03 ウルトラ・ウルマ

 第一試合を終えた選手たちが花道を戻っていくと、真っ赤なジャケットを着込んだリングアナウンサーがケージの中央に進み出た。


『それでは、第二試合! 女子バンタム級、五分二ラウンドを開始いたします! ……青コーナーより、ウルトラ・ウルマ選手の入場です!』


 それと同時に、何やらレトロな入場曲が流された。

 これはおそらく、昭和の時代の特撮ヒーロー番組の主題歌である。まったく世代でない瓜子でもどこかで耳にした覚えのある、昔なつかしい楽曲だ。


 そうして人々が歓声をあげる中、素っ頓狂な存在が花道を飛び出してきた。

 銀と赤の試合衣装で、おまけに銀色のお面をかぶった、ウルトラ・ウルマこと宇留間選手である。

 宇留間選手は右拳を前に突き出し、上半身だけ空飛ぶヒーローの姿を模しながら、全速力で花道を駆けていた。


「なんだよ、あれー! バッカじゃないの?」


 灰原選手は、けらけらと笑っている。そして会場からも、笑い声まじりの歓声があげられていた。


 宇留間選手がかぶっているのは、お祭りの屋台で売っているような、お面である。現在主題歌が流されている特撮ヒーロー番組の、主人公のお面だ。どうやら試合衣装のほうも、その主人公のデザインをモチーフにしているようであった。


「あいつ、ピエロ女とちょっぴり雰囲気が似てるなーって思ってたけどさー。ああいうやつって、こういうお馬鹿な演出をしないと気が済まないのかなぁ」


 瓜子も同じような感想を抱いていたが、しかしこの学芸会じみた演出と『オーギュスト』のパフォーマンスを同列に語るのは、あまりに失礼であっただろう。でかい図体をしてヒーローごっこに興じているかのような宇留間選手は、ただひたすらにユーモラスで滑稽であった。


 セコンド陣も駆け足で追ってきているが、宇留間選手は異様なほど俊足であったため、とっととボディチェック係の前まで到着してしまっている。そしてセコンド陣が到着するまでの数秒間は、透明の怪獣と戦っているような殺陣をお披露目していた。


「あー、笑った笑った! 《フィスト》って、もっと堅苦しいイメージだったよー。あんなおバカなやつもいるんだね!」


「《フィスト》にだって、コスプレをする選手ぐらいはいるよ。……ただ、アレをコスプレって呼ぶかどうかは悩ましいところだけどね」


 そのように答える多賀崎選手や四ッ谷ライオットのセコンド陣も、のきなみ苦笑していた。

 ただ、赤星道場の陣営はレオポン選手だけがにやにや笑っているばかりである。宇留間選手を青田ナナの未来のライバルと目していたなら、女子選手の面々は以前から試合内容をチェックしていたのであろう。


 宇留間選手は外したお面をセコンド陣に託して、何事もなかったかのようにボディチェックを受けている。遠目に見ても、ひょろりとした長身だ。ただ、ハーフトップにハーフスパッツという試合衣装の姿になると、手足の長さがずいぶん際立った。


 宇留間選手は大歓声をあびながら、ケージの内部にひょこひょこと上がり込む。

 その対戦相手となる赤コーナー陣営の選手は、宇留間選手のおふざけなど念頭にない様子で堂々と入場してきた。


「対戦相手は、中堅選手のストライカーでな。一年とちょっと前ぐらいに、ナナとやりあってるんだよ。そのときの結果は、二ラウンド目でナナの一本勝ちだ」


 レオポン選手が、そのように解説してくれた。

《アトミック・ガールズ》には出場していない選手であるので、アトミックの気風を嫌っているか、あるいは関東でも関西でもない遠方の在住者であるのだろう。それこそ青田ナナを彷彿とさせる厳つい体格と、武骨な雰囲気の持ち主であった。


 ケージの中央で向かい合うと、百七十二センチの宇留間選手は相手選手よりも五センチほど背が高い。それに、宇留間選手はひょろひょろとした体格であったが、身体の厚みだけはまったく負けていなかった。正面から見ると細長い分、横幅と厚みがほとんど同等である、円柱の体形であるのだ。


