02 勇姿

 しばらくして、『モンキーワンダー』のステージが開始された。

 鞠山選手を筆頭とする女子選手の大半は人混みの渦中を進軍していったが、人と接触できないユーリや瓜子たちは人垣の最後列で見物だ。これも、昨年と同じ光景であった。


 五千人ほどが収容できるという客席のスペースは、七割ていどが埋められている。そして演奏の開始後もじわじわと人間が増えてくるので、瓜子は愛音や千駄ヶ谷の協力のもとにユーリを守る壁となった。

 ステージは遠いが、背面に巨大なモニターが設置されているので観賞に困ることはない。本日も、『モンキーワンダー』は元気いっぱいのステージを見せてくれていた。


「このバンドも悪くないんだけどさ。花ちゃんさんがいないと物足りなさを感じちゃうのは、やっぱり身びいきなのかな」


 曲と曲の合間には、こちらに居残っていた小笠原選手が笑いを含んだ声で愛音に呼びかけていた。

 瓜子の感想も、似たり寄ったりである。そもそも瓜子などは、『ワンド・ペイジ』にしか興味を持てないぐらい音楽的な素養のない人間であったのだ。『トライ・アングル』はともかくとして、『ベイビー・アピール』にも社交辞令でない興味を持てるようになっただけで大きな前進であるはずであった。


 しかし『モンキーワンダー』もめきめき売り出し中の若手バンドであるため、客席は大いに盛り上がっている。巨大モニターに映し出される『モンキーワンダー』のメンバーたちも、とても満ち足りた面持ちであった。


 そうして一時間に及ぶステージが終了したならば、人波を避けて客席の端に寄る。ほどなくして、鞠山選手たちも凱旋してきた。


「今日のステージも申し分なかっただわね。『モンキーワンダー』は着実に成長してるだわよ」


「あんたはつくづく上から目線だよねー! 勝ってるのはトシだけなのにさ!」


 そのようにやりあう鞠山選手や灰原選手たちも、ご満悦の様子である。

 そこに、さらなる一団が近づいてきた。これから出番を迎える『ベイビー・アピール』の面々だ。


「よう、お疲れさん! ちょっと見逃せないステージがあったんで、出迎えに行けなかったんだよ! 俺たちのステージも、よろしくな!」


 それだけ言い残して、『ベイビー・アピール』の面々はステージのほうに進軍していく。次は、彼らの出番であるのだ。


「この後は、『ベイビー・アピール』と『ワンド・ペイジ』がぶっ続けなんだもんねー! うちらにしてみたら、めっちゃ贅沢なラインナップだよ!」


「そうっすね。まあ、間に一時間のインターバルがあるんで、ぶっ続けっていう印象は薄いっすけど」


 この『ジャパンロックフェスティバル』においては、六つのステージが奇数と偶数で開始時刻がずらされているのだ。このインターバルの一時間も、別の三つのステージでは何らかのライブがお披露目されるわけであった。


「俺たちは、メインステージに移動します。みなさんは、どうしますか?」


 西岡桔平の言葉で、女子選手の一行は三つの組に分けられる。ここでのんびり身を休める組と、メインステージに向かう組と、会場を見物して回る組だ。人混みが苦手なユーリはもちろん身を休める組で、瓜子と千駄ヶ谷は一蓮托生であった。


 鞠山選手と小柴選手と高橋選手は、『ワンド・ペイジ』のメンバーとともにメインステージを目指す。会場の見物を希望したのは、灰原選手と多賀崎選手、オリビア選手と武中選手の四名だ。よって、この場に居残るのはプレスマン道場の四名と小笠原選手のみであった。


「みんな、ほんとに元気だよね。まあ、アタシ以上に音楽好きか、アタシ以上にお祭り好きかのどっちかなんだろうけどさ」


「あはは。多賀崎選手は、あくまで灰原選手の道連れなんでしょうけどね」


「ああ、確かに。ま、しぶしぶつきあってるわけではないだろうから、幸いなことだね」


 芝生に敷いたレジャーシートの上で、居残り組はのんびり語らうことになった。

 昨年も、居残り組にはこの顔ぶれが多かったように記憶している。メイは小笠原選手と同じような立場であり、愛音はユーリのそばに控えることこそが本懐であるのだろう。


(でも、今年は壮行会っていうお題目もないからな。みんな本気で『トライ・アングル』のライブを楽しみにしてるか……もしくは、この集まりを楽しんでるってことなんだろう)


