06 決断

 勝利者インタビューを終えて、瓜子たちが花道を引き返すと、赤星道場の面々がお祝いの言葉と拍手を届けてくれた。


「おめでとう、瓜子ちゃん! 二試合連続秒殺勝利なんて、格の違いを見せつけてくれたな!」

「おめでとう。心から、猪狩さんの戴冠を祝福する」

「おめでとさん! 今日は美味い酒を飲めそうだな!」

「おめでとうございます。ますます猪狩さんの存在を無視できなくなってしまいました」


 陽気に笑うレオポン選手に、やわらかい表情で目を細める赤星弥生子、豪快に笑う大江山軍造に、内心の知れない微笑みをたたえる大江山すみれ――瓜子は精一杯の思いを込めて、「押忍」と一礼してみせた。


「レオポン選手も、頑張ってください。約束通り、三本のベルトを持ち帰りましょう」


「ああ。まかせとけ」


 不敵に笑うレオポン選手とグローブをタッチさせ、瓜子はセコンド陣とともに控え室を目指す。その道中で、立松は瓜子の肩を、サキは瓜子の頭を、それぞれ小突いてきた。


「それにしても、今回は型にハマったな。アウトスタイル対策を発案してくれた鞠山さんにも、念入りにお礼を言わないとな」


「ふん。今回も、勝手にビビってスタイルチェンジした相手の自爆みてーなもんだけどなー。ま、裏を返せば、まともな殴り合いにならねーぐらい格が違うってこった」


「それでもラウラ選手は、亜藤選手や山垣選手にも勝ってるんすからね。今度はそちらのお二人と対戦してみたいです」


 そんな風に答えてから、瓜子はユーリを振り返った。

 瓜子はまだ、試合が終了してからユーリの声を聞いていなかったのだ。そして、自前のハンカチで涙をぬぐったユーリは、この際にもにこりと微笑むだけで何も語ろうとはしなかったのだった。


 そうして控え室に到着すると、それなりの熱量で拍手が届けられてくる。

 その中から、満面に笑みをたたえた灰原選手が飛びかかってきた。


「うり坊、おっめでとー! 秒殺であっさり終わっちゃったから、涙を流すひまもなかったよ! あたしを泣かせたかったら、もうちょいハラハラさせてくれないとねー!」


「押忍。でも、今日の分の涙は多賀崎選手の戴冠で流し尽くしちゃったんじゃないっすか?」


「うっさいよー!」と照れた顔で笑いながら、灰原選手がヘッドロックを仕掛けてきた。

 その向こう側では、多賀崎選手と四ッ谷ライオットのセコンド陣が混じり気のない笑みをたたえてくれている。それに、ジョンや柳原や赤星道場の面々も、他の関係者とは熱量の異なる拍手を届けてくれた。


「ウリコ、タイカンおめでとー。タイトルマッチでビョーサツなんて、ウリコはスゴいねー」


「ありがとうございます。これもみなさんのご指導のおかげです」


 ジョンの優しい笑顔に笑顔を返してから、瓜子は赤星道場の面々に向きなおった。


「赤星道場のみなさんも、夏の合宿稽古ではお世話になりました。あのときの経験も、自分に力を与えてくれました」


 こちらは青田父娘を筆頭とするご縁の薄い顔ぶれであったため、取り立てて言葉は返ってこない。しかし、もっとも不愛想な青田ナナも仏頂面のまま、力強く拍手をしてくれていた。


 そんな中、モニターではレオポン選手の試合が始められようとしている。

 その結果は――レオポン選手の、一ラウンドKO勝利であった。

 控え室にはざわめきが走り、青田コーチは低い声で「よし」とつぶやく。


「これでまた北米が見えてきたな。……お前もハルキに後れを取るなよ」


 鬼コーチたる父親にそんな言葉をかけられた青田ナナは、厳しい表情で「わかってる」と答えていた。

 やはり赤星弥生子を除く赤星道場の面々は、《レッド・キング》の外で結果を出すことを目的にしているのだ。

 瓜子としては、ずっと穏やかな面持ちで微笑んでいるユーリの心情が気になってならなかった。


(もしかして、ユーリさんは……あたしの試合が終わったから、『アクセル・ロード』の一件に頭を切り替えたのかなぁ)


 ユーリがこうまで言葉を発さないというのは、決して当たり前の話ではないのだ。

 しかしこのように人目のある場所では、瓜子もなかなかユーリの気持ちを問い質すことはできなかった。


「それでは、閉会式を開始します! 猪狩選手と多賀崎選手は、ベルトをお持ちください!」


 スタッフの声に従って、青コーナー陣営の選手一行はあらためて試合場を目指した。

 出番の遅かった瓜子と多賀崎選手は、汗だくの試合衣装の上から《アトミック・ガールズ》の公式ウェアを纏った姿だ。そしておたがいに、肩からチャンピオンベルトをさげていた。