「さあ、見逃すなよ。そんなに長い試合にはならないだろうからな」


 そんなレオポン選手のつぶやきとともに、試合開始のゴングが鳴らされた。《フィスト》ではケージの試合場でも、ブザーではなくゴングであるのだ。


 そして――ゴングが鳴らされるなり、宇留間選手はケージの中央に飛び出した。

 犬飼京菜さながらの、スタートダッシュだ。


 まだフェンス際からそれほど動いていない相手のもとに、全速力で駆けていく。

 そして、まだ相手との間合いが二メートル以上もありそうな位置で、宇留間選手は跳躍した。


 細長い右足が、真っ直ぐに突き出される。

 アクション映画か、あるいは特撮ヒーローを思わせる、絵に描いたような跳び蹴りである。


 相手選手は頭を抱え込み、ほとんど転がるようにして逃げ惑った。

 その頭上を通り越して――宇留間選手の跳び蹴りは、背後のフェンスに炸裂する。フェンスがひしゃげてしまいそうなほどの、凄まじい勢いであった。


 それもそのはずで、宇留間選手は三メートル以上の距離を跳躍しているのだ。

 しかも彼女はフェンスに到達するまで、一メートル以上の高さをキープしていた。

 その時点で、彼女が尋常ならぬ身体能力を有していることは証明されていた。


 なんとかその跳び蹴りを回避した相手選手は、仕切り直しとばかりにファイティングポーズを取る。

 そちらに向かって、宇留間選手は大ぶりのハイキックを繰り出した。

 それもまた、竜巻のごとき勢いである。

 距離が遠かったために最初から空振りであったが、相手選手はその勢いに恐れおののいた様子で後ずさった。


 宇留間選手はさらに、バックスピンのミドルキックと、再びのハイキックを披露する。

 それもまた、犬飼京菜さながらのダイナミックなコンビネーションだ。

 しかし宇留間選手は、犬飼京菜より三十センチも長身で、二十キロ以上も重い。ミニマム・サイクロンと名付けられた犬飼京菜とは比較にならぬほど、その動きは大がかりで暴風雨めいた力がみなぎっていた。防御など何も考えていない様子で、すべての攻撃に全力を注ぎ込んでいるような迫力であるのだ。


 そうして三発の蹴りが不発に終わると、宇留間選手は自分から後方に跳びすさる。

 そして助走をつけた上で、再び相手に突進した。


 相手選手は再び横っ飛びで逃げ惑い、宇留間選手の繰り出した二段蹴りはフェンスに突き刺さる。

 あのように全力でフェンスを蹴り抜いて、足は何ともないのだろうか。


 マットを転がった相手選手は、肩を上下させながら身を起こす。

 そちらに息をつかせる間もなく、宇留間選手はまた突進した。


 相手選手は半ば戦意を喪失してしまったかのように、ほとんど駆け足で横合いに逃げようとする。その進路をふさいでしまわないように、レフェリーまで走る羽目になってしまっているのが、何やら喜劇的だ。

 そちらに角度を調整しつつ、宇留間選手は三たび跳躍した。


 だがやはり、踏み切りの位置が遠すぎる。

 宇留間選手が宙を飛んでいる間にも、相手選手は横合いに駆けているのだ。これでは、どのような攻撃も当たるはずがなかった。


 すると――宇留間選手は、空中で旋回した。

 横向きに回転して、相手の逃げる方向に細長い右足を振りかざしたのだ。

 プロレスの、ローリングソバットのようなものである。


 宇留間選手の右足は、大木を斬り倒す斧のように振るわれて――横を向いていた相手のこめかみに、右のかかとを炸裂させた。


 相手選手は車に轢かれたような勢いで、背後のフェンスに叩きつけられる。

 そしてそのままマットに倒れ込むと、死んだように動かなくなってしまった。


 大歓声が巻き起こり、試合終了のゴングが乱打される。

 勝利者コールを受けながら、宇留間選手は全速力でケージの内部を一周した。

 そして――やおら身を屈めると、マットを蹴って跳躍し、それだけで二メートル以上の高さがあるフェンスにまたがってしまったのだった。


「な? まごうことなき、バケモノだろ?」


 レオポン選手の呼びかけで、瓜子は我に返ることになった。


「は、はい。まさか、あれほどとは思っていませんでした。なんだか……人の皮をかぶった、別の生き物みたいでしたね」


「ああ。オランウータンやチンパンジーみたいだよな。師範やユーリちゃんとはまた別種の、大怪獣だよ」


 すると、沈着な眼差しで試合場を見下ろしていた赤星弥生子が、横目でレオポン選手をねめつけた。


「ハルキ。私を怪獣あつかいするのはかまわないが、彼女と桃園さんを同列に語るのは、感心せんな」


「そうですねぇ。ユーリはともかく、弥生子殿と宇留間選手を並べるのは失礼千万でありますよぉ」


 そのように語るユーリは、珍しくも不満そうに唇をとがらせている。

 レオポン選手はライオンヘアーをかき回しながら、そんな両名を見比べた。


「やべえ。二頭の大怪獣を怒らせちまったみたいだ。……ユーリちゃんも、あの宇留間って選手が気に食わなかったのかい?」


「気に食わないというか何というか……ユーリは、MMAではない何か別のものを見せつけられたような心地であるのです。犬飼京菜ちゃんの試合には、けっこうお胸がトキメくのですけれど……」


