03 前半戦

 やがてアマチュア選手によるプレマッチが終了したならば、ついに本選の開始であった。

 その一番槍を務めるのは、我がプレスマン道場の愛音だ。ジョンと柳原と蝉川日和を引き連れて入場した愛音は、やはり闘志に燃える肉食ウサギの形相であった。


 それと相対するのは、若手のトップファイターたる金井選手である。

 二年前の四大タイトルマッチにおいては雅選手に挑戦した、新進気鋭のトップファイターだ。ただしその後は犬飼京菜と大江山すみれに敗れ去り、いささかならず精彩を欠いていた。


 現在のアトム級は、かなり混沌とした様相を呈している。元王者の雅が引退し、ストロー級から階級を下げたサキが王者となり、いまだ十代である犬飼京菜と大江山すみれと愛音、そしてやっぱりストロー級から参じた小柴選手が並み居る強豪を蹴散らしているさなかであるのだ。そう考えると、これまでアトム級で奮闘してきた面々は、全員が新参の五名に蹂躙されている格好であったのだった。


(ここでまだ若い金井選手が意地を見せるか……それとも、邑崎さんが犬飼さんや大江山さんに並び立つか、運営陣はそれを見極めようとしてるんだろうな)


 もちろん瓜子は、愛音の勝利を信じている。彼女の実力は、同じ道場で汗を流す瓜子がもっとも思い知っているのだった。


 そんな瓜子たちが見守る中、愛音はしっかり結果を残してくれた。

 打撃技も組み技も得意な金井選手を得意のアウトスタイルで翻弄し、的確にダメージを与え、最後には華麗なハイキックで仕留めてみせたのだ。


 愛音もだんだん身体ができあがってきて、かねてよりの懸念事項であったパワー不足も解消されつつある。そして愛音には、長年磨いてきたグローブ空手の技術があるのだ。正しいフォームで繰り出される蹴り技には、十分なKOパワーが秘められていた。


 これで金井選手は、十代の新人選手に三連敗という結果になる。ここから浮上できるかどうかは、すべて本人次第であった。


 そしてそれに続くのは、大江山すみれである。

 彼女の対戦相手は、やはり若手のトップファイターである前園選手であった。

 前園選手は《カノン A.G》の騒乱で犬飼京菜に敗れ、その後はサキに敗れている。新興勢力のトップツーに後れを取って、次なる番付の大江山すみれに挑む格好だ。


 天覇館の所属である前園選手は空手流の優れた打撃技を有していたが、しかし大江山すみれの敵ではなかった。大江山すみれはまず真っ当なスタイルで互角の打撃戦を展開し、中盤でいきなり古武術スタイルに切り替えて、カウンターの左アッパーで前園選手をKOしてみせたのだった。


「ふん。こいつはまた、弥生子ちゃんとはひと味違う厄介さだな」


 立松がそのように評すると、大江山すみれの父親たる大江山軍造が豪快な笑い声をあげた。本日、大江山すみれのセコンドを務めていたのは、赤星弥生子と六丸と二階堂ルミであったのだ。


「あんなけったいなスタイルを完璧な形で使いこなせるのは、この世で師範だけだろうからな! すみれもようやく納得して、使い分けってもんを覚えたんだよ! 近い内にそっちのベルトをいただくから、よろしくな!」


「ふん。うちの不良娘に追いつくには、まだまだ時間がかかりそうだがな」


 そんな言葉を笑顔で交わせるのも、長年の交流あってのことだろう。瓜子もサキの勝利を一番に願いつつ、大江山すみれの奮闘を温かい気持ちで見守ることができた。


 そして第三試合は『まじかる☆あかりん』こと小柴選手の登場で、対戦相手はベテランのトップファイターだ。それは本年の一月大会で、大江山すみれに敗れた選手であった。


「わたしもトップファイターとして生き残れるように、必ず結果を出してみせます!」


 試合前、小柴選手は熱情をみなぎらせながらそのように宣言していた。

 小柴選手もアトム級に転向後は確かな結果を残していたが、サキと犬飼京菜には敗れてしまったのだ。現在のアトム級の番付は、王者のサキに続くのが犬飼京菜、一段さがって大江山すみれと小柴選手、そして愛音が猛然と追いすがっている格好であった。


