03 極悪バニーのキックマッチ
第一試合が犬飼京菜の一本勝ちで終了したのちも、試合は粛々と進められていった。
第二試合はフライ級の中堅選手同士の一戦で、これは加藤選手の勝利である。一ラウンド目はどちらも手堅く試合を進めていたが、第二ラウンドで加藤選手がインファイトを仕掛けて、怯んだ相手をフェンスに押し込み、テイクダウンを奪取して、最後は腕ひしぎ十字固めで勝負を決めた。打撃技、組み技、寝技と、すべての面で確かな力を示した、堂々たる一本勝ちである。
第三試合はストロー級の中堅選手同士の一戦で、格上の奥村選手が勝利する。奥村選手は小柴選手を圧倒したこともある実力者であるのだ。鞠山選手がトップファイターに成り上がった現在、彼女こそが中堅選手の筆頭格であった。本日も勢いのある打撃技で相手を追い込み、最後はマットに押し倒してパウンドを振るい、レフェリーストップのTKO勝利である。
ここからは、瓜子も灰原選手のウォームアップを手伝いつつ、横目でモニターを確認する。
第四試合は、トップファイターの前園選手が無事に中堅選手を下した。天覇館の所属である前園選手は得意の打撃技で相手を追い詰めて、最後はレバーに膝蹴りを叩き込み、貫禄のKO勝利であった。
そして第五試合は、それぞれのび悩んでいる武中選手と白木選手の一戦であったが――こちらもまた、なかなか白熱していた。ストライカーである両名は熾烈な打撃戦を展開しつつ、時には組み技の攻防も織り交ぜて、一進一退の様相を呈していたのだった。
これはきっと、白木選手を褒めるべきであるのだろう。武中選手は奥村選手を下したことで、トップファイターと認められたのだ。灰原選手、鞠山選手、山垣選手と、他なるトップファイターに敗北を重ねてしまったため、ちょっと苦しい立場ではあったものの、白木選手はその奥村選手にも勝利したことがなかったのだった。
それに、かつては白木選手も山垣選手の調整試合に駆り出されて、これに敗北している。《カノン A.G》の騒乱において、イリア選手との対戦オファーを断って以来、白木選手はMMAに対する熱情が減退してしまったようで、このまま武魂会の活動に集中するのではないかと囁かれていたのだった。
しかし彼女は《フィスト》や《NEXT》に戦いの場を求めて、それに勝利した。そして《アトミック・ガールズ》に戻ってきて、トップファイターたる武中選手に挑むことになったのだ。そして今、武中選手と互角の試合を見せているのだった。
そうして両名はおたがいに小さからぬダメージを負いつつ、最終ラウンドに突入する。
そこで新たな展開を見せたのは、武中選手のほうであった。彼女は何度目かのインファイトを仕掛けつつ、ここぞというタイミングで胴タックルを決めて、この試合で初めてのテイクダウンに成功したのだ。
武中選手はパウンドの嵐を降らせて、白木選手をTKO寸前まで追い込んだ。
しかし白木選手は執念でグラウンドから脱して、再び打撃戦に持ち込んだ。大きなダメージを負った白木選手と大きくスタミナを削った武中選手で、最後のインファイトが繰り広げられたのだ。
そこで勝利をつかんだのは、武中選手であった。
彼女はパウンドの乱打でスタミナを使い果たしたかと思われたが、執拗に攻めたてる白木選手の攻撃をかいくぐり、右アッパーをクリーンヒットさせて、KO勝利を奪取したのだった。
白木選手は、けっきょく勝利することができなかった。
しかし、ケージを下りる前に武中選手と握手を交わした白木選手は、あちこち赤く腫らした顔で満足そうに微笑んでいた。それに対して武中選手は、笑いながら涙をこぼしていた。
「いやー、今のはいい試合だったね! 地味めなカードが多いとか言っちゃって、申し訳なかったなー!」
「だから、そういう話を大きな声でするんじゃねえよ」
四ッ谷ライオットのサブトレーナーに頭を小突かれつつ、灰原選手も満面の笑みであった。昂揚したあまり、周囲への気づかいを忘れてしまったようだ。
