05 夜の中で
そうして九日間に及ぶ合宿稽古は無事に終了し――最終日の夜は、打ち上げであった。
そこに参じたのは、『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』の面々である。今回は彼らも所用があったようで、稽古の見物はせずに打ち上げだけご一緒することに相成ったのだった。
「いやあ、こんなメンツが勢ぞろいするのは、なんだかんだでひさびさだよな! 試合の打ち上げでは、ベイビーとワンドがそろうこともなかったしよ!」
「まあ、むさ苦しい男なんて少ないに越したことはないけどな!」
いつも陽気なタツヤとダイが、そんな軽口を交わしている。かたやスキンヘッド、かやた坊主頭にもしゃもしゃの髭面という強面の両名だが、彼らの元気さに物怖じするのは御堂美香ぐらいのものである。なおかつ、御堂美香は誰が相手でも物怖じしてしまう性分であった。
灰原久子や武中清美も、楽しそうにはしゃいでいる。武中清美は兄が『ベイビー・アピール』の友人であるため、朱鷺子たちよりも以前から彼らとつきあいがあったようなのだ。その架け橋となったギターのリュウは、どこかしんみりした面持ちで缶ビールをすすった。
「でも、ユーリちゃんがいないと勢ぞろいって感じはしないよな。さすがにこれだけ日が空くと、禁断症状が出ちまいそうだよ」
「こんな場でシケた顔してんじゃねえよ! お前なんかより、瓜子ちゃんのほうがよっぽど大変なんだからな!」
「でも自分は、毎日ユーリさんとお会いしてますからね。ユーリさんも、みなさんにお会いしたがってますよ」
猪狩瓜子がなだめるように微笑みかけると、リュウもはにかむように微笑んだ。『ベイビー・アピール』の三名は、とりわけ強く彼女の存在に心をひかれているようであるのだ。
しかし、下心というものは感じない。本人たちも主張している通り、どこかファンクラブのような様相であるのだ。もともとは、彼らのほうこそが世間に名前を売っていたはずだが――もしかしたら、今では猪狩瓜子もそれに並び立つぐらい有名になっているのかもしれなかった。
そんな彼らとは対照的に、『ワンド・ペイジ』の面々は静かに酒宴を楽しんでいる。ベースの陣内征生が内向的でギター&ヴォーカルの山寺博人がぶっきらぼうであるために、ドラムの西岡桔平がその面倒を見ながら女子選手との交流に励んでいるのだ。もっとも新参である蝉川日和も、今ではすっかり交流が深まっている様子であった。
「《G・フォース》の放映もチェックしましたよ。王座を勝ち取ったサイトーさんも凄かったけど、蝉川さんもまったく負けてませんでしたね」
「いやぁ、そんなことないッスよー! 相手は、キックの素人でしたから!」
「でも、宗田選手は柔道の強化選手ですからね。身体の頑丈さは、国内でもトップクラスのはずです」
「そうそう! それに、日和ちゃんのタトゥーは気合入ってるよなー! 俺も新しいのを入れたくなっちまったぜ!」
と、タツヤたちも猪狩瓜子ばかりにかまうことなく、さまざまな相手と交流を深めている。そんな中、清水雅だけは冷たいオーラで閉鎖空間を作り出し、鞠山花子や来栖舞といったごく一部の人間だけ接触を許していた。
朱鷺子も何となく、今日は外からこの騒ぎを見守っていたいような心地である。日中の稽古でくたびれ果てた肉体にアルコールがしみわたり、普段とは異なる浮遊感めいたものを覚えていた。
(……ウェイトを落とすって決めて以来、こういう場でしか酒なんて飲んでなかったもんな。それで今日は、とりあえずの飲みおさめか)
朱鷺子がぼんやりしていると、小柴あかりがちょこちょこと近づいてきた。
「小笠原先輩、大丈夫ですか? なんだか、お疲れのようですけど……」
「疲れてるのは、みんな一緒でしょ? アタシはちょっとのんびりしてただけさ」
「そうですか。でも……先輩がこういう場で静かにしているのは、珍しい気がしますし……」
