05 第二の魔法少女とミニマム・サイクロン
《アトミック・ガールズ》三月大会は、開会セレモニーから大いに盛り上がった。
前回の一月大会が盛り上がりに欠けたためか、普段以上の熱気であったのだ。そして、その中でもっとも熱狂的な歓声を浴びていたのは、やはり猪狩瓜子に他ならなかった。
猪狩瓜子は大晦日の《JUFリターンズ》で赤星弥生子と対戦し、二月の《フィスト》で外国人選手を下し、堂々たる戦果をひっさげて《アトミック・ガールズ》に凱旋してきたのである。前回の興行においてもセコンドの身で大歓声を浴びていたものであるが、やはり四ヶ月ぶりの凱旋試合で、しかもそれが人気と実力が急上昇中である灰原久子とのタイトルマッチであるということで、期待はいや増すばかりであるのだろう。同門ならぬ花子でも、何やら誇らしい気持ちであった。
そうしてプレマッチの二試合が終了したならば、早くも小柴あかりの出番となる。犬飼京菜と彼女の一戦は、映えある第一試合に抜擢されたのだった。
(どうも最近は、期待をかけられた若手の選手が第一試合に抜擢されるようね。……期待に応えられるように頑張って、あかりさん)
第七試合の出番である花子は軽いウォームアップに励みつつ、控え室のモニターで小柴あかりの勇姿を見届けることになった。
モニター前のパイプ椅子には、四ッ谷ライオットの面々が陣取っている。そして孤高の清水雅は、知らん顔でベンチシートに身を横たえていた。
モニターには、スカイブルーの魔法少女コスチュームを纏った小柴あかりの入場シーンが映し出されている。花子が授与した魔法のステッキを握りしめつつ、本日も彼女は雄々しい気迫をみなぎらせていた。
いっぽう赤コーナー陣営からは、黒と緑のカラーリングで統一したドッグ・ジムの一団が入場してくる。相変わらず、犬飼京菜は燃えさかる炎のごとき気迫であり、そしていずれのジムよりも強固な一体感をかもし出していた。
もともと盛り上がっていた会場は、両選手の気迫によっていっそうわきかえっていく。
そうして試合が開始されると、さらなる熱気が爆発した。ブザーが鳴らされると同時に、犬飼京菜が弾丸のごとき勢いで突進したのだ。
もちろん小柴あかりも十分に用心していたため、慌てる素振りもなく横合いにステップを踏んでいく。
だが――犬飼京菜は、驚くべき動きを見せた。小柴あかりが横移動しても軌道を修正せず、無人のフェンスに突進して、炎の矢を思わせる跳び蹴りを披露して――そのままフェンスを蹴り抜くや、その反動を利用して小柴あかりの逃げた方向に跳躍し、そこからさらに側転をして、小柴あかりに躍りかかったのである。
それは何だか、『アクセル・ロード』で暴虐の限りを尽くした宇留間千花を思わせる姿であった。
しかしまた、こういったファイトスタイルを先に披露していたのは犬飼京菜のほうであるし――それに、技の正確性においては比較にもならない。宇留間千花は力まかせに暴れていただけであったが、犬飼京菜は尋常ならぬ稽古によって余人には及びもつかないアクロバティックな奇襲技を体得したのだ。
そんな犬飼京菜が、側転をしながら蹴り技を放つ。
小柴あかりは危ういタイミングで頭を下げて、何とかその猛攻を回避した。
しかし、体勢を整える間も与えず、犬飼京菜はさらなる攻撃を仕掛けてくる。側転を完遂させた彼女はその勢いのまま横回転して、今度はバックスピンハイキックを繰り出した。
まだ上体をあげたばかりであった小柴あかりは、腕で頭部をガードする。
その前腕に、犬飼京菜の右かかとがめりこんだ。
小柴あかりは、たまらず上体を泳がせる。そこに今度は、正面からの左ハイキックが繰り出された。
小柴あかりは強引に上体を起こして、回避しようと試みる。だが、完全に回避することはかなわず、右の頬を浅く削られることになった。
小柴あかりは、ほとんど走るようにして距離を取る。
犬飼京菜もまた、颶風の勢いでそれを追いかけようとしたが――その鼻先に、小柴あかりがハイキックをお返しした。
犬飼京菜は、素晴らしい反射速度でバックステップを踏む。それでようやく動きが止まり、花子は詰めていた息を吐くことになった。
やはり、犬飼京菜の勢いというのは尋常でない。まるで、意思を持った竜巻のようだ。