しかし瓜子も身をつつしみつつ、灰原選手と同じ感慨を噛みしめていた。前半の五試合は、いずれも素晴らしい内容であったのだ。しかもプレマッチの二試合を含めて、いずれも判定までもつれこむことなく決着がついていたのだった。
「今日は、守りに入る選手が少ないよな。もしかしたら、猪狩さんや桃園さんに触発されたのかな」
「ええ? さすがにそんなことはないと思いますけど……」
「でもきっと、大勢の人間が《ビギニング》の試合を観てるだろうからな。大晦日の試合は確実だし、あれを観たら次の試合だって観たくなるだろうしよ」
四ッ谷ライオットのサブトレーナーは陽気に笑いながら、そんな風に言っていた。
まあ、その真相は定かではないし、当事者たちに聞いて回るわけにもいかない。瓜子としては、《アトミック・ガールズ》の興行が盛り上がっていることを喜ぶばかりであった。
「おー、キヨっぺ、お疲れー! 最後は意地を見せたねー!」
武中選手が戻ってくると、灰原選手が笑顔でハイタッチを求めた。
武中選手は腕を持ち上げることさえしんどそうであったが、やはり笑顔でそれに応じる。彼女も白木選手に負けないぐらい、大変な面相になっていた。
「白木選手は、強かったです! また《アトミック・ガールズ》の底力を思い知らされた心地でした!」
「うんうん! あたしもいつか、あいつとやりあってみたいなー! もちろん。キヨっぺともねー!」
「はい! わたしが結果を出せば、対戦のチャンスが生まれるはずです! 灰原さんもわたしが追いつくまで、誰にも負けないでくださいね!」
そうして熱い交流を交わしたのち、灰原選手の陣営は入場口を目指すことになった。
前半戦の五試合を終えて、会場は十五分間のインターバルだ。その時間、灰原選手はウォームアップの締めくくりであった。
灰原選手はバニーガールを模したレオタードとロングスパッツの姿で、八オンスのボクシンググローブをはめている。キックマッチに挑むのは昨年の《レッド・キング》のエキシビションマッチ以来で、公式試合は初挑戦だ。それで相手が《トップ・ワン》のトップランカーというのは、よくよく考えれば過酷なマッチメイクであった。
「しかも相手は、足クセの悪いアウトファイターだ。ローもしっかりカットするんだぞ? 足を潰されたら、一巻のおしまいだからな」
「わかってるって! あたしこそ、華麗なステップで相手を翻弄してみせるよー!」
どれほど過酷な状況でも、灰原選手に怯むという概念はない。また瓜子も、地力は灰原選手がまさっているものと確信していた。
(でもこれは、キックルールだからな。どこに落とし穴があるかわからないし……一番こわいのは、やっぱりローかな)
MMAとキックの打撃技でもっとも勝手が異なるのは、やはりローキックであろう。MMAでは組み技を警戒して、全力のローを打つ機会もくらう機会も少ないのだ。MMA仕込みのチェックでしのごうとしたならば、すぐさま足にダメージを溜めてしまうはずであった。
しかし灰原選手には、相手選手に負けないぐらいのステップワークとパンチ力がある。ローをくらわないまま有利に試合を進めることも、決して不可能ではないはずであった。
「インターバルが終わりました。間もなく入場です」
スタッフがそのように告げると、灰原選手がグローブに包まれた手で瓜子を招き寄せてきた。それで瓜子が近づくと、肉感的な腕で瓜子の肩を抱いてくる。
「どうしたんすか? もうすぐ入場っすよ?」
「いーからいーから! これも、あたしの作戦なの!」
灰原選手は、ご機嫌な顔で笑っている。
そんな中、扉の向こうから灰原選手の入場曲が聞こえてきた。ここ最近の灰原選手の入場曲は、『ベイビー・アピール』の『境界線』である。もちろんユーリが歌うカバーバージョンではなく、本家のオリジナルバージョンだ。
