04 密談
《アトミック・ガールズ》五月大会は、ユーリの圧倒的な勝利でもって締めくくられることになった。
強敵との対戦が続いていたユーリにとって、ここまで無傷の完勝というのは、実にひさかたぶりのことである。ちょうど一年前に対戦した沖選手との試合でもダメージらしいダメージは負っていなかったが、それに加えて今回は一ラウンド目で一本勝ちを収めることがかなったのだった。
その後に行われた勝利者インタビューでも閉会式でも、会場には「ユーリ!」のコールが鳴り響いていた。本日はそれ以外でも鮮烈なKO勝利が多かったため、観客たちも大満足の様子である。たとえ小規模の会場でも、それらの熱気に物足りなさを感じることはなかった。
そうして閉会式の終了後、シャワーと着替えを済ませたならば、毎度お馴染みの祝勝会という流れであったが――そこでやってきたのが、卯月選手であった。
「ユーリさん。内密にご相談したいことがあるのですが、少々お時間をいただけますか?」
控え室の外で待ち受けていた卯月選手は開口一番、そのように語らっていた。
そのかたわらには、瓜子が試合前に見た外国人の集団が控えている。年齢はさまざまだがいずれも男性で、人数は五名にも及んだ。
「なんだか穏やかじゃねえな。お前さんが桃園さんに絡むと、またパパラッチどもの餌食になるかもしれねえぞ?」
立松が苦々しげな面持ちでそのように言いたてると、卯月選手はお地蔵様のような眼差しをそちらに向けた。
「これは、ビジネスの話です。よって、立松さんかジョンさんにもご同行を願いたいのですが、いかがでしょうか?」
「はん。お前さん、いつからビジネスマンになったんだよ? 面倒なことはスタッフに丸投げで、練習に没頭するのがお前さんの流儀だろうが?」
「そうですね。でも、今回ばかりは丸投げする気持ちになれなかったのです」
このような言葉を交わしていても、卯月選手の内心はうかがえない。そうと見て取ったのか、立松は溜息をつきつつユーリのほうを振り返った。
「どうするね、桃園さん。そっちにその気があるなら、俺がつきあうよ」
「はあ……大恩ある卯月選手のお言葉ですので、ユーリとしてもお引き受けしたいところなのですけれど……あにょう、うり坊ちゃんにもご一緒してもらうことはお許し願えるでしょうか?」
「ええ。こちらはかまいませんが」
そんなわけで、ユーリと立松と瓜子の三名は、祝勝会の前に卯月選手と密談を交わすことになってしまった。
そうして会場の外に出てみると――そこで待ち受けていたのは、黒塗りのハイヤーである。この物々しさに、立松はまた顔をしかめていた。
「なんだか、悪い予感しかしねえな。相手が卯月じゃなきゃ、逃げ帰ってるところだ」
瓜子も内心の不安を懸命に抑えながら、「そうっすね」と答えるばかりであった。
◇
黒塗りのハイヤーに乗り込んでから、およそ十分後――
瓜子たちが連行されたのは、都内某所の一流ホテルであった。
以前に卯月選手が滞在していたのと遜色ない、ハイクラスのホテルである。シックな内装で固められたロビーはシャンデリアの輝きに照らし出されており、このような場所をスポーツウェアでうろついているのは瓜子たちのみであった。
「どうぞこちらに。最上階に部屋を取っていますので」
卯月選手の案内で、やたらと巨大なエレベーターに乗り込む。その際にも、五名の白人男性たちが同行していた。
その内の二名ぐらいは卯月選手よりも体格がよかったので、おそらくボディガードか何かであるのだろう。しかし残りの三名は、いかにもホワイトカラーの職種にありそうな風体であった。
「こちらです」
卯月選手は迷いのない足取りで、瓜子たちを最上階の部屋に導く。ボディガードらしき二名はドアの外に居残りで、それ以外の面々が室内に足を踏み入れることになった。
「このように仰々しくお呼びだてしてしまって、申し訳ありません。ただこれは小さからぬプロジェクトにまつわるご相談であるため、どうかご容赦ください」