しかし小柴あかりもわずかに手傷を負いながら、何とか脱することができた。凡百の選手であれば、この段階で試合は終わっていたはずだ。今しっかりとマットに足を踏みしめているだけで、小柴あかりの実力は証明されていた。
(頑張って、あかりさん。一発でも攻撃を当てることができたら、必ず勝機が見えるはずよ)
客席の大歓声が、控え室の壁をも震わせている。
そんな中、犬飼京菜が再び躍りかかった。自らの打たれ弱さなどまるで念頭にないかのような、アグレッシブな挙動であった。
テクニカルな小柴あかりは何とか足を使って逃げようとするが、犬飼京菜の勢いがそれを許さない。十二センチの身長差であるというのに、犬飼京菜は必ず自分から先に攻撃を仕掛けて、相手を防御に回らせた。
遠い距離からの関節蹴りに、前蹴りに、サイドキック――それらのすべてが、小柴あかりの身に届いている。いずれの攻撃もガードできていたが、その一発ごとにダメージは溜まっていくことだろう。犬飼京菜の猛攻というのは、それだけの破壊力が備わっているのだ。
そして花子の目は、犬飼京菜のさらなる巧みさも捕らえていた。彼女はただ大技を繰り出すばかりでなく、その合間に目や手や腰の動きでもって、タックルのフェイントを入れているのだ。それでリーチでまさる小柴あかりも、なかなか反撃できずにいるのだった。
小柴あかりも、確かな実力を持っている。そうであるからこそ、タックルのフェイントが意識に引っかかってしまうのだ。いっそそれほどの鋭敏な感覚を持っていなければ、タックルのフェイントも把握しきれずに反撃できていたのかもしれないが――その場合は、無防備にカウンターをくらって試合が終了するのだろうと思われた。
何にせよ、小柴あかりは防戦一方である。
相手の攻撃はガードできているものの、間合いの外に逃げることはできていない。この近年で犬飼京菜と対戦してきた、アトム級の精鋭たち――サキや邑崎愛音や大江山すみれは、これほどの攻撃をくらうことはなかった。
(でもそれは、ファイトスタイルの違いに起因しているはずよ。サキさんたちはアウトファイターで、あかりさんはインファイターなのだから……あかりさんは、その距離で活路を見出さないといけないの)
インファイターである小柴あかりは、サキたちほど華麗なステップで距離を取ることはできない。
しかし彼女はその代わりに、インファイターとしての頑丈な肉体を持っていた。武魂会で鍛えてきた彼女は、サキたちよりも遥かに打たれ強いはずであるのだ。
さらに言うならば、小柴あかりはストロー級から階級を落としてきた身である。シェイプされたのは下半身のみで、上半身の頑丈さはほとんど損なわれていない。これだけの猛攻にさらされて立っていられるのは、彼女の頑丈さと精神力の証であった。
「頑張れ、コッシー! これをしのげば、チャンスはあるよー!」
灰原久子はパイプ椅子から落ちそうな勢いで身を乗り出しつつ、歓声をあげている。
しかし犬飼京菜は、スタミナの化け物である。二分、三分と時間が過ぎても、その暴風雨めいた猛攻は衰えのひとつも見せなかった。
モニターでも、小柴あかりの両腕が青黒く腫れているのが見て取れる。
きっと明日からしばらくは、両腕が使い物にならないだろう。それに、序盤にハイキックをくらった右の頬も、赤く擦り剝けて血がにじんでしまっていた。
だが、小柴あかりの双眸には気迫がみなぎっている。
ステップで逃げることをあきらめた彼女は、その場に留まって反撃のチャンスをうかがっているのだ。
犬飼京菜は、炎の槍のごときサイドキックを繰り出す。
その瞬間――小柴あかりはボディを守りつつ、ぐっと腰を落とした。
小柴あかりの左腕に、犬飼京菜の右かかとが突き刺さる。
その蹴り足が戻されるタイミングに合わせて、小柴あかりも前進した。
足裏を押された格好の犬飼京菜はバランスを崩す前に、軸足でバックステップを踏む。
それを追いかけて、小柴あかりも大きく踏み込んだ。そして、青黒く変色した右腕を真っ直ぐ突き出した。
バックステップのみでは逃げきれなかったため、犬飼京菜は大きく上体をのけぞらせる。
それを追いかけた小柴あかりの右拳が、犬飼京菜の鼻づらを浅く叩いた。
そして小柴あかりは左足でも踏み込みつつ、今度は左拳を突き出す。空手流の、追い突きだ。
