04 《アトミック・ガールズ》三月大会
花子の多忙な日々は粛々と流れすぎ――あっという間に、一週間が経過した。
三月の第三日曜日、《アトミック・ガールズ》三月大会の当日である。
会場は、すっかり常打ち会場の感が出てきた『ミュゼ有明』となる。
しかし前回は七割ていどの集客しか望めず、パラス=アテナの経理は火の車であったようだが――今回は、無事に満員札止めの結果と相成った。運営陣はストロー級とアトム級の二大タイトルマッチというとっておきのマッチメイクで、観客の心をつかんでみせたのである。
また、花子はそれ以外のマッチメイクに関しても満足していた。
一月大会は欠場する選手が多く、精彩を欠いていたのだ。その無念を晴らすべく、運営陣はありったけの力で本日の試合を組んだようであった。
犬飼京菜 vs まじかる☆あかりん。
オリビア・トンプソン vs マリア。
武中キヨ vs まじかる☆まりりん。
魅々香 vs 多賀崎真実。
サキ vs 雅 。
猪狩瓜子 vs バニーQ。
自らの試合も含めて、花子はそれらの六試合に注目している。これらの試合は、いずれも《アトミック・ガールズ》の未来を占う上で重要な一戦になりえるはずであった。
なおかつ本日は、桃園由宇莉が保持していたバンタム級王座の返還と、次なる王者を決めるミニトーナメントの開催が発表される予定になっている。
そちらにエントリーされるのは、小笠原朱鷺子、高橋道子、香田真央の三名であった。いずれも無差別級で活躍していた三名が、申しあわせたようにバンタム級までウェイトを絞ることになったのだ。
その一件を耳にした際も、花子は胸を騒がせることになった。
何せ、高橋道子に香田真央というのは、それぞれ来栖舞と兵藤アケミの直属の後輩であるのだ。そこに小笠原朱鷺子が加われば、まさしく《アトミック・ガールズ》のかつての全盛期――ユーリ・ピーチ=ストームがデビューする以前の、あの熱気が再現できるのではないかという期待をかきたてられてしまうのだった。
もちろん花子は、ただ懐旧の思いで胸を騒がせているわけではない。
そもそも、その時代よりもユーリ・ピーチ=ストームや猪狩瓜子が活躍した近年のほうが、よほど興行は盛り上がっているのだ。集客に関してもグッズの売り上げに関しても世間の評判に関しても、それが厳然たる事実であった。
しかし、だからこそ、花子は期待してしまうのである。
桃園由宇莉や猪狩瓜子のおかげで、《アトミック・ガールズ》は大いに盛り上がった。そこに、来栖舞たちが持っていた輝きまでもが加えられたならば、いったいどれだけの熱気となるのか――そんな夢想を抱いてしまうのである。
(まあそれは、道子さんや真央さんの頑張り次第だけれどね)
果たして彼女たちは、小笠原朱鷺子の好敵手たり得るのか。すべては、そこにかかっていた。
ともあれ、そちらの雌雄が決せられるのは次回の興行においてのことだ。まだ空白である四番目の席に誰が招かれるのかも含めて、花子は心の片隅で期待しておくことにした。
そうして、いざ会場入りである。
花子が天覇ZEROと武魂会のメンバーを引き連れて控え室に乗り込むと、そちらにはなかなか混沌とした空気があふれかえっていた。本日は、赤星道場や四ッ谷ライオットに加えて清水雅までもが同じ青コーナーの陣営であったのだ。
「あらぁ、一週間ぶりやねぇ、花子ちゃん。今日もお元気そうやないの」
清水雅は、一週間前と変わらぬ妖艶な微笑みを投げかけてくる。試合を控えた本日は、ちりめんの端切れがパッチワークされたウェア姿だ。しかしどれほどカジュアルな格好をしても、彼女の優雅さと妖艶さが損なわれることはなかった。
「おかげさまで、調整もばっちりなんだわよ。雅ちゃんも、つやつやのお肌が万全のコンディションを如実に物語ってるんだわよ」
「くふふ。どないな二日酔いでも、うちのお肌は万全やけどなぁ」
そんな風に語る清水雅の左右には、見慣れぬ二名の男性が控えている。どこぞで雇用した専用のトレーナーたちであろう。ジムを脱退して以来、彼女は毎回そういう人々をセコンドに招いていた。
「わーっ、魔法老女まで到着しちゃったかー! なーんか今日は、落ち着かない控え室だなー! チミモーリョーのソークツに投げ込まれた気分だよー!」
元気な声でわめきたてのは、四ッ谷ライオットの所属である灰原久子である。清水雅は、すかさず妖艶なる流し目をそちらに送った。
「もしかして、そらぁうちのせいなんかいなぁ? そやったら、けじめをつけなあかんねぇ」
「わー、うそうそ! 雅ねーさんは関係ないってば! 一緒の控え室になれて、コーエイです!」