「そうだな。彼女と犬飼京菜さんは、根本の部分が違っている。犬飼京菜さんは幼少の頃よりさまざまなトレーニングを積んだ上で、もっとも効果的な大技を連発しているわけだが……あの宇留間という選手は、ただ持って生まれた怪力を振るっているだけであるのだ」


「そう! 楽しい楽しいMMAが、理不尽な暴力に蹂躙されたような心地であるのです!」


 そんな風に宣言してから、ユーリは色っぽく肢体をよじった。


「あ、ユーリごときが弥生子殿の知性あふるる考察に便乗してしまって、申し訳ありませぬ」


「あ、いや……桃園さんと意見を同じくできたのなら、私も喜ばしく思うよ」


 と、赤星弥生子までもがいくぶん気恥ずかしそうに、自分の頬を撫でさすった。

 そんな両者の姿に、瓜子やレオポン選手は微笑みを誘発され、青田ナナは眉を吊り上げる。そして、大江山すみれが内心の知れない笑みとともに発言した。


「実はわたしはアマチュア大会で、宇留間さんとご一緒したことがあったんです。それでこれは要注意だと思って、弥生子さんに報告していたのですよね」


「うん。それで我々は、彼女の試合を追いかけることになった。彼女はプロに昇格してから二戦しているが、どちらも小規模の地方大会で、格闘技チャンネルでも放映されなかったのだが……誰かしらが現地まで出向いて、彼女の試合を見届けることになったんだ」


 気を取り直した様子で、赤星弥生子がそう言った。

「へえ」と感心したような声をあげたのは、立松である。


「だから俺らは、あいつの名前すら知らなかったってわけか。それにしても、あんな新人選手をそこまで入念にチェックするなんざ、大した入れ込みようだな」


「ええ。何せ彼女はナナと同じ階級で、フィスト・ジムの所属でしたからね。いずれこちらの舞台では、大きな脅威になるだろうと判断したんです」


 赤星弥生子がそのように答えたとき、試合場では勝利者インタビューが開始された。


『ウルマ選手! 実に鮮烈なKO勝利でしたね! 今のお気持ちは、いかがですか?』


『はいー。うぃーりきさいびたん。ぐすーよーんたぬしでぃむれーやびたがー?』


 すかさずセコンドの男性が、『楽しかったです。みなさんも楽しんでいただけましたか?』と、宇留間選手の沖縄語を通訳してくれた。

 客席から大歓声があげられると、宇留間選手はにこにこと笑いながら両腕を振ってそれに応える。あれだけ大暴れしながら、彼女は息のひとつも乱していなかった。


『あー、今日の試合は、格闘技チャンネルで放映さきれるのさよねー? オトゥさんマーさん、やっとテレビに映きれるよー』


『目を疑うようなKO劇でしたので、きっと編集でカットされることはないでしょうね! では、今後の抱負などをお聞かせ願えますか?』


『まずは、チャンピオンベルトさねー。うぬあとー、赤星弥生子さぬんかい挑戦しーぶさいびーん』


『赤星弥生子? なるほど、バンタム級王者である青田選手の所属する、赤星道場の道場主ですか。ですが、赤星選手が《フィスト》に出場したことはありませんよね』


『わんが青田さんを倒しとぅーし、出場してくきれるんあらんかなー。わんは正義のヒーローやっさーから、怪獣退治をさんとねー』


 独特の沖縄語と相まって、宇留間選手の言葉はとてものんびりとした調子であった。

 が、そんな言葉をぶつけられた当人は、黙っていられないだろう。青田ナナは憤然とした面持ちで、手の平に拳を打ちつけていた。


「ふざけたことばかり抜かしやがって……あんなやつをぶっ飛ばすのに、師範の出る幕はないよ」


「うん。彼女の退治は、ナナにまかせるよ」


 赤星弥生子は落ち着いた面持ちで、青田ナナのがっしりとした肩に手を置いた。

 かくして、《フィスト》五月大会の第二試合は終了し――瓜子たちの胸には、また新たな怪物の名が刻みつけられることに相成ったのだった。

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