「……なんかさ、猪狩と同じ格好で、同じベルトをかついで歩いてるってのは……すごく誇らしい気分だよ」


 花道に出る直前、多賀崎選手がはにかむように笑いながらそんな風に告げてきたので、瓜子も笑顔で「自分もです」と応じてみせた。

 花道に出ると、また盛大な歓声で迎えられる。レオポン選手の豪快なKO勝利によって、客席にはいっそうの熱気が生まれているようであった。


 ケージに上がると、瓜子たちよりも汗だくのレオポン選手が笑顔で近づいてくる。その腰にも、瓜子たちと同じベルトが巻かれていた。


「よう、約束は果たしたぜ。今日は朝まで帰さないからな」


「やだなぁ。レオポン選手が言うと、不謹慎な言葉に聞こえちゃうんすけど」


「いいさ、別に。軟派が俺の身上だからな」


 そんな風に言いながら、レオポン選手は屈託のない笑顔で拳を突き出してきた。

 すでにバンデージも外している生身の拳で、瓜子と多賀崎選手はタッチする。

 そんな中、リングアナウンサーが閉会式の開始をアナウンスした。


 まずは、《フィスト》の代表である人物の挨拶だ。かつて赤星大吾としのぎを削っていた《フィスト》の創立者・竜崎氏はすでに表舞台から退いているため、これは二代目の代表となる。彼はトリプル・タイトルマッチがすべて挑戦者の勝利に終わったことを熱っぽく語り、新たな王者たちが新時代を切り開いてくれることを期待するという一文で挨拶を締めくくった。


『それでは、本日のMVPを発表いたします! 本日のMVPは……第九試合で見事なKO勝利を収めた、猪狩瓜子選手となります!』


 リングアナウンサーがそのように告げると、客席からはまた凄まじい歓声がわきたった。

 瓜子がひとりで困惑していると、レオポン選手が笑顔で背中を叩いてくる。


「さすがの俺も、秒殺で仕留めた瓜子ちゃんにはかなわねえよ。胸を張って、受け取ってきな」


 瓜子は「押忍」と応じつつ、二代目代表の前に進み出た。

 本日のMVPとやらに授与されるのは、記念の盾と、副賞の金一封、そしてスポンサーからの提供である三ヶ月分のプロテインであった。

 記念の盾を押し抱きつつ、代表の人物と握手をした姿を、何台ものカメラに撮影される。《フィスト》は業界最大手であるので、きっとこちらの画像がさまざまな媒体で公開されることになるのだろう。瓜子としては、恐縮するばかりであった。


 ちなみにこの場に、ラウラ選手の姿はない。さすがに二試合連続で秒殺されては、トラッシュトークの吐きようもないのだろう。彼女は自身の動画サイトと、《フィスト》運営陣に対するコネクションを総動員して、この一戦を大いに盛り上げて――そして、あえなく敗北してしまったのだった。


(まあ、そういうリスクを承知の上で、ラウラ選手はああいうキャラを貫いてるんだろうからな。運営陣におんぶにだっこだったチーム・フレアとは、やっぱり質が違うんだろう)


 瓜子がそんな感慨を抱いている間に、閉会式は終了した。

 大きな歓声と拍手に見送られながら、選手一行は花道を舞い戻る。その際にも、瓜子の名を呼ぶ声は際立っているように思えてならなかった。


「よーし! 着替えが済んだら、祝勝会だね! ばっちり店は押さえてるから、ひとまず駐車場で集合だよ!」


 灰原選手は意気も揚々に語らっていたが、《フィスト》においては着替えやシャワーを男子選手に先を譲るのが定例だという話であった。まあ、男子選手が素っ裸でうろつく姿が気にならなければ、どうぞご自由にという気風であるようであったが――瓜子と多賀崎選手は、大人しく控え室の外で待機することにした。


「そういえば、宇留間とかいうやつはさっさと帰っちゃったみたいだね! ま、赤星のお人らがあんまりご一緒したくないみたいだったから、こっちも誘う気はなかったんだけどさ!」


「あ、そうっすか。まあ、彼女は出番も早かったんで、帰り支度も済んでたんでしょうね」


 そんな風に答えながら、瓜子はかたわらのユーリへと目を向けた。

 ずっと瓜子のそばに寄り添いながら、やはりユーリは無言である。こちらから声をかければ「うん」だの「そうだね」だの返事はあるのだが、ユーリは決して自分から口を開こうとしなかったのだった。


