07 夜の語らい
ユニオンMMAにおける初日の稽古は、午後の七時に終了した。
現在はコンディションを整える最終調整の期間であるので、稽古時間も制限されているのだ。明日からは午前の二時間、午後の五時間というスケジュールで、身体の調子を見ながら加減を決めていく手はずになっていた。
そうして稽古を終えたならば、ディナーであるが――ギガントジムとユニオンMMAの双方から、合同の食事会を持ちかけられることになった。情報交換の場としてもそれは有益であったので、プレスマン陣営のトレーナー陣も固辞することはなかった。
「ホテルの近くに、いい店を見つけたんですよ。ウェイト調整の具合は選手それぞれでしょうけど、どんな状態でもみんな食事を楽しめると思いますよ」
そのように語る山岡氏の案内で、一行は夜のシンガポールに繰り出した。
プレスマン陣営は八名、ギガントジムは男子選手の陣営も含めて十一名、シンガポール陣営は女子選手のみの三名、総勢は二十二名である。シンガポール二度目の夜にして、なかなかの賑やかさであった。
そうして連れてこられたのは、オープンスタイルのレストランである。
敷地内には屋根が張られて、その下にたくさんの座席が設置されている。平日の夜だがなかなかの賑わいで、祭の夜を思わせる活気があふれかえっていた。
「ここはいわゆるオーガニック系のビュッフェレストランで、油や糖質を避けても美味しい料理を楽しめますよ。値段のほうも、ほどほどですしね」
山岡氏の解説を聞きながら、一行は座席に腰を落ち着けた。
同じ陣営で固まっていては情報交換もはかどらないため、人員は適当に分散させる。ただしユーリは瓜子のTシャツの裾をつかんでいたし、そんなユーリのかたわらには愛音がぴったりと寄り添っていた。
「猪狩選手やユーリ選手は、シンガポールの方々とどうぞ。こちらは昨日と一昨日にも、じっくり語らうことができましたからね」
「それじゃあ通訳として、鞠山さんにもお願いできるかい? 俺とジョンは、トレーナー同士で固まらせていただくからよ」
というわけで、こちらのテーブルは瓜子とユーリ、愛音と鞠山選手、シンガポール陣営の三名という顔ぶれが寄り集まることに相成った。サキや蝉川日和は巾木選手や横嶋選手、それに若手のトレーナー陣と同じテーブルだ。
「ユーリさんも、ウェイト調整は順調なんすよね? じゃ、タンパク質を中心に、がっつりいただきましょう」
「わぁい。ビュッフェは好きな料理を選び放題だから、エツラクのイタリなのですぅ」
瓜子とユーリは鶏肉や魚介や豆類や温野菜などの料理を中心に料理を取り分けて、テーブルに舞い戻った。
そうしてあらためて集合すると、ずっと気合の入った顔をしていたグヴェンドリン選手がもじもじしている。鞠山選手が英語で呼びかけると、グヴェンドリン選手はプレスマン陣営の姿を見比べながらぽつぽつと語った。
「今も大事なミーティングの時間であるのは理解しているけれど、多少はプライベートな会話をすることも許されるのか、判断に迷っている。……だそうだわよ。なかなかに愛くるしい乙女っぷりだわね」
「あはは。みんな現役の選手なんですから、放っておいても最後には格闘技の話題に落ち着くでしょう。何も気にせず、好きに語っていいんじゃないっすかね」
すると、ひときわ沈着な面持ちをしたランズ選手のほうがぐっと身を乗り出してきた。
「実は自分も『トライ・アングル』のフリークなので、メンバー三名を目の前にして緊張してしまっている。……だそうだわよ」
「ええ? 『トライ・アングル』のメンバーは、ユーリさんおひとりっすよ?」
「ミュージックビデオに出演しているウリコとアイネも、『トライ・アングル』のメンバー同然だと考えている。三人のキュートな姿には、いつも胸を躍らせている。……だそうだわよ」
「いえいえ……自分なんかは本当に、お刺身のツマですので……あ、ツマって言っても通じないっすかね?」
「ニュアンスだけ伝えておくだわよ。さっきのキュートという言葉も、わたいなりの意訳なんだわよ。……できれば食事の後に、三人のサインが欲しいそうだわよ」
瓜子としては恐れ多いばかりだが、しかしこういう話は赤星道場の合宿稽古や《レッド・キング》の打ち上げなどで体験済みである。グヴェンドリン選手やランズ選手に熱っぽい眼差しを向けられると、とうてい断れるものではなかった。
「それじゃあそれは、食事の後ということで……とりあえず、いただきましょう。今日は、お疲れ様でした」
トレーナー陣は別のテーブルであるし、鞠山選手はあくまで外様であるし、先輩格のユーリはユーリであるので、僭越ながら瓜子が挨拶をさせていただく。七名の女子選手はそれぞれソフトドリンクのグラスを掲げて、食事を開始することになった。
「自分もグヴェンドリンたちから、『トライ・アングル』というユニットの映像を見せられることになった。以前の『アクセル・ロード』でもユーリが音楽活動を行っていることには触れられていたが、ここまで本格的な活動だとは思っていなかったので、とても驚かされた。……だそうだわよ」
