04 祝勝会と忘年会(下)

 その後も、パーティーは至極賑やかに進行されていった。

 本日は何の余興も準備していなかったが、ただ語らっているだけで十分に満ち足りた時間である。こういったパーティーには初参加であった武中選手や時任選手も、滞りなく楽しめているようであった。


「みなさん、本当に仲がいいんですね! こんな輪の中に入れていただけて、本当に嬉しいです! 家に戻ったら、兄貴に自慢しちゃいます!」


「本当にねぇ。これで試合になったら遠慮なく殴り合えるんだから、みんな大したもんだよぉ。今日だって、先月対戦したばかりの人間がどっさり居揃ってるもんねぇ」


 そういえば、今日はアトム級暫定王座決定トーナメントのベスト4が全員参席しているのだ。ただし、犬飼京菜を除く三名は当日の打ち上げでも同席していたのだから、まったくもって今さらの話であった。


 その犬飼京菜は他者とのコミュニケーションを苦手にしているはずであるが、そこは沙羅選手が上手い具合にナビゲートしてくれているようだ。沙羅選手自身もこういった催しにはあまり顔を出さないタイプであるが、そこは持って生まれたふてぶてしさが功を奏しているようであった。


 それに、交流が薄い人々に関しては、灰原選手や鞠山選手が率先して架け橋になってくれる。そうだからこそ、武中選手や時任選手もこの輪の中に取り込まれることになったのだろう。一昨年のゴールデンウィーク以来、そちらの両名の果たした役割は非常に大きいはずであった。


「ところでさ。来年からは、アタシもちょいちょいこっちでお世話になろうと計画してるんだよね」


 そんな風に語り出したのは、わざわざ小田原から駆けつけてくれた小笠原選手であった。


「アタシも首を痛めて以来、合同合宿ぐらいでしかご一緒できなかったでしょ? しばらくはウェイト調整の期間にあてて、試合の目処も立ってないし……いい機会だから、こっちに腰を据えて稽古を積んでおきたいんだよ」


「そうしたら、プレスマンにも出稽古に来てくださるんすか? それなら、自分は大歓迎です」


「ありがとう。でも、小柴までひっついてきちゃったら、さすがにキャパオーバーかな?」


 小笠原選手がそのように言いたてると、にこにこと笑顔で話を聞いていた小柴選手がたちまち「えーっ!」と声を張り上げることになった。


「わ、わたしだってようやくアトム級のトーナメントが終わって、心置きなくプレスマンにお邪魔できるんだって考えていたんですけれど……せっかく先輩までいらっしゃるのに、わたしは遠慮しないといけないんでしょうか……?」


「そんな悲しそうな顔しないでよ。決定権は、プレスマンのお人らにあるんだからさ」


「もちろん小柴選手だって、大歓迎っすよ。また昔みたいに、一緒に頑張りましょう」


 瓜子がそのように告げると、小柴選手はぱあっと顔を輝かせた。相変わらず、子犬のように愛くるしい小柴選手である。

 ちなみに小柴選手は先月のサキとの対戦で、左耳の内側を五針も縫っている。しかし試合の当日も病院で応急処置をしてから、打ち上げの場に駆けつけてきたのだ。斯様にして、この場に集まった面々は試合の結果や内容に左右されることなく親睦を深めていたのだった。


「最近では、灰原さんと多賀崎さんに、あとは高橋が出向いてるんだよね? オルガがいなくなっても、十分な賑やかさだね」


「はい。でも、三月のマッチメイク次第では、また灰原選手たちも離脱することになるでしょうから……小笠原選手の申し出は、なおさらありがたいです」


「ああ、灰原さんも王座挑戦のカウントダウンだもんね。猪狩もまだしばらくは対戦相手に困らなそうだから、羨ましい限りだよ」


 そう言って、小笠原選手はハイボールのグラスに軽く口をつけた。


「何せ猪狩は、手つかずのトップファイターが山ほど残されてるもんね。亜藤さんに山垣さんに後藤田さん……時任さんは階級を変更しちゃったけど、黄金世代がまるまる残されてるわけだ」


「ええ。その前に、まずは弥生子さんっすけどね」


「うん。それこそ、大一番だよね。まさか猪狩が大怪獣退治の二番槍になるとは思わなかったよ。でも……これで何となく、道筋ができたって感じかな」


「はい。道筋っすか?」


「うん。《アトミック・ガールズ》の最強選手が、大怪獣ジュニアに挑戦できるっていう道筋だね。最初が桃園で二番手が猪狩なら、それに続くのが次代の最強選手ってわけだ。アタシとしても、なんとかそのポジションを狙いたいところだよ」


 そう言って、小笠原選手はゆったりとした力感にあふれる笑顔を見せた。


「まあ、挑戦のチャンスが一年後だとしたら、それを悠長に待ってはいられないけどね。とにかくアタシはバンタム級で実績を築いて、《アクセル・ファイト》との正式契約を目指す。それが来年の抱負かな」


