ACT.7 Tokiko Ogasawara's Golden week
01 集結
四月の最終土曜日――ゴールデンウィークの初日である。
その日、武魂会の東京本部道場にMMA女子ファイターの精鋭が集結した。
武魂会小田原支部からは小笠原朱鷺子、船橋支部からは小柴あかり。
天覇館東京本部からは、来栖舞、御堂美香。
天覇ZEROからは、鞠山花子。
新宿プレスマン道場からは、サキ、猪狩瓜子、邑崎愛音、メイ、蝉川日和。
四ッ谷ライオットからは、多賀崎真実、灰原久子。
玄武館からは、オリビア・トンプソン。
ビートルMMAラボからは、武中清美。
総勢は十四名。実に錚々たる顔ぶれである。広々とした鍛錬場でそれらの面々と相対した朱鷺子は、ついつい頬がゆるんでしまった。
「今年の初参加は、武中さんと蝉川か。桃園の復帰が間に合わなかったのは残念な限りだけど……この顔ぶれで文句を言ったら、バチがあたるだろうね」
「うん。道子やアケミや真央も残念がっていたが、こればかりはしかたないだろう」
そのように応じてきたのは、朱鷺子にとっても大先輩にあたる来栖舞である。
高橋道子や香田真央もかつては参加を表明していたが、バンタム級王座決定トーナメントにおいて朱鷺子と対戦する可能性が浮上したため、断念せざるを得なかったのだ。香田真央の同門である兵藤アケミも、また然りであった。
そんな中、高橋道子と同門である来栖舞と御堂美香は、こうして参加してくれている。朱鷺子と高橋道子はつい先日までプレスマン道場における出稽古をともにしていた間柄であったため、そうまで秘匿するべき事柄は残されていないのだ。それでもさすがに高橋道子本人だけは合宿稽古の参加を控えて、来栖舞はまた全体のコーチ役を受け持ってくれたのであった。
「でも、ピンク頭もさー! 病院でトレーニングを再開したってんでしょ? そんな元気になったのに、どうしていまだにお見舞いもできないのさ?」
灰原久子が元気にわめきたてると、猪狩瓜子は「はい」と申し訳なさそうに微笑んだ。
「ここ最近は、みなさんとじっくりお話する機会もなかったっすよね。よかったら稽古を始める前に、ざっくり説明させてもらってもいいっすか?」
「うん、もちろん。でも当然、口外法度の内緒話ってことだよね?」
「はい。そこまで秘密にする理由はないんすけど……やっぱりマスコミとかがうるさいんで、基本的にユーリさんの容態やリハビリの内容なんかは部外秘にしようって話に落ち着きました」
そのように語る猪狩瓜子は、落ち着いた面持ちであった。
であれば、悪い方向には転がっていないのだろう。それでも朱鷺子は、心して拝聴することにした。
「以前にお伝えした通り、怪我に関しては全快しました。骨折も靭帯損傷も、百パーセント治ったと言っていい状態であるそうです。それでようやく体重のほうも戻り始めたんすけど……そうしたら今度は、栄養摂取と運動量のバランスを取るのが難しくなって、熱を出すことが増えちゃったんすよね」
「そこまでは聞いてるよー! で、今度はリハビリに格闘技のトレーニングを組み込んだってんでしょー?」
「はい。ちょうど《アトミック・ガールズ》の三月大会の翌日から、そういう措置が取られるようになりました。それから、ひと月半ぐらいが経過したわけですね」
と、そこで猪狩瓜子の目が真剣な光を帯びた。
きっと懸命に、不安の念を押し殺しているのだろう。それはまるで、試合前のように勇ましい眼差しであった。
「やっぱりユーリさんにとっては待望のトレーニング再開だったんで、当初は目覚ましい結果が出ていました。最初の一週間ぐらいで、体重が一気に十キロぐらい増加したそうです」
「なるほど。でもちょっと心配になるぐらい、極端な結果だね」
「はい。実際に、いいことばかりじゃなくって……栄養摂取の割合が増加して、毎日熱を出す羽目になっちゃったんすよね。きちんとカロリー計算をしてトレーニングメニューを組んだのに、想定よりも大幅にカロリーを消費しちゃったみたいです。だから、トレーニングが終わるたびに昏睡状態になりかけて、栄養摂取の割合を増やすしかなかったそうです」
当時のことを思い出したように、猪狩瓜子はしばしの間、唇を噛んだ。
