04 熱戦
最終試合が出番である久子は、控え室のモニターで数々の試合を見届けることになった。
プレマッチでは、二組のアマチュア選手が試合を披露する。それはどちらも判定勝負までもつれこみ、それほど心に残るような内容でもなかったが――久子も初めての試合は、《アトミック・ガールズ》のプレマッチであったのだ。彼女たちがプロに昇格して久子たちの縄張りに踏み入ってくる日が、楽しみでならなかった。
その後は本選の第一試合として、小柴あかりと犬飼京菜の熱戦が繰り広げられる。
久子が仲良くしているあかりは、残念ながら敗北を喫した。しかし、犬飼京菜をKO寸前まで追い込んでの惜敗であった。久子は胸が熱くなってやまなかったし、適当な言葉で茶化す雅が腹立たしくてならなかった。これだから、この得体の知れない女性とはなかなか仲良くなれないのである。
その後は、三試合連続で調整試合だ。久子と同じ階級である山垣詩織やひとつ上の階級に上がってしまった時任香名恵は、無事に勝利をあげていた。そういえば前回の興行では、長らく休養していた後藤田成美も復帰試合に勝利していたのだ。
後藤田成美は二回連続で、瓜子とのタイトルマッチを負傷欠場した立場となる。調整試合で勝利したからには、またタイトル争いの資格が授与されることになるのだろう。久子が本日のタイトルマッチで勝利したならば、自分がそれを迎え撃つことになるわけであるから――そのように考えると、胸が躍ってならなかった。
そしてその後の第五試合では、マリアがオリビアに勝利した。
マリアも、これが復帰試合である。そこで格下の選手でなくトップファイターのオリビアをぶつけられたのは、彼女が期待されている証なのだろう。そちらは真実と同じ階級の話であるのだから、久子としても他人事ではなかった。
その後は十五分間のインターバルをはさんで、バンタム級の王座返還と、新たな王者を決めるイベントについての告知が為される。
これでユーリは、ついに王座を失ってしまったのだ。
客席にも悲嘆のざわめきがあげられていたが――しかし久子は、気にしていなかった。どうせユーリなど、心配するだけ損であるのだ。彼女が復帰したならば、また化け物じみた活躍で世間を騒がせるに決まっていた。
(でも、まだちょっとリハビリがうまくいってないみたいなんだよな。それでも心配はいらないと思うけど……むしろ、うり坊が心配かな)
しかし本日も、瓜子は気丈に振る舞っていた。決して自分の気持ちを押し殺しているのではなく、不安よりも大きな希望の念を抱いているのだろう。彼女は内心を隠せるような人間ではないので、それだけは確かであった。
であれば久子も、瓜子と一緒にユーリの復活を信じるのみである。
ユーリが道場に戻ってくれば、また出稽古で顔をあわせることができるのだ。そのときこそ、さんざん心配をかけたお礼をしてやるつもりであった。
そうして興行は、後半戦に差し掛かり――まずはグラップリング・マッチで、亜藤要が新進気鋭の柔術選手から一本勝ちを奪取した。相手は柔術の世界大会で確かな結果を出していたそうだが、亜藤要の貫禄勝ちである。久子は彼女からKO勝利を奪取した立場であったが、やはり組み技と寝技の技術は群を抜いているのだろうと思われた。
その次は、鞠山花子と武中キヨの一戦だ。
驚くべきことに、これは花子の秒殺勝利に終わった。久子も天覇ZEROで出稽古を積んでいる身であったので、花子の実力は重々承知していたのであるが――それにしても、ここまでの結果は予想していなかったのだった。
(やっぱ初見では、あのカエルみたいなステップワークが厄介なんだろうなー。あたしもいつか対戦が決まったら、気をつけないと!)