 そして、その結果は――小柴選手のKO勝利である。

 愛音や大江山すみれほど華麗ではなく、最終ラウンドまでもつれこんだ上での結果であったが、KOはKOだ。それに、長期戦でKO勝利を奪えるというのは、勢いやセンスではなく地力でまさっている証拠になり得るはずであった。


(十代の三人は派手さが目立つけど、そのぶん危うさも感じるもんな。小柴選手だったら、堅実なスタイルでしっかり食らいついていけそうだ)


 そうしてお次は、犬飼京菜の出番である。

 アトム級の新興勢力たる四名が、立て続けに試合を行うのだ。その采配で、運営陣がこちらの四名を主軸にしていることが証明されていた。


 そんな犬飼京菜に準備されたのは、やはりベテランのトップファイターとなる。

 これは一月に、愛音が下したトップファイターだ。二つ前の王者である濱田選手を筆頭に、ベテランのトップファイターたちはすっかり若手選手の試金石に成り下がってしまっていた。


 しかし、そこで結果を残せるかどうかは、本人次第であろう。

 たとえば雅は金井選手の挑戦を退けていたし、つい先ごろには鞠山選手が灰原選手を下すことになった。それらの試合も見ようによっては、若い金井選手や灰原選手に大きなチャンスが与えられた形であるのだ。ベテラン選手も新人選手も、死力を尽くして自分の居場所を守るしかないのだった。


 そうしてこのたび居場所を守ったのは、犬飼京菜である。

 犬飼京菜はロケットスタートこそ自重していたが、試合の開始と同時にトリッキーな大技を連発して、相手につけいる隙を与えず、最後には意表をついた両足タックルを決めて、肘打ちの連打でTKOを奪取してみせたのだった。


 このたびは、新興勢力の四連勝だ。

 この勢いを食い止めるには、古豪たる選手たちが奮起するしかなかった。


「よし。それじゃあこっちも、ウォームアップだな」


 サイトーの指示で、瓜子はウォームアップを開始した。

 モニターに映し出されるのは、マリア選手と沖選手である。これは今後のタイトル戦線に大きく関わる一戦であろうから、瓜子も関心を寄せずにはいられなかった。


 そして、瓜子以上に熱心な眼差しを送っていたのは、同じ階級である多賀崎選手だ。多賀崎選手は沖選手に連勝しつつ、直近の試合でマリア選手に敗れたという立場であったのだから、ひときわ関心をかきたてられるはずであった。


(これまでの対戦成績はあまり把握してないけど、まあ数字の上では沖選手が勝ち越してるはずだよな)


 かつて沖選手は日本人選手のナンバーワン、マリア選手はナンバースリーという扱いであったのだ。それからこの階級の勢力図が大きく塗り替えられたのち、両者の対戦は実現していなかった。


 ただし、マリア選手はつい近年まで、《アトミック・ガールズ》で本気を出していないのではないかという疑惑がかけられていた。彼女にとっては《レッド・キング》が主戦場であるため、《アトミック・ガールズ》の試合では得意技を封じるなどして武者修行に励んでいたのではないか――と、サキがそのように分析していたのだ。


 しかしそれも二年と少し前、ユーリと対戦するまでの評価となる。そちらの試合を皮切りとして、マリア選手は全力で《アトミック・ガールズ》の試合に臨んでいるように見受けられた。その上で、沙羅選手や瓜子に敗北し、多賀崎選手に勝利したのである。


 なおかつこれは、『アクセル・ロード』で一勝もあげられなかった両名の対戦でもある。一回戦目で敗退した沖選手と、魅々香選手の代理で出場してすぐさま敗退したマリア選手であるのだ。それから長きの休養を経て、復帰ののちには連勝を果たした――そんな両名が、三連勝を懸けて勝負するわけであった。