そのように語ったのは、エイミー選手である。彼女だけは、熱っぽい眼差しと無縁であった。
「自分は音楽に関心が薄いので、グヴェンドリンたちのように浮かれることはない。ただそれでも、ユーリがとんでもない歌手であることは理解できた。ファイターとしても歌手としてもこれだけの才覚を持っているユーリに、感心している。……だそうだわよ」
「いえいえぇ。ユーリはメンバーのみなさまに支えられながら、よちよち歩いているだけですのでぇ。音楽の才能なんて、なにひとつ持ち合わせていないのですぅ」
「そんな御託は、嫌味にしか聞こえないだわね。……そしてユーリは大晦日の《ビギニング》でも自分を相手にあれだけの実力を見せつけたので、今やシンガポールでもスターとしての座を築きつつある。シンガポールの滞在中は個人行動しないように気をつけるべきだと思う。……だそうだわよ」
「はぁい。ありがとうございますぅ。ユーリはもとより、うり坊ちゃんと一心同体ですのでぇ。……あやや、ムラサキちゃんだって、一緒だよぉ?」
「……はい。愛音は陰ながら、ユーリ様をお守りする所存であるのです」
海鮮スープをすすっていた愛音は瓜子のことをじろりとにらみつけてから、胸をそらした。
「でもやっぱりユーリ様の名は、シンガポールでも轟いておられるのですね。愛音も誇らしい限りであるのです」
「シンガポールでの《ビギニング》の放映は有料のペイパービューだわから、このていどで済んでるんだろうだわね。ただ、『トライ・アングル』との相乗効果で、じわじわ名が売れてきている気配なんだわよ」
それは、鞠山選手個人の見解であった。
まあ今のところ、ユーリも道端でサインを求められたりはしていない。ただその特異な美貌が人目を集めているばかりである。
「シンガポールの格闘技関係者は、みんなユーリとウリコに注目している。このまま《ビギニング》の所属になったら王座も狙えるだろうという評判で、自分も同じ意見を持っている。……だそうだわよ」
エイミー選手がそのように語ると、グヴェンドリン選手やランズ選手も深くうなずいた。
「自分はすでに二回も対戦しているので、しばらく対戦の機会はないだろう。だけど、いつかユーリが王座についたら、必ず挑戦してみせる。……ウリコだったら、《ビギニング》の王者に不足はない。今回のレッカーとの試合で、それを証明してほしい。……自分はロレッタに負けてしまったのでしばらくユーリと対戦する機会はないだろうけれど、ユーリが《ビギニング》と正式契約を結ぶことを心待ちにしている。……ああもう、通訳が追いつかないだわよ」
「ランズ選手は、ロレッタ選手と対戦したんすね。自分も拝見したかったです」
「だから、誰が語ってもわたいの苦労はつのるばかりなんだわよ」
そんな風にぼやきながら、鞠山選手は瓜子の言葉も通訳してくれた。
ランズ選手は、いくぶん意外そうに瓜子を見やってくる。
「どうして階級の異なるウリコが自分の試合に興味を持つのか、不思議に思う。ロレッタはともかく、自分の試合はそれほど多くの人間にアピールできる内容ではないと自覚している。……だそうだわよ」
「そんなことないっすよ。確かに自分はストライカーなんで、ランズ選手の凄さをしっかり理解できてないかもしれないっすけど……でも、ランズ選手は魅々香選手とあれだけの試合を見せてくれましたからね。多賀崎選手をあれだけ苦しめたロレッタ選手と試合をしたらどんな内容になるのか、気になります」
「ミカ・ミドウは、確かに強かった。フライ級の相手に負けるのは恥だと言う人間もいたが、自分は何も恥じていない。ミカ・ミドウが日本のプロモーションで王座を獲得したと聞いたときも、自分は心から納得した。彼女は堅実さと豪快さをあわせもった、素晴らしいファイターだ。……だそうだわよ。あんた、見どころがあるだわね」
鞠山選手はランズ選手のごつい肩をぺしぺし叩いてから、自ら英語で語り始めた。
その内容を聞く内に、シンガポール陣営の三名は驚嘆の表情になっていく。それを満足げに見やってから、鞠山選手は瓜子たちに向きなおってきた。
「わたいたちが日本で合同稽古に取り組んでることを伝えたんだわよ。プレスマンのメンバー全員に、美香ちゃん、真実、マリア、青鬼ジュニア、そして大怪獣ジュニアも加わっていることを伝えたら、たいそう驚いたようだわね」
「え? 他の人たちはみんな『アクセル・ロード』に出場してましたけど、弥生子さんは関係ないでしょう?」
「うり坊とジュニアの一戦は、非公式の違法動画が出回ってるんだわよ。これぞ地上波放送の弊害だわけど……まあ、名前を売る役には立ったようだわね」
すると、グヴェンドリン選手が熱心な面持ちで語り始めた。
「自分もその動画を目にしていた。ただあの試合映像は、早回しなどの加工がされているのではないかという疑いがかけられていた。それぐらい、どちらも人間離れした動きであったように思う。だから自分は、ウリコの真の実力がどれだけのものであるのかと期待をしながら試合に臨み、そして大きな驚きにとらわれた。あの試合映像には何の加工もされていないと、我が身で体験することができたからだ。……だそうだわよ」