「はい。小笠原選手だったら、きっと成し遂げられますよ。……もちろん、ユーリさんもですけど」


「うん。あいつがバンタム級のまま挑むんなら、《アクセル・ファイト》の場で決着戦だね。もしもフライ級に戻すんなら……おたがいが王座をつかんだ上で、王者対決かな」


 小笠原選手の力強い笑顔に、変わりはない。そして、ユーリの復帰を前提として語るその言葉が、瓜子の心を深く満たしてくれた。


「やっぱり目標は、高く持たないといけませんよね! わたしの来年の目標は、《アトミック・ガールズ》と《フィスト》の二冠王です!」


 と、同じテーブルで歓談していた武中選手が、頬を火照らせながらそのように宣言した。


「そうしたら、その前に立ちはだかるのは猪狩さんと灰原さんでしょうから! これは《アクセル・ファイト》との正式契約にも負けないチャレンジだと思います!」


「うん。国内にそれだけの強敵が居揃ってることが、むしろ羨ましいぐらいだよ。あとは《アクセル・ファイト》でストロー級が開設されるのが待ち遠しいところだね」


 小笠原選手が笑顔でそのように応じたとき、いきなりクラッカーの破裂音が鳴り響いた。

 瓜子たちが仰天して振り返ると、灰原選手に負けないぐらいゴージャスなワンピースを着た鞠山選手が壇の上に立ちはだかっている。


「盛り上がってる最中に、失礼するだわよ。みんながへべれけになる前に、ちょっとお願いしたいことがあるんだわよ」


 鞠山選手はどしんと床の上に降り立ち、ワンピースの裾をひるがえして部屋の奥へと突き進んでいく。二十名から成る参席者は、小首を傾げながらそれを追いかけることになった。

 二階はまるまる貸し切りになっているため、部屋の奥は無人である。最奥のテーブルには何の料理も置かれておらず、そして壁に何か細長いものが立てかけられていた。


「あかりん、ちょっとそっちを持ってほしいんだわよ」


「は、はい! でも、何ですか、これ?」


 小柴選手が、その細長い物体をつかみ取る。一メートルていどの長さを持つ、筒状の何かである。いまだ正体は不明であったが――ただ瓜子は、そのカラフルな色合いにどこか見覚えがあるような気がした。


「ああ。もしかして、そいつは《アトミック・ガールズ》のフラッグかな?」


 小笠原選手がのんびりと声をあげると、鞠山選手は「ご名答だわよ」とその物体を引っ張った。すると、筒状の物体がしゅるしゅるとほどかれて、ホワイトとピンクとライトグリーンで構成された《アトミック・ガールズ》のロゴがあらわにされる。それは試合会場などで壁に飾られている、《アトミック・ガールズ》の特大フラッグであったのだ。


「へー! どこからそんなもんを引っ張り出してきたのさ? それってたしか、非売品でしょー?」


「駒形代表にお願いして、一枚頂戴してきたんだわよ。ま、パラス=アテナにとっては先行投資みたいなもんだわね」


「センコートーシ? さっぱり意味がわかんないなー! そいつを何かの景品にでもしようっての? そんなのもらっても、飾る場所がないっしょー!」


「低能ウサギは黙って見てるんだわよ。あかりん、こいつの真の姿をご開帳だわよ」


 鞠山選手と小柴選手が立ち位置を入れ替えて、フラッグの裏面を瓜子たちの前にさらした。

 それと同時に、瓜子は息を呑んでしまう。本来は真っ白であろう裏地に、黒いサインペンでびっしりとイラストが描かれていたのだ。


「わー、何これ! あんたが描いたのー?」


「愚問だわね。わたい以外の誰に、これほどの偉業が成し遂げられるんだわよ?」


 その中心にでかでかと描かれていたのは、瓜子の顔であった。ユーリが今でも毎日眺めているあのイラストと同じタッチで、可愛らしくデフォルメされた瓜子の顔が描かれていたのだ。

 しかし、それ以外にもたくさんのイラストが描かれている。瓜子の顔の半分ほどのサイズ感で、何十もの顔がびっしりと散りばめられていたのだ。そしてそれは、いずれも瓜子がよくよく見知っている女子選手たちの――つまりは、この場に集結している面々のイラストであったのだった。


「すげーすげー! わー、マコっちゃんも描かれてるー! ちょっと可愛すぎるけど、やっぱ男前だねー!」


「こいつはちょいと、コメントに困っちまうね。……ていうか、その隣のはあんたじゃん」


「えー、どれどれー? ……なんだよー! あたしはどーしてこんなに憎たらしい顔なのさー!」


「あんたの普段の憎たらしさを、過不足なく表現してるんだわよ。我ながら、いい出来だわね」


 灰原選手は不満顔であったが、瓜子の目から見てもそれは十分に可愛らしいイラストであった。チェシャ猫のように歯を出して笑っているさまも、いかにも灰原選手らしいふてぶてしさである。