 そこでサキが欠けてしまったのは物寂しいところであったが、経済的な事情と私生活の事情のダブルパンチでは致し方ない。あけぼの愛児園にて、牧瀬理央や児童たちと楽しく過ごしていることを祈るばかりであった。


 やがて開演の十分前になると、見物組のメンバーが戻ってくる。その中で灰原選手と武中選手が装いをあらためていたことに気づき、瓜子は「あは」と笑い声をこぼすことになった。


「これも昨年に見た覚えがある光景っすね。今年は武中選手も仲間入りっすか」


「うん! やっぱ記念の品だからねー! うり坊たちだって、後で買うっしょ?」


 両名は、本日のイベントのグッズTシャツに着替えていたのだ。なおかつ灰原選手のほうは、同じく物販グッズと思しきタオルを首から掛けていた。


「灰原さんが道端でいきなり脱ぎだすから、びっくりしちゃいました! 雨に備えて水着を着込んでるなんて、さすがに用意周到ですね!」


 そのように語る武中選手は、トイレか何かで着替えたのだろう。灰原選手と色違いのTシャツ姿ではしゃぐさまが、何とも微笑ましかった。


 そして、鞠山選手たちが戻る前に開演の刻限となったので、瓜子たちもまた人垣の最後列に陣取ることになった。

 今回は、さきほどよりもさらにお客が増えている。この一年で、『ベイビー・アピール』はいっそうの人気を博しているという評判であったのだ。


『遠いところを、わざわざお疲れさぁん。死なないていどに盛り上がってくれよなぁ』


 とぼけた声で言いながら、漆原は凶悪なギターサウンドを響かせる。リュウのギターはさらに凶悪であるし、タツヤのベースは重々しく、ダイのドラムは破壊音めいていた。

 そうして楽曲が開始されると、凶悪な四種の音色がひとつに統合される。『境界線』に負けないぐらいアップテンポで、ステージの幕開けに相応しい一曲であった。


 月の始めには『サマースピンフェスティバル』で演奏を拝見しているが、あれは控え室におけるモニターの観賞であった。そして瓜子は思い入れのあるバンドを客席から観賞する際、巨大モニターには頼らず生身の姿を拝見するように心がけていた。

 ステージは遠いので豆粒のように小さな姿だが、臨場感に不足はない。モニターに視線を移すのは、メンバーの表情を確認したいときだけだ。生身で見る姿もモニターに映される姿も、存分に瓜子の心を昂揚させてくれた。


 さらに二曲目では、『境界線』も披露される。瓜子としては、やはり馴染みのある曲のほうがいっそう胸を躍らされてならなかった。

 隣のユーリも、瞳をきらきらさせながらステージを見守っている。明日には同じステージに立つユーリがどのような心情であるのか、さすがに瓜子も想像が及ばなかった。


 客席も、大変な盛り上がりようである。先刻よりも人数が多いというだけでなく、『モンキーワンダー』と『ベイビー・アピール』では曲の激しさが違っているのだ。さらに言うならば、演奏の音量そのものも違っているように思えてならなかった。


(客席に届ける音量を決めるのは、PAのはずだけど……きっと、最初に出す音の大きさなんかもまったくの無関係ではないんだろうな)


『ベイビー・アピール』は、名うての爆音バンドとして知られているのだ。その迫力は、『トライ・アングル』のステージでもしっかり活かされているわけであった。


 その後には、『アルファロメオ』や『fly around』も披露される。

 彼らであれば別の持ち曲でセットリストを埋めることは可能なのであろうが、それらの楽曲は『トライ・アングル』で使ったことでいっそうの人気を博したらしい。瓜子としても、『トライ・アングル』とはまた異なるアレンジで奏でられるオリジナル版を拝聴できるのはありがたい限りであった。


