04 王座挑戦
その後も、《フィスト》五月大会の試合は粛々と進められていった。
第五試合に登場した赤星道場の門下生は二ラウンド目でKO勝利、第六試合の柳原はからくもスプリットの判定勝利である。柳原はこの結果に納得がいっていないようで、試合後も笑顔を見せることはなかった。
そうして第六試合まで終了したならば、第八試合の出場である多賀崎選手は入場口の裏で待機だ。
瓜子の陣営もその時点で控え室を出て、廊下でウォームアップに励むことにした。第七試合の男子選手はどちらも見知らぬ相手であったし、やはり男だらけの控え室というのはいささか居心地が悪かったのである。
ちなみに、第二試合で鮮烈なKO勝利を収めた宇留間選手は、セコンド陣とともに姿を消してしまっている。かつてユーリがそうしていたように、駐車場にでも引っ込んでしまったのか、あるいは客席の通路で試合を観戦しているのだろう。彼女の発言には青田ナナがピリピリしてしまっていたので、それも幸いな話であった。
しばらくすると、柳原のセコンドであった男子選手が控え室から顔を出し、第七試合の終了を告げてくれる。
いよいよ出番となる多賀崎選手を激励するために、瓜子の陣営は早々に入場口を目指すことにした。
「おー、来た来た! ほらほら、プレスマンのみんなも期待してるんだから、それに応えてよー、マコっちゃん?」
「ったく、あんたはナチュラルにプレッシャーをかけてくれるねぇ」
そんな風に苦笑する多賀崎選手は、十分にリラックスできているようであった。
「頑張ってください、多賀崎選手。二人でベルトを持ち帰りましょう」
瓜子がそんな風に声をかけると、多賀崎選手は雄々しい面持ちで「うん」と笑った。
「沖さんは強敵だけど、あんたや桃園ほどじゃないからね。死に物狂いでベルトをもぎ取ってくるよ」
そうして多賀崎選手はプレスマン道場の四名全員と拳をタッチさせてから、花道へと乗り込んでいった。
ウォームアップを再開して、自分の試合に集中しながら、瓜子は心の片隅で多賀崎選手の勝利を祈る。
多賀崎選手の所属する四ッ谷ライオットはフィスト・ジムから派生したジムであるため、《フィスト》の運営陣にしてみても内輪という感覚であるのだろう。
しかし、多賀崎選手は《アトミック・ガールズ》を主戦場にしていたし、そちらで知遇を得た面々との絆を大切にしてくれている。だからこそ、今日も《アトミック・ガールズ》の公式ウェアで乗り込んできたのだろう。瓜子と同じように、アウェイで王座に挑戦する気持ちであるはずであった。
(多賀崎選手なら、きっと勝てる。ユーリさんやメイさんともあれだけスパーを積んでたんだから、沖選手なんて怖くないはずだ)
瓜子がそんな風に考えたとき、客席のほうから歓声が爆発した。
立松の指示で覗き見をしていたサキが、「ふん」と鼻を鳴らす。
「地味女の右フックがクリーンヒットしたけど、相手が根性で組みついてきて、テイクダウンを取られちまったな。こいつを返すのは、難しいだろうぜ」
「地味女って、多賀崎さんのことか? ったく、お前さんの口の悪さはどうしようもねえな」
瓜子のキックをミットで受けていた立松が、苦笑まじりの声を返す。
するとサキが、「おっ」と声をあげた。
「意外や意外、ポジションを奪い返したな。牛やタコ女とのスパーが利いてるみてーだ」
「ほう。沖選手にポジションキープを許さなかったんなら、勝ちが見えたな。お前さんも続けよ、猪狩」
瓜子は「押忍」と応じながら、ついつい蹴りに力がこもってしまった。
が、第一ラウンドはそのままタイムアップになってしまったようで、サキは「あーあ」と嘆息をこぼしていた。
