06 さらなる鍛錬

 その後も順調に、スパーリングが続けられていった。

 グヴェンドリン選手の次に瓜子の相手をしてくれたエイミー選手は、やはり呆れるほどにパワフルである。バンタム級で、現在は平常体重であるから、おそらく七十キロ近いウェイトであるのだろう。背丈も百七十センチ近くもあるため、これでは男子選手を相手取っているようなものであった。


「ただ、レッカーのダゲキのスルドさはダレにもマネできないから、これぐらいのシンチョウサをトッパできるスキルがヒツヨウになるだろう、だってよー」


 ジョンは、そんな風に言っていた。

 課題は過酷になっていくいっぽうで、瓜子は奮起するばかりである。


 そしてその後は、勝手知ったる蝉川日和の番であったが――そこでジョンが「うーん」と悩ましげな声をあげた。


「ヒヨリがレッカーのマネをするのは、ちょっとムリがあるかなー。ウリコのペースがミダれるとマズいから、ヒヨリはいったんヌけてもらおうかー」


「えーん! 蹴りがヘタクソで申し訳ないッスー!」


「いいんすよ。パンチャーと対戦するときは、またお願いします」


 蝉川日和は、生粋のパンチャーであったのだ。仮想・山垣選手としては申し分のないスパーリングパートナーであったが、蹴り技を得意とするレッカー選手の代役をお願いするのは無理があったようであった。


 ということで、瓜子はひたすらグヴェンドリン選手とエイミー選手にスパーをお願いすることになったわけであるが――これはもう、過酷そのものであった。グヴェンドリン選手もまた平常体重であるため、体格としてはフライ級以上であるのだ。彼女たちは仮想レッカー選手としてスピード重視の攻撃を出していたが、もともとのパワーが違っているので、ひとつ間違ったらダメージを溜めてしまいそうなところであった。


 そんな両名と三十分ばかりもスパーに励むと、再び班分けをすると告げられる。ユーリはエイミー選手、ランズ選手、蝉川日和、およびギガント鹿児島の男性トレーナーと立ち技のスパー、横嶋選手は鞠山選手、グヴェンドリン選手と寝技のスパー――そして瓜子は、もともとサキと愛音を相手取っていた巾木選手の班に組み込まれることになった。トレーナーの責任者は、山岡氏だ。


「さあ、お待ちかねの猪狩選手だぞ。存分に可愛がってもらえ。……猪狩選手は、お得意のフットワークでかき回していただけますか? 前後のステップを軸にしてもらえたら、なおありがたいです」


「押忍。ヌール選手の試合は『アクセル・ロード』で拝見してるんで、自分なりに考えてみます」


 ヌール選手は古式ゆかしいブラジリアン柔術の選手に似た、一種独特の間合いの取り方をする選手であるのだ。まあ、それはあくまでヌール選手のスタイルのひとつに過ぎないようだが、瓜子は自分の知る知識に頼るしかなかった。


 そうして巾木選手と向かい合うと、あちらは最初から疲労困憊の様子である。どうやらサキや愛音とのスパーで、かなり消耗させられたようだ。


(まあ、あのお二人はそれぞれ厄介だからなぁ)


 瓜子もそんな二人に負けないぐらい、巾木選手の糧になりたいところであった。


「それじゃあ、インターバルは三十秒で、三分三ラウンド。一ラウンドずつで相手を交代するサーキット。組み技はなしで、ダウンを取ったらスタンドで再開。くれぐれも、怪我のないように」


 山岡氏のそんな言葉とともに、瓜子と巾木選手のスパーが開始された。やりあう必要のないサキと愛音は、いきなり休憩だ。その間に、ジョンがレッカー選手の特性というものをサキたちに伝えてくれているようであった。


 巾木選手と相対した瓜子は、前後のステップで距離を測る。

 ヌール選手を真似て、アップライトのスタイルだ。

 そして、遠い距離から関節蹴りのモーションを見せる。ヌール選手は関節蹴りや前蹴りで距離を取り、ここぞというタイミングで組み技を仕掛けるのだ。


(でも、組み技はなしだからな。あたしは間合いを取ることに集中すればいいわけか)


 だとすると、サキや愛音はさぞかし楽に戦えたことだろう。それぞれタイプは異なるものの、二人はプレスマン道場が誇る強力なアウトファイターなのである。どちらもアトム級なので巾木選手とはパワー差が著しいものの、そのぶん敏捷性では大きなアドバンテージが存在するはずであった。


(しかも二人は、背もあるもんな。ちっこいあたしは動きまくって、カバーしよう)


 瓜子にしてみても、巾木選手はレッカー選手と同程度の背丈であるため、間合いを測る稽古にはうってつけであった。

 そうして、いざスパーを開始してみると――瓜子はなかなかの緊張感を授かることになった。大晦日の試合でも知れていた通り、巾木選手というのは突進力に秀でたインファイターであったのだ。


 先刻までのくたびれ果てた様子が嘘のように、巾木選手は左右のフックをぶんぶん振りながら、物凄い勢いで前進してくる。特筆するべきは、そのスタミナだ。大晦日の試合でも、彼女は最初から最後まで攻撃に徹していたのだった。