「ふん。なんでもいいから、とっとと始めてくれ。打ち上げ会場では、たくさんのお人らが今日の主役を待ちかまえてるんだからな」
立松はホテルの豪華さに怯んだ様子もなく、革張りのソファでふんぞり返った。
瓜子とユーリもそのかたわらにちょこんと控え、正面には卯月選手と男性の一名だけが着席する。残りの二名は秘書のように、卯月選手たちの背後に控えた。
「まず、ご紹介します。こちらは《アクセル・ファイト》のアジア地区のブッキングマネージャーである、ハリス・ミラー氏です」
「ヨロシク」と、ハリス氏は穏やかな微笑をこぼした。
この段階で、瓜子と立松はもう大慌てである。
「ちょ、ちょっと待てよ。なんでお前さんが、そんなお人の仲間面をしてやがるんだ? まさか、これは……桃園さんを《アクセル・ファイト》にスカウトしようって話なのか?」
「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます。……ハリスさん、ご説明をお願いします」
「リョウカイいたしました。……ユーリ・モモゾノ。まずはホンジツのショウリ、おめでとうございます。あなたのスバラしいファイトは、リングサイドからハイケンいたしました」
ジョンと同程度の流暢さで、ハリス氏はそのように語らった。
「まずサイショに、コクハクいたします。ホンジツあなたがタイセンしたジーナ・ラフは、あなたのジツリョクをカクニンするために、ワレワレが《アトミック・ガールズ》にエントリーさせたのです」
「……つまり、今日の試合は何かの査定試合だったってわけかい?」
立松が気迫のこもった面持ちで問い返すと、ハリス氏は悠揚せまらず「ハイ」とうなずいた。
「ジーナ・ラフはサクネン、《アクセル・ファイト》とケイヤクしましたが、ダレにとってもナットクのいくケッカをノコせませんでした。それで、ユーリ・モモゾノにショウリすればアラたなケイヤクをカわすというヤクソクで、ホンジツのシアイにノゾんでもらったのです」
「はん。要するに、まんまと桃園さんの踏み台にされちまったわけだな」
「ハイ。そしてユーリ・モモゾノには、ステップアップのチャンスがウまれたのです」
ハリス氏はゆったりと微笑んだまま、身を乗り出してきた。
「ここからのおハナシは、タゴンムヨウにおネガいいたします。……ワレワレはホンネンのクガツより、ジョシセンシュをタイショウとした『アクセル・ロード』をキカクしているのです」
『アクセル・ロード』とは、《アクセル・ファイト》の名物イベントである。
《アクセル・ファイト》への出場を望む十六名の選手を合宿所に集めて、現役のトップファイターの指導のもとにトレーニングを積ませて、トーナメント戦を開催する。そのトレーニング風景やトーナメント戦の模様をテレビで放映するという、いわゆるリアリティ番組であるのだ、と――瓜子は昨年サキからそのように聞き及び、《アクセル・ジャパン》の試合会場でユーリに説明してみせたのだった。
「なるほど、ようやく読めてきたぜ。つまりお前さんには、『アクセル・ロード』のコーチ役が割り振られてるってわけだな」
立松の言葉に、卯月選手は「はい」とうなずいた。
「今回のコーチ役に予定されているのは、俺とジョアンです。俺とジョアンが、八名ずつの選手をコーチングするというわけですね」
「なに? しかし、『アクセル・ロード』の決勝戦が行われる興行では、コーチ対決を盛り込むのが定番だろ。お前さんとジョアン選手じゃ、階級が違うじゃねえか」
「俺は、ミドル級に階級を上げるのです。その初戦でジョアンと対戦できるというのは、光栄なことですね」
卯月選手は涼しい顔をしているが、ベリーニャ選手の実兄であるジョアン選手というのは、ミドル級の絶対王者であるのだ。たとえタイトルマッチでないとしても、それはとてつもない話であるはずであった。
「ただし、今回の『アクセル・ロード』はいまだ内容が決定されていません。それはユーリさんの返事にかかっているのです」
