06 メインイベント

『けっきょくサキちゃんが優勝してもうたねぇ。下馬評通りで、おもんない結果やわぁ』


 サキの勝利者インタビューが終了するなりケージに登場した雅選手が、いつものねっとりとした口調でそのように言いたてた。本日も彼女は解説役として来場しており、トーナメント戦の結果を肉眼で見届けていたのだ。


『それに、優勝の代償は大きかったみたいやねぇ。そないな足で、うちとやりあえるん?』


『うっせーなー。おめーこそ、折れた肋骨はつながったのかよ? 老人は、回復が遅くて難儀だなー』


 雅選手に正面きってこのような口を叩けるのは、《アトミック・ガールズ》においてサキただひとりであろう。黒地に白蛇と真紅の牡丹という毒々しい着物姿の雅選手は、毒蛇そのものの迫力でにんまり微笑んだ。


『サキちゃんも、左足以外は元気みたいやねぇ。怪我人相手の王座統一戦なんておもろないさかい、サキちゃんこそしっかり養生してやぁ。サキちゃんがどないな泣き顔を見してくれるか、楽しみにしとるさかいなぁ』


『おめーこそ隠居の準備をしとけよ、毒蛇ババア』


 そんな毒舌の応酬で観客席をわきたたせつつ、両者の対峙は終了した。

 そうしてサキがケージを下りる準備を始めたところで、瓜子は身を起こした。それで控え室を飛び出すと、プレスマン道場の陣営はひとり残らず追従してくる。控え室に居残っていたのは、メイ、ジョン、柳原、愛音という顔ぶれであった。


 入場口の裏手では、小笠原選手の陣営がウォームアップに励んでいる。

 瓜子たちの接近に気づいた小笠原選手は、「やあ」と穏やかに微笑んだ。


「優勝おめでとう。でも、かなりしんどい試合だったみたいだね」


「はい。試合前にお騒がせしちゃって、どうもすみません」


「かまわないよ。しっかりサキの面倒を見てあげな」


 ほどなくして、サキたちが花道から戻ってきた。

 その時点で、サキは蝉川日和に肩を借りている。サキが衆目にそのような姿をさらすというのは、よほどのことであった。


 小笠原選手とセコンド陣は無言のまま、ただ拍手でサキの戴冠を祝福する。

 そちらに頭を下げながら、立松がサキたちを導く格好で瓜子たちのほうに近づいてきた。


「ここじゃあ小笠原さんの邪魔になるから、移動するぞ。サキ、いっそ背負ってやろうか?」


「うっせーなー。中年男とべたべたする趣味はねーよ」


「ああ、そうかよ。蝉川、そのまま駐車場まで頼むぞ。サイトーは、控え室の荷物をまとめておいてくれ」


 立松のそんな言葉に、瓜子は胃の縮む思いであった。


「あ、あの、サキさんはこのまま病院に直行っすか? そんなに左膝が深刻な状態なんすか?」


「いや。リングドクターに、病院は明日で大丈夫だろうと診断されてるよ。ただ、手放しでそれに従う気にはなれねえから……裏でこっそり、六丸くんと連絡を取り合ったんだ」


 サキに合わせてゆっくりと歩を進めつつ、立松はそのように言いつのった。


「あっちの陣営とは会場内で接触できねえから、駐車場で落ち合うことにしたんだよ。まったくもって、世話をかけるばかりだが……こっちも恥や外聞を気にしていられる立場じゃねえからな」


 整体師の六丸は、サキの復帰に大きく関わった立役者であったのだ。もともとサキは大きな手術を受けない限り復帰は絶望的であるという診断であったのに、六丸の整体院に通うことで奇跡的に回復を果たしたのだった。


「そ、それじゃあ自分も付き添わせてください」


「いや。診療にどれだけ時間を食うかわからねえから、選手連中は閉会式に備えておけ。サイトーも、荷物をまとめたら控え室で待機だ。病院に向かう必要が出てきたら蝉川をよこすんで、そうしたらこっちと合流してくれ」


