03 祝勝会と忘年会(上)

 瓜子と赤星弥生子の対戦が決まってから、五日後――十二月の第四日曜日である。

 瓜子はその日、ひさびさのパーティーに出向くことになった。


 お題目は、蝉川日和の全国大会優勝とプロ昇格のお祝いで、さらに忘年会の要素も加えられている。もはや今年も残りは一週間であるし、瓜子などは大晦日に試合を控えているため、パーティーを開くならばこれがラストチャンスであったのだ。


(まあ、試合の一週間前にパーティーだなんて、普通だったら呆れられそうなところだけどね)


 しかしここまで試合の日が迫れば調整期間となって稽古も控えめになっているし、今回に限ってはウェイト調整の必要もない。それで瓜子は心置きなく、自らが先導役となってこの催しを企画することになったわけであった。


 それに何より重要であるのは、ユーリの心持ちだ。

 瓜子は蝉川日和に祝勝会の話を持ちかける前に、ユーリの心情を確認していた。というよりも、蝉川日和が全国大会で奮闘しているさなか、自然にそういう話の流れになったのである。


「新しい門下生のセミカワちゃんなる娘さんは、今ごろ試合を頑張ってるんだよねぇ……? うり坊ちゃんも、ほんとは応援に行きたかったんじゃないのかにゃ……?」


「それはまあ、ひまがあったら行きたかったですけど、生憎ひまではなかったもので」


「あうう……ユーリのせいでうり坊ちゃんの行動が制限されてしまい、心苦しい限りなのです……うり坊ちゃんがお見舞いに来てくれるのは、ユーリにとって最大の喜びであるのだけれども……それと同時に、うり坊ちゃんにはご自分の人生をエンジョイしていただきたいのです……」


「自分は十分、エンジョイしてるつもりなんですけどね。でも、それじゃあ……ユーリさん抜きでパーティーとか開いちゃっても、寂しくないっすか?」


「ふにゅ……? 試合観戦ではなく、パーチーですとな……?」


「はい。忘年会がてら、蝉川さんの祝勝会を企画するとか……自分としても、親しくさせてもらってる方々と、いっぺんお会いしておきたかったんすよね。電話やメールじゃ、ユーリさんのことをお伝えするのに難しい面もあるもんで」


 瓜子がそのように告げると、ユーリは天使のように微笑んだものであった。


「そっかぁ……世間様は、もう年末なんだもんねぇ……ユーリのことなんて気にしなくていいから、忘年会でも祝勝会でもガンガン開いておくんなまし……」


「でも、それでユーリさんが寂しい気持ちになっちゃうのは、嫌なんすよ」


「ユーリは、大丈夫だよぉ……もともとユーリは大人数のイベントが苦手でございますし……そうでなくっても、毎日うり坊ちゃんを独り占めしちゃってるからさぁ……そして何より、うり坊ちゃんの喜びはユーリの喜びであるのです……」


 ユーリの精神状態は、もはや渡米の前の状態にまで回復している。ユーリは決して真情を偽ることなく、本音で語ってくれているのだ。それで瓜子も、祝勝会を企画する決断を固められたわけであった。


 そうして、当日――瓜子は単身、指定のダイニングバーに向かうことになった。

 昼過ぎから夕刻までをユーリのもとで過ごし、その足で会場を目指したのだ。会場となったのは、これまでにも何度かお世話になったことのあるダイニングバーであった。


「おー、来た来た! うり坊も遅刻しなかったねー! えらいえらい!」


 店員の案内で二階に上がると、灰原選手が元気いっぱいに出迎えてくれた。

 客席には、すでに見慣れた顔がずらりと並んでいる。ただその半数以上は、《アトミック・ガールズ》十一月大会以来の再会であった。


 新宿プレスマン道場からは、主役の蝉川日和と女子MMA部門の三名、サキ、愛音、メイ。そして、灰原選手と多賀崎選手と高橋選手というのが、ここ最近でも出稽古で顔をあわせている面々だ。

 さらに、鞠山選手、小笠原選手、小柴選手、オリビア選手というお馴染みの顔ぶれに、来栖舞、魅々香選手、ここ最近で親交を深めた武中選手、時任選手――さらにさらに、今回は赤星道場の大江山すみれに二階堂ルミ、ドッグ・ジムの沙羅選手に犬飼京菜というこれまでにない面々も加えられていた。