 ただし、昨年はユーリの持ち曲であった『ピーチ☆ストーム』をカバーしていたが、今回はそのような余興も準備されていなかった。

 現在では『トライ・アングル』も持ち曲が溜まってきたため、ユーリの持ち曲はワンマンライブでしかお披露目されていないのだ。なおかつ、『トライ・アングル』は一年近くも活動休止していたので、そろそろユーリの持ち曲である三曲は『トライ・アングル』の楽曲としての存在感が薄らいでいるはずであった。


 であれば、漆原の作曲である『ハダカノメガミ』や『ケイオス』をカバーするという手もなくはないが――あちらはあくまでユーリをイメージして作られた『トライ・アングル』の楽曲であるため、『ベイビー・アピール』の四名だけではそれに匹敵するアレンジを施すというのは難しい面があるのだろう。とりわけ『ケイオス』などは八人全員の力が必要な構成であるため、たった四人ではアレンジのしようもないように思われた。


 ともあれ――そんな余興を準備せずとも、『ベイビー・アピール』のステージは見事な出来栄えであった。

 それと同時に、もはや前日にカバー曲をお披露目して『トライ・アングル』への期待感を煽る必要はない、という判断もあるのだろう。そのような手間をかけるまでもなく、明日の『トライ・アングル』のステージには絶大な期待が寄せられているというもっぱらの評判であったのだった。


『じゃ、また明日なぁ』


『トライ・アングル』の存在を示唆するのは、すべての演奏を終えた後の漆原のさりげない挨拶に集約されていた。

 瓜子も満ち足りた思いで、また客席の隅に引っ込む。するとようやく鞠山選手たちが合流したが、同行しているのは『ワンド・ペイジ』ではなく『モンキーワンダー』の面々であった。


「『ワンド・ペイジ』はステージに向かっただわよ。どうぞよろしくと伝言を承っただわよ」


 鞠山選手がそのように伝えた相手は、千駄ヶ谷である。千駄ヶ谷はクールかつ慇懃に「伝言、承りました」と一礼した。

 そして瓜子たちのもとには、『モンキーワンダー』の面々が寄ってくる。ヴォーカルの定岡美代子はユーリに、ドラムの原口千夏が瓜子に熱っぽく身を寄せてくるのは、毎度のことであった。


「やっと会えたね、うり坊ちゃん。サマスピでも会えなかったから寂しかったよぉ」


「どうも、お疲れ様です。ステージのほうも拝見しましたよ」


「うん、ありがとぉ。もののついででも、うり坊ちゃんにステージを観てもらえるのは嬉しいなぁ」


 どこかキツネを思わせる容姿の原口千夏は、にこにこと愛想よく笑っている。以前は頭の両サイドを刈りあげていた彼女であるが、現在は右側だけを刈りあげて、すべての髪を左側に流していた。瓜子としては、最近すっかりご無沙汰であるフランスのジジ選手を想起させられるヘアースタイルだ。


「ユ、ユーリさんもお疲れ様です。サマスピのライブは、客席で拝見しました。楽屋までご挨拶に行けず、すみませんでした」


 と、カラフルな頭でどこかタヌキのような容姿をした定岡美代子は、頬を火照らせながらユーリに語りかけている。ユーリはよそゆきの笑顔で「いえいえぇ」とお辞儀を返した。


「ユーリなんぞのことは、どうぞお気になさらないでくださぁい。ユーリなんて、クリームソーダに添えられたチェリーみたいなものですのでぇ」


「チェ、チェリーは、重要じゃないですか。それに、この前のライブはすごかったです。去年よりも、破壊力が増してました。クリームソーダのチェリーより重要です」


「そうですかぁ? クリームソーダのチェリーって、ユーリにとっては彩りに過ぎないのですよねぇ。いかにも人工着色料っぽいし、見た目から期待されるほどのお味ではないですしねぇ」


 定岡美代子は緊張しているし、ユーリのほうはすっとぼけているので、どこか会話もちぐはぐである。しかしまあ、微笑ましいと言えなくもなかった。

 そして、『モンキーワンダー』の残る面々――ギターのトキはユーリに、ベースのハチベイは瓜子に身を寄せてくる。男性陣とはさして面識もなかったが、それでも何度かは打ち上げをご一緒した間柄であった。


