てると、おかしいのは自分のような気がしてくるから不思議。

「――えっと。そうね。そのお昼休みにミカゲタンを襲撃した黒尽くめの話であれば、確かにそれは私の差し金ね」

 けろりとした表情で、リオは続ける。

「先にも言ったけれど、事ある度に邪魔してくれる奴だから、そろそろこの辺で拘束しておかないと後々禍根を残すかしらと思い、私兵を使わせてもらったわ」

「そうもあっさりと言ってのけることなのか。それ」

「いえ……なるほどね、得心したわ。魔法を扱う現地人の妨害にも遭ったという報告を得ていたのだけれど、それがソウタくんだったのね」

 話は繋がったといわんばかりに、リオはぽむっと両手を叩いた。

 が、次の瞬間、

「なんてことしてくれたのかしら?」

「知るかよッ!」

 ソウタの行動が結果的にリオの不都合だと知れると、リオは手の平を返したように冷たく呟く。

「奇襲は初回だから効果があるのよ。警戒されてしまったらもう次はないし、奇襲とも呼べなくなる」

「だから知るかよッ!」

 ろくに情報を持っていなかったあの場面で、アイドル先輩ではなく黒尽くめに加担する――なんて判断は、誰だったら出来たというのだ。

「まぁ、いいわ。さて、ソウタくんの魔法については、現地に向かう道すがら話すとしましょうか」

 まるで、アイドル先輩――折笠ミカゲのことなど取るに足らないといわんばかりの様子で。

 リオは「付いてきて」と、昨日と変わらぬ抑揚でそう言った。



「――人間の脳は全てが使われているわけではなく、眠っている部分が多いって話は知っているかしら」

 いつもなら国道を横断するところを、リオの先導で左折。二車線のそれに沿うように、十分にスペースが確保された歩道を北へ向かう。

 詠高から北側はしばらく田んぼ及び畑が風景の中に登場し、国道沿いを意識した大きな駐車場要する店舗――主にフランチャイズの飲食店――がまだらに軒を並べる場所だった。定期試験や文化祭などのイベント前に大勢で詰めかけ、ドリンクバーだけで長居させてくれるファミレスや、大盛り無料学割を謳うラーメン屋には本当に頭が上がらない。

 そして、それらを乗り越えると、行きつく先は豪邸の立ち並ぶ高級住宅街だった。詠高はいわゆるところのセレブが通うような学校でもなければ、有名な進学校でもなく、自由な校風と生徒の尊重を重んじる普通の高校なので、その辺りの層がこちらに降りてくることはあまりないし、詠高生がそちらに足を運ぶことも、まぁ、無い――はずなのだが、リオの足は完全にそのブルジョワな住宅街へと向いている。

「実際稼動している脳細胞はたったの数パーセントで、眠っているものが目覚めれば超能力が使えるようになるかも。なんて話か?」

「ええ、その通りよ」

「へええぇ! すごいね、人間の脳って」

「確かに超能力が発現するとか、熱い話だよなー」

「……まぁ、その俗説は二十一世紀になって否定されているのだけれどね」

 話を振って、盛り上げて、最後に冷水をぶちまけるというのは、もはやリオの得意技といえそうだ。

「脳の中で働く細胞と言われる神経細胞は、脳全体の一割程度に落ち着くらしいわ。残りはグリア細胞と呼ばれ、神経細胞の五十倍は存在しているとされながらも、その働きが解明されていなかったの。そのため、グリア細胞は神経細胞を支えるためだけの従属的な存在とされ、使われていない細胞などと不名誉なことを言われたのね。だから、神経細胞だけが働いている細胞として計算されると、たった数パーセントしか動いていないなんて計算になったのよ。現在でもグリア細胞の働きは完全には解明されていないけれど、グリア細胞はグリア細胞で独自のネットワークを持ち――」

 ぶしゅう、と音を立てたかどうかは知らないが、またもやカナカが乾いた笑いを上げて、機能停止状態に陥った。油断すると車道に落ちそうな彼女の腕を取りながら、ぺらぺらと解説を続けるリオに向かって叫ぶ。