「な、なんか、こんな大人数になっちゃって、恐れ多いばかりッスね! あたしの祝勝会とかはもうどうでもいいんで、みなさん忘年会として盛り上がってほしいッス!」


 蝉川日和がそのように言いたてると、年の瀬にもおへそと太ももを露出した二階堂ルミが「だめだめー!」と陽気に応じた。


「うちとすみれちゃんは、ひよりちゃんのために駆けつけたんだからねー! ま、すみれちゃんの目当てはうり坊ちゃんなのかもしれないけどさー!」


「うるさいですよ、ルミさん。せっかくお誘いいただけたんですから、節度をもって過ごしてください」


 大江山すみれは内心の知れない微笑をたたえつつ、二階堂ルミをたしなめる。打ち上げ会場ではだいぶ見慣れてきた両名であったが、やはりプライベートのパーティーで顔をあわせるというのは、なかなかに新鮮な心地であった。


「今日は蝉川さんのために来てくださって、ありがとうございます。でも、自分の呑気さに弥生子さんは呆れたりしてなかったっすか?」


「ええ。猪狩さんは精神の充実をはかることで、いっそう手ごわくなるだろうと仰っていましたよ」


 大江山すみれは同じ表情のまま、瓜子のほうにぐっと顔を寄せてきた。


「何にせよ、弥生子さんの減量も順調に進められています。大晦日にどんな試合を見せていただけるのか、わたしも心待ちにしています」


「ええ。自分も死ぬ気で勝ちにいくんで、どうか期待していてください」


 すると、小洒落たワンピースに肉感的なボディを包んだ灰原選手が「よっしゃー!」と声を張り上げた。


「それじゃあ全員そろったみたいだから、ちょっと早いけど始めちゃおっかー! ほらほら、セミーも準備しないと!」


「準備?」と小首を傾げる蝉川日和の頭に星柄のチープな三角帽がのせられて、胸もとには『本日の主役!』と書かれたたすきが掛けられた。ずいぶんと懐かしい趣のパーティーグッズである。


「はあ……猪狩さんや邑崎さんなんかも、お誕生日とか祝勝会とかではこーゆーカッコをさせられたんスか?」


「あはは! セミーはこーゆーのが似合いそうだったし、あんま交流のない相手にも忘れられないように準備してあげたんだよー! さあさあ、それじゃあドリンクの準備だねー!」


 ひさびさのパーティーということで、灰原選手も浮かれきっているようだ。それに参席した面々も、おおよそは朗らかな面持ちであった。

 この場にいる人間は、全員ユーリが快方に向かっていることをわきまえているのだ。だからこそ、誰もが笑顔でいられるのだろうと思われた。


「ドリンクは行き渡ったかなー? じゃ、パーティー開始の挨拶だねー! セミー、さっそく出番だよー!」


「えええええっ! あ、あたしみたいな新参者が、そんな大役を担うんスかー?」


「だってセミーは、今日の主役じゃん! それに、入門してからもう四ヶ月近く経つんでしょー? いつまでも新人ぶってられないよー!」


 そうして愉快な格好をさせられた蝉川日和は、へどもどしながら高い壇の上に立たされることになった。


「あ、挨拶とか、よくわかんないんスけど……あの、今日はお集まりくださり、ありがとうございます。あたしなんかはホントに放っておいていいんで、気兼ねなくパーティーを楽しんでほしいッス」


「シマんないなー! セミーは来年から、プロでやってくんでしょー? いっちょ抱負でも語ってみたら?」


「ほ、抱負ッスか……え、MMAのほうはこんなに頼もしいお人らがそろってるんで、あたしもそれに負けないぐらいキックのほうを盛り上げたいと思ってるッス。温かく見守ってもらえたら嬉しいッス」


 つきあいの程度に拘わらず、多くの人々が拍手を打ち鳴らす。二階堂ルミなどは、高らかに指笛を吹いていた。


「ま、それでよしとするか! じゃ、お次はうり坊ねー!」


「え? じ、自分もっすか?」


「今日の主催者はうり坊でしょー? ま、店を押さえるのも連絡を回すのも、ほとんどあたしらの役割だったけどさー! 今年は大活躍だったんだから、バシッと挨拶を決めちゃいなよ!」


 瓜子は蝉川日和に劣らず、へどもどしてしまう。

 すると、心優しき小笠原選手が助言をくれた。


「ついでに、桃園のことも語っておいたら? そうしたら、あとであれこれ説明する手間がはぶけるよ」


「ユーリさんのことっすか……そうっすね。ありがとうございます」


 この場にいる面々は交流の度合いもまちまちで、情報の密度も異なっていることだろう。それを統一するために、瓜子は頭をひねることにした。


「えーと、自分は今日もさっきまで、ユーリさんのお見舞いをしていました。みなさんご存じかと思いますが、帰国当時のユーリさんはずいぶん精神的に不安定だったので、自分だけ面会を許可してもらうことができたんです。いずれユーリさんがもっと元気になったら、全面的に面会の許可がおりるはずなんで……そのときは、みなさんもどうぞよろしくお願いします」


 さすがに拍手を鳴らす人間はいない。ただ、誰もが真剣かつ温かい眼差しを瓜子に向けてくれていた。


「リハビリには長い時間が必要でしょうけど、ユーリさんは復帰に向けて頑張っています。それに、中身はすっかりみなさんの知るユーリさんです。今日もみなさんによろしくと言って、笑顔で送り出してくれました。ユーリさんは必ず元気になって、また大暴れしてくれるはずなんで……みなさん、もう少しだけ待っていてください」


「うんうん! あたしらも、そのうちみんなで押しかけてやるさ! じゃ、シメの挨拶をお願いねー!」


「はい。ユーリさんが休んでいる間、自分は死ぬ気で業界を盛り上げていくつもりです。でも、自分ひとりの力なんて、ちっぽけなものなんで……どうかみなさんも、よろしくお願いします。来年は、今年以上に盛り上げていきましょう。……あと、最後になっちゃいましたけど、蝉川さん、全国大会の優勝とプロ昇格、おめでとうございます。MMAのほうは自分たちが頑張りますんで、キックのほうはどうぞよろしくお願いします。最近はキックのほうもちょっと元気がないみたいなんで、蝉川さんの力でしっちゃかめっちゃかにかき回しちゃってください。蝉川さんには、それだけの力が秘められていると思います。自分たちも、全力で蝉川さんを支えていくつもりですからね」


 蝉川日和は真っ赤になりながら、ぺこぺこと頭を下げている。

 そちらに笑顔を送ってから、瓜子が「乾杯」とグラスを掲げると、二十名からの参席者たちが「かんぱーい!」と元気に唱和してくれた。

 大役を果たした瓜子が息をついて着席すると、蝉川日和にひっついていた二階堂ルミがにゅっと顔を寄せてきた。


「あのー、ユーリちゃんってマジで大丈夫なんですかー? 弥生子さんとかなーんにも教えてくれないから、うちはちょっぴり心配だったんですよねー!」


「弥生子さんも、そこまで詳しくは知らないはずっすよ。マスコミ対策で、こまかい話は伏せさせてもらってますんで。……でも、ユーリさんは大丈夫です。いつか必ず、元気な姿で復帰してくれるはずです」


「そっかー! じゃ、ルミもユーリちゃんに会える日を楽しみにしてますねー!」


 すると、別のテーブルから二階堂ルミとは対極的な面々が近づいてきた。来栖舞と魅々香選手の師弟コンビである。


「猪狩くん、お疲れ様。桃園くんについては、道子から聞ける範囲で聞いていたけれど……こちらが想像していた以上に、ひどい状態だったみたいだね」


「はい。きっと合宿所の生活も色々とストレスになっていたんだと思います。そういう積み重ねで、心のほうが疲れちゃったんだと思うんですよね」


「そうか。しかし、桃園くんだったら、きっと乗り越えてくれるだろう。それに、猪狩くんも……桃園くんの容態を気にかけながら試合に臨むというのは大変な苦労だろうけれど、どうか頑張ってもらいたい。大晦日などは、とてつもない数の人間が猪狩くんと赤星弥生子の試合を見守ることになるだろうからね」


 そう言って、来栖舞はふっと微笑んだ。


「わたしはけっきょく最後まで、赤星弥生子と対戦することができなかった。その苦労を下の世代の面々に担わせてしまったような心地で、心苦しいばかりなのだが……しかし、君だったら桃園くんに負けない活躍を見せてくれることだろう。わたしも心して、見届けさせていただくよ」


「はい。決して恥ずかしい姿は見せないとお約束します」


 来栖舞は穏やかな面持ちで、「うん」と首肯する。

 すると、かたわらの魅々香選手もおずおずと発言した。


「わ、わたしも『アクセル・ロード』では不甲斐ない姿を見せてしまいましたが……遅くとも、春には復帰してみせます。これまでの失態を取り戻せるように、選手生命をかけて力を振り絞るつもりですので……どうか、よろしくお願いします」


「ふうん? せやったら、ウチのタイトルに挑戦してくる日が楽しみなこっちゃねぇ」


 と、皮肉っぽい笑いを含んだ声が割り込んでくる。沙羅選手と犬飼京菜までもがこちらに近づいてきたのだ。


「ま、ウチと魅々香はんは一勝一敗や。いずれはきっちり決着をつけなあかんわな。ウチも心して、魅々香はんの挑戦を待っとるで」


「……はい。まずはタイトルマッチに相応しい実績を作ってみせます」


 誰よりも繊細な気性をした魅々香選手が、思い詰めた面持ちでそのように応じる。そうすると、爬虫類を思わせるスキンヘッドの強面であるので、なかなかの迫力だ。それを見返す沙羅選手は、どこか嬉しそうにも見えた。


「ドッグ・ジムの活躍にも期待しているよ。では、ひとまず失礼する」


 来栖舞は毅然ときびすを返し、魅々香選手もそれを追いかけていく。その逞しいふたつの背中を見送りながら、沙羅選手は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「最近の天覇はええとこなしやから、たいそうな気合やね。ああいう手合いは、油断でけへんわ」


「ふん。誰が相手でも、油断なんてできないでしょ」


 犬飼京菜は仏頂面で、傲然と腕を組んでいる。瓜子はまず、そちらに謝罪することになった。


「あの、けっきょく年内は出稽古に行けなくてすみませんでした。こっちもちょっと、立て込んでいたもので……」


「ふん! どうせあんたは口だけだから、最初っから期待なんてしてなかったよ!」


 犬飼京菜はいっそう険悪な面持ちで、つんとそっぽを向いてしまう。すると、沙羅選手が気安くその頭に手を置いた。


「白ブタはんがそないなザマやと、お嬢も文句をつけるにつけられんわな。ほんで、思いあまってこないな場に押しかけることになったいうわけや。うり坊も、せいぜいもてなしたってな」


「うるさいな! あんたがどうしてもって言うから、しぶしぶついてきてあげたんじゃん!」


「それは素直やないボスの心情を慮ってのことやで。まったくうり坊は、罪な女やね」


 何が罪なのかは計り知れなかったが、ともあれこちらの両名まで参席してくれたのはありがたい限りであった。


「あの、今日はご来場ありがとうございます。お二人ともゆっくり語らせてもらいたかったので、本当に嬉しかったです」


「ふふん? ずいぶんあらたまった面持ちやね。ウチらとしんみり語らうネタなんて、そうそうないんとちゃう?」


「そんなことないっすよ。ユーリさんからお話をうかがって、ずっと沙羅選手にお礼を言いたかったんです」


「お礼? 左膝をぶっ壊したったお礼かいな?」


「それも含めて、沙羅選手との試合は本当に楽しくて幸福な心地だったって、ユーリさんはそんな風に仰っていましたよ。ユーリさんにとっては、ベリーニャ選手や弥生子さんとの対戦に匹敵する楽しさだったみたいです」


 なおかつユーリは宇留間選手と対戦しているさなか、すべてを投げ出すことになった。つまり当時のユーリにとっては、沙羅選手との対戦こそがMMAファイターとしての最後の試合であるという認識であったのだ。


「沙羅選手との試合は、ほんとのほんとに楽しかったからさぁ……最後にあんな楽しい試合をできて、ユーリは幸福だったなぁって……ユーリはそんな風に思っちゃってたんだよねぇ……最後の相手が沙羅選手で、ほんとによかったなあってさ……」


 心の均衡を取り戻したのち、ユーリはもじもじとしながらそんな風に語っていたのだ。

 しかし、そのような話はユーリ本人の口から語られるべきだろう。だから瓜子は多くを語らないまま、ただ精一杯の笑顔を届けてみせた。


「ユーリさんは、沙羅選手ともまた対戦したいって考えてるはずです。ユーリさんが元気になったら、どうかよろしくお願いしますね」


「はん。けっきょくは、お礼参りの予告かいな。あないなバケモンに報復を宣言された心地で、戦々恐々やわ」


 そんな風に語りながら、沙羅選手はにんまりと笑った。


「ま、どないなバケモンでも連敗した相手を放ってはおけんわな。次こそはチャーシューにしたるから、とっとと復帰せいとでも伝えといてや」


「はい。必ずお伝えさせていただきます」


 そうしたら、ユーリはまた幸せそうに微笑むことだろう。

 そんなユーリの笑顔を想像しながら、瓜子は涙をこらえることになったのだった。

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