そのイントロが終わって扉が開かれるなり、灰原選手は瓜子の肩を抱いたまま花道に足を踏み出す。
とたんに、会場中から「うりぼー!」という声援がわきたった。
(あ、そうか……その可能性は、考えてなかった)
瓜子は昨年の初頭、愛音のセコンドを務めた際にも、こんな歓迎を受けることになったのだ。迂闊にも、瓜子はその事実を失念してしまっていたのだった。
しかし灰原選手は笑顔のまま、のしのしと花道を突き進んでいく。右腕で瓜子の肩を抱きながら、左腕をぶんぶんと振り回し、むしろ観客を煽っているようだ。それで瓜子は、ようやく灰原選手の言う「作戦」の意味を理解したのだった。
(あたしへの声援を自分で煽ることで、体面を守ってるってことか)
そういえば、瓜子はユーリにセコンドをお願いした際に、逆の立場も味わわされている。そしてそのときの対戦相手が、この灰原選手であったのだ。そんな灰原選手だからこそ、この事態を事前に想定することがかなったのだろうと思われた。
瓜子の名を呼ぶ声は高まるばかりだが、その隙間には「バニー!」「Qちゃーん!」という声援も響きわたっている。
灰原選手が進軍しながら瓜子の頭に頬ずりをすると、さらなる歓声がわきたった。
やがてケージの下にまで到着したならば、ようやく瓜子の身が解放される。
瓜子が恐縮しつつ笑顔を送ると、灰原選手は愉快げに笑いながら瓜子の背中をばしばし叩いてきた。
サブトレーナーの手からマウスピースをくわえた灰原選手はボディチェックを受けて、跳ねるような足取りでケージに入場する。その頃には、瓜子の名を呼ぶ声もずいぶん静められていた。
そして赤コーナー陣営からは、対戦相手が入場する。
瓜子にとっては昨年の九月以来の再会となる、《トップ・ワン》のトップランカーだ。身長は百六十センチ、サウスポーで足クセの悪いアウトファイターであった。
そちらの選手もケージインして、選手紹介のアナウンスがされたのち、レフェリーのもとで両者が向かい合う。灰原選手は四センチほど小柄であったが、肉づきはまったく負けていなかった。ただやはり、引き締まって見えるのは相手選手のほうだ。
大歓声の中、グローブをタッチさせた両者はフェンス際まで引き下がる。
サブトレーナーは無言のままで余裕たっぷりの顔つきであったが、その眼差しは真剣だ。瓜子もまた、めいっぱい集中して灰原選手の背中を見守っていた。
試合開始のブザーが鳴らされて、灰原選手は勢いよく前進する。
アウトファイターである相手選手も、軽やかな足取りだ。彼女は動き回るのではなく、シャープな蹴り技で遠い間合いをキープする手腕に長けていた。
灰原選手は相手の間合いに入る寸前で、ぴょんっとサイドにステップを踏む。
そしてそのまま、相手の周囲を回り始めた。灰原選手こそ、ウサギのように跳ね回るアウトファイターであるのだ。
灰原選手のステップワークは躍動感にあふれかえっているし、歩幅やリズムもどちらかといえば不規則であるため、序盤は優位性を保てるだろう。その間に何発かの攻撃をヒットさせて、ペースをつかみたいところであった。
「灰原選手、まずはジャブから――」
瓜子がそのように言いかけたとき、灰原選手が思わぬタイミングで相手の懐にもぐりこんだ。
相手はミドルのモーションを起こしかけたが、もう遅い。灰原選手の右フックが、相手のテンプルをとらえていた。
その一撃で、相手は倒れ込んでしまう。
灰原選手のパンチは、重いのだ。瓜子と違って拳の硬さやパンチスピードは関係なく、グローブが重ければ重いほど威力が増すようなのである。それは、内側に響くパンチであるということであった。
見事な倒れっぷりであったため、レフェリーも躊躇なく「ダウン!」と宣告する。
開始早々のダウンに、観客たちは熱狂する。そちらに腕を振りながら、灰原選手は悠然とニュートラルコーナーに移動した。
