05 戦闘準備
その後、午前の十一時からは西岡桔平のおすすめするバンドのステージを観戦し、その途中で山寺博人と陣内征生、ステージの直後にタツヤとダイと『モンキーワンダー』の面々と合流することになった。
そこからは、また各自の判断に従って別行動となる。半数ぐらいのメンバーは正午から開始されるステージに向かい、もう半数は昼食だ。ただし半数となっても大人数であったため、そこでも五、六名ずつに分かれて自由に行動することにした。
最初の一時間は、瓜子にユーリ、愛音に千駄ヶ谷、タツヤにダイという組み合わせで屋台のブースを巡る。タツヤたちもすっかり酒は抜けたようで、いつも通りの元気な姿だ。
その後はタツヤたちがおすすめするバンドの観戦に出向き、それを終えたならばメンバーを入れ替えて休息を取る。この後には大事なライブを控えているのだから、多少は体力の温存を考えなければならなかった。
「ヒロさんも、お疲れ様です。お身体のほうは問題ないっすか?」
同じ休息の組となった山寺博人にそう呼びかけると、「あん?」という不愛想な返事が返ってきた。
「俺が何だよ? へたばってるようにでも見えるのか?」
「いえ。昨日からあまりお声をかける機会がなかったんで、ご挨拶しただけです。集中のお邪魔だったら、申し訳ありません」
「こんな何時間も前から集中してられるかよ。わけのわかんねえやつだな」
「そうですか。ご気分を害したなら、それにもお詫びを申し上げますよ」
「……なんですねるんだよ」
「すねてないっすよ。ヒロさんがマイペースでお口が悪いことも承知してますんで」
「そんなちくちく嫌味を言うのは、お前の性分じゃねえだろ。言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
「だから、言ってるじゃないっすか」
そこで「まあまあ」と割って入ってきたのは、最近めっきり面倒見がよくなってきたリュウである。
「なんか、ヒートアップしそうでおっかないから、そのぐらいにしておけよ。……しかし瓜子ちゃんも、山寺が相手でもすっかり我を出せるようになったみたいだな」
「……そうっすね。マネージャー補佐の分際で大きな口を叩きすぎでした。以後、気をつけます」
「だから、ふてくされんなよ」
「だから、ふてくされてないっすよ」
「まあまあ」と苦笑しながら、リュウはユーリのほうを振り返った。
「こういうときって、ユーリちゃんは我関せずなんだな。やっぱ、瓜子ちゃんを怒らせるのがおっかないのか?」
「いえいえぇ。うり坊ちゃんとヒロさんの仲睦まじい掛け合いは、ユーリにとって眼福ですのでぇ」
瓜子が顔を赤くしながら髪を引っ張ると、ユーリは「いやーん」と甘えた声をあげた。
「でも本当に、遊楽気分で気がゆるんでたのかもしれません。ヒロさんに気安い口を叩いちゃって、どうもすみませんでした」
「……だから何で、いきなりクールダウンするんだよ」
山寺博人は溜息をつき、目深にかぶったハットごと頭をかきむしった。
そのさまを見て、リュウは愉快げに笑う。
「そうそう。生真面目な瓜子ちゃんが不愛想な山寺を困らせるってのが、いつもの構図だよな。これなら俺も、安心して見てられるよ」
「……くそくらえ」と、山寺博人はそっぽを向いてしまう。
頭の冷えた瓜子は反省の念を噛みしめつつ、リュウにこっそり呼びかけた。
「仲裁、ありがとうございました。……ところで、リュウさんとヒロさんが絡む姿って、あんまり拝見したことがなかったんすよね。普段はけっこう仲良くされてるんすか?」
「普段って? 俺はベイビーのやつらとも、バンド以外ではそんなに顔をあわせねえからな」
「あ、そうなんすね。でも演奏陣のみなさんは、ユーリさん抜きで練習する機会も多かったでしょう?」
「そういうときも、曲の話しかしねえしな。あとはせいぜい、西岡と格闘技の話にふけるぐらいかな」
「そうっすか……」と瓜子が言葉を濁らせると、リュウはまた口もとをほころばせた。
「俺たちがプライベートのつきあいを持ってないってのが、意外なのかい? それとも、不安になっちまったかな?」
「いえ、不安ってほどでは……でも、プライベートのおつきあいがなくて、あんなに息の合った演奏ができるなんて、やっぱりすごいっすね」
「そりゃあスタジオやステージで、何時間も顔を突き合わせてるからな。これでプライベートまでツルんでたら、他の連中とツルむ時間がなくなっちまうよ。俺たちなんて打ち上げを一緒にしてる分、まだべったりなほうなんじゃねえかな」
「え? 打ち上げを一緒にしないバンドなんてあるんすか?」