と、小柴あかりはもじもじとした。
もともと彼女は武魂会の後輩であったが、かたや神奈川、かたや千葉の住まいであったため、親しく口をきくようになったのは彼女がMMAの世界に足を踏み込んでからとなる。そちらの支部の師範が、先達たる朱鷺子に彼女の面倒をお願いしてきたのだ。
「……小柴はさ、どうしてキックじゃなくてMMAにチャレンジしたの? あんたの階級だったら、キックでも対戦相手に困ることはなかったでしょ?」
「え? いきなりどうしたんですか?」
「いや。もうけっこう長いつきあいなのに、そういう話はしたことがないなと思ってさ」
朱鷺子がそのように言いつのると、小柴あかりは嬉しそうに顔をほころばせた。
「そんな、大した理由があるわけじゃないんです。ただ、キックだとそれほどルールに差がないでしょう? だから、MMAのほうが面白そうだなって考えたんです」
「ふうん。でも、そもそもキックやMMAにチャレンジする人間のほうが、少数派だよね。どうして他の競技に挑もうと思ったのかな?」
「それはまあ、『挑戦する勇気』っていうのが道場の理念ですし……それにやっぱり、プロファイターっていう肩書きに憧れがあったのかもしれません」
と、小柴あかりは恥ずかしそうに頬を染める。
「本当に、つまらない理由ですよね。先輩みたいに立派な志がなくて、お恥ずかしいです」
「うん? 小柴を相手に、そんな熱く語ったことがあったっけ?」
「わたしは、格闘技マガジンをチェックしてましたから。インタビューの記事を拝見したんです」
そう言って、小柴あかりはいっそう顔を赤くした。
「先輩は身体が大きくなりすぎて、武魂会や《G・フォース》でもなかなか対戦相手を見つけられなかったんですよね。でも、《アトミック・ガールズ》なら来栖さんや兵藤さんていう無差別級のすごい選手がいらっしゃるから……それで三年もかけて、《アトミック・ガールズ》でのデビューを志したんでしょう? 無差別級を盛り上げて、自分みたいな思いをしている人たちに活躍の場を与えてあげたいって……記事には、そんな風に書かれていました」
どうやら当時から、朱鷺子は言葉を飾らない人間であったようである。何も成長していないかのようで、むしろ気恥ずかしいぐらいであった。
「そっか。でも、けっきょくアタシも階級を落とすことになっちゃったからね。初志貫徹ってわけにはいかなかったか」
「そ、そんなことはありません。バンタム級だって、層が薄いことに変わりはありませんし……今はもう、来栖さんたちも引退しちゃいましたから……」
「このままいくと、大村さんも引退しちゃうかもね。大村さんはただでさえ最年長だったし、そろそろ膝とかも限界みたいだしさ」
それにやっぱり、無差別級というもの自体が時流に沿っていないのだ。競技の安全性が叫ばれる昨今、《アトミック・ガールズ》の他に無差別級を設けているMMAの団体はほとんど存在しないはずであった。
「たしか北米の《スラッシュ》なんかも、無差別級は廃止されたんだっけ。それに、いよいよ経営が苦しくなって、《アクセル・ファイト》に吸収されるんじゃないかって噂だね」
「あ、そうだったんですか。《スラッシュ》なんて、まったく馴染みがありませんけど……でもやっぱり、そういう話は物寂しいですね」
「うん。時代は動いていくものだからね。旧世代と新世代のど真ん中のアタシなんかは、悔しいような嬉しいような……複雑な気持ちだよ」
「ええ? 先輩なんて年齢的にも、今が最盛期じゃないですか。それなら、新世代に分類されるはずです」
「でも、アタシはデビューした年にアケミさんを倒して、次の年には舞さんにも一勝できたからさ。自分で言うのも何だけど、四年ぐらい前からもう頂点のひとりだったわけだよ。あんまり早く頂点にのぼっちゃうと……転落するのも、早いのかもね」