 瓜子はなるべく前後のステップで対処しようと試みたが、この勢いでは左右にも回らざるを得ない。それに、スパーで関節蹴りを当てるのは危険であるので、前蹴りを多用するしかなかったが、うかうかしていると頑丈な肉体で蹴り足を押し返されてしまいそうだった。


(うーん。あたしがヌール選手のあのスタイルを真似するのは、ちょっと無理があるかな)


 ということで、瓜子はスタイルを切り替えた。

 これまではヌール選手が鬼沢選手との試合で見せていたスタイルで、お次は沙羅との試合で見せていたスタイルだ。そちらの試合において、ヌール選手はパンチャーとしてのスタイルを披露していたのだった。


 それでもヌール選手は前後のステップを軸としていたので、瓜子も普段ほどはサイドに回らず、左ジャブで牽制する。

 巾木選手はいっそうの勢いで拳を振るってくるので、それを回避するのはなかなかの苦労であったが――それでも瓜子は、自分の機動性に自信を持っていた。


(巾木選手の攻撃は軌道が読みにくいけど、あっちだってあたしみたいに小さな的に当てるのは慣れてないはずだ)


 巾木選手はフック一辺倒であるが、その一発ずつの軌道やリズムが不規則であるのだ。それを回避するには、瓜子も普段以上に大きな動きで頭を動かすしかなかった。

 そしてその合間に、左ジャブを刺していく。巾木選手が相手となったため、グローブも八オンスのものに交換していたが、それで可能な限りのパンチスピードを目指すしかなかった。


 どれだけのジャブをくらっても、巾木選手の勢いは衰えない。

 ただし瓜子も、すべての攻撃を回避することができていた。やはり機動性ならば、瓜子のほうに分があるのだ。


 そして、「残り三十秒」という山岡氏の声が響きわたった瞬間――危険な気配が、下側から迫り寄ってきた。巾木選手が、初めて膝蹴りを繰り出してきたのだ。

 瓜子はすかさず身をひねり、その膝蹴りを回避する。

 すると、巾木選手のガードに隙間が見えたので、ほとんど反射的に右ストレートを叩き込んだ。


 ヘッドガードに守られた巾木選手の左頬に、瓜子の拳がクリーンヒットする。

 まだ蹴り足を戻していなかった巾木選手は、それで倒れ伏すことになった。


「はい、ダウン。ダメージがあるようなら、これで終了にしようか」


「ダウンじゃなか! スリップやっど!」


「MMAだったら、ダウンもスリップも一緒だよ。寝技がありだったら、これで上を取られてたな」


 山岡氏のにこやかな顔をにらみつけてから、巾木選手は猛然と身を起こした。

 そしてその後は台風のような猛攻を見せてきたので、瓜子は逃げるばかりである。最終調整の、しかも海外初日のスパーリングで、無理をすることはできなかった。


「はい、終了。三十秒のインターバル。……どうだ、猪狩選手は手ごわいだろ?」


「ふん! おいと同じ階級で、こげんちょろちょろ動くっやつがおっもんか!」


「だからこそ、攻略の甲斐があるんだよ。猪狩さんたちを捕まえることができたら、ヌール選手だって捕まえられるだろうさ」


 そう言って、山岡氏は瓜子に向きなおってきた。


「それにしても、猪狩選手は巾木が相手でも簡単に潜り込めるんですね。ただし、レッカー選手はもっと鋭い膝蹴りを持ってるはずですから、ご注意を」


「せからしか! 下手な膝蹴りで悪かったがね!」


「ヌール選手が相手だったら、テイクダウンを取られてただろうな。焦れても、迂闊に足をあげないことだ」


 そんな風に言ってから、山岡氏は申し訳なさそうに笑った。


「どうも、うちの巾木に仮想レッカー選手は務まらないみたいです。お役に立てず、申し訳ない」


「いえ。間合いの取り合いは、参考になりました。あと、組み技ありのスパーだったら、またちょっと違う流れになると思います」


「そうですね。午後の稽古で、試してみましょう。……それじゃあ、二ラウンド目。サキ選手は巾木、邑崎選手は猪狩選手をよろしくお願いします」


 そうして正午までのスパーリングは、とても有意義に進められていった。

 正午になったならば、それぞれのウェイト調整に合わせた昼食をいただく。そしてその時間は、ジョンや鞠山選手の通訳でシンガポール陣営の三名と交流することがかなった。


 ただし、『トライ・アングル』のファンになったというグヴェンドリン選手も、まだそちらの顔を見せようとはしない。ランチタイムも稽古の時間内であるという意識であるのだろう。その口から語られるのは、レッカー選手の寸評ばかりであった。


「レッカーは、ムエタイの技術をこれ以上もなくMMAに活かしている。寝技なんかは素人同然だけど、組み技のディフェンスに重点を置いているので、グラウンドの展開になったことは数えるほどしかない。というか、あの猛攻をかいくぐって寝技に持ち込めた選手だけが、レッカーに勝利できている。……だそうだわよ」