久子は亜藤要や山垣詩織と対戦したばかりであったので、今日の試合に勝とうが負けようが、次に対戦する可能性が高いのは花子や後藤田成美や――あとは、メイなどであったのだ。いずれも、侮れない相手ばかりであった。
そうして第八試合は、ついに真実と魅々香の一戦である。
久子はそこで、涙をこぼすことになってしまった。
一進一退の激闘の末、真実が敗北することになってしまったのだ。
それも、顔面に膝蹴りをくらってのKO負けである。勝っても負けても判定勝負の多かった真実がKO負けを喫したのは――おそらく、二年前の沙羅との一戦にまでさかのぼるはずであった。
あれはゴールデンウィークの合同合宿で瓜子たちと仲良くなる前の話であったから、真実も試行錯誤のさなかであった。ストライカーと呼ばれながらも立ち技で苦労をすることの多かった真実は、レスリングの稽古に重点を置き――それでも、沙羅にKOされてしまったのだ。そののちに、大阪の地方大会でも結果を出せなかった真実は、一念発起してゴールデンウィークの合宿稽古に臨んだのだった。
それ以降、真実は連勝街道を突っ走っていた。マリアやオリビアに勝利することでトップファイターと認められて、ついには沖一美に連勝して《フィスト》の王者に輝いたのだ。
そして『アクセル・ロード』の舞台では、体格でまさるシンガポールのトップファイター、ロレッタ・ヨークにも勝利して――そののちに、青田ナナに敗北した。しかしそれもジャッジの評価が2対1に分かれた大接戦の判定勝負であった。
そうして今年に入ってからは、一月の調整試合と二月の防衛戦で勝利して――そしてこのたび、二年ぶりのKO負けを喫してしまった。その結果に、久子は涙をこぼしてしまったのだった。
(でも……マコっちゃんは、大丈夫だ)
モニターに映される真実は笑っており、勝利した魅々香のほうが泣いていた。それは、去年にも見た姿であった。『アクセル・ロード』における一戦でも、敗北した真実が笑っており、勝利した青田ナナのほうが突っ伏して泣き咽んでいたのだ。
きっと真実は、それだけの力を相手に見せつけることができたのだろう。勝った相手が泣かずにはいられないほど、真実は相手を追い詰めてみせたのだ。そして、真実は満足そうに笑っているのだから――これほど頼もしい話はないはずであった。
「きっとミミーは沙羅にも勝って、アトミックのチャンピオンになるだろうね! そしたらマコっちゃんがリベンジして、二冠王だよ!」
控え室を出た久子は、廊下の途中で行きあった真実にそう伝えてみせた。
その際にも、真実は満足そうに微笑んでいた。
「そんな泣き腫らした目で、何を騒いでるのさ。それよりも、あんたは一世一代のタイトルマッチだろ」
「もー! 誰のせいだと思ってるのさー! あたしはひと足先に、アトミックのチャンピオンになっちゃうからね!」
久子は新たにこぼれた涙をぬぐい、真実のごつごつとした身体をぎゅっと抱きすくめてから、入場口の裏手に向かった。
雅の陣営はすでに出陣して、そのスペースは無人だ。四ッ谷ライオットのコーチ陣を相手に、久子は最後のウォームアップに取り組んだ。
ついに、瓜子とのタイトルマッチである。
そして、久子にとってはリベンジマッチだ。真実が沙羅に敗れた一昨年の一月、久子もまた瓜子に敗北していたのだった。
それ以降、久子はずっとリベンジに燃えていた。
この二年間ですっかり瓜子と仲良くなって、さらには彼女の化け物じみた強さもまざまざと思い知らされて――それで、いっそうの熱情を燃やすことになったのである。
瓜子はこの二年間で《アトミック・ガールズ》の王者となり、小さな怪物として覚醒した。そして、その後を懸命に追いかけていた久子が、ついに挑戦する権利を獲得できたのだ。誰に何を言われるまでもなく、久子は人生で一番の熱情を胸に、今この場に立っているのだった。
「相手の唯一の弱みは、スロースターターってことだ。序盤から、飛ばしていけよ?」
ヘッドコーチがそのように言いたてると、雑用係の男子選手も「そうそう」と気安く相槌を打った。