その後もいっこうに試合は終わらず、時間だけが刻々と過ぎていく。瓜子はウォームアップが過剰にならないように、何度もインターバルをはさむことになった。
「こいつは判定までもつれこみそうだな。サキ、多賀崎さんは苦戦してんのか?」
「いんや。第二ラウンドからは、圧倒してるよ。こいつは相手の執念をほめるしかねーだろうな」
「そうか。沖選手は粘り強いからな。……だけど粘り強さだったら、多賀崎さんだって負けてないはずだ」
立松は、真剣な面持ちでそう言っていた。
多賀崎選手はもう何ヶ月も週二ペースでプレスマン道場に通っているのだから、立松にとってもお客さんでは済まない存在になっているはずであるのだ。
そんな中、サキがまた「おっ」と声をあげた。
「バテバテの相手から、テイクダウンを奪ったぞ。おー、容赦のねーパウンドだ。これなら、レフェリーストップも――あ」
「あって何すか? 気になるところで実況を止めないでくださいよ」
「おめーは手前の試合に集中しとけや。……相手がシザースで、ひっくり返したんだよ。おー、あれよあれよという間にマウントだ。これで極めたら、劇的な逆転勝ちだなー」
「多賀崎選手は、きっと大丈夫です!」
瓜子がミットに渾身の右ストレートを打ち込むと、サキが珍しくもビクッと背中を震わせた。
「……おめーなあ、心臓に悪い真似するんじゃねーよ」
「え? まさかサキさんが、このていどの音で驚かないっすよね?」
「音だけならな。……おめーがでかい音を出すのと同時に、地味女がスイープを仕掛けたんだよ。上を取り返して、またパウンドだ」
サキの言葉が終わると同時に、ゴングの乱打される音色が響きわたった。
「多賀崎選手のKO勝ちっすか?」
「いんや。最終ラウンドもタイムアップだ。でもまー、判定の結果は聞くまでもねーな。こいつは文句なしにフルマークで、地味女の勝ちだ」
残念ながら、時間内に決着をつけることはできなかった。
しかし多賀崎選手は、全ラウンドで沖選手を圧倒することができたのだ。それは初回で決着がつくよりも、多賀崎選手が地力でまさっていることを証明しているはずであった。
「すみません。インターバルをお願いします」
「かまわねえよ。ウォームアップは、もう十分だろ」
勇ましい顔で笑う立松やユーリとともに、瓜子もサキのもとに向かった。
扉の隙間から、試合場のほうを覗き込むと――汗だくの多賀崎選手が天を仰ぎながら、レフェリーに腕を上げられている。そしてその腰に、燦然と輝くチャンピオンベルトが巻かれたのだった。
多賀崎選手が、ついに《フィスト》の王者となったのだ。
昨年の一月大会で沙羅選手に敗北し、四月の大阪大会で地元の選手に敗北し――このままでは中堅の座も危ういかとされていた多賀崎選手が一年がかりで四つの勝利を積み上げて、ついにその栄光をつかみ取ったのだった。
その輝かしい姿を目に焼きつけてから、瓜子は身を引いて立松たちに場所を譲る。
立松とユーリは順番に多賀崎選手の勇姿を確認し、笑顔を見交わした。
「多賀崎さんの苦労が報われたな。まあ、どんなに苦労をしても報われるとは限らないのが、勝負の世界だが……ああやって地道に頑張ってきた選手が報われるのは、いいもんだ」
「そうですねぇ。ユーリも何だか、感慨深いですぅ」
そんな風に言ってから、ユーリは「やや!」とおかしな声をあげた。
「これはどうしたことでしょう! おめめから透明の液体が!」
「ユーリさんは、犬飼さんの試合でも涙を流したりするじゃないっすか。多賀崎選手とはそれより昔からのおつきあいなんだから、何も不思議はないでしょう?」
「でもでも、試合も観てないのに涙してしまうなんて……ユーリはそんなハートフルな人間じゃないはずなのににゃあ」