「ふん。確かに今日の朱鷺子ちゃんは、いつになくアンニュイみたいだわね」
と、どこからともなく鞠山花子が出現して、小柴あかりに「ふやぁ」と悲鳴をあげさせた。
「今のは可愛い雄叫びだっただわね。録音しなかったのが悔やまれるだわよ」
「ま、鞠山さんは、いつからそこにいらしたんですか? さっきまで、雅さんとご一緒でしたよね?」
「雅ちゃんは酔いざましと称して、ドロンしただわよ。それよりも、今は朱鷺子ちゃんだわよ」
鞠山花子に眠たげな目を向けられて、朱鷺子は苦笑することになった。
「はいはい。弱音を吐いて、申し訳ありませんでした。アタシなんかが弱音を吐くのは、十年早いってんでしょ?」
「わたいは今こそが絶頂期なんだから、選手としてのピークなんて人それぞれなんだわよ。なおかつ舞ちゃんに至っては、十年以上も『女帝』として君臨してたんだわよ? 朱鷺子ちゃんよりも若き時代から、舞ちゃんはアトミックの頂点だったんだわよ」
「うん。それは本当に凄いことだと思うよ。自分がトシをくうにつれて、舞さんの凄さが実感できちゃうね」
「ついでに言うなら、大怪獣ジュニアも化け物だわね。あいつは十六歳でデビューして、舞ちゃんよりも長い時間、《レッド・キング》の王として君臨してるんだわよ。たとえ《アトミック・ガールズ》より小規模の団体でも、相手はむくつけき男子選手ばかりだったんだわから、やっぱり生半可な話じゃないだわね」
「うん。舞さんも大怪獣ジュニアも、まぎれもなく主人公の器だよね。それに、猪狩や桃園のやつもさ」
朱鷺子がそのように答えると、鞠山花子が横に平たい顔をぐっと近づけてきた。
「……朱鷺子ちゃんはやっぱり、うり坊に初めてのダウンをくらったのがショックだったんだわよ?」
「え? 先輩が、猪狩さんとのスパーでダウンしたんですか?」
小柴あかりは目を丸くして、朱鷺子はまた苦笑することになった。
「やだなぁ。みんな自分の稽古に没頭してたはずなのに、これだから花さんは油断ならないよ」
「わたいの目は、森羅万象お見通しなんだわよ。それより、きりきり答えるだわよ」
「……別に、ショックなことはなかったよ。あいつが怪物だってことは、大晦日の段階ではっきりしてたしね」
鞠山花子は朱鷺子の瞳の奥をじっと覗き込んでから、身を離した。
「それなら、いいだわよ。朱鷺子ちゃんに負け犬根性が芽生えてなければ、何よりだわよ」
「あはは。これから王座に挑もうってのに、そんな弱腰ではいられないからね」
「まったくだわよ。では、心置きなく打ち上げを楽しむんだわよ」
と、鞠山花子はさっさと立ち去っていった。
いっぽう小柴あかりはまごまごしていたので、朱鷺子のほうが立ち上がってみせる。
「アタシもちょっと、酔いをさましてこようかな。小柴はもっと、ワンドやベイビーの人たちと絡んでくれば? 今ではアンタも、『トライ・アングル』の熱心なファンなんでしょ?」
「そ、それはそうですけど……小笠原先輩は、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。あの執念深い花さんがあっさり引き下がったのが、その証拠さ」
朱鷺子の言葉にようやく安心できた様子で、小柴あかりも酒宴の場に戻っていった。
朱鷺子は広々とした食堂を出て、行くあてもなく薄暗い廊下を歩く。日中はなかなかの気温であったが、まだまだ五月は始まったばかりである。窓から吹き込む夜風は、火照った身体に心地好いばかりであった。
外に出るつもりはなかったので、適当な場所で足を止めて、大きく開いた窓の桟に腰を掛ける。窓の向こうには、オフィス街の味気ない夜景が広がっていた。
朱鷺子はべつだん、気落ちしたりはしていない。ただ、二週間後に開催されるトーナメント戦や、猪狩瓜子の怪物じみた強さや、なかなか復調しない桃園由宇莉の面影や――さまざまな思いや情景がぐるぐると渦を巻き、気持ちや思考がとっちらかっていたのだった。
