ACT.3 ジャパンロックフェスティバル
01 到着
円城リマとの再会を果たしたジャケット撮影の日から、十日ほどが過ぎ去って――ついに、その日がやってきた。
八月の最終土曜日、『ジャパンロックフェスティバル』の当日である。
本年も『トライ・アングル』がこちらのイベントに出場するため、瓜子とユーリは新潟県の苗場スキー場を目指すことに相成ったのだった。
『サマースピンフェスティバル』から始まり、赤星道場の合宿稽古を経て、ついに今年の夏の締めくくりである。
昨年に負けないぐらいの慌ただしさであった夏の終わりを目前にして、瓜子はすでに胸がいっぱいであった。
(でも、最後まで気を抜かないように、しっかり自分の役目を果たさないとな)
瓜子はそのように考えたが、現地までの道中はお馴染みの女子選手たちとご一緒しているため、遊楽気分が先に立ってしまうことは否めなかった。
本年の参加者は、瓜子、ユーリ、愛音、メイ、灰原選手、多賀崎選手、小笠原選手、小柴選手、鞠山選手、オリビア選手、高橋選手、そして武中選手の十二名である。昨年の顔ぶれからサキを引いて、武中選手を加えた格好であった。
昨年の段階から、サキはこのイベントに乗り気ではなかった。こちらのイベントは二日間の通しチケットで三万円という金額であったし、牧瀬里穂や『あけぼの愛児園』の子供たちを置いて新潟旅行というのが後ろめたくてならないのだろう。それでも昨年はユーリと多賀崎選手を北米に送り出すための壮行会を兼ねていたため、しぶしぶ参加していたが、本年は迷うことなく辞退していたのだった。
「でもホントは、サキのやつも来たかったんだろうねー! 『トライ・アングル』にもキョーミないって顔してるけど、ほんっと素直じゃないんだから!」
行き道の車内では、灰原選手が浮かれきった様子でそのように言いたてていた。
本年も、移動手段は二台のワゴン車である。運転手は、鞠山選手と高橋選手だ。瓜子とユーリは灰原選手ともども、鞠山選手のお世話になっていた。
「そーいえば、セミーやオニっちも音楽関係のイベントには顔を出さないよねー! あいつらはマジで、音楽に興味がないのかなー?」
セミーは蝉川日和、オニっちは鬼沢選手のことである。プレスマン道場の出稽古で交流が深まり、ついに彼女も灰原選手に愛称をつけられることになったのだ。
「蝉川や鬼沢も、合宿稽古の生演奏にはずいぶん感心してたみたいだけどね。だけどまあ、何万円もかけて新潟まで出張るほどの気持ちはかきたてられなかったってことだろうさ」
多賀崎選手がそのように答えると、灰原選手は「そっかー!」と元気に応じた。
「ま、ミミーだって音楽関係はパスだもんねー! 『トライ・アングル』の演奏にミリョーされないってのは驚きだけど、しかたないかー!」
「そりゃあ演奏を聴いた人間の全員がファンになってたら、いずれ日本国民の全員がファンになっちまうからね」
「そうなってもおかしくないぐらい、『トライ・アングル』はすっげーと思うけどねー!」
おそらくこういう話題の際、灰原選手はついユーリの存在を『トライ・アングル』の枠から外して考えてしまうのだろう。おかげさまで、ユーリはずっと瓜子の隣で気恥ずかしそうに「うにゃあ」と身をよじらせていた。
ともあれ、車中には至極なごやかな空気があふれかえっている。
昨年などはユーリとの別離が控えていたため、瓜子も力ずくで元気に振る舞っていたものであったが――本年は何の憂いもなく、この好ましい熱気と活力にひたることがかなったのだった。
◇
そうして四時間ていどの時間をかけて、二台のワゴン車は目的地に到着した。
イベント会場であるスキー場の大元締め、苗場クイーンズホテルである。本年も、『トライ・アングル』のコネクションでこの立派な宿泊施設を利用することがかなったのだった。
そちらの駐車場にワゴン車をとめて、いざホテルの入り口に向かってみると、千駄ヶ谷が凛然と立ちはだかっている。何もかもが、昨年の再現であった。
「みなさん、お疲れ様です。無事にご到着できて、何よりでした」