「おうよ。念のために、ヤナもそっちにくっついとけ。娘っ子どもの面倒は、ジョンひとりで問題ねえだろ」


 セコンド陣がてきぱきと判断を下して、今後の道筋を立てていく。これではただおろおろしているだけの瓜子など、何の役にも立てなかった。

 そうして瓜子が消沈していると、サキが長いリーチで頭をかき回してくる。


「こちとら大勝負を終えたところだってのに、シケたツラしてんじゃねーよ。だいたい、暫定王者様にねぎらいの言葉はねーのか?」


「あ、いえ……ど、どうもおめでとうございます、サキさん」


「まったく熱意が感じられねーなー。おめーのゆるみきった涙腺がよだれのひとつもこぼさねーとは、どういう了見だよ」


「それはもう、ベルトを巻いた瞬間に流し尽くしちゃったんすよ」


 そんな風に応じながら、瓜子は無理やり笑ってみせた。


「それに、あんな試合を見せられたら心配になるのが当たり前じゃないっすか。メイさんや邑崎さんが、どんな気持ちで見守ってると思ってるんです?」


「あー、うるせーうるせー。いつからうちの道場は、こんな小姑の集団になっちまったんだよ。やっぱ、ひとりぐれーは頭のネジのゆるんだ浮かれポンチが必要なのかもなー」


 蝉川日和に支えられたサキは力なく歩を進めつつ、右腕を背中に回してチャンピオンベルトを外した。そしてそれを、瓜子の鼻先に突きつけてくる。


「邪魔だから、おめーが持っとけや。落としてぶっ壊すんじゃねーぞ」


 瓜子は「押忍」という言葉にすべての気持ちを込めて、そのチャンピオンベルトを受け取った。

 瓜子も同じものを所有しているが、それに負けない重みがずしりと両手にのしかかってくる。サキはこの栄光をつかみ取るために、今このような姿をさらしているのだった。


 そうしてサキたちは控え室の前を素通りして、関係者用の出口に消えていく。

 瓜子たちはその姿が見えなくなるまで、じっと見送ることになった。


「……リングドクターにも問題ないと診断されたのなら、きっと選手生命に支障はないのです」


「うん。日本の医師、慎重だから、きっと大丈夫だと思う」


「そうだねー。ウリコもシンパイしないで、サキがゲンキにモドってくるのをマってればいいよー」


 愛音やメイやジョンが、そんな言葉を瓜子に投げかけてくる。

 そして最後に、サイトーが瓜子の肩を小突いてきた。


「お前さんがそんなツラをさらしても、サキの気苦労が増えるだけのこったろ。あいつのしぶとさは保証してやるから、お前さんもどっしり構えとけや」


「……押忍。不甲斐ない姿を見せちゃって、どうもすみません」


 サイトーは不敵に笑いながら、控え室のドアに手をかけた。

 そちらのドアが開かれると、とたんに猛烈な熱気と歓声が押し寄せてくる。そういえば、壁ごしにもずっと客席の歓声が伝えられていたのだった。


「あーっ、やっと戻ってきた! ほらほら、トッキーの試合もすごいことになってるよー!」


 灰原選手や多賀崎選手たちが、モニターを取り囲んでいる。今はメインイベントたる小笠原選手とオルガ選手の一戦が繰り広げられているのだ。


 その試合模様を覗き込んだ瓜子は、驚嘆に息を呑む。小笠原選手とオルガ選手はケージの中央で、苛烈な打撃戦に興じていたのだ。

 やはり無差別級というのは、迫力が違っている。サキと犬飼京菜の一戦も尋常でない迫力であったが、こちらにはさらに無差別級ならではの力感も加えられていたのだった。


 小笠原選手もオルガ選手も、無差別級の選手としてはそこまで重いウェイトではない。しかしそれでも小笠原選手は百七十八センチという長身であるし、オルガ選手はロシア人ならではの屈強な肉体を有している。そんな両者が真正面からぶつかりあっているさまは、男子選手に負けない迫力と猛烈さであった。


 それに――小笠原選手というのは、もっとテクニカルな選手であったはずだ。もちろんグローブ空手の出身であるのだから打撃技の巧みさは際立っているが、どちらかといえば遠距離から相手を追い詰めて、自らのダメージは最小限に留めるタイプであるはずであった。


 そんな小笠原選手が、真っ向からオルガ選手に立ち向かっている。オルガ選手こそ頑丈な肉体を活かして荒々しい打撃技を得意にするタイプであるのに、小笠原選手は一歩も引かず、至近距離で殴り合い、蹴り合っていたのだった。


 なおかつオルガ選手は組み技や寝技も巧みであるため、打撃戦の間隙にテイクダウンの仕掛けも見せている。しかしオルガ選手が組みつこうとすると小笠原選手は首相撲でコントロールして、肘や膝で迎え撃ち、また突き放して打撃戦を再開させた。その力強い所作こそが、瓜子をいっそう慄然とさせた。


 まだまだ第一ラウンドが始まったばかりであるはずなのに、両者はすでに目尻から血を流している。オルガ選手は鉄仮面のごとき無表情で、灰色の双眸を炯々と燃やし、いっぽう小笠原選手は菩薩像のように静かな面持ちであった。