最初の拳でわずかばかりに重心を揺らされた犬飼京菜は、次の動きが遅れている。
その右頬に、小柴あかりの追い突きがクリーンヒットした。
もとより後方に逃げようとしていた犬飼京菜は、その勢いも相まってサッカーボールのように吹っ飛んでいく。
小柴あかりは、不屈の闘志でそれを追いかけようとした。
(深追いは駄目よ! しっかりダメージを与えたんだから、ここは慎重に――)
花子の心の叫びが届いたかのように、小柴あかりが足を止める。
その鼻先を、何かが通りすぎていった。後方に吹き飛ばされながら、犬飼京菜が顔面を狙って前蹴りを繰り出したのだ。
小柴あかりはぜいぜいと息をつきながら、青黒く変色した両腕を構えなおす。
背後のフェンスに激突した犬飼京菜はそちらにもたれかかったまま、やはり荒い息を吐いていた。
ほんの一瞬の静寂の後、小柴あかりはあらためて前進する。
すると、犬飼京菜はほとんど倒れ込むようにして身を屈め、右足をマットと平行に旋回させた。彼女が得意にする、水面蹴りである。
だが、普段ほどの鋭さはない。小柴あかりは軽く前足をあげることで、それを回避してみせた。
しかし、犬飼京菜の本当の狙いは、その後にあった。彼女は屈んだ体勢から、そのまま相手につかみかかろうとしたのだ。
寝技の技術は、犬飼京菜のほうがまさっている。
よって、小柴あかりもタックルの対処は磨きぬいていた。彼女はその鍛錬の成果を示すべく、カウンターの膝蹴りを繰り出した。
しかし――小柴あかりの足もとに向かっていた犬飼京菜の小さな身体が、途中で浮かびあがっていく。
そして、その右拳が地を這うように上昇した。彼女は低空タックルをフェイントにして、右アッパーを射出したのだ。
膝蹴りをすかされた小柴あかりは、首をねじってその攻撃を回避する。
次の瞬間、その身が頼りなく揺らいだ。
右アッパーはかすりもしなかったのに、小柴あかりは膝から砕けてしまう。
そして、その膝がマットに着くより早く――犬飼京菜が、至近距離からハイキックを繰り出した。
まったくの無防備であった小柴あかりの下顎に、犬飼京菜の足先が突き刺さる。
そうして意識を飛ばされた小柴あかりは、力なくマットに倒れ伏すことになった。
「わーっ! なんでなんでー!?」
灰原久子はパイプ椅子に座ったまま、地団駄を踏む。
その真相は、スロー再生で明かされることになった。犬飼京菜は右アッパーをフェイントにしながら、左拳で小柴あかりのレバーを撃ち抜いていたのだ。
ただそれは、殴るというよりも拳を押し当てるような、小さな挙動であった。だからこそ、小柴あかりも知覚することができなかったのだ。
「ああ、犬っころお得意のワンインチパンチやねぇ。あんな乱戦のさなかにそないな手管まで
ベンチシートで寝釈迦の体勢を取っていた清水雅が、そんな言葉を飛ばしてきた。
モニター上では、犬飼京菜がレフェリーに右腕を掲げられている。しかし彼女も真っ直ぐ立つことが困難なようで、頼りなく上体が揺らいでいた。
「犬っころの攻略まで、あと半歩いうところやったねぇ。あかりちゃんは、ご愁傷様や」
「……そうだわね。きっと次の機会には、見事なリベンジを飾ってくれるだわよ」
「そやろか? あかりちゃんもぴちぴちやけど、犬っころはさらに若いんやろ? 次の機会には、差が広がっとるかもしれへんねぇ」
清水雅がくすくす笑うと、灰原久子が顔を真っ赤にして立ち上がろうとした。
しかし、かたわらの多賀崎真実が無言でその腕をひっつかむ。花子としても、今さら彼女の毒舌に腹を立てる気にはなれなかった。
(雅さんこそ、彼女たちに追われる立場なのだものね。きっと内心では、自分が対戦することを想定して奮起しているのだわ)
ともあれ――花子が面倒を見てきた小柴あかりは、敗北を喫することになった。
しかし、何も嘆く必要はないだろう。彼女はトップファイターとして、恥ずるところのない姿を見せたのだ。犬飼京菜、小柴あかり、邑崎愛音、大江山すみれ――サキと清水雅を含めたこの六名が、今後は《アトミック・ガールズ》のアトム級を盛り上げていくのだろうと思われた。
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