「俺たちなんかは、打ち上げまでがライブだって思ってるクチだけどさ。プロ連中には、仕事場以外で口をきかないなんてのもザラなんじゃねえかな。ダチづきあいの延長ではやってられない部分ってのもあるからよ」
そんな風に言ってから、リュウはまた愉快げに笑った。
「そういえば、瓜子ちゃんたちはプライベートでも仲良しだもんな。でも、コーチ連中と遊びに行ったりはしないんだろ?」
「はい。それこそ、稽古や試合だけのおつきあいで、交流の場って言ったら打ち上げぐらいかもしれないっすね」
「それと似たような感覚なのかもな。ダチづきあいじゃなく仕事仲間、小っ恥ずかしい言葉で言うならチームメイトってことさ」
そう言って、リュウはまたユーリのほうを振り返った。
「で、なんでユーリちゃんは、そんなに可愛い笑顔なのかな?」
「はぁい。うり坊ちゃんとリュウさんの掛け合いも、ユーリにとっては眼福なのですぅ」
「なんだよ、そりゃ。そんな外から眺めてないで、輪に入ってくれよ」
リュウはどこかくすぐったそうに、身を揺すった。
しかし現在はユーリがサングラスで目もとを隠しているため、そのていどで済んでいるのだ。瓜子はユーリがどれだけ優しげな眼差しになっているか、容易に想像することができた。
その後はまた何度かメンバーを入れ替えながら、思い思いに過ごしていく。
三日間にわたったイベントの最終日ということで、会場は昨日以上の賑わいだ。何度かにわか雨がぱらついたものの、雨具を取り出すほどの勢いではなく、雲が流れるとすぐに青空が広がった。
そうして時間は、ゆるゆると流れていき――ついに、午後の六時である。
レジャーシートでタブレットの操作に励んでいた千駄ヶ谷が、タイマー仕掛けの機械人形のようにすっくと身を起こした。
「開演の一時間前となりました。セカンドステージに移動いたしましょう」
ついに、準備の時間である。
瓜子とユーリはその場に居合わせていた女子選手の面々に別れを告げて、千駄ヶ谷とともにセカンドステージを目指す。この時間、一緒にいたのは漆原と西岡桔平と陣内征生のみだ。
そうしてステージ裏の控えスペースまで出向いてみると、すでに他の面々がくつろいでいる。『トライ・アングル』のメンバー八名、これで全員集合であった。
「では、ユーリ選手はお召し替えを」
瓜子はユーリや千駄ヶ谷とともに、更衣室であるプレハブを目指す。
去年はそちらでくつろいでいた面々に、冷やかしの言葉や口笛などを投げつけられたものだが、本年は無人だ。それでも誰が入室してくるかわからないため、ユーリはパーティションの裏で着替えに取り掛かった。
ただし本日も、ステージ衣装はバンドTシャツである。おそろいのステージ衣装は発注が間に合わなかったため、九月のワンマンライブやミュージックビデオでお披露目されることになったのだ。
それでもユーリはひとたび全裸になる必要があったため、瓜子はピーチタオルを広げて厳重に目隠しを施す。しかるのちに、ユーリは「じゃじゃーん!」と登場を果たした。
上半身はピンク色のバンドTシャツ、下半身は特大ダメージを負ったデニムのショートパンツだ。そちらのダメージ部分から生じる露出が尋常でないため、ユーリはピンク色のビキニを内側に着込んでいた。
また、Tシャツは今回もXLサイズで、胸の下で裾を縛っている。以前よりも肥大化したバストが強調され、形のいいおへそやくびれた腰や肉感的な素足がさらけ出されて、色香のほうも申し分なかった。
(あらためて……すごい存在感だよな)
前髪のひとふさだけがピンクに染められた純白の髪に、それと同じぐらい真っ白の肌、肉感的でありながらどこにもだぶついた印象のない肢体に、完璧に整った美しい顔――とろんと眠たげな目も純白の睫毛に覆われて、その瞳は星のようにきらめいている。これ以上もなくセクシーであるのに、どこか妖精めいた透明感まで備え持った、新しいユーリの姿であった。
どれだけの時間が過ぎようとも、やっぱり見慣れることのできない美しさである。四六時中行動をともにしている瓜子でさえこのありさまであるのだから、客席の人々は驚嘆の坩堝に叩き込まれることだろう。いっさい感情をこぼすことのない千駄ヶ谷も、美術館で希少な絵画でも観賞しているように目を細めていた。
「ユーリ選手は……もはやメイクを施す必要もないかもしれませんね」
「えー、そうですかぁ? まあ、ライブではしとどに涙をこぼしてしまうため、いつもメイクは抑え気味のユーリちゃんですけれどもぉ」