「あん? そいつは、どういう意味だよ?」
「今回の『アクセル・ロード』は、二ヶ国の対抗戦という形が取られます。それで、ジョアンの側はシンガポールの選手陣が内定されていますが、俺の側は日本と韓国のどちらにするべきかで意見が割れていたのです。そうしてハリス氏は、あらためて両国の女子選手をリサーチして――そこで、ユーリさんの持つスター性に着目したわけです」
「ふん。お前さんがそそのかしたんじゃねえのかよ?」
「はい。もちろん俺は母国である日本の選手を受け持ちたいと願っていましたが、女子選手の実力などはまったくわきまえていなかったため、すべてハリス氏におまかせしていました。それで先月にハリス氏からユーリさんの名を聞き及び、非常に驚かされた次第です」
「それじゃあ……それで卯月選手はユーリさんの実力を確かめるために、合宿稽古に乗り込んできたっていうわけですか?」
瓜子が思わず口をはさむと、卯月選手はお地蔵様のような顔で「ええ」とうなずいた。
「《アクセル・ファイト》との契約で、内情を明かすことはできなったのです。気分を害されてしまったのなら、お詫びを申しあげます」
「いや、自分が謝っていただく筋合いはないっすけど……」
「それなら、幸いです。ともあれ、俺もこの目で現在の女子選手のレベルを把握することができました。ユーリさんばかりでなく、この階級には数多くの有望な選手が育っているようです。これならば、シンガポールの選手陣に見劣りすることはないだろうと、そのように報告することになりました」
「で、桃園さんの返事にかかってるってのは、どういう話なんだよ?」
立松が声をあげると、卯月選手は無表情のままそちらに向きなおる。
「《アクセル・ファイト》首脳陣の会議の場においては、日本よりも韓国の選手陣をマッチングするべきだという意見のほうが、やや優勢であったようです。韓国もここ数年で独自の国内興行を立ち上げて、男子選手においては日本よりも結果を出しているぐらいですからね。そこで、韓国の選手陣をエントリーさせるべきかと話がまとまりかけたタイミングで、ハリス氏がユーリさんに着目したわけです」
「ってことは、つまり――」
「はい。ユーリさんに参戦の意思があるならば、日本の選手陣との交渉が開始されます。そうでなければ、韓国の選手陣に交渉が持ち掛けられるわけですね」
「そいつはまた、ずいぶんな重責を背負わせてくれるもんだな」
立松は腕を組み、うなり声をあげることになった。
「で? 他の日本人選手については、もう目処がついてるのか?」
「はい。現在候補にあげられているのは、フィスト・ジム小金井所属の沖一美選手、フィスト・ジム沖縄所属の
「えっ! 弥生子殿も候補にあげられているのですか!?」
ここまでずっと無言であったユーリが、身を乗り出して問い質した。
卯月選手はユーリをちらりと見てから、「はい」とうなずく。
「ただし、弥生子が承諾することはないでしょう。弥生子は国外の活動に興味を持っていないでしょうし――俺のコーチングを受けることなど、死んでも肯んじないでしょうからね」
「そっかぁ。そうですよねぇ」と、ユーリはソファの上で弛緩した。
「……以上、ユーリさんを含めて、十名の選手が候補にあげられています。この中の上位八名から順番に、交渉が始められるわけですね」
「ふん。宇留間に鬼沢ってのは聞き覚えのない名前だが、アトミックではせいぜい関西圏までの選手しか参戦させてないからな。それ以外の顔ぶれに関しては、まあ納得のいく人選だ。……しかし、フライ級とバンタム級で階級が入り乱れているようだな」
「こちらサイドの設定する階級は、六十一・二キロ以下のバンタム級となります。日本にその階級に見合う選手は少ないですし、また、減量をせずに臨めるほうが番組的に望ましいため、おおよそは一階級下の選手から集められているわけですね」
それで瓜子たちのよく知る選手が、のきなみ候補にあげられたわけである。
