ACT.3 Re:boot #2 ~First round~

01 入場

 そうして、その日がやってきた。

 五月の第三日曜日、《アトミック・ガールズ》五月大会の当日である。


 会場は、三百名キャパの『新木場ロスト』。《レッド・キング》が常打ちにしている、小規模の会場だ。

 ちなみに一週間前には、《レッド・キング》が興行を行っている。瓜子とユーリは折悪く副業の仕事が入っていたため観戦にはおもむけなかったが、そちらも満員札止めの大盛況で、メインイベンターたる赤星弥生子も男子選手を相手にKO勝利を収めたとの話である。


《アトミック・ガールズ》も、それに負けてはいられない。これほど小規模の会場で興行を打つのは数年ぶりのことであったが、そうであるならなおさら試合内容で勝負しなければならないのだ。残念ながら瓜子は来週に《フィスト》での試合を控えているために欠場することになってしまったが、セコンドの雑用係として力を尽くす所存であった。


 さらに瓜子は、その前にも重要な任務を抱えている。

 それは――ベストバウトDVDの発売記念という名目で企画された、サイン会に他ならなかったのだった。


                  ◇


「去年の春先ぐらいまでは、不肖ユーリがサイン会の任務を負っていたよねぇ。うり坊ちゃんもアトミックのために、どうぞ頑張っておくんなまし!」


 ともに来場したユーリは、笑顔でそんな風に言いたてていた。

 しかし瓜子は、「はあ」と溜息で応じるばかりである。


「うみゅみゅ? うり坊ちゃんは、浮かぬお顔だねぇ。だいじょーぶ! ウン百名ものファンの方々にサインするのはなかなかの手間だけれども、うり坊ちゃんならばやりとげられるさ!」


「サインだけなら、自分だって落ち込んだりしないっすよ。本当に、どうして自分がこんな目にあわないといけないんすかね」


 この日のために、パラス=アテナは二点のグッズを開発していた。

 その内容は、Tシャツとポスターである。


 Tシャツには《アトミック・ガールズ》のロゴとともに、『Uriko Ikari』と『10KO!』の文字がプリントされている。瓜子のベストバウトDVD発売と十試合連続KO勝利を記念して、パラス=アテナは枯渇寸前の財政からそのようなグッズを作りあげてくれたのである。

 そちらには可愛らしいイノシシのイラストもプリントされており、瓜子としても申し分のないデザインであった。また、自分のためにこのようなグッズを作られたことに、小さからぬ感動を覚えたほどである。


 が、もう片方のポスターというのは――前回と同じく、駒形氏に拝み倒されて、泣く泣く作製を許可した代物であった。

 そちらのデザインも前回と同じく、試合衣装と水着姿の二本立てである。ゴールデンウィークの直前ぐらいに、大急ぎで撮りおろすことになったのだ。


 それらのグッズは、会場前に設置された物販コーナーで販売されることになる。

 そして瓜子は、その物販コーナーのかたわらでサイン会に励むことになっていたのだった。


「でもそれは、生身のうり坊ちゃんのかわゆらしさをサイン会で体感させて、グッズ購入の意欲をかきたてさせつつ、すぐさま物販コーナーに誘導しようという戦略でありましょう? ユーリとしては、駒形さんのシンボーエンリョに敬服したものですけれど」


「自分のあられもない姿がさらされてる真横でサイン会をさせられる身にもなってくださいよ。こんなの、羞恥プレイ以外の何ものでもないじゃないっすか」


 瓜子がそのように言葉を連ねると、「うるせーなー」とサキに頭を小突かれた。


「好きこのんでエロい姿をさらしてるくせにガタガタ騒ぐんじゃねーって、なんべんも言ってんだろ。セコンド風情が選手様の集中を邪魔するんじゃねーよ」


「エロくないし、好きこのんでもいません! ……でも、サキさんの集中を乱しちゃったんなら、全力で謝罪します」


「真面目かよ」と、今度は拳でぐりぐりとこめかみを圧迫してくる。そんなサキは、一年半ぶりの復