(シビアなマッチメイクなのは確かだろうけど……でも、これで勝てたら三連勝だ。勝ったほうは、いっそう波に乗れるだろうな)


 そうしてさまざまな人間が見守る中、試合は開始された。

 まずは、静かな滑り出しだ。沖選手はじっくり攻めるタイプであるし、マリア選手は名うてのアウトファイターであるため、自然に接触の機会は少なかった。

 どちらも奇をてらう様子はなく、自分がもっとも得意にするスタイルで攻めようとしている。それがひりつくような緊張感をかもしだしているように感じられた。


 マリア選手は時おり鋭い踏み込みから左ローを出しているが、沖選手は堅実にチェックしている。そして沖選手がしきりに組み技のフェイントを入れるため、マリア選手もなかなか左ミドルまでは打てずにいた。


 そんな両者が組み合うと、客席からは歓声がわきかえる。

 両者はどちらも、組み技を得意にしているのだ。テイクダウンを狙う沖選手にスープレックスを狙うマリア選手で、差し手争いにも大変な力が込められていた。

 それでけっきょくどちらも有効な展開には持ち込めず、また距離を取る。

 地味な展開だが、静かな熱気が観客たちに不満の声を呑み込ませていた。


「これでブーイングがあがらねえってのは、気迫が伝わってる証拠だな。あとはどっちが、先にリズムをつかむかだ」


 ユーリと一緒に観戦していた立松は、そんな風に言っていた。

 瓜子はサイトーの構えるミットに軽くパンチを撃ち込みながら、時おり横目でモニターをチェックする。


 試合が大きく動いたのは、第二ラウンドの中盤であった。

 マリア選手が左ミドルを放つと、それをガードした沖選手が組み合いに持ち込んで、フェンスまで押し込んだ末、ついにテイクダウンを奪取したのだ。


 この展開を避けるために、マリア選手も左ミドルを自粛していたのだろう。それでもこの展開になってしまったということは――しびれを切らせたマリア選手が、打つ手を間違えたという結果を示していた。


 沖選手は、何よりグラウンドにおけるポジションキープを得意にしているのである。マリア選手はすぐさまフェンスを蹴って体勢を入れ替えようと試みたが、それも沖選手の機敏な対応ですかされた。マリア選手は全身がバネのような筋肉であったが、それでも沖選手の重圧を跳ね返すのは難しいようであった。


 沖選手はポジションキープを一番に考えつつ、ブレイクをかけられないように細かいパウンドを入れていく。

 それで時間が流れ過ぎて、そのまま第二ラウンドは終了を迎えた。


「第二ラウンドは、沖さんが取ったか。でも、第一ラウンドはどっちにポイントがつくかもわからないから……おたがいにとって、次が勝負だな」


 多賀崎選手は熱意を隠しきれない様子で、そのようにつぶやいた。

 そうして最終ラウンドは――いきなりの乱打戦であった。マリア選手がアウトスタイルを打ち捨てて突進すると、沖選手も真正面からそれを受け止めたのだ。


 もとより沖選手は、インファイトを得意にしている。それで相手と互角にやりあって、テイクダウンの隙をうかがうというのが、彼女のスタイルであるのだ。

 それを知りながら、マリア選手は乱打戦を選んだ。もはやアウトスタイルでは勝機をつかめないと、覚悟を固めたのだろう。この展開に、客席からは大きな歓声があげられていた。


「マリアは馬力があるから、インファイトもおっかない。沖さんが、それをしのげるかどうかだな」


 多賀崎選手は、いよいよ身を乗り出している。多賀崎選手もつい二ヶ月前、右肩のきかない状態でマリア選手との乱打戦に臨んだ立場であった。


 両者はディフェンスにも重きを置きながら、至近距離で拳を交換している。

 やはりテイクダウンを警戒して、どちらも蹴り技は使わない。そうしてパンチだけの勝負であれば、ほとんど互角であるようだ。勢いを感じるのはマリア選手であるが、的確さでまさるのは沖選手であった。