ユーリと赤星弥生子に、青田ナナ、マリア選手、多賀崎選手、魅々香選手、沖選手、沙羅選手――これはもう、《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》が誇る精鋭であるはずであった。
「そしてもうイッテン、ゴセツメイするべきおハナシがあります」
と、ハリス氏がひさかたぶりに発言した。
「サクネンのニホンジンダンシセンシュによる『アクセル・ロード』は、ニホンコクナイのガッシュクジョでカイサイし、テレビのホウエイもニホンコクナイのみとされていました。また、『アクセル・ロード』のケッショウセンとコーチタイケツも、ニホンカイサイの《アクセル・ジャパン》にてオコナわれました」
「そりゃあそうだろう。北米のお人らは日本の若手選手なんざ知りゃしねえんだから、それじゃあ視聴率も取れねえだろうからな。中国やらオーストラリアやらの選手を集めたときも、現地で開催してたんだろ?」
「ハイ。ですが、コンカイの『アクセル・ロード』はホクベイでカイサイし、バングミもホクベイとニホンとシンガポールでドウジにホウエイされるヨテイとなっています」
瓜子は、立松と一緒に目を丸くすることになった。
「そ、それじゃあ北米の合宿所で稽古をして、そっちでトーナメント戦を開いて……決勝戦やコーチ対決も、北米の興行でお披露目されるってわけか?」
「ハイ。《アクセル・ファイト》においてはジョシセンシュのシアイにチュウモクがアツめられているため、そのようにプランがタてられたのです」
あくまで穏やかな面持ちを保ちつつ、ハリス氏はそのように言いつのった。
「それイガイのプランにカンしては、これまでの『アクセル・ロード』とドウヨウです。エントリーされたセンシュはガッシュクジョでニカゲツカンをスごし、トレーニングをツみながら、トーナメントセンをタタカいヌきます。そのケッショウセンは《アクセル・ファイト》のコウシキタイカイでオコナわれ、トーナメントのユウショウシャは《アクセル・ファイト》とのセイシキケイヤクがムスばれます」
瓜子はだんだん、心臓が苦しくなってきてしまった。
しかしユーリは、ふにゃんとした顔でハリス氏の言葉を聞いている。
ハリス氏は、そんなユーリにやわらかい視線を送った。
「イカガでしょう? マエムきにケントウしていただけますか、ユーリ・モモゾノ?」
「はあ……まことに申し訳ないのですけれど……」
ユーリがそのように言いかけると、立松が「ちょっと待った!」とわめきたてた。
「桃園さん、そんな軽はずみに答えるもんじゃない! こいつは桃園さんのファイター人生を左右するような話なんだぞ?」
「はあ……でもでも、ユーリは北米進出など、これっぽっちも頭にありませんでしたので……」
「だからこそ、ここで考え抜くべきだろうがよ?」
そうして立松は、卯月選手とハリス氏のほうをにらみつけた。
「それに、こんな話は会長ぬきで進められるもんじゃない。こいつはいったん、持ち帰らせていただくぞ?」
「もちろんです。正式なお返事は、一週間後ということでよろしいでしょうか?」
「一週間後は、猪狩の試合だ。できれば、その次の日にしてもらいたいもんだな」
「承知しました。では、八日後の月曜日に。ハリスさんも、それでよろしいですね?」
「ノープロブレムです」
卯月選手はお地蔵様のように無表情であるし、ハリス氏もひたすら穏やかな笑顔である。
しかしもちろん瓜子としては、立松以上に心をかき乱されてしまっていた。
(ユーリさんが、『アクセル・ロード』に……しかもそれをオーケーしたら、二ヶ月も北米の合宿所で過ごすことになるんだ)
瓜子は感情も定まらないまま、かたわらのユーリを振り返った。
ユーリは――つぶれた大福のような面持ちで、「ふにゅう」とおかしな声をあげていた。
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