千駄ヶ谷は『トライ・アングル』の他の面々とともに、ひと足早く到着していたのだ。イベントの二日目である本日に『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』が出場し、最終日の明日に『トライ・アングル』が出場するというのも、昨年と同じスケジュールであった。
「今回は、みなさん四号館となります。フロアは散ってしまっていますが、どうぞご了承ください」
「こんな立派なホテルに泊まれるんだから、文句なんてありゃしないよー! 千さんも、明後日までよろしくねー!」
やはり率先して元気に言葉を返すのは、灰原選手だ。灰原選手も『スターゲイト』とマネージメント契約を結び、千駄ヶ谷の担当となったため、以前よりもさらに気安く接せられるようになっていた。
そうして千駄ヶ谷の案内で、ホテルにチェックインする。瓜子とユーリは千駄ヶ谷と同室で、残るメンバーはファミリーツインの三室に分かれる格好であった。
部屋に荷物を置いたならば、あらためてホテルの入り口に集合する。昨年の経験を踏まえて、誰もがリュックやショルダーバッグを抱えた姿だ。その内側には雨具や上着や虫よけスプレーなど、大自然まっただなかの会場に必要な用品が詰め込められていた。
ユーリは日焼け防止と人相を隠す両方の観点から、フレアハットとサングラスを装着している。それに、オーバーサイズのトップスにゆったりとしたサファリパンツという、ユーリにしては地味めのいでたちであるが、やっぱり超絶的なプロポーションは隠しきれていない。いずれはファンに取り囲まれることも必至であった。
そして瓜子はリュックの中に、非常用のプロテインと栄養補助食品を忍ばせている。《アトミック・ガールズ》の七月大会以降、ユーリがこれらの物資を必要とする場面はなかったが、しかしもちろん瓜子としては万が一の事態に備えずにはいられなかった。
「では、出発いたしましょう。会場では、『ワンド・ペイジ』の方々がお待ちです」
頼もしき千駄ヶ谷を先頭にして、いざ会場へと進軍する。
その道行きでは、本年が初参加となる武中選手が頬を火照らせていた。
「いよいよですね! しつこいようですけれど、わたし、ジャパンフェスは初めてなんです!」
「あたしらだって、みんな去年が初めてだったよー! ちょっと高くついちゃうけど、それだけの価値はあるよねー!」
灰原選手もいつも以上に元気であるし、小柴選手もひそかに瞳を輝かせている。前々からロックバンドに関心があった人間もそうでない人間も、等しく昂揚しているのだ。それもすべては、『トライ・アングル』と『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』がもたらした恩恵であるはずであった。
やがて長々とした道を踏破すると、人で賑わう会場の入り口が見えてくる。
その少し手前に、『ワンド・ペイジ』の三名が立ち並んでいた。彼らもまた人目を忍んで、キャップやサングラスなどであるていど人相を隠した姿だ。
「どうも、お疲れ様です。俺たちもご一緒させてくださいね」
『ワンド・ペイジ』を代表して、西岡桔平が穏やかに笑いかけてくる。
これもまた、昨年と同じ光景である。
ただ、昨年はここに『モンキーワンダー』のメンバーも加わっていたはずだ。彼女たちは間もなく出番であるため、今頃はステージのセッティングに勤しんでいるはずであった。
山寺博人は相変わらず仏頂面で、陣内征生は目を泳がせている。しかし彼らもまた、こちらと合流するためにわざわざ足をのばしてくれたのだ。そんな風に考えると、瓜子も胸が温かくなってやまなかった。
「あ、ユーリさんたちもお疲れ様です。この夏は、週一以上のペースでお会いしてますね」
と、西岡桔平がユーリとその左右に控える瓜子および愛音に笑いかけてくる。最初の週には『サマースピンフェスティバル』、次の週には合宿稽古、さらには新曲のレコーディングにジャケット撮影にスタジオ練習と、確かにこの八月はなかなかの頻度で顔をあわせていたのだった。
「本当に、自分なんかは光栄な限りです。……でも、撮影の日の記憶だけは抹消していただけたら幸いです」
「あはは。俺たちにとってはあれも楽しい夏の思い出なんで、それはちょっと難しいかもしれません。なあ、ヒロ?」
「……なんで俺に振るんだよ」
と、ぼさぼさの頭にくたびれたハットをのせた山寺博人は、そっぽを向いてしまう。
瓜子は自分から余計な挨拶をしたために、ひとりで顔を赤くすることになってしまった。
「それじゃあ、いざ出陣だわよ。うかうかしてたら、『モンキーワンダー』の勇姿を見逃すんだわよ」
鞠山選手の号令で、瓜子たちも入場の手続きをすることにした。
千駄ヶ谷とユーリと瓜子は、事前に渡されていた関係者用のリストバンドを装着する。他の面々は入場口でチケットと引き換えに、来客者用のリストバンドを受け取るのだ。会場内では、これらのリストバンドを装着していないとすぐさま警備員に見とがめられてしまうのだった。
そうして会場に踏み込んでいくと、また瓜子の中で思い出の蓋が開かれる。
とてつもない人の海と、そこからもたらされる熱気。あちこちに建てられた大きなテントに、そこから響きわたるダンスミュージック。そんな賑々しい空間を取り囲む、山々の稜線――『サマースピンフェスティバル』よりもさらに大規模な、野外フェスの様相だ。雪のない夏のスキー場の一面を使って、そこには六つものステージが設えられているのだった。
「ほらほら、『モンキーワンダー』はセカンドステージなんだわよ。人混みに負けないで前進するだわよ」
情緒もへったくれもないせわしなさで、鞠山選手がせきたててくる。そういえば、鞠山選手だけは『トライ・アングル』とお近づきになる前からこちらのイベントに参じた経験があったのだ。そもそも彼女自身がインディーズレーベルからCDをリリースしているアーティストの立場であったし、『トライ・アングル』より先に『モンキーワンダー』と交友を結んでいたのだった。
「いっそ、あんたもステージに上がらせてもらえばいいのにさー! ま、さすがにこんな立派なイベントじゃ、魔法老女の出る幕はないかー!」
「ふん。こんな大一番にしゃしゃりでるほど、わたいは厚顔無恥じゃないんだわよ。そのぶん、つい先週にも『モンキーワンダー』のステージにお邪魔してるんだわよ」
「えーっ! あんた、またステージで歌ったの? 格闘技のイベントでもないのに?」
「そんなのは平常運転だわし、わたいのステージではぐっちーにサポートをお願いすることもあるんだわよ。恐れ入ったら、ちゃきちゃき足を動かすだわよ」
鞠山選手は年季の入ったジャングルブーツで、ずかずかと前進していく。
そのずんぐりとした後ろ姿を見守りつつ、灰原選手は「むー」と小柴選手を振り返った。
「コッシーは魔法老女の手下だから、当然知ってたんだよねー? てゆーか、そのライブも観にいったとか?」
「あ、はい。客席で拝見しましたけれど……」
「やっぱりかー! あたしらに秘密でライブに行くとか、水臭くない?」
「ええ? で、でもみなさんは、『モンキーワンダー』のワンマンに行くほどのご興味はないかと思って……」
「キョーミはなくても、情報としては知っておきたいじゃん! もー、気がきかないなー!」
灰原選手と小柴選手のどちらに理があるのか、瓜子には今ひとつ判断がつかない。ただまあ瓜子やユーリはきわめて多忙な日々を送っていたため、それらの情報をつかんでいても観戦はあきらめるしかないところであった。
そうしてやいやい騒ぎながら、ようやくセカンドステージに到着する。
その名の通り、この会場の中では二番目に大きなステージであり、昨年の『トライ・アングル』が立ったのもこの場所である。暴風雨に見舞われた『トライ・アングル』のステージを鮮明に思い出した瓜子は、思わず身を震わせることになってしまった。
ユーリの横顔を盗み見ると、サングラスの隙間から陶然と目を細めているのが見て取れる。ユーリはすでに『サマースピンフェスティバル』で復活ライブをやり遂げていたが、本当のリベンジを果たすにはこのステージに立つ必要があるはずであった。
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