「たぶん、そう思ってるのはユーリさんだけっすよ」
瓜子がそんな風に言うと、ユーリは照れているような困っているような顔で微笑んだ。
そしてそこに、レオポン選手の陣営がやってくる。セコンド陣は、赤星弥生子と大江山の父娘だ。
「多賀崎さんが、やってくれたな。相手も大した執念だったけど、こいつは貫禄勝ちだ」
夏の合宿稽古と二回の打ち上げで多賀崎選手と交流を結んでいるレオポン選手は、朗らかな笑顔でそう言っていた。そのかたわらに控えた赤星弥生子は普段通りの凛々しい面持ちであるが、眼差しはやわらかい。
「彼女は見るたびに、動きがよくなっているね。猪狩さんたちといい稽古を積めている証拠なのだろう」
「押忍。自分もユーリさんも、さんざん多賀崎選手のお世話になっていますからね」
「うちのマリアは、彼女へのリベンジに燃えているよ。今日の試合を放映で観たら、ますます奮起することだろう」
瓜子たちがそのように語らっていると、勝利者インタビューを終えた多賀崎選手が戻ってきた。
多賀崎選手は汗と涙に濡れた顔をぬぐいもしないまま、穏やかに笑っている。
その代わりに、多賀崎選手の右腕を抱きすくめた灰原選手が子供のように泣いてしまっていた。まあ、情感ゆたかな灰原選手であれば、それも致し方のないことであろう。
プレスマン道場と赤星道場の一団が笑顔と拍手で出迎えると、多賀崎選手は灰原選手にへばりつかれたまま、大きく一礼した。
「ありがとうございます。これも、みなさんのおかげです」
「いやいや。頑張ったのは、多賀崎さん本人だからな。戴冠、おめでとう」
一同を代表して、立松がそのように答えた。
多賀崎選手はその場の面々をひと通り見回してから、ほとんど握力を失った手で瓜子の手をつかんでくる。
「猪狩だったら、絶対に勝てるよ。控え室で、お祝いの準備をしておくからね」
「押忍。期待にお応えできるように、全力を尽くします」
「辻くんも、頑張って。みんなで祝勝会を楽しみましょう」
「ええ。まかせておいてください」
レオポン選手は不敵に笑いながら、グローブに包まれた拳を差し出した。
瓜子の手を離し、そちらとタッチを交わしてから、多賀崎選手は引き下がる。
「それじゃあ、失礼します。モニター越しですが、二人を応援しています」
きっと戴冠の喜びで心は千々に乱れているであろうに、こんな際にも多賀崎選手の実直さが損なわれることはなかった。
そうして四ッ谷ライオットの陣営が通路の向こうに立ち去っていくと、立松が「よし!」と気合の声をあげる。
「いよいよ出番だな。気持ちを切り替えろよ、猪狩」
「押忍。ぬかりはありません」
すると、赤星弥生子とレオポン選手が慌ただしく拳を差し出してきた。
「猪狩さんの勝利を信じている。どうか油断だけはないように」
「瓜子ちゃんに限って、油断はないッスよ。でも、気を抜かないようにな」
瓜子があまりに緊張感のない顔をさらしているために、そんな言葉が出てきてしまうのだろうか。
瓜子は「押忍」と笑いながら、二人の拳に左右の拳をタッチさせた。
立松は真剣な表情で、サキはクールな面持ちで、ユーリはにこにこと笑いながら、瓜子のそばに控えてくれている。
そんな中、瓜子の名を呼ぶアナウンスが響きわたった。
瓜子はその場の全員に一礼してから、入場口の扉に向きなおった。
『ワンド・ペイジ』の楽曲、『Rush』のイントロが流れるのを待って、スタッフが扉を全開にしてくれる。
そうして瓜子は、《フィスト》の王座をつかみとるための一歩を踏み出したのだった。
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