「……ユーリさん、トイレにご一緒しませんか?」


 瓜子が意を決してそのように告げると、ユーリは普段通りの笑顔で「いいよぉ」と応じてくれた。

 そうしてトイレに移動すると、幸いなことに無人である。

 瓜子は騒ぐ心臓をなだめながら、ユーリと相対した。


「ユーリさん。セコンドのお仕事は、終了っすよね。……だから、例の一件で思い悩んでるんすか?」


 ユーリは「ほえ?」と小首を傾げた。


「ううん。ユーリは思い悩んでなんかいないよぉ。……あのね、うり坊ちゃんのおかげで、ユーリは気持ちが固まったの」


「え? それはどういう――」


「ユーリは、『アクセル・ロード』に参加するよ」


 天使のように微笑みながら、ユーリはそう言った。

 瓜子は思わずぐらりとよろめいてから、慌てて体勢を立て直す。


「ど、どうしていきなり決断できたんすか? それに、自分のおかげって……今日は一日、自分とは何の話もしてないっすよね?」


「うん。うり坊ちゃんの試合を見届けることで、ユーリは覚悟を固めることができたのです」


 とても静かな表情と声音で、ユーリはそのように言いつのった。


「今日の試合は、すごかったよね。《フィスト》のチャンピオンを二試合連続で秒殺KOなんて……そんなの、ユーリには絶対無理だもん。うり坊ちゃんはこんなに強いから、メイちゃまに一緒に《アクセル・ファイト》を目指そうとプロポーズされることになったのだろうねぇ」


「そ、そんなことはないっすよ。それに、自分の実力なんて、今回の一件には関係ないでしょう?」


「ううん。《アクセル・ファイト》の女子部門には、まだバンタム級とフライ級しかないらしいけど、ストロー級が設立されたら、絶対の絶対にうり坊ちゃんもスカウトされるはずだよ。うり坊ちゃんも、メイちゃまも……それに、アトム級が設立されたら、サキたんも……だってみんな、すっごく強くて、すっごくかっちょいいんだもん。ユーリ風情に声をかけられるなら、うり坊ちゃんたちもスカウトされるに決まってるさぁ」


 瓜子は、思わず押し黙ってしまう。

 そんな瓜子を見つめながら、ユーリはさらに言葉を重ねた。


「それでね……もしもそんな話が舞い込んできたら……ユーリは、《アクセル・ファイト》で戦ううり坊ちゃんたちを見てみたいの。世界中の人たちに、うり坊ちゃんたちのかっちょよさを知ってもらいたいの。そうしたら……きっとユーリがベル様に救われたみたいに……たくさんの人が救われると思うから……」


 とても静かな表情で微笑みながら、ユーリは白くてなめらかな頬に涙を伝わせた。


「だからね……ユーリも置いてけぼりにならないように……頑張らなきゃって思ったの……うり坊ちゃんたちに、置いていかれたくなかったから……」


「……真っ先にスカウトされたのはユーリさんなのに、何を言ってるんすか」


 瓜子はユーリのもとに歩み寄り、髪ではなく手の先を握りしめた。

 ユーリはぞわっと鳥肌を立たせつつ、瓜子の手をぎゅっと握り返してくる。


「本当にユーリさんって、頭の中身が支離滅裂なんすね。……でも、ユーリさんの気持ちはわかりましたよ」


「うん……うり坊ちゃんも、応援してくれる?」


「当たり前じゃないっすか。ユーリさんだったら、世界中の人たちを仰天させられますよ」


 そんな風に語りながら、瓜子は心からの笑顔を届けてみせた。

 とたんに目もとが熱くなり、その熱が瓜子の頬をしたたっていく。

 瓜子のぼやけた視界の中で、ユーリもまたとめどもなく涙をこぼしながら、いっそうあどけなく微笑んだ。


「うり坊ちゃんと二ヶ月も離ればなれだなんて、ユーリには耐えられそうにないんだけど……でも、トーナメントであっさり負けちゃったら、すぐに帰国できるみたいだしねぇ」


「そんな弱気でどうするんすか。せめて決勝戦まで勝ち残らないと、公式の興行には出られないんすよ? ……ユーリさんが北米の大舞台で優勝する姿を、テレビで見守ってます」


 ユーリは「うん」とうなずきながら、握りしめた瓜子の手を自分の胸もとに抱え込んだ。

 大いなる肉塊の向こう側から、ユーリの脈動が伝えられてくる。それは雄々しく鼓動を打ちながら、どこか頼りなげに震えているようにも感じられて――それがまた、瓜子の心を締めつけてやまなかったのだった。

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