「小笠原だったら、リーチを活かして距離を取ると思ったのに……まさか初っ端から、こんなインファイトになるとはね」


「でも、押してるのはトッキーじゃん! だんだんオルガっちの動きが鈍くなってきたもん!」


 灰原選手の言う通り、呼吸を荒くしているのはオルガ選手のほうであった。きっと自分の得意とするインファイトで五分の勝負になってしまい、リズムをつかみきれないのだろう。それに対して小笠原選手は、その静かな面持ちにまったくそぐわない苛烈な打撃技でもって、オルガ選手の頑丈な肉体と心を突き崩そうとしていた。


 そんな迫力をまったく減じないまま、一ラウンド目は終了する。

 そうして二ラウンド目が再開されると、オルガ選手はぐっと腰を落として組み技に重点を置いたかに見えたが――それでも、小笠原選手の勢いは止められなかった。オルガ選手がタックルを狙っても、小笠原選手は的確に対処をして、決してグラウンド戦には移行させなかった。それでオルガ選手ひとりがマットに突っ伏した際には、第一試合の大江山すみれを上回る気迫で相手の足を蹴りつけた。


 あの重戦車のごとき馬力を持つオルガ選手が、完全に後手に回されてしまっているのだ。

 彼女がどれだけの実力であるかは、瓜子も出稽古で思い知らされている。そうだからこそ、小笠原選手がどれだけ物凄いことをやってのけているか、瓜子は痛切に感じ入っていたのだった。


 そうして第二ラウンドまでもがあっという間に終了して、ついに最終ラウンドである。

 ここではオルガ選手がすべての小細工を打ち捨てたかのように、猛攻を見せた。

 そしてそこでも、小笠原選手は真正面から受けて立っていた。


 もちろん小笠原選手もステップワークを駆使して、オルガ選手の猛攻を上手い具合にかわしている。しかし、必要以上に距離は取らず、インファイトで迎え撃つのだ。それで多少の攻撃をくらっても、同等かそれ以上の攻撃を返してみせたのだった。


 ラウンドの中盤では、オルガ選手ががむしゃらに組みつこうと試みる。

 その際には、さすがにフェンスまで押し込まれることになったが――小笠原選手はそこでも首相撲の技術を活かして、決して劣勢には陥らなかった。それで最後には強烈な膝蹴りを叩き込み、フェンス際から脱出して、また打撃戦を再開させた。


 オルガ選手もついに鉄仮面のごとき無表情をかなぐり捨てて、獰猛な形相を剥き出しにする。

 それでも小笠原選手は、いっかな怯むこともなかった。目尻から少なからぬ血を流し、肩を大きく上下させながら、その顔は菩薩像のごとき静けさを失わなかった。


 そうして最後に、死闘の総決算とも言うべき乱打戦を見せて――試合終了のブザーが鳴らされる。

 時間切れの判定勝負となったが、観客席の熱狂はまったく揺らいでいなかった。瓜子の胸に満ちるのも、焼けた鉄のような昂揚ばかりであった。


「ふん。空手女も、意地を見せやがったか」


 瓜子は心から驚いて、背後を振り返る。そこには松葉杖をついたサキが立ちはだかっていた。


「サ、サキさん! いつの間に戻ってきてたんすか?」


「さてな。そんな愚問に答えてやる義理はねーよ」


 サキは拳で、瓜子の頭をぐりぐりと圧迫してくる。

 その背後では、立松たちが苦笑していた。


「サキのほうは、問題なかったよ。まあ、しばらくは安静にしなくちゃいけねえが……古傷は悪化しちゃいないとのことだ」


「そうですか……本当によかったです」


 情緒の定まらない瓜子は、そこで涙をこぼしてしまった。

 するとサキが、さらなる圧迫を加えてくる。


「もののついでで泣いてんじゃねーよ。おめーは空手女の試合で我を失ってたんだろーが?」


「ぜ、全部ひっくるめてですよ。心配させる、サキさんが悪いんですからね」


 瓜子たちがそんな言葉を交わしている間に、判定の結果が読みあげられた。

 ジャッジは全員が、30対27をつけている。フルマークで、小笠原選手の勝利である。


 灰原選手は「やったー!」と多賀崎選手に抱きつき、時任選手は誰にともなく拍手を送っている。

 そして少し離れた場所では、来栖舞が高橋選手の肩に手を置いていた。


「朱鷺子は去年の悔しさをバネにして、あれだけの強さを身につけたんだ。道子にも、きっと同じことができる」


 高橋選手はタオルを頭からかぶったまま、無言で涙をこぼしているようである。

 かくして、《アトミック・ガールズ》の本年しめくくりの興行は、最後の最後まで火のついたような騒ぎの中で幕を下ろしたのだった。

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