「リオ。おい、リオってば!」

「なにかしら」

 遮られたことを若干不服に思ったリオが不機嫌に振り返ってきた。

「ご高説痛み入るけど、脳細胞の話は魔法と何か関係あるのか?」

「直接はないわね。そんな俗説と混同されたら困るかなって」

「お・ま・え・は……ッ!」

 これは怒りだ。有り体に言って、憤怒だ。

 話の芯を捉えるスキルは備えているくせに、わざとそこを外しているとしか思えない。肝心の「魔法が使えるようになったこと」については、「便利でいいものよ」の一言だけで済まそうとしている。便か不便かではなくて、どういうことだと聞いているのに。

 絶え間なく乗用車が行き交う中、二十分ばかり歩いていると、周りが変化してきて本当に高級住宅街の様相を醸し出してきた。ここからは、俺もカナカも未知と言っても過言ではない地域である。自宅から徒歩圏内とはいえ、昔は田んぼと畑しかなかったこの辺りがそんな風に様変わりし始めたのは、ここ四、五年のことだ。

 この国道は最終的に首都圏へ通じるのだが、この辺りが住宅地として開かれたのは都会に程々近く、閑静なベッドタウンとしての有用性が認められたからなのだろうと思っている。

「さて。ここよ」

 いつの間にか国道から逸れ、脇道に入ったところで彼女は立ち止まり、立派な門構えの白い大きな邸宅を促した。巨大な黒い鉄柵の門からして圧倒されるのだが、一目見て高級そうな石の表札には「神楽坂」の文字が。

「こ、ここ。リオん家なのか……?」

「失礼ね、ソウタくん。そんなわけないでしょう」

「いや。表札に神楽坂とあるから、てっきりさ――」

「神楽坂家のよ。ここ」

 こんな小さな屋敷が自宅であるわけがないと続けられた日には、誓って普段そんな趣味はないのだけれど、一発ぐらいぶん殴らせてもらってもいい気がする。

「ちなみに、四番目なのよ」

 二発ぐらいぶん殴らせてもらってもいい気がする。

 俺とリオがそんなやり取りをしている最中でも、カナカはあんぐりと口を開けて四番目の別荘と称された豪邸を見上げるだけ。

 そうこうしているうちに巨大な門がひとりでに開き始め、中から現れたふたりの黒服が速やかにリオの左右に立ち、彼女を出迎えるように頭を下げる。先にリオが白状した内容を裏付けるかように、当人かどうかまでは分からなかったが、昼休みにアイドル先輩を襲撃した連中と全く同じ格好だった。

「さぁ、入って」

 そんな黒服には一瞥さえくれることなく、涼しい顔で門をくぐるリオ。すると、どこにそれだけの数の人間が潜んでいたのか、今度は門から玄関までのアプローチを黒服たちが整列して取り囲んだ。

 その様子は荘厳とか、華麗とかいうよりも、ただただ重苦しい。

「もはや仁侠映画の世界なんだが……」

「何を馬鹿なことを言ってるの。ソウタくん」

 本当の金持ちっているんだなぁ、としみじみ思う。カナカは身を縮めて、借りてきた猫のようにひっそりと後を付いてきていた。門から玄関まで相当な距離があり、整列したまま身動きひとつしない黒服たちの数だけ生まれによる無常さを思い知らされる気分だ。

(うちも金持ちならなー)

 取り立てて、強い不服があるわけではなかったが。

 俺を育てるため、今も仕事を――海外で――頑張ってる両親に不満があるわけではなかったが。

 黒服たちのアプローチの最後、玄関の扉前でひとりの男が立っていた。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 執事だった。

 白髪の、白髭の、燕尾服の、初老を越えた辺りの、リアルな執事だった。そんないかにもな人物、初めて見た。

「ただいま、服部。例のものは?」

「はい、変わらず」

 そうして、リオが服部と呼んだ執事が玄関の扉を開く。

 外観から容易く想像出来るだだっ広いエントランスホール。初めて本物を見た気がする見事なシャンデリアに、絵に描いたような大階段があって。

 そこは俺の家の階段同様に光の靄に包まれて、半ばから消滅していた。

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