 それにしても、やっぱり鞠山選手の画力というのは大したものであった。今回はモノクロで、サインペンで手早く描かれているようであるのに、ひと目で誰の顔かわかるぐらい特徴をとらえているのだ。なおかつそれが実物に負けないぐらい魅力的な仕上がりであるのだから、大したものであった。


「なるほど。つまりこれは、寄せ書きなわけだね」


 と、最前列でしゃがみこんでいた小笠原選手がそのようにつぶやくと、灰原選手が「寄せ書き?」と首を傾げた。


「寄せ書きって、みんなでコメントとかを書くもんでしょ? これは魔法老女がひとりで描いただけじゃん!」


「そのイラストの隣に、本人がコメントを書くってことでしょ。ほら、ここに見本があるよ」


 小笠原選手が指し示すのはフラッグの右下の隅であり、そこには兵藤アケミおよび香田選手のイラストと、短い文面が書き記されていた。


『あんたは立派に闘った。堂々と胸を張って戻ってきてほしい。みんなと一緒に、その日を待っている』


『桃園さんの試合には、強く胸を打たれました。また稽古をご一緒できる日を心待ちにしています』


 兵藤アケミは雄々しく力強い筆致で、香田選手は丸っこい可愛らしい筆致で、それぞれそのように書きしたためている。

 そしてそれは、ユーリに対する激励の言葉に他ならなかったのだった。


「でも、こんなもんをいつ書いてもらったの? あの二人は、名古屋でしょ?」


「ちょうど昨日、関西でグラップリングの大会があったんだわよ。残念ながら、雅ちゃんだけは断固拒否だっただわね」


「あはは。雅さんらしいね」


 すると今度は、二階堂ルミが「あーっ!」と声を張り上げた。


「これ、弥生子さんだー! それに、マリアちゃんやナナさんまでそろってるー! こんなの、いつの間に書いてもらったんですかー?」


「今日のランチは、『オラ!ホロ』だったんだわよ。そのついでで、赤星道場の面々にもお願いしてみたんだわよ」


「あー、今日はマリアちゃんが昼番だったっけー! ……あれれ? でも、今日は日曜日だから、ナナさんとかはいないはずですよねー?」


「大怪獣ジュニアが一報入れたら、飛んできたんだわよ。それでわたいも、その場でイラストを追加したんだわよ」


 赤星弥生子の凛々しくも可愛らしい顔の隣には、『復帰の日を待っています』という一文が記されている。そのごく短い言葉だけで、瓜子は涙ぐんでしまいそうだった。


「それにしても、桃園が帰国してからまだ十日やそこらだってのに、花さんはよくこんなもんを準備できたもんだね?」


 小笠原選手が笑いを含んだ声で問いかけると、鞠山選手はいつもの調子で「ふん」と平たい鼻を鳴らした。


「べつだん、大した手間ではないだわよ。年の瀬の、ちょっとした手慰みだわね」


「駒形代表からフラッグをいただいて、これだけのイラストを仕上げて、名古屋や赤星道場まで出向いて……手慰みにしては、なかなかの重労働だね」


「だーっ! やかましいんだわよ! いいからあんたたちは、とっとと空白を埋めるんだわよ!」


 そうしてフラッグはテーブルの上に移されて、各人の手によってコメントが書き加えられていく。

 すっかり出遅れた瓜子が立ち尽くしていると、鞠山選手がのしのしと近づいてきた。


「今回は女子選手限定のつもりだったけど、プレスマン道場のコーチ陣だけは特別に参加してもらうだわよ。そっちに顔を出す用事はなかったから、あんたが明日にでも仕上げてから、然るべき場所に移送するんだわよ」


「はい。承知しました。鞠山選手、本当に……本当にありがとうございます」


 瓜子が頭を下げると、目もとに溜まっていたものが頬と床にこぼれ落ちた。

 鞠山選手はまた「ふん!」と鼻を鳴らしつつ、傲然と腕を組む。


「女の涙は、ここぞという場面に取っておくもんなんだわよ。涙の安売りをしたら、価値が下がるんだわよ?」


「自分にとっては、これがここぞっていう場面ですよ。鞠山選手には、どれだけお礼を言っても足りません」


「わたいはただ、人生最大の大一番でずっこけたノータリンの尻を叩いてるだけだわよ。これだけ格闘技業界をしっちゃかめっちゃかにしたんだから、あいつにはそれを立て直す責務があるんだわよ。このまま引退だなんて、天が許してもわたいが許さないんだわよ」


「はい。ユーリさんは、絶対に復帰します。鞠山選手のおかげで、その日がまた一歩近づいたはずっすよ」


「ふふん。わたいの影響力を鑑みれば、それが当然の結果だわね」


 鞠山選手はずんぐりとした肩をすくめつつ、大きな口でにんまりと笑った。

 それはいつも通りの腹黒で眠たげなカエルのごとき笑顔であったが――今の瓜子には、赤星弥生子のやわらかい笑顔に匹敵するぐらい魅力的に思えてならなかったのだった。

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