「なるほど。しかし、猪狩の寝技で仕留めることができるかどうかは……ちょっと難しいところだろうな」


「レッカーは速筋がきわめて発達していて、タックルで尻もちをついてもすぐに立ち上がる。それを制してポジションをキープできれば、誰にでもチャンスはある。自分はレッカーほど鋭く動くことはできないけれど、基本のパワーに大きな差はないはずなので、自分を力でなく技術で抑え込めるなら、チャンスかもしれない。よければ、午後の稽古で試してもらいたい……だそうだわよ」


「押忍。ありがとうございます。こんなに協力してくださって、心から感謝しています」


 瓜子がそのように告げたときだけ、グヴェンドリン選手ははにかむような笑顔を見せてくれた。

 いっぽうユーリはジョンの通訳で、エイミー選手やランズ選手と語らっていたが――周囲が掣肘しないと、すぐに寝技談義に没頭してしまうようであった。


「桃園さんにとって重要なのは、その寝技に持ち込めるかどうかだろ。ジェニー選手を崩すにはどういう攻撃が有効か、まずはそういう話を聞いておけよ」


「あうう。しゅみましぇん。……立松コーチのご指摘に関しては、如何でありましょう?」


「ジェニーはとにかくコシがオモいから、タックルでタオすのはシナンのワザらしいよー。それでカラダもガンジョーだから、ダゲキのフェイントにもドウじないんだってさー」


 エイミー選手やランズ選手――それに、『アクセル・ロード』に参戦していたイーハン選手やロレッタ選手も、ジェニー選手には敗北しているとのことである。つまりジェニー選手は、『アクセル・ロード』に参戦したどのバンタム級の選手よりも格上であるとのことであった。


「ジェニーは《ビギニング》で、オウザのモンバンってヨばれてるらしいねー。スタンドでもグラウンドでもケッテイリョクにカけるからいつもハンテイショウブだけど、とにかくネバりヅヨいんだってさー。それで、これまで《ビギニング》のチャンピオンになったフタリのセンシュにしかマけてないんだってよー」


「中堅の壁ならぬ、王座の門番っすか。それじゃあ王者になった二人の選手は、どうやってジェニー選手に勝ったんです?」


「とにかくジェニーのトッシンをウけナガして、ジブンのダゲキをアてまくって、ハンテイガちをもぎとったみたいだねー」


「うにゃあ。ユーリはそんな、サキたんのごとき華麗なスキルは持ち合わせていないのですぅ」


「うん。だけど、桃園さんの打撃技は規格外の破壊力だからな。それでダメージを重ねて、なんとか寝技に持ち込むしかねえだろう。まずは徹底的に、スタンドの稽古だ」


「うにゃにゃあ。せっかくエイミー選手やランズ選手がいらっしゃるのに、さびしい限りですぅ」


 ユーリがしょぼんと肩を落とすと、立松が苦笑を浮かべつつ励ました。


「その代わりに、ギガントのみなさんから寝技の稽古をつけてほしいってオファーをいただいてるよ。横嶋選手も巾木選手も、寝技に磨きをかけなきゃいかんようだからな。そこは、持ちつ持たれつって方針でいこう」


「あ、そちらのみなさんとは寝技を楽しめるのですねぇ。横嶋選手は寝技がお上手ですので、とても楽しみですぅ」


 ユーリがあっさり笑顔を取り戻すと、立松は苦笑を維持しつつ頭をかいた。


「しかし、思った以上の大収穫だったな。シンガポールのお人らばかりじゃなく、ギガントのほうでもけっこうな情報量だったから助かったよ。俺たちも、もっとリサーチ力ってもんを身につけねえとな」


「うん。《ビギニング》は、カコのシアイエイゾウがなかなかテにハイらないからねー。そういうイミでは、《アクセル・ファイト》よりタイヘンかなー」


「ああ、あちらさんは過去の試合映像も見放題だもんな。……しかしまあ、そのあたりのことは俺たちの課題だ。お前さんがたは、目の前の試合に集中してくれ」


「押忍。自分たちは、コーチのみなさんに感謝でいっぱいっすよ。ね、ユーリさん?」


「もちろんなのですぅ。ふつつかもののユーリが心置きなく試合を楽しめるのは、ひとえにコーチのみなさんのおかげなのですぅ」


「わかったわかった。わかったから、そんなきらきらした目で見るな」


 そうして立松が照れ臭そうに笑うと、シンガポール陣営の三名もそれぞれやわらかく目を細める。そして、一同を代表するようにグヴェンドリン選手が英語で語った。


「プレスマン・ドージョーのメンバーはホントウにファミリーのようですね、だってよー。なんだか、テれちゃうねー」


「だったらいちいち、通訳すんなよ。……さて、そろそろウォームアップに取り掛かるか」


 瓜子の「押忍」という声とユーリの「おーっす!」という声が、また合唱された。

 そうしてシンガポールにおける初日の稽古は、外界の気温に負けない熱気の中で進められていったのだった。

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