灰原久子は大慌てで、多賀崎真実の広い背中に隠れてしまう。あの小さな怪物たる猪狩瓜子とタイトルをかけて勝負するというのに、まったく怯んではいないようだ。花子は内心で安堵しながら、「ふん」と鼻を鳴らしてみせた。
「逃げ隠れするぐらいなら、大口を叩くんじゃないだわよ。こんな軟弱なウサ公にメインイベントを託すことになるなんて、無念の極みだわね」
「へっへーん! 悔しかったら、あんたもタイトルマッチに抜擢されてみなー!」
「わたいはあんたより数ヶ月も早く抜擢されてるんだわよ。脳髄の出来はニワトリ以下だわね」
そんな軽口の応酬に励みつつ、花子は手荷物を片付けた。
その間に、小柴あかりとそのセコンドである小笠原朱鷺子が四ッ谷ライオットや赤星道場の面々と挨拶を交わす。それを横目に、またねっとりと微笑んだ清水雅が花子に語りかけてきた。
「それにしても、今日は花子ちゃんまで青コーナーなんやねぇ。うちはプレスマン陣営の都合でこっちに押し込まれたみたいやけど、花子ちゃんはどないな理由なん?」
「はてさてだわよ。考えられるとしたら、あかりんと犬飼京菜の都合だわね。あかりんにはうちのサブトレーナーもセコンドにつくんで、わたいも同じ陣営に割り振られる運命なんだわよ」
「あの犬っころは、そないに期待をかけられとるんやろか?」
「トーナメントで決勝まで進んでるんだから、期待をかけられてもおかしくないだわよ。あの犬っころは、まだ雅ちゃんとサキにしか負けてないだわしね」
「ふぅん。せやさかい、正規王者のうちが青コーナー陣営いうのは、業腹やねぇ」
そんな風に語りながら、清水雅は小柴あかりに流し目を送った。
「あかりちゃんは、あんじょうお気張りやぁ。こないな扱いに満足しとったら、大成せえへんさかいなぁ」
「は、はい! 全力を尽くしてみせます!」
やはり清水雅が相手であると、誰もが気を張ってしまうようだ。
しかし、これも清水雅が選んだ道である。彼女は周囲を威圧することで、現在のポジションを確立してきたのだった。
(わたしや舞さんには本音をこぼしてくれることもあるけど、絶対に弱みを見せようとしないし……今のコンディションは、どんな感じなのかしら。サキさんは故障を抱えながらもひと皮むけたみたいだし、心配だわ)
しかし、花子にできるのは、盟友の戦いを見守ることのみである。
そうして心中の不安をなだめながら、花子は羽田真里亜のほうを振り返った。
「マリアも控え室で顔をあわせるのはひさびさだわね。無事に復帰を飾れるように、祈ってるだわよ」
「ありがとうございます! オリビアさんは強敵ですけど、頑張りますねー!」
鎖骨の骨折から復調した彼女は、これが復帰試合であるのだ。彼女と多賀崎真実と御堂美香――本日は『アクセル・ロード』に出場した人間の三名までもが参戦しているのだった。
二大タイトルマッチに注目が集められているものの、そちらの三名にも小さからぬ関心が寄せられている。『アクセル・ロード』で優勝候補の一角を崩した多賀崎真実と、肘の負傷で涙のリタイアとなった御堂美香、そして宇留間千花に惨敗した羽田真里亜――現在の彼女たちがどれだけの実力であるのかと、そういう話題が持ち上がっていたのだ。
(運営陣としては、沙羅さんの出場も切望しているのでしょうけれど……二回続けて、プロレスのほうを優先されてしまったのよね。負傷もしていないのに何ヶ月もMMAの試合から離れて、試合勘が狂ったりしないのかしら)
花子としては、そちらも心配になってしまう。鴨之橋沙羅とはさしたる親交もなかったが、彼女は《アトミック・ガールズ》のフライ級王者であり、今の時代を担うひとりであるのだ。その去就には、関心を寄せずにはいられなかった。
(でも、まずは自分の試合よね。他の試合も気にかかってしかたないけれど……自分が不甲斐ない姿を見せてしまったら、お話にならないわ)
そうして花子は、いざ試合場に向かうことになった。
そちらでは、さらに多彩な顔ぶれが待ちかまえている。新宿プレスマン道場に、天覇館東京本部、横浜ドッグ・ジム、そして花子が対戦する武中清美のビートルMMAラボである。呆れたことに、灰原久子はいつもの調子で猪狩瓜子に笑いかけていた。
「うり坊、おつかれー! ついにこの日が来ちゃったねー!」
「はい。今日はよろしくお願いします」
猪狩瓜子も猪狩瓜子で、屈託のない笑顔を返す。
ただ――どちらも満身から、気合をみなぎらせていた。彼女たちは決して馴れあっているのではなく、友愛と闘志を分けることのできる人間であるのだ。それは、花子も同じことであった。