 ただし、若さやスタミナでまさるのはマリア選手であるはずであったが――じわじわと優勢になっていったのは、沖選手のほうであった。もしかしたら、第二ラウンドでずっと下になっていたマリア選手は、スタミナをだいぶん削られてしまったのかもしれなかった。


 沖選手の拳がボディにヒットすると、マリア選手の身が力なくよろめく。

 そして、マリア選手の拳から勢いがなくなり、どんどんフェンス際まで追い込まれていった。


 このまま優勢で終われば、沖選手の判定勝利は間違いない。

 それが焦りになったのか、マリア選手は防御を打ち捨てて相手につかみかかろうとした。

 その下顎に、沖選手の右拳が突き刺さる。

 マリア選手は、がくりと膝から崩れ落ち――そのまま沖選手の胴体に組みついた。


 沖選手はすかさずそれを振りほどこうとしたが、マリア選手が猛然と身を起こすとその両足が浮き上がった。腰を抱えられての、フロントスープレックスだ。

 沖選手はぐっと首を縮めて、両腕で頭を抱え込む。その状態で、マットに叩きつけられた。

 マリア選手はそのまま沖選手の上にのしかかり、ハーフガードの状態でパウンドを乱打する。沖選手は頭を抱えてガードしつつ腰を切ろうとしたが、マリア選手もまたポジションキープの能力は高かった。


 マリア選手はガードもおかまいなしで、ぶんぶんパウンドを振るっている。

 それではとうていスタミナがもたないように思われたが――しかし、いつまで経ってもマリア選手の動きは止まらなかった。ほとんどの攻撃はガードされていたが、決して相手を逃がそうとしなかった。


 そんな時間が一分ぐらいも続いて、ついにタイムアップである。

 マリア選手は精魂尽き果てた様子でマットに突っ伏し、沖選手もまたすぐには立ち上がれなかった。


「いやー、けっきょく時間切れかー! これじゃあどっちが勝つか、さっぱりわかんないね!」


「うん。初回のラウンドを、どう取るかだね。手数は、マリアのほうが多かったけど……前に出てたのは、沖さんだからな」


 灰原選手と多賀崎選手が語る中、マリア選手と沖選手はふらついた足取りでレフェリーの左右に立ち並ぶ。

 その結果は――2対1で、マリア選手の勝利であった。


 沖選手は一瞬天を仰いでから、すぐにマリア選手に握手を求める。

 沖選手よりも荒い息をついているマリア選手は、汗だくの顔で笑っていた。もしかしたら、そこにはまた涙も流されているのかもしれなかった。


「おめでとうございます。マリア選手も、ついに三連勝ですね」


 瓜子がそのように呼びかけると、赤星弥生子は穏やかな面持ちで「うん」とうなずいた。


「ただ、どっちに転んでもおかしくない内容だった。マリアがタイトルに挑戦するには、さらなる鍛錬が必要だな」


「ひゃー! 勝った直後にそんなこと言われたら、あたしだったらめげちゃうなー!」


 灰原選手がそのように騒ぎたてると、赤星弥生子はびっくりした様子で身を引いた。そのリアクションに、灰原選手は「んー?」と小首を傾げる。


「なになにー? うり坊とのラブラブタイムを邪魔しちゃったー?」


「いや、そういうわけではないのだけれど……ちょっと、予想外だったもので」


「えー? あたしらだって、つい先月おんなじカマのメシを食った仲じゃん! マリアが勝って、よかったね! まずは、めいっぱいホメてあげなよー?」


「……そうだな」と、赤星弥生子は薄く口もとをほころばせた。

 灰原選手もまた、にっと白い歯をこぼす。


 そうして赤コーナー陣営の選手は五試合連続で勝利を収めて、今日の興行は前半戦を終了させたのだった。

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