「そ、そうっすか。……弥生子さんはともかく、自分ってそんなに人間離れしてたっすかね?」
「ちびっこ怪獣タイムのうり坊は、化け物じみた反応速度で動いてるんだわよ。しかも回転系の技も乱発するもんだわから、見ようによっては曲芸じみてるんだわよ。映像の加工を疑われて然りなんだわよ」
すると、寡黙なエイミー選手も何かを語った。
「その後、自分たちはロレッタを見習って、《アトミック・ガールズ》のDVDを日本から取り寄せることになった。そちらには、ユーリとの試合でヤヨイコ・アカボシの化け物じみた強さが収録されていた。あのヤヨイコ・アカボシに勝利したユーリも十分に化け物なので、自分もいっそう奮起することになったが……それと同時に、ひとつの疑念を抱くことになった。……だそうだわよ」
「押忍。疑念って、なんでしょう?」
「ヤヨイコ・アカボシこそ、正真正銘のモンスターだと思う。彼女は兄であるウヅキにも劣らない怪物であるのだろう。そうであるにも拘わらず、どうして《アクセル・ファイト》にも《ビギニング》にも参戦せず、男子選手相手のショープロレスに励んでいるのかがわからない。彼女はそちらの方面で、MMAファイターとしてよりも大きな富と栄光を築きあげたのだろうか? ……だそうだわよ」
赤星弥生子の簡単な経歴に関しては、かつて『アクセル・ロード』の放映時にユーリや青田ナナのプロフィールとともに紹介されたことがあったのだ。エイミー選手はそこから得られた情報とインターネット上に行き交う情報をあわせて、そのような疑問を抱くことになったのだろう。
瓜子はさまざまな思いを噛みしめながら、なんとか鞠山選手に笑顔を返してみせた。
「……よかったら、鞠山選手から説明してくれませんか? 自分はちょっと……あまり冷静に語れそうにありませんので」
「わたいが語ったら、わたいの主観が入り混じるだわよ?」
「それでも今の自分よりは、客観的な内容になると思います」
鞠山選手は眠たげな目つきでにやりと笑ってから、説明を開始した。
それを耳にした三名は、また驚嘆の面持ちとなる。そうして口を開いたのは、ランズ選手であった。
「男子選手を相手に全勝無敗という記録がショープロレスではなく真剣勝負であったというのは、驚きを禁じ得ない。彼女がユーリやウリコと対戦する試合を目にしていなかったら、おそらく自分も鼻で笑っていたことだろう。しかし、今なら……本当にありえるのかもしれないと信じることができる」
鞠山選手が通訳をしている間に、グヴェンドリン選手も熱っぽく語った。
「それが真実であるのなら、インターネット上の情報に踊らされていた自分の浅はかさを恥ずかしく思う。しかも、そんな誹謗にさらされながら、自分のプロモーションを守るために『アクセル・ロード』のオファーを断ったというのは、信じ難い精神力だ。彼女はそれほどの精神力を持っているから、あれほどの強さを身につけられたのかもしれない。……ああもう、なんだわよ?」
今度はエイミー選手が、低い声音で語り始めたのだ。鞠山選手はふんふんとうなずいてから、さらに言いつのった。
「自分は逆に、納得できた。何を栄光と考えるかは、きっと選手それぞれなのだろう。そして何にせよ、彼女がどれだけ素晴らしい選手であるかは、ユーリやウリコとの試合によって証明されている。シンガポールの人間もその一点だけはまったく疑っていないので、あなたたちもどうか安心してほしい。……だそうだわよ」
瓜子は深く息をついてから、鞠山選手のにんまりと笑う顔を見返した。
「……鞠山選手も、ずいぶん熱心に語ってくれたみたいっすね」
「ふふん。ジュニアの名声が高まれば、それに勝ったピンク頭や引き分けたうり坊の名もあがるんだわよ。格闘技界を盛り上げるためだったら、利用できるものは利用したおすんだわよ」
鞠山選手はそんな風に語っていたが、瓜子としても異存はなかった。遠きシンガポールの地においても、赤星弥生子の勇名が轟いているというのは――瓜子にとって、嬉しくてならなかったのだ。
(弥生子さんは、ひとりぼっちなんかじゃないっすよ。格闘技を頑張ってる限り、こうやってどこかで繋がっていくんです)
そんな思いを噛みしめながら、瓜子はユーリを振り返った。
「だから、すねないでくださいってば」
「すねてないですぅ」と、ユーリは唇をとがらせる。
しかし、ユーリの瞳も星のようにきらめいていた。瓜子との関係性については独占欲だか何だかを刺激されるユーリであるが、赤星弥生子本人に対しては瓜子に負けないぐらいの敬愛を抱いているはずであるのだ。
そうしてその後も瓜子たちは、さまざまなことを語り合い――シンガポールの二日目の夜も、平穏かつ賑やかに暮れていったのだった。
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