しかし灰原選手がフェンス際に到着するより早く、相手選手は立ち上がる。出会い頭の一発であったので、フラッシュダウンであったのだろう。その身の挙動はしっかりしていたし、その顔には闘争心が煮えたっていた。
「ファイト!」
大歓声の中、試合が再開される。
灰原選手は再びケージ内を回り始めて、相手選手はしっかりガードを固めつつそれと正対した。次こそはカウンターで迎え撃ってやろうという気迫だ。
灰原選手は大股でステップを踏みながら、遠い間合いでリズムを計るように左ジャブを打つ。
そして――やおら大きく踏み込むなり、今度は右ミドルを射出した。
頭部のガードに集中していた相手選手は、それもまともにくらってしまう。
そして相手が苦しげに身を折ると、灰原選手は右ストレートを打ち下ろした。
再びテンプルを撃ち抜かれた相手選手は、身を折ったまま突っ伏してしまう。再びのダウンである。
いっそうの大歓声の中、灰原選手は両腕を振り上げつつニュートラルコーナーに引き下がる。今回は相手もなかなか立ち上がれず、カウントナインでようよう身を起こすことになった。
レフェリーは入念に、相手選手の余力を確認する。
相手選手はまだまだ闘争心をたぎらせていたが、姿勢はいくぶん前屈みになっていた。
「一分経過! 油断すんなよ!」
雑用係である門下生が、歓声に負けないように声を張り上げる。
灰原選手はボクシンググローブの親指を立てつつ、こちらにウインクを飛ばしてきた。
そうして、試合再開である。
相手選手はほとんどクラウチングの姿勢で、顔と腹の両方を守ろうとしている。
軽快なステップで接近した灰原選手は、いきなり右ハイを射出した。
しかし灰原選手はあまり関節が柔軟ではないため、ハイキックは苦手な部類である。鋭さも今ひとつであるため、相手は簡単にダッキングでかわすことができた。
そして相手選手は、不屈の形相で接近しようとする。
自らインファイトを仕掛けることで、流れを変えようという心づもりであろうか。そうだとしたら、決死の覚悟を携えているはずであった。
そんな中、灰原選手はぐりんっと横に旋回する。
これまた、決して得意ではないバックハンドブローだ。それもあっさりと、相手の腕にガードされることになった。
そうしてバックハンドブローをガードされると、相手に半分がた背中を向けた危険な格好になってしまう。瓜子は先週の試合において、その状態から強烈な膝蹴りを撃ち込まれてしまったのである。
バックハンドブローを防がれた灰原選手は「あれ?」という顔をしている。
そんな灰原選手の顔面に、相手選手の右フックが繰り出された。死角からの、危険な攻撃だ。
灰原選手は「うわっ!」と声をあげて、身をのけぞらせる。
その動きと連動して、右の拳が振り上げられた。苦しまぎれの、右アッパーである。
その右アッパーが、相手の下顎を撃ち抜いた。
相手選手は膝から崩れ落ち、そのままへたりこむ。
レフェリーは頭上で両腕を交差させてから、すぐさま相手選手に手を差し伸べて、うつ伏せの姿勢を仰向けに返した。
『一ラウンド、一分十八秒! スリーダウンにより、バニーQ選手のKO勝利です!』
灰原選手はおどけた調子で自分の頭を小突いてから、全速力でケージ内を一周し、そしてフェンスの上に飛び上がった。
そうして灰原選手が両腕を振り上げると、さらなる歓声が爆発する。瓜子の隣では、サブトレーナーが「やれやれ」とばかりに肩をすくめていた。
しかしまた、サブトレーナーも雑用係も、満足そうな笑顔である。
初めてのキック公式戦で、トップランカーを相手に、一ラウンドKO勝利を収めたのだ。しかも灰原選手は完全にノーダメージであるのだから、これ以上の結果は望むべくもなかった。
かくして、灰原選手のサブセコンドを受け持った瓜子は、試合中に何の仕事も果たさないまま拍手を送ることになったわけであった。
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