(そういえば、ベリーニャもついに《アクセル・ファイト》で王座挑戦が決定したんだっけ)
と、また脈絡のない話が頭に思い浮かぶ。
桃園由宇莉が負傷した日に《アクセル・ファイト》でデビューしたベリーニャ・ジルベルトは、三月にまた別のトップファイターを下したのち、アメリア・テイラーが保持する女子バンタム級王座への挑戦が決定されたのだった。
《アクセル・ファイト》は実力至上主義であると同時に、エンターテインメント性も重視している。有望で客うけのいい選手には、惜しみなくチャンスが与えられるのだ。それでベリーニャ・ジルベルトは、わずか三戦目でタイトルマッチに抜擢されたのだった。
桃園由宇莉が大きくつまずいた日に、その憧れであるベリーニャ・ジルベルトは大きな栄光の手がかりをつかんだのだ。そして朱鷺子は、彼女が王座をつかむことをほとんど確信していた。かつては秋代拓海の卑劣な反則行為によってマットに沈む姿を見せた彼女であるが、真っ当な勝負で敗れる姿などはそうそう想像できるものではなかった。
(何せあいつは、舞さんが相手でも圧勝してみせたんだからな)
ベリーニャ・ジルベルトもまた、主人公に相応しい器であろう。
右拳を負傷した状態で彼女と判定勝負までもつれこんだ桃園由宇莉も、ベリーニャ・ジルベルトに唯一の黒星をつけた赤星弥生子も――そして、そんな赤星弥生子と引き分けた猪狩瓜子も、みんなみんな主人公の器だ。彼女たちこそ、それぞれがこの世界を明るく照らし出す太陽のごとき存在なのだろうと思われた。
朱鷺子もまた、かつてはそのひとりであったはずだ。
何せ朱鷺子も、来栖舞や兵藤アケミに勝利して、無差別級の三強と呼ばれた身なのである。
しかし――その頃から、来栖舞と兵藤アケミはすでに故障を抱えていた。
朱鷺子が中学生の時代には格闘技マガジンの表紙を飾っていた彼女たちも、すでに斜陽の時節にあったのだ。
だからこそ、朱鷺子には大きな期待がかけられていたはずであるが――朱鷺子が彼女たちに勝ち越す前に、新たな恒星が出現した。ユーリ・ピーチ=ストームこと、桃園由宇莉である。輝きを失いつつあった来栖舞と兵藤アケミを看取ったのは、朱鷺子ではなく彼女であったのだった。
また、朱鷺子自身も桃園由宇莉に敗北している。
その後には、秋代拓海にも敗れてしまった。薄汚い連中から《アトミック・ガールズ》を取り戻したのは、桃園由宇莉や猪狩瓜子や清水雅であったのだ。朱鷺子はその場に立ちあうこともできず、入院先のベッドで吉報を受け取ることになったのだった。
(つくづくアタシは、主人公の器じゃないってことなのかな。花さんみたいに、名脇役を目指せってことか)
そのとき、薄暗い廊下の向こうからひたひたと近づいてくる者があった。
そちらを振り返った朱鷺子は、わずかに息を呑む。それは、来栖舞に他ならなかった。
「やあ、舞さん。酒も飲んでないのに、酔いざましかな?」
「うん。人の熱気に、いささか酔ってしまったかもしれないな」
節度のある距離で立ち止まり、来栖舞は強い眼光を向けてくる。ただその武人めいた顔は、とても穏やかであった。
「ただそれより、朱鷺子の様子が気にかかっていた。……いや、わたしは何も気づいていなかったのだが、花子の言葉に不安をかきたてられてしまってな」
「花さんか……あっさり引き下がったかと思ったら、やっぱり油断ならないなぁ」
朱鷺子はまた苦笑することになった。
「でも、何も心配はいらないよ。別に落ち込んでるわけじゃないからさ」
「うん。朱鷺子は、気丈だからな。わたしもそういう心配はしていなかった。ただ……朱鷺子は花子や雅に負けないぐらい頭が回るのに、我を通そうという欲が薄い。その穏やかでつつましい性格も、わたしは好ましく思っているのだが……こういう際には、いささか懸念の種になってしまうようだ」
「懸念の種?」