「それでやっぱり、トレーニングは取りやめるべきかって話になりかけたんすけど……そうしたら、ユーリさんがどっぷり落ち込んじゃって……せっかく増えた体重が、またぐんぐん減り始めちゃったんすよね」
「ふん。さすがお牛様は、細胞レベルでカラダの出来が違ってるみてーだなー」
「はい。冗談まじりでそんな風に言えるようになったのが、おめでたい限りっすね」
猪狩瓜子があどけない笑顔を取り戻すと、サキは仏頂面でその頭を小突いた。プレスマン道場の面々に限っては、リアルタイムでそういう話を聞いていたはずであるのだ。
「それでトレーニングを再開したんすけど、初めの内は手探り状態だったみたいです。それが安定してきたのは、この十日間ぐらいっすね。栄養摂取と運動量の折り合いがだいぶわかってきて、熱を出すのは三日にいっぺんぐらいに抑えることができたそうです」
「もう体重は、もとの数値に戻ったって話だったっけ?」
「それがちょっと、難しいところなんすけど……熱を出すと、がくんと体重が落ちちゃうんすよ。それでトレーニングを再開するとまた体重が戻ってきて、熱を出すと減るっていう繰り返しで……ここ二週間は、最高値が五十七キロで最低値が五十二キロだそうです」
「五キロも差が出るのは、やっぱり心配だね。まだまだ経過観察が必要なわけだ」
「はい。だけど……ユーリさんは、すごく楽しそうです。それが一番の、救いですね」
と、世にも幸福そうな微笑を覗かせてから、瓜子は申し訳なさそうに周囲の面々を見回した。
「ただやっぱり、なかなか面会の許可が下りなくって……ユーリさんも、すごく申し訳なさそうにしてました。みなさんはそんなことで腹を立てたりはしないって、自分が言い聞かせてるんすけど……」
「うん。そんなことで文句を言うのは、うちの灰原ぐらいなもんさ」
「なんだよー! あたしは文句をつけてるんじゃなくて、ピンク頭もさぞかし残念がってるだろうなーって思っただけだよ!」
灰原久子は怒っているような甘えているような顔で、多賀崎真実の肩をがくがくと揺さぶった。その姿に、猪狩瓜子はまたあどけない笑顔を見せる。
「お気遣いありがとうございます。ユーリさんもこの合宿に参加できなくて、本当に残念がっていましたよ。この無念の思いは、リハビリのトレーニングにぶつけるそうです」
「そういう話を聞くと、アイツは相変わらずだって安心できるね。ちなみに、稽古の勘どころみたいなもんも少しは復活してるのかな?」
朱鷺子の問いかけに、猪狩瓜子は「はい」と力強くうなずいた。
「寝技のスパーなんかは、大したものでしたよ。もう怪我をする前のレベルに戻ったんじゃないかって思えるほどです」
「それはますます、心強いね。復帰の日が楽しみだ」
猪狩瓜子はもう一度、「はい」とうなずいた。
言うまでもなく、桃園由宇莉の一日も早い復帰を願っているのは彼女であるのだ。もっとも深い苦しみを味わわされた彼女には、もっとも深い喜びを授かる資格があるはずであった。
「ユーリさんが負傷してから、もうすぐ半年ですもんね。わたしもここまで長引くとは思っていませんでした。もちろん頭蓋骨の陥没骨折っていうのは大ごとでしょうけれど……脳にダメージがなくて予後も良好だったんなら、もっと早く回復していたのでしょうしね」
そのように発言したのは、新参たる武中清美である。それに「まったくだわね」と賛同したのは、鞠山花子であった。
「ここまでくると、入院が長引いてるのは本人のおかしな体質が原因だとしか思えないだわよ」
「それは、院長先生も似たようなことを言ってました。怪我そのものより、怪我から回復する過程に問題があったみたいです」
「まったく、難儀な話だわね。ところで、前々から聞こう聞こうと思ってただわけど……千駄ヶ谷マネージャーが代筆していたピンク頭のブログまで完全に沈黙してるのは、何か計算があってのことなんだわよ?」
「はい。中途半端に情報を小出しにするより、完全復帰のタイミングで一気に盛り上げたほうが効果的だろうっていう判断みたいです。あと……情報の小出しは、格闘技業界にとっての雑音になるんじゃないかって……そんな風に言ってましたね」
「それはまったく、その通りなんだわよ。あんたもそんな、不満たらたらの顔をするんじゃないだわよ」
「はあ。自分も頭ではわかってるつもりなんすけど……」
と、猪狩瓜子は可愛らしく口をとがらせる。