プレスマン陣営は、単体でも賑やかだ。本日出場するのは猪狩瓜子とサキのみであったが、コーチ陣の他に邑崎愛音やメイ・キャドバリーも顔をそろえている。なおかつ、出場する二名はどちらもタイトルマッチであるので、セコンド陣にも普段以上の熱情が感じられた。
(由宇莉さんのバンタム級王座は、返還されることになってしまったけれど……これまでは、三本のベルトを保持していたのだものね。まったく、大した話だわ)
やはり昨今の《アトミック・ガールズ》を――いや、女子格闘技界を牽引していたのは、まぎれもなく新宿プレスマン道場であったのだ。そして、それに次ぐのは鴨之橋沙羅と犬飼京菜を擁するドッグ・ジムであるのかもしれなかった。
(天覇系列は、ちょっと沈滞気味だものね。わたしたちも、頑張らないと)
そんな思いを胸に秘めながら、花子は御堂美香のもとを目指すことにした。
御堂美香は本日も張り詰めた面持ちで、ストレッチに励んでいる。それを見守るのは天覇館のコーチと来栖舞、それに高橋道子であった。
「美香ちゃんも舞ちゃんも道子ちゃんも、ちょっぴりおひさしぶりだわね。調子は、如何だわよ?」
「うん。肘のほうは、問題ない。少し休養が長引いてしまったけれど、美香にはちょうどよかったんじゃないかな」
来栖舞が、穏やかな面持ちでそのように答えてくれた。
現役時代は常に厳しい面持ちをしていた彼女であるが、最近はやわらかな一面を見せる機会が多くなっていた。しかし、その内に以前と変わらぬ熱情や厳格さが残されていることを、花子は知っている。たとえ現役を退いても、来栖舞はかけがえのない朋友であり、敬愛の対象であった。
「道子ちゃんも、順調にウェイト調整が進んでるようだわね。次回のミニトーナメントは、期待してるんだわよ」
高橋道子は多くを語らず、ただ「押忍」とだけ口にした。
以前は力士のような風貌であったが、今はごつごつと骨ばった印象になっている。彼女は七十五キロのウェイトを六十一キロにまで落とそうとしているのだ。
まあ、平常体重はもっと重くてかまわないのだろうが――何にせよ、過酷な話である。ただ、顔の肉も落ちてすっきりしたためか、これまで以上に精悍な容姿になっていた。
(きっと今は美香さんのサポートに集中して、気を張っているのね。道子さんは、優しいから)
花子もまた、黙々と身体を動かしている御堂美香に声をかけておくことにした。
「美香ちゃん。今日の試合は、期待してるだわよ。真実もずいぶん力をつけたようだけど、地力ではまったく負けてないんだわよ」
御堂美香は、とてもキーの高い可愛らしい声音で「はい」と応じてくる。花子は、その声が好きだった。ずいぶんな強面に生まれついてしまった彼女の真なる精神性が、その声音に集約されているような印象であったのだ。
御堂美香は、きわめて純真な人間なのである。生来の病気のせいで周囲に迫害されながら、彼女はまったく歪むことなく純真な人柄を育んできた。その優しさと強靭さが、花子には何より好ましく思えた。
いっぽう、彼女と対戦する多賀崎真実のほうは、実直きわまりない。不愛想だが性根は優しく、これまた好ましい人柄である。そんな両名が数時間後には遠慮なく殴り合うことになるのだから、格闘技というのは愉快な競技であった。
しかし、御堂美香と多賀崎真実であれば、どちらが勝ってもおたがいに得るものは大きいだろう。連勝で調子をあげている多賀崎真実か、数ヶ月の休業を経て復帰試合に臨む御堂美香か――花子も心して、その戦いを見守る所存であった。
「花子もコンディションは万全なようだな。……ところで、雅は一緒じゃなかったのか?」
「うん? 雅ちゃんなら、さっきまで一緒に――」
と、花子は視線を巡らせてみたが、清水雅の姿はかき消えてしまっていた。
「……今日はひさびさに、放浪癖が発露したみたいだわね。雅ちゃんもブランクが長かったから、きっと相応に気を張っているんだわよ」
「そうか。まあ、一年以上も休業していきなりの王座統一戦で、しかも相手はサキくんだからな。さしもの雅も、平静ではいられないか」
そう言って、来栖舞は双眸を強く光らせた。
「わたしたちは陣営も別々なので、雅をサポートすることも難しい。花子も自分の試合に集中しなければならない身だが……可能な範囲で、雅を頼む」
「まかされただわよ。でもまあ、雅ちゃんなら心配ご無用なんだわよ」
清水雅は、そういう気遣いを屈辱と感じてしまう人柄であるのだ。
よって花子は、そちらでも黙って見守るしかなかった。
そうしてさまざまな思惑がもつれあう中――《アトミック・ガールズ》の三月大会は、いざ開幕される段に至ったのだった。
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