ACT.3 Accel fight in Las Vegas

01 運命の日

《アトミック・ガールズ》十一月大会から、一週間後――十一月の最終日曜日である。

 ついにその日が、《アクセル・ファイト》の十一月大会の当日であった。


 遠き北米のラスベガスにおいて、ユーリと宇留間選手の一戦が執り行われて、それが世界中に発信されるのだ。当日のメインイベントは卯月選手とジョアン選手の一戦であり、ベリーニャ選手の《アクセル・ファイト》デビュー戦というものも大きく反響を呼んでいるようであったが、もちろん瓜子や周囲の人々にとってはユーリの試合こそが関心の的であった。


「今回は、リアルタイムで試合を観られるんだもんねー! なんかもう、想像しただけで血圧が上がっちゃうなー!」


 そんな風に言いたてたのは、朝からメイの部屋に押しかけてきた灰原選手である。《アクセル・ファイト》の放映は正午からであったのに、午前の十時にはもう予定の参席者が全員居揃っていたのだ。部屋の主であるメイ、隣室に住んでいる瓜子、サキ、灰原選手、多賀崎選手、蝉川日和という、お馴染みの顔ぶれであった。


 今頃は、数多くの人間が瓜子たちと同じようにそわそわしながら試合の開始を待ち受けていることだろう。瓜子が知る限りでも、鞠山選手のマンションには小柴選手やオリビア選手、来栖舞の自宅には魅々香選手や高橋選手、西岡桔平の家には山寺博人や陣内征生が集っているはずであるし、赤星弥生子も道場の面々と一緒にテレビを囲んでいるのではないかと思われた。


「それにしても、昼間っから試合観戦ってのは奇妙な気分だよねー! ま、時差があるからしかたないんだろうけどさ!」


「ええ。去年の《アクセル・ジャパン》だって、北米の生放送にあわせて朝から興行を開いてましたしね。向こうの人たちにしてみれば、これがゴールデンタイムなんでしょう」


 そんな風に答えながら、瓜子は誰よりも胸を騒がせてしまっている。『アクセル・ロード』の放映においても、瓜子は毎回胸を騒がせていたものであるが、本日はその総決算ともいうべきトーナメントの決勝戦であるし――それにやっぱり生放送のライブ中継であるという事実が、瓜子をいっそう平静ならぬ気分に追いやるのだろうと思われた。


 きっと現在のユーリは会場の控え室で、ウォームアップに励んでいるのだろう。そんな姿を想像しただけで、瓜子はまた脈拍数が上がってしまう。一昨日の夜にも篠江会長から道場に連絡が入れられて、ユーリは無事にラスベガスに到着したものと告げられていたのだが――何を聞かされても、瓜子が心を落ち着けることはできなかったのだった。


「乳牛が世話になってたフロリダのジムからラスベガスまで、飛行機で五時間って話だったなー。まったく北米ってのは、何から何まで規模が違ってやがるぜ」


「うんうん! アメリカって、つくづく馬鹿でっかいよねー! そんな馬鹿でっかい国の馬鹿でっかい会場で試合をできるなんて、ほんとすごいなー!」


 そんな風に言いながら、灰原選手は多賀崎選手の腕にしがみついた。


「マコっちゃんもあともうちょっとで、今日の試合に出られたのにねー! ま、今日のところは悔しい気持ちもぐっと抑えて、ピンク頭の応援をしてやろうねー!」


「だから別に、悔しがっちゃいないってのに。だいたいあたしは二回戦目で敗退してるんだから、惜しくも何ともない結果だろ」


 多賀崎選手は苦笑しながら灰原選手の身を押しやったが、灰原選手は無邪気な笑顔で離れようとしない。瓜子ほど胸を騒がせている人間は他にいないのかもしれないが、まったくの平常心でいられる人間もそうそういないはずであった。


「でも、これでようやくユーリさんも、日本に帰ってこられるんスねー。入門して三ヶ月も経ってからようやくお会いできるなんて、なんか奇妙な気分ッスよー」


 もっとも平常心に近いのは、やはりユーリと面識のない蝉川日和であるのだろう。しかし彼女もわざわざアルバイトを休んでまで、この場に駆けつけてくれたのだ。半分がたは瓜子たちに対する義理なのかもしれないが、もちろん瓜子は彼女の心意気を嬉しく思っていた。


 ようやく松葉杖から解放されたサキは床に左足を放り出しつつ、壁にもたれて座り込んでいる。そして部屋の主たるメイは、ベッドに腰かけつつ客人たちに不自由がないかずっと無言で見守っている様子であった。