「まあ、それでもタイトルマッチや外国人選手との試合で秒殺をかませるような実力なんだけどな。その奥にひそんでるブースターに火がついたら、もう手がつけられねえ。短期決戦しか、勝機はねえよ」
「わかってるよ! ラウラやスウェーデン女の二の舞にはならないさ!」
セコンド陣はへらへらとしていて言動も荒っぽかったが、それも久子の性分には合っていた。だからこそ、他のジムや道場に移籍しようという心持ちにはならないのだ。プレスマン道場や天覇ZEROの出稽古は有意義きわまりなかったが、それでも久子や真実のホームはこの四ッ谷ライオットであったのだった。
そうして久子がウォームアップに励んでいると、ずっと騒がしかった客席にさらなる歓声が爆発する。
雑用係が扉の向こうを覗き見して、「ははん」と肩をすくめた。
「初回のラウンドで、毒蛇の姐さんがKOされちまったみたいだな。いよいよ世代交代ってこった」
「そっかー! ま、サキのやつはジンジョーでなく強いからね! 階級を落としちゃったのが残念だよ!」
久子は最後に渾身の右ミドルをキックミットに叩きつけてから、上下のウェアを脱ぎ捨てた。その下に着込んでいるのは、もちろんレオタードを仕立てなおしたバニーガールとしての試合衣装である。大会規定の厳しくなった現在の《アトミック・ガールズ》において、衣装の改造を許されたのは久子と花子とあかりの三名のみであった。
久子は私生活においても、バニー喫茶という珍妙な場所で働いている。四ッ谷ライオットに入門すると同時に夜の商売から身を引き、あちこち点々とした末に、そのほどよく浮ついた職場と巡りあうことになったのだ。そうして久子はアマチュア選手としてデビューする際からバニーガールを模したコスチュームを使用していたため、もはやこれは生まれ変わった自分を象徴する姿であったのだった。
バニーガールの姿になると、いっそうの気合があふれまくる。
それでコーチにお願いして、おまけのミドルキックをミットに叩きつけたところで、客席のほうからまた大歓声が巻き起こった。
「んー? 何だか妙に騒がしいな。負けちまった毒蛇姐さんが、乱闘騒ぎでも起こしやがったか?」
久子もセコンド陣とともに小首を傾げることになったが、わざわざ扉から覗き見しようとまでは思わない。すると、花子がいつになくせわしない足取りで控え室から駆けつけてきた。
「ねえねえ、あっちで何かあったのー? 試合中に負けないぐらいの騒ぎになってるみたいだけど!」
花子はわずかに息を切らしながら、短くて太い首をぶんぶんと横に振った。
「……大した話じゃないんだわよ。あんたは、タイトルマッチに集中するだわよ」
眠たげにまぶたの下がった花子の目に、普段とは異なる光が瞬いている。それは何か怒っているかのような、あるいは悲しんでいるかのような――まったく感情の定まっていない目つきであった。
いつもふてぶてしい花子がこのような目つきを見せるというのは、ちょっと尋常な話ではない。試合場のほうで、何かのっぴきならない事態が生じたのだ。
久子は花子を元気づけるために、めいっぱいの笑顔を送ってみせた。
「あっそー。ま、あたしは雅ねーさんとそんなにつきあいがあるわけじゃないし、励まし役はあんたに任せるよ」
そのとき、入場口の扉から雅が姿を現した。
全身が汗だくで、ほどけた前髪が白い面にべったりと張りつき、さらにはこめかみからひと筋の血が滴っている。それでもその妖艶なる顔には、普段通りの取りすました表情が浮かべられていたが――しかし、切れ長の目はどこか虚ろであった。
雅は無言のまま久子たちのかたわらを通りすぎ、廊下の壁にもたれて座り込む。花子がそちらに駆け寄るのを見届けてから、久子は入場口のほうに向きなおった。
(あんたにとっては大切な相手なんだろうから、せいぜい気づかってあげなよ。必要だったら、試合の後であたしも協力するからさ)
しかし今は、瓜子とのタイトルマッチである。
久子は熱情ではちきれそうになりながら、入場口の扉をにらみつけ――そこに、『青コーナーより、バニーQ選手の入場です!』というアナウンスが響きわたったのだった。
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