「猪狩さん、どうもおひさしぶりです。大晦日の試合を観て以来、ずっとご挨拶をしたかったんですけど……なかなか機会がありませんでしたね」


 ハチベイというのは、真面目な大学生を思わせる風貌の若者である。ただ、とても物腰がやわらかく、持っている空気が優しげであるため、瓜子もユーリも彼のことを好ましく思っていた。


「こんなに期間が空いちゃったら、感想を伝えるのもおかしいですけど……でも、あの試合はすごかったです。俺、ひとりでテレビの前で泣いちゃいました」


「うんうん。あたしはみよっぺと一緒にいたんだけど、二人してボーゼンとしちゃったなぁ。相手は大怪獣とか言われてたけど、うり坊ちゃんまでちっちゃい怪獣みたいだったもん」


 ハチベイも原口千夏も、鞠山選手の影響で格闘技に興味を持ったという立場であったのだ。瓜子は心よりの喜びを抱きながら、「恐縮です」と笑顔を返すことができた。

 いっぽうユーリのほうはトキが浮ついた言葉を投げかけており、定岡美代子にたしなめられている。トキは妻子のある身であったが、気に入った女性には遠慮なく交流を求めるタイプであったのだ。瓜子にとってもそれは面白くない事態であったため、強引に二つの輪を結びつけることにした。


「みよっぺさんとトキさんも、お疲れ様です。さっきのステージは素敵でした」


「あ、瓜子ちゃんもお疲れ様ぁ。いやあ、最近はどこにいっても瓜子ちゃんとユーリちゃんのグラビアの波状攻撃で、目のやり場に困っちゃうよ」


 そちらに加わると瓜子にまで浮ついた言葉が投げかけられてくるものの、それでユーリの負担が半減するなら望むところである。そして、二つの輪がひとつになったことで、ユーリもハチベイと親交を深めることができた。


「ハチベイさんも、お疲れ様ですぅ。ユーリのせいでずいぶんおひさしぶりですけれど、お元気に過ごされていましたかぁ?」


「はい。ユーリさんのほうこそ、お怪我のほうは大丈夫ですか? まあ、あんなステージを見せられたら、心配するほうがおかしいかもしれませんけど」


 ハチベイのおかげで、ユーリの表情がやわらかくなった。彼はアキくんと似た空気を持っているため、ユーリも初対面の心から和やかに語らうことができたのだ。

 そうして瓜子がひとり満足していると、トキを押しのけるようにして原口千夏が顔を近づけてきた。


「ほんとに最近は、うり坊ちゃんとユーリさんのグラビアがすごいよねぇ。しかもけっこう、大胆にカラんでるしさぁ。……もしかして、ついに一線越えちゃったぁ?」


「いえいえ。自分たちは、そういう関係じゃないっすよ。あれはその……二人をペアで売り出そうっていう、マネージャー陣の戦略です」


「ふうん。あたしもこんな貧相なカラダじゃなかったら、グラドルに転身してうり坊ちゃんにカラみたかったなぁ」


「こら! よそさまにご迷惑をかけるんじゃないの! 『トライ・アングル』のスタッフさんにご迷惑をかけたら、わたしが怒るよ!」


 バンド内で常識人の役を担っている定岡美代子が、すかさず原口千夏をたしなめる。それほど深い交流は持っていないが、こちらの四名も十分に個性的な集まりであった。

 そしてそこに、ステージを終えた『ベイビー・アピール』の面々までもが近づいてくる。なおかつ彼らは目立つ風貌をしているために、客席に居残っていた人々がきゃあきゃあと騒ぎ始めていた。


「よう! 楽しくやってるみたいだな! 俺たちも混ぜてくれよ!」


 こんなに賑やかにしていたら、余計に人目を集めてしまうだろう。しかもこの場には、ユーリと『モンキーワンダー』の面々まで居揃っているのだ。音楽好きの人々には、たまらない顔ぶれであるはずであった。


 が、そうして出演者がそれなりの規模で寄り集まっていると、逆になかなか近づき難いという心理も生まれるのだろうか。瓜子たちは遠巻きに囲まれながら、写真やサインをせがまれることもなく、たいそうな賑わいの中で『ワンド・ペイジ』のステージの開始を待つことがかなったのだった。

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