すると、灰原久子が陽気に笑いながらその肩を抱きつつ、鞠山花子の個性的な顔を横目で見やった。
「そりゃーピンク頭を雑音あつかいされたら、うり坊だってスネちゃうよねー! にしてもあんたは、ピンク頭のブログまでチェックしてたんだー? あんたがそこまでピンク頭にゴシューシンだとは思ってなかったよー!」
「わたいが着目してるのは、あのクールビューティーな千駄ヶ谷マネージャーのマネージメント能力なんだわよ。ピンク頭のみならず、『トライ・アングル』の成功にだって千駄ヶ谷マネージャーの采配が大きく関わってるはずなんだわよ」
「あー、『トライ・アングル』のライブも、早く観たいよねー! 今度また、みんなでワンドとかベイビーのライブを観にいこーよ!」
と、だいぶ話が脱線してきたようなので、朱鷺子は「さて」と指揮を取ることにした。
「それじゃあ桃園についての話はここまでにして、楽しい楽しい稽古を開始するとしようか。今日から最終日まで、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」「押忍!」「はーい!」と、それぞれの流儀に従ってさまざまな言葉が返されてくる。その統一感のなさこそが、この合宿稽古の有意義さを物語っていた。
武魂会の道場を拝借したゴールデンウィークの合宿稽古も、本年でついに三回目の開催となる。現在の女子格闘技業界の潮流を作ったのは間違いなくこの合宿稽古なのであろうから、朱鷺子も大いなる意欲をもって幹事を務めているのだった。
そんな朱鷺子の熱意に応じて、本年もこれだけの顔ぶれが集まってくれた。かえすがえすも、桃園由宇莉の復帰が間に合わなかったのは残念な限りであったが――しかしそれなら、朱鷺子たちはいっそうの気合でこの合宿稽古をやり遂げなければならないはずであった。
(実際問題、桃園のやつがファイターとして復帰できるかどうかは、不確定だ。それなら、残されたアタシたちが何とかしないといけないからね)
朱鷺子がそのように考えたとき、出入り口の扉に設置されたランプが点滅した。何者かが玄関口のチャイムを鳴らした合図である。
コーチ役でウォームアップの必要がない来栖舞が手振りで合図をして、自ら扉を出ていく。それに気づいた灰原久子が、ストレッチをしながら「んー?」と小首を傾げた。
「誰かお客さん? 予定のメンバーは、これで全員っしょ?」
「うん。ひとり不確定なメンバーがいたんで、それは通達してなかったんだよね」
「えー、だれだれー? もしかして、今年も卯月大明神が面倒を見てくれるとかー?」
「たわけたことを抜かすんじゃないだわよ。来月に《アクセル・ファイト》でご活躍される卯月様に、そんなヒマはないんだわよ」
事情をわきまえている鞠山花子が、取りすました顔でそのように応じる。
やがて来栖舞とともに鍛錬場にやってきたのは――前回の興行で引退を表明した、清水雅に他ならなかった。
「わーっ、雅ねーさんじゃん! なんで京都のねーさんが、こんなところにいるのさー!」
「くふふ。朱鷺子ちゃんや花子ちゃんにお誘いを受けたさかい、老体に鞭打って参上したわけやねぇ」
清水雅はねっとりと微笑みながら、妖艶なる切れ長の目でその場に居並んだ人々を見回した。ちりめん素材のトップスにだぼだぼのアラジンパンツという、まあそれなりに活動的ないでたちだ。そのゆるくウェーブした艶やかなる黒髪は、ざっくりとアップにまとめられていた。
すると、ウォームアップのさなかであったサキが、ゆらりと立ち上がる。そちらの切れ長の目には、きわめて物騒な光が瞬いていた。
「おめー、よくものこのことツラを出せたもんだなー。今日こそは、息の根が止まるまで蹴りたおしてやらー」
「あぁら、サキちゃんもおひさしぶりやねぇ。寝技のスパーやったら、なんぼでもお相手したるさかいなぁ」
清水雅は怯んだ様子もなく、いっそう愉快そうに咽喉で笑った。
「うちはコーチ役としてお呼ばれしたんや。見知った人らもそうでない人らも、最終日まであんじょうよろしゅうになぁ」
そうして一同は、十五人目のメンバーを迎えて――ついに本年の合宿稽古が開始されたのだった。
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