「はい。メイクを施せば施すほど、本来の透明感が損なわれるように思えてなりません。ジャケット撮影の際と同じように、メイクはリップだけで十分なのではないでしょうか?」
「あうう。あの撮影は、トラウマ一歩手前でございましたぁ。たとえお手々で隠蔽しようとも、上半身すっぽんぽんというのはなかなかに落ち着かないのですよねぇ」
ユーリが恥ずかしそうに身をよじると、いっそうの色香が匂いたった。
「ではでは、リップだけでよろしいのでありませうか? でしたら、ユーリもらくちんなのですけれども」
「はい。それで本日の映像を確認し、その結果でワンマンライブの指針を定めることにいたしましょう。あとは、髪のセットだけお願いいたします」
「了解しましたぁ。どなたもいらっしゃらないので、ここでちゃちゃっと済ませちゃいますねぇ」
ユーリは姿見の前でぺたりと座り込み、純白の髪をわしゃわしゃとかき回してから、あらためて撫でつけた。そうしてボストンバッグから、ヘアーブラシとヘアースプレーを取り出し――「うみゅみゅ?」と小首を傾げる。
「なんか、ナチュラルでいい感じでありますねぇ。どうせライブではくちゃくちゃになってしまいますし、素人のユーリでは手をつける必要もないかもですぅ」
「では、そのように」
「はぁい。お色がぬけて、髪質も変わったのかもしれませんねぇ」
「というよりも、以前のほうがプリーチとカラーリングで髪質に影響を与えていたのではないでしょうか?」
「あ、そっかぁ。そういえば、ユーリが髪全体をカラーリングしないなんて、アイドルちゃんとしてデビューしてから初めてのことですもんねぇ」
ユーリはいそいそとリップを取り出して、誰よりもふくよかな唇をピンク色に彩った。
前髪のひとふさとほとんど同色の、きわめて明るいピンク色である。もともとピンク色をしているユーリの唇が、それでいっそうの輝きを得て――より美しい姿が完成された。
(ちゃんとしたメイクやヘアセットもしないで、この完成度って……もはや、モンスターだよな)
ユーリは、存在そのものが美しい。それがこの場で、あらためて証明されたような心地であった。
「かんせーい! ……でもでも、リップひとつで済ませるなんて、あまりに手抜きと罵詈雑言をあびせられないですかねぇ?」
「この完璧な美しさに文句をつけられる人間が、果たして地上に存在するでしょうか?」
「にゅはー! 千さんにそのようなお言葉をいただくと、なんだか怖くなってしまうのですぅ」
ユーリはふにゃふにゃと笑いながら、瓜子に向きなおってくる。
しかし瓜子も、千駄ヶ谷とまったくの同意見であった。
「……自分も、完璧な仕上がりだと思うっすよ」
「にゃはは。うり坊ちゃんにそんなきらきらした目で見つめられたら、大事なステージの前に卒倒してしまいそうですわん」
ふざけたことを言いながら、ユーリのほうこそ幸せそうに瞳をきらめかせていた。
そうして控えスペースに戻ってみると、あちこちから感嘆の声と口笛が飛ばされてくる。タツヤとダイとリュウなどは、子供のようにはしゃいでしまっていた。
「わー! 昨日から帽子をかぶってるとこしか見てなかったから、すげえインパクトだな!」
「首から下は、もっとヤバいけどな! うっかり見とれてミスっちまいそうだ!」
「ユーリちゃんは……ほんとに、見違えたよなぁ。もともと反則級の可愛さだったのにさ」
ユーリは「うにゃあ」と恥ずかしそうに身をくねらせた。ユーリは着飾るのが商売であるし、男性陣の賛美などは聞き飽きているはずだが――チームメイトにそのような評価をいただくのは、やはり羞恥心を刺激されるのかもしれなかった。
そして、彼らは屋外で着替えをしたらしく、全員がバンドTシャツの姿になっている。前回のライブと同じく、『ワンド・ペイジ』は白地、『ベイビー・アピール』は黒地だ。おそろいの姿となった彼らの姿を、ユーリはとても幸せそうに見つめていた。
瓜子もまた大きな感慨を胸に、頭上を仰ぎ見る。
午後の六時を大きく過ぎて、空は薄暮に包まれつつあったが――流れる雲は煙のようにはかなげで、雨が降る気配もない。
これならば、最高のシチュエーションでリベンジを果たすことができるだろう。
ユーリを筆頭に、『トライ・アングル』のメンバーは逆境でこそ甚大なる底力を発揮できると見なされており、実際に昨年のライブは嵐の一夜の奇跡として語り継がれることになったが――そんな逆境に頼らずとも、彼らは最高のステージを見せてくれるはずであった。
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