 そんな中、刻々と時間は過ぎていき――ついに、正午が近づいてきた。

 メイがテレビを操作すると、澄んだ歌声が室内に響きわたる。どうやらベテラン女性歌手のライブコンサートの模様が放映されていたようだ。斯様にして、こちらのチャンネルはバラエティにとんだ番組を擁しているのだった。


 なんとなく全員が無言になって、その歌声に聞き入ってしまう。

 そうしてライブコンサートの番組が終了すると、しばらくはCMが流されて――にわかに、聞き覚えのあるヘヴィロックのBGMが流され始めた。


『アクセル・ロード』でも使用されていた、《アクセル・ファイト》のメインテーマである。

 瓜子はいっそう脈拍をあげながら、画面に向かって身を乗り出すことになった。


 さまざまな試合のダイジェスト映像が吹き荒れたのち、実に長々とした興行のタイトルが表示される。本日の興行の正式タイトルは、『Accel fight in Las Vegas -Accel road international10 Japan vs Singapore Finale- 』とされていた。


 そうして試合会場が映されるかと思いきや――まず瓜子たちの前にさらされたのは、日本の撮影スタジオであった。白を基調とした飾り気の少ないスタジオで、司会者やコメンテーターなどが座席に座って居並んでいる。そしてその内のひとりは、元・柔道の五輪メダリストにして深見塾の塾長、深見氏に他ならなかった。


『格闘技ファンのみなさん、こんにちは。本日はラスベガスで開催される《アクセル・ファイト》のイベント、「アクセル・ロード、インターナショナル10、ジャパンvsシンガポール・ファイナル」の模様をお届けいたします』


 司会者は、ずいぶんと年配である男性アナウンサーだ。その姿に「ははん」と鼻を鳴らしたのは、サキであった。


「この親父は、大昔に《レッド・キング》の試合で解説席に座ってたおっさんだなー。そういえば、《レッド・キング》の全盛期に試合を放映してたのも、このチャンネルだったっけか」


「へー。《レッド・キング》の放映って、格闘技チャンネルじゃなかったんだ?」


「ターコ、《レッド・キング》の全盛期は、全国的な格闘技ブームが巻き起こるより前の話だろーがよ? そんな時代に格闘技チャンネルなんざ、存在するもんかよ」


「だったらどうして、あんたがそんな時代のことを知ってるのさ!」


 灰原選手が不満げにわめきたてたが、サキは黙して語らない。察するに、ドッグ・ジムで録画された番組を視聴する機会があったのだろう。しかし、その時代のことは決してつぶさに語ろうとしないサキであるのだった。


 そんな中、番組は粛々と進行されていく。深見氏は格闘技ブームの全盛期に活躍していた立場であるので、スペシャルゲストとしてお招きされたようだ。残りの二名は、女性アシスタントと格闘技雑誌のライターであるとのことであった。


『深見さんは、かつて「JUF」の舞台で卯月選手やジョアン選手とともに活躍されていましたよね。今日の一戦は、ひときわ感慨深いのではないでしょうか?』


『そうですね。卯月くんは一時期沈滞していましたが、ここ数年で結果を出して、いよいよ王座に挑戦かというタイミングで階級を上げることになりました。彼ももともと無差別級の選手であったため、本領を発揮できるのはもっと重い階級だと考えたのでしょう。その初戦の相手がジョアン選手というのは、ずいぶんな試練になってしまいましたが……「JUF」でも最大のライバルであったジョアン選手との対戦となれば、あの卯月くんもさぞかし発奮していることでしょう』


 深見氏はにこやかに微笑みながら、弁舌もなめらかだ。

 そうして話題は、すみやかに『アクセル・ロード』のほうに向けられた。


『本日の卯月選手とジョアン選手の一戦は、九月から十一月にかけて行われた「アクセル・ロード」のコーチ対決として実現いたしました。本日はその「アクセル・ロード」の決勝戦が執り行われるわけですが……こちらのトーナメント戦も、実に素晴らしい内容でしたね』


