07 激励

 千駄ヶ谷との密談を終えたのち、瓜子はあらためて山科医院を目指すことになった。

 新宿まで出てしまえば、川口駅までは電車で二十分ほどだ。ただし、山科医院は郊外であるため、駅からタクシーでさらに二十分ほどかかる。それで自宅のマンションからは、合計一時間ていどの道のりになるわけであった。


 電車とタクシーを乗り継ぐのだから、交通費だけでもそれなりの額に至ってしまう。しかしそれもユーリのためであれば、どうということもない。ユーリが背負っている苦労に比べれば、取り沙汰するにも値しないはずであった。


 駅前でタクシーに乗った時点で、時刻は午後の一時半ていどだ。これで二時前には到着し、四時頃までユーリと対話して、また四十分かけて新宿に戻り、道場の稽古に参加する。朝から昼までも稽古に励んでいたので、着替え等の荷物は道場に置いてきている。これがここ数日間の、瓜子のライフスタイルであった。年が明けたら、ここに毎日数時間の撮影の仕事がねじ込まれるわけである。


 瓜子が何より気にかけているのは、全力でユーリを支えつつ、自分の生活もつつがなく維持することとなる。もしも瓜子が自分の生活を二の次にして、選手活動に支障が出てしまったら――誰より、ユーリが傷ついてしまうはずなのだ。それだけは、絶対に回避しなければならなかった。


(ユーリさんが渡米するまでは、夜の稽古だけで成果をあげることができたんだからな。来年だって、絶対に結果を出してやるぞ)


 そしてその前に、まずは大晦日の《JUFリターンズ》であったが――そちらはいまだに、対戦相手が決まっていなかった。もう期日までは二週間と少ししかないのに、呑気なものである。これでは本当に、試合が流れる可能性もありえるのかもしれなかった。


(もしかして、『アクセル・ロード』がああいう結果に終わったから……運営陣も、女子選手の登用に及び腰になってるのかな)


 ユーリと宇留間選手がおたがいに大きな怪我を負ったため、また国内外でMMAの危険性が取り沙汰されているようであるのだ。瓜子は今後、そういう世論とも闘っていかなくてはならないのだった。


(そう考えると、宇留間選手っていうのは本当にMMAの世界を破壊しかねない存在だったのかもしれない。ユーリさんは、身をもってそれを食い止めたのかもしれないな)


 しかし、そのようなことを考えても詮無きことである。

 瓜子が考えるべきは、業界の活性化とユーリの復帰のみであった。そのためであれば、瓜子もあらゆる苦難を乗り越える覚悟であった。


 そうして瓜子が沈思する中、タクシーは山科医院に到着する。

 本日も、受付では無機質な顔をした事務員が出迎えてくれた。


「やあやあ、いらっしゃい。毎日毎日、ご苦労様だねぇ」


 二階に上がると、山科院長には笑顔で出迎えられる。彼は毎回、面会の前にユーリの容態を伝えてくれるのだ。


「桃園さんは、今日も相変わらずだよ。でもまあ点滴の輸液の調節がうまくいったようで、内臓の機能もわずかずつ回復してきたみたいだ。流動食を口にできるまで、あと一歩という感じかな」


「そうですか。どうかこれからも、ユーリさんをよろしくお願いします」


「うんうん。それが僕の仕事だからねぇ。……ところで、卯月くんはもうアメリカに戻ってしまったのかな? 最初の日以来、とんと姿を見かけないけど」


「いえ。日中なんかは、うちの道場で稽古をしていますよ。昨日からは、トレーナーのレムさんも合流しましたしね。とりあえず、年内は日本で過ごす予定だそうです」


「そうかそうか。まあ、こっちに来てもお見舞いをできるわけではないからね。容態の変化については毎日連絡しているから、わざわざ出向く甲斐もないのかな」


 山科院長は、あくまでにこやかだ。娘の是々柄は何か確執を抱えているようだが、今のところ瓜子が不安にとらわれたことはない。たとえこの人物の人格に難があったとしても、たとえ恐るべきマッドサイエンティストであったとしても、ユーリを元気にしてくれるのならばそれで十分であった。


「それじゃあ、今日もよろしくお願いするよ。午後の四時になったら、看護師を戻させるからね。何かあったら、ナースコールで伝えてくれたまえ」


 山科院長はちょこちょことした足取りで立ち去っていき、瓜子はユーリの病室を目指す。

 四日目の訪問ともなれば、瓜子のほうも手慣れたものだ。ただやっぱり、病室のドアをノックする際には胸が高鳴ってしまう。ただそれも、決して負の感情から発する現象ではなかった。


 瓜子がドアをノックすると、無言で顔を出した看護師は目礼だけして立ち去っていく。

 それを横目に入室すると、本日もユーリは四十五度の角度でベッドに座していた。


「こんにちは。調子はいかがですか、ユーリさん?」


「うん……うり坊ちゃんを前にすると、やっぱり心拍数があがってしまうねぇ……」


 ユーリは相変わらず痩せ細っているし、声もかすれてしまっている。

 しかし、その目には明るい輝きが、その口もとには天使のごとき微笑みがたたえられているのだ。それだけで、瓜子は二十時間ていどの別離で空いた穴を埋められるような心地であった。


「今日はひときわ顔色がいいみたいですね。院長先生も、経過は良好だって仰ってましたよ」


「うん……カラダのほうは、よくわかんないけど……ココロのほうは、うり坊ちゃんのおかげでぽかぽかだよぉ……」


 そんな風に言ってから、ユーリは少しだけ切なそうに目を細めた。


「でも……この病院って、埼玉にあるんだってねぇ……毎日お見舞いするのは、うり坊ちゃんも大変なんじゃない……?」


「いえいえ、まったく問題ないっすよ。そんなこと、ユーリさんは気にしないでください」


「でも……うり坊ちゃんの大事なお稽古の時間がけずられちゃうのは、あまりに申し訳ないにゃあ……」


 ユーリがまず心配するのは、そういう事柄であるのだ。

 それを心から嬉しく思いながら、瓜子は笑ってみせた。


「稽古で大事なのは、量よりも質ですよ。たとえば邑崎さんなんて、一時間近くもかけてプレスマン道場に通ってるんですからね。もっと近所のジムにでも通えば、往復二時間分は長く稽古できるわけですけど……それでも邑崎さんはプレスマンを選んで、あれだけの結果を出してみせたんです」


「でも……うり坊ちゃんは、お見舞いでこんな場所まで通ってるわけだから……」


「おんなじことっすよ。ユーリさんのお見舞いを二の次にして道場に行ったって、稽古に身が入らないですからね。自分にとって、これは欠かせないことなんです」


 瓜子はユーリの真っ白な顔を見つめながら、そのように言いつのった。


「いつも言ってますけど、そういうときは立場を置き換えてみてくださいよ。ユーリさんだったら、自分のお見舞いを時間の無駄だとか考えるんすか? だとしたら、めちゃくちゃショックなんですけど」


「うにゃあ……そんなこと、ありえるわけがないのです……でも、それならユーリの苦悩もおわかりでありましょう……?」


「そうっすね。自分がユーリさんの立場だったら、やっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいだと思います。でも最後には、ユーリさんに会える嬉しさが勝つと思いますよ」


 ユーリはぐったりとベッドにもたれたまま、幸福そうに微笑んだ。


「まったくもう……お口ではうり坊ちゃんにかなわないにゃあ……もののついでで愛情のカタマリまでぶつけられるものだから、ユーリはセンセンキョーキョーなのです……」


「もののついでとは心外ですね。それじゃあお次は、ありったけの愛情をお披露目してみせましょうか?」


「むにゃあ……そんなことをされたら、治療の甲斐なく心臓が爆散してしまうのです……」


 瓜子はユーリと見つめあったまま、二人でくすくすと笑うことになった。


「それじゃあ今日は、なんのお話をしよっか……? うり坊ちゃんの大活躍についても、もっともっと聞かせてほしいけど……サキたんやムラサキちゃんやメイちゃまとか……あ、あと、新人のセミカワちゃんって娘さんについても聞いておきたいかにゃあ……」


「あ、その前に、今日はお土産があるんすよ。実はさっきまで、ひさびさに千駄ヶ谷さんとお会いしてたんです」


「ああ……千さんも懐かしいねぇ……今日はなんのご用事だったの……?」


「このお土産を渡されたんです。中身は『トライ・アングル』の新曲のデモ音源だそうですよ」


 するとユーリは身動きを取れないまま、気弱げに細い首をすくめた。


「あうう……『トライ・アングル』のみなみなさまは、ユーリの体たらくにお怒りなのではないでしょうか……?」


「そんなわけないじゃないっすか。ユーリさんの復帰を願って、新曲のデモを仕上げてくれたんですからね」


「うみゅう……そうして油断させておいて、メンバーのみなさんのバリゾーゴンなどが録音されていたら……ユーリは悶死の恐れがあるのです……」


「絶対にそんなことはないって、自分がお約束します。みんなユーリさんの復帰を心待ちにしてるんすよ」


 瓜子はサイドテーブルに置かれていたオーディオプレイヤーからイヤホンを抜き取って、それをこちらのMP3プレイヤーに繋げなおした。そうして電源を入れてみると、名無しのトラックが一曲だけ封入されている。


「さあ、勇気を出して聴いてみましょう。自分も一緒に聴かせてくださいね」


 イヤホンの片方はユーリの右耳に、もう片方は自分の左耳に装着する。そうして瓜子は不安げなユーリに微笑みかけながら、再生のマークをタップした。


 しばらく無音の状態が続き――そして、予想外の音色が鳴り響いた。

 それはエレキギターでもアコースティックギターでもなく、重厚なるグランドピアノの旋律であったのだ。

 ひどくどっしりとしたリズムで、重々しく、そして哀切なフレーズが奏でられる。いったい誰の手による演奏であるのか、その荘厳なる演奏だけで瓜子は涙腺を刺激されてしまいそうであった。


 そうして他には何の楽器も加わらないまま、ピアノの音色に歌声がかぶせられる。

 歌っているのは――山寺博人だ。

 山寺博人が、限界を超えた高音のメロディを、振り絞るような歌唱で歌いあげていく。その迫力と聞き覚えのあるメロディが、瓜子を愕然とさせた。


「こ、これって、あの曲ですよね。ずっとお蔵入りになってた、ウルさんの新曲……『YU』じゃないっすか?」


 いつしかまぶたを閉ざしていたユーリは、消え入りそうな声で「うん……」とつぶやいた。その間も、山寺博人はしゃがれた声でメロディを紡いでいる。


 この『YU』という楽曲は、ちょうど一年ぐらい前――瓜子たちが《カノン A.G》にまつわる騒乱をくぐりぬけて、《アトミック・ガールズ》の再生について頭を悩ませているさなか、漆原が結成したての『トライ・アングル』のために仕上げてきた新曲である。それと同日に提示された『ハダカノメガミ』と山寺博人の仕上げた『ピース』および『burst open』は無事にCDとしてリリースされたが、こちらの『YU』だけは漆原本人がアレンジに納得がいかず、まったく曲調の異なる『ケイオス』が新たに生み出されることになったのだった。


 よって、瓜子やユーリがこの楽曲を耳にするのも、ほとんど一年ぶりのこととなる。

 しかしこの哀切なるメロディは、瓜子の胸に深く刻みつけられていた。こちらの楽曲は重々しいリズムで奏でられるバラード調のラブソングであり――そして、仮タイトルの『YU』というのは、それぞれユーリと瓜子の頭文字であったのだった。


「あくまで、イメージだけどねぇ。ユーリちゃんの恋のお相手って、瓜子ちゃんぐらいしかイメージできなかったからさぁ」


 初めてデモ音源をお披露目したとき、漆原はそのように語っていたはずだ。

 その際のデモ音源では漆原が仮歌を入れており、それが女性チックな裏声であったものだから、いささか滑稽に聴こえてしまったものであるが――しかしユーリはその切々とした歌詞とメロディだけで、はらはらと涙をこぼしていたのだった。


 こちらのデモ音源は山寺博人が熱唱しているために、滑稽な要素はひとかけらもない。むしろ、無理な高音を振り絞ることで、山寺博人の本領が発揮されていた。

 そうしてBメロが終了し、ついにサビに入ったところで――突如として、絢爛なる音の奔流が渦を巻いた。ピアノだけで奏でられていた伴奏に、さまざまな楽器の音色が加えられたのだ。


 この激しく力強いドラムは、きっとダイの手によるものだろう。

 であれば、ボンゴで細かいリズムを刻んでいるのは、西岡桔平だ。

 タツヤはベースの重低音で、ダイのドラムをいっそう強固に支えている。

 陣内征生のアップライトベースは、チェロのように流麗な音色を奏でていた。

 山寺博人はエレアコのギターで、その歌声にも負けない生々しい魅力を添えている。

 さらに、リュウは空間系のエフェクターを駆使した浮遊感のある音色で、ギターソロさながらの難解なフレーズを重ねた。


 ただひとり、漆原のギターだけは聴こえてこなかったが――その代わりに、彼はハモりのコーラスを入れていた。サビに入っていっそう切迫した山寺博人の歌声に、漆原のねっとりとしていて無機質な歌声がからみついたのだ。それは彼本来のキーに落とした歌声であったため、滑稽さなど微塵もなく、遥かな上空で悶え苦しむ山寺博人の歌声をがっしりと支えているかのようであった。


 それらの音の奔流に、瓜子はついに涙をこぼしてしまう。

 瓜子の目の前で、ユーリも涙をこぼしていた。

 この絢爛なる暴風雨めいた演奏だけでも落涙は必至であったし、しかも山寺博人は痛切なる歌声で愛すべき人間との別離を歌いあげているのだ。そこで歌われる『You』こそが、瓜子のイメージを投影した架空の何者かであったのだった。


 そうしてサビが終了すると、さまざまな楽器がどこかに散っていく。

 あとに残されたのは山寺博人のギターと陣内征生のアップライトベース、そして西岡桔平のパーカッションのみだ。山寺博人のギターは繊細なアルペジオに変じ、西岡桔平の軽妙なるパーカッションだけを頼りに陣内征生のアップライトベースが優美なる旋律を奏でた。


 そんなゆったりとした伴奏の中で二番のAメロが進行し、Bメロからは音数を抑えたベースとドラム、効果音めいたエレキギター、そして地鳴りのように低音を強調したピアノのバッキングが加えられる。

 そのままBメロの終わりに向かってじわじわと音圧が上げられていき、サビで再びすべての楽器が轟音を響かせるかと思いきや――ぷつりと演奏の手が止められて、山寺博人の歌声だけが響きわたった。

 そうして一小節の空白ののち、いきなりすべての演奏が加えられる。それだけで、瓜子は心臓が止まってしまいそうだった。


 すべての楽器が狂おしいほどに、音数を詰め込んでいる。最初のサビとも比較にならないほどの圧力と迫力だ。そしてそれらに負けないぐらい、山寺博人と漆原も限界いっぱいの歌声を振り絞っていた。


 サビが終わると間奏に入り、そちらではピアノとアップライトベースが流麗なる音色をぶつけあう。山寺博人のギターは荒々しいバッキングで、リュウは単音のリフの繰り返しだ。ベースとドラムはシンプルだがどっしりと土台を支えており、パーカッションは強めの雨粒を思わせる風情であった。


 そうしてCメロでは、歌声とピアノだけが残される。

 長い別離の果てに、愛しい相手と再会するシーンであった。

 それを祝福するように、少しずつ他の楽器が彩りを添えていき――最後のサビで、いきなり世界が光に満ちあふれた。

 いくぶんラインの変わったメロディが、再会の喜びを歌いあげる。

 それを取り巻く演奏も、絢爛さと重厚さはそのままに、これまでと異なる輝かしさで吹き荒れた。ピアノも七色にきらめく仔馬のような躍動感である。


 その輝きを維持したままアウトロになだれこみ、十六小節の祝砲めいた演奏が終了すると、最後にピアノだけが残された。

 進行はAメロと同様であるようだが、哀切な気配は消えており、子守歌のように優しく聴こえる。

 しばらくして、鼻歌のように穏やかな歌声が重ねられて――最後の歌詞は、『ありがとう』だった。


 ピアノの音色と歌声も途絶えて、世界が静寂に包まれる。

 それで瓜子が滂沱たる涙を流しながら、ユーリに語りかけようとすると――それをさえぎるように、陽気な声が響きわたった。


『どうだよ、ユーリちゃん! なかなかのアレンジだろー?』


『ユーリちゃんが北米で頑張ってる間、俺たちも遊んでたわけじゃねえんだぜー!』


 それは、タツヤとダイの声であった。

 デモ音源の後に、メンバーの肉声までもが録音されていたのだ。


『実はウルのやつ、ガキの頃にピアノのレッスンをさせられてたんだよな。ついにそいつを持ち出すことになったんだよ』


『ちぇっ。ベイビーのほうでも封印してたのに、こればっかりはしかたねえよなぁ。この曲はピアノを主体にしねえと、アレンジがまとまりそうになかったんだよぉ』


 リュウと漆原は、そのように語っている。

 そこに、『ワンド・ペイジ』のメンバーの声も重ねられた。


『俺たちもこういう楽曲は初挑戦だったんですけど、なんとか納得のいく形にまとめることができました。さすがジンだけは、手慣れたもんでしたけど』


『そ、そ、そんなことないですよぅ。そ、それよりヒロくんは、歌うのが大変だったでしょう?』


『俺の歌なんざ、どうでもいいんだよ。しょせん仮歌なんだからな』


 すると、タツヤが元気に『そうそう!』と割り込んだ。


『山寺にラブソングは似合わねえよ! こいつはユーリちゃんに歌ってもらわないとな!』


『バーカ! ラブソングじゃなくったって、おんなじこったろ!』


『そうそう。俺たちのヴォーカルは、ユーリちゃんなんだからな。俺たちも、ユーリちゃんのために頑張ったんだぜ』


『俺は別に、誰かのために頑張ったつもりはねえけどなぁ。ただこの八人で最高の仕上がりを目指したいだけだよぉ』


『ええ。八人そろっての「トライ・アングル」ですからね』


『ユ、ユーリさんは、まだ入院中なんでしょう? いつでも活動再開できるように、僕たちも準備していますから……焦らずじっくり、養生してくださいね』


『おー! 陣内も、珍しくまともに喋れてんじゃん! やっぱ普段は、ユーリちゃんの可愛さにあがってんのか?』


『べ、別にそういうわけじゃないんですけど……』


『おら、山寺ももっと語っておけよ! こんなときまで、カッコつけんなって!』


『うるせえなあ。無理なキーで歌わされて、咽喉が痛えんだよ』


『とにかくさ、俺たちはユーリちゃんを待ってるよ。でも、無理だけはしないようにな』


『そうそう! 一年だろうが十年だろうが、俺たちはずっとユーリちゃんを待ってるからさ!』


『十年は、さすがに長えだろぉ。ま、トシをくったらトシをくったで、またアレンジの幅を広げられそうだけどなぁ』


『ええ。何にせよ、ユーリさんがいないと「トライ・アングル」は始まりませんからね』


『どうせ俺たちは、それぞれのバンドがあるからさ。どれだけ待たされたって、待ちくたびれることはないよ』


『そうそう! まずはしっかり、身体を治してな! また元気に暴れまくって、世界中の連中を見返してくれよ!』


『ああ! こっちの再開も待ち遠しいけど、まずはファイターとして復帰しないとな!』


『ユーリちゃんなら、大丈夫だよ。今度は《アクセル・ファイト》の連中が頭を下げて、オファーを申し込んでくるさ』


『きっとその間に、ベリーニャ選手が王座を奪取しているでしょうからね。ユーリさんがベリーニャ選手の王座に挑戦する日を楽しみにしています』


『それでヒマができたら、こっちもよろしくなぁ。あんまり待たせると、ユーリちゃんが覚えきれないぐらいの新曲がたまっちまうぜぇ?』


『で、でもきっと、待てば待つほど次のライブは楽しいですよ』


『MMAの試合もな! 楽しいことが山ほど待ってるから、それを励みに頑張ってくれよ!』


『お見舞いができるようになったら、俺たちも駆けつけるからさ!』


『……お前もマネージャーの端くれだったら、しっかりサポートしてやれよ』


『んー? 今のは瓜子ちゃんへのメッセージかよ?』


『そっか! 瓜子ちゃんだって、一緒に聴いてるに決まってるもんな! お前、抜け駆けすんなよな!』


『うるせえなあ。いつまで回してんだよ? とっとと切り上げるぞ』


『抜け駆けさせたまま、終わらせるかよ! 瓜子ちゃーん! 瓜子ちゃんも、頑張ってなー!』


『瓜子ちゃんさえついてれば、ユーリちゃんは絶対大丈夫だからさ!』


『またみんなで会える日を楽しみにしてるよ。ユーリちゃんも瓜子ちゃんも、頑張ってな』


 そして、しばらくの沈黙の後――複数の声による『よいお年を!』という言葉と笑い声を最後に、MP3プレーヤーが沈黙した。

 瓜子は涙をぬぐうことも忘れたまま、ユーリに笑いかけてみせる。


「……ね? 絶対に大丈夫だって言ったでしょう?」


 ユーリもまた止めようのない涙をこぼしながら、「うん……」と微笑んだ。

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