「うん。朱鷺子には、もっと我を通してほしいと思う。《アトミック・ガールズ》の行く末だとか、格闘技界の行く末だとか、そういう堅苦しい話は脇に置いて……自分の試合に集中してほしいんだ」
朱鷺子は「ふうん」と応じながら、前髪をかきあげた。
「アタシはこれでも、めいっぱい集中してるつもりだけどね。それより舞さんは、直属の後輩である高橋の心配でもしてあげたら?」
「道子は、心配する甲斐がない。この数ヶ月で、あいつは見違えたからな」
「へえ。アタシと対戦する可能性もあるのに、そんな内情をバラしちゃっていいのかな?」
「このていどで、道子が不利になることはないだろう。今のあいつは、朱鷺子よりも強いだろうからな」
さしもの朱鷺子も、その言い草には息を呑むことになってしまった。
「……舞さんのトラッシュトークなんて、初めて聞いたよ。それでアタシに喝を入れようってつもりなの?」
「わたしは事実を口にしているだけだ。今の道子なら、ああまで容易く猪狩くんの攻撃をくらうことはないだろうし……たとえ攻撃をくらっても、ダウンしたりはしなかっただろう。猪狩くんが八オンスのグローブで道子をダウンさせるには、二ケタのクリーンヒットが必要なはずだ」
「……猪狩だったら、それぐらいはやってのけそうだけどね」
「そうだな。しかし、道子と対戦するのは猪狩くんではなく、君だ。たとえ一回戦で当たらなくても、決勝戦で対戦することになるだろう」
「それでアタシが高橋より弱いってんなら、直属の後輩が王者になって万々歳だね」
「そうだな。しかし、道子が勝とうが朱鷺子が勝とうが、わたしは同じだけの嬉しさと悔しさを噛みしめることになる。それより、わたしが望むのは……二人が万全の状態で対戦することだ」
「アタシは、万全じゃないっての?」
「うん。少なくとも、わたしやアケミと向かい合ったときの君は、もっと激しく闘志を燃やしていた。どうか、あのときの熱情を取り戻してほしい」
来栖舞が、一歩だけ近づいてきた。
目だけは炯々と輝きながら、やはりその顔は穏やかだ。
そして、それだけ近づくと、来栖舞の左まぶたにうっすらと残された古傷が見て取れた。
かつて兵藤アケミとの試合で――あの、格闘技マガジンの表紙を飾った死闘において刻まれた古傷である。
「今の道子は、朱鷺子よりも強い。もしかしたら……君と対戦した頃のわたしよりも、強いかもしれないな」
「へえ。それは大したもんだね」
朱鷺子は窓の桟から降り立って、真正面から来栖舞と相対した。
「でも、アタシもあの頃のアタシより強いよ」
「そうなのかな。わたしには、そうは思えない」
「だったら、試合で証明してみせるさ。アタシが高橋よりも舞さんよりも強いってことをね」
朱鷺子がそのように答えると、来栖舞はふっと微笑んだ。
「やっと瞳に輝きが戻ったな。これでようやく、道子と五分だ」
「なんだよ。やっぱり、挑発してるじゃん」
「挑発ではなく、事実だ。でも……二人が万全の状態で対戦すれば、かつてのわたしと朱鷺子の試合よりも素晴らしい内容になるはずだ」
そんな風に語りながら、来栖舞はまだゆったりと微笑んでいる。
以前には、決して見せなかった表情だ。かつての彼女は常に張り詰めており、孤高な狼のような迫力を撒き散らしていた。
しかし――いずれの来栖舞であっても、朱鷺子の思いに変わりはない。
その思いに従って、朱鷺子も笑ってみせた。
(もしもアタシが、舞さんに憧れてプロファイターを目指したんだって打ち明けたら……舞さんは、どんな顔を見せてくれるんだろうな)
しかしべつだん、今さらそのような話を蒸し返そうという気にはなれない。
ただ、もしも次の興行で、朱鷺子がチャンピオンベルトを巻くことができたなら――勢いあまって、そんな言葉をぶちまけてしまうかもしれなかった。
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