『はい。当初は日本の女子選手がシンガポールの陣営に太刀打ちできるのかと危ぶまれていましたが、そんな下馬評を覆す見事な結果でありました』


『日本とシンガポールの選手が八名ずつ招聘されて、熾烈なトーナメント戦が繰り広げられたわけですね。まずは、そちらの模様をダイジェストでお届けいたします』


 そこでいきなりユーリの勇姿が映し出されたため、瓜子は心臓を殴られたような心地であった。

 ユーリがエイミー選手を相手に、無軌道なコンビネーションをふるっているシーンである。瓜子の心は、ただちにその豪快さと美しさにとらわれてしまった。


『トーナメントの一回戦目、日本の期待の星であるユーリ選手はシンガポールの強豪エイミー選手を、二ラウンド目に得意のサブミッションで下しました。そこまでに至る打撃戦が、また壮絶な内容でありましたね』


『はい。ユーリ選手はいささかならずクセの強い選手で、決して完成されたファイターではありません。ですが、数多くの弱点を抱えつつも尋常ならぬ勢いと破壊力を持っているため、毎回エキサイティングな試合になるのでしょう』


『二回戦目に対戦したのは、シンガポール陣営のナンバーワン選手として評判の高かった、イーハン選手です。こちらの一ラウンド目も打撃戦で苦戦しながら、ラウンドの終盤で巻き返し、次のラウンドで寝技による逆転勝利。ユーリ選手は苦手な打撃戦の中でどうにかして活路を見出し、最後に寝技で仕留めるというのが必勝パターンのようですね』


『そうですね。立ち技における防御の甘さと規格外の破壊力という相反する要素が、そういう試合内容を導きだすのでしょう。これほどにウィークポイントとストロングポイントが入り乱れている選手は、なかなか他にいないかと思われます』


『そして準決勝戦は、長年のライバルであった沙羅選手。沙羅選手もまた見事なテクニックでユーリ選手を追い詰めましたが、最後はおたがいにダメージを負った状態で熾烈な消耗戦を繰り広げ、最後にユーリ選手が肩固めで勝利をつかみ取りました』


『この試合では、ダメージを負った左足をかばってサウスポーになりながら、それでも勢いで押し切りましたね。これほどの劣勢でも勝利を奪取できるというのは、尋常でない勝負強さの証であるかと思います』


『そして、もういっぽうの宇留間選手ですが……こちらはある意味、ユーリ選手よりも規格外であるようですね』


『はい。わたしも彼女の試合では、何度となく目を疑うことになりました。ユーリ選手に対抗できるのは、こういう爆発力を持った選手であるのかもしれません』


『宇留間選手は一回戦目から準決勝まで、すべてKO勝利。これはやはり、ストライカーとグラップラーの対決ということになるのでしょうか?』


『そうですね。ただし、宇留間選手は持ち前のフィジカルでグラウンドから逃げることを得意にしています。ユーリ選手はグラウンドに引きずりこむまでに、どれだけ宇留間選手を消耗させることができるか。そこが勝負の分かれ目になるかもしれません』


『現地のオッズでは、ユーリ選手が圧倒的に有利とされております。ただこれは、ユーリ選手の実力ばかりでなく人気のほうも反映されているのかもしれませんね』


『はい。あちらのSNSなどでも、ユーリ選手の人気はうなぎのぼりであるようです。まあ、これだけ容姿の秀麗なファイターというのは、なかなか他にないでしょうからね』


 そこで画面が、ユーリと宇留間選手のプロフィール画像に切り替えられた。

 その数値に、瓜子はハッと息を呑む。ユーリのウェイトが、百二十四・六ポンド――およそ五十六・五キログラムで、準決勝戦の際よりも落ちてしまっていたのである。


『こちらはバンタム級の一戦であるのですが、ユーリ選手はずいぶん絞っているようですね』


『はい。あと五百グラム落とすだけで、フライ級のリミットですからね。「アクセル・ロード」のトーナメントは過酷ですので、なかなかウェイトを戻せなかったのかもしれません。それがパワーやスタミナの面に影響を与えたら、ちょっと苦しい試合になるでしょうね』


 瓜子がひとりで歯噛みしていると、サキに頭を小突かれてしまった。


「前の試合から、四百グラムばかり落ちたってだけのこったろ。いちいちオタオタするんじゃねーよ」


「は、はい。でも、前の試合から三週間も経ってるのに、ウェイトが減ったままだなんて……ユーリさんは、大丈夫なんでしょうか?」


「知らねーよ。そいつは試合で見届けるしかねーだろ」


 それは、サキの言う通りである。

 瓜子は唇を噛みながら、画面に向きなおった。

 画面上のユーリは、ゆったりとしたファイティングポーズでにこにこと微笑んでおり――それがまるで、瓜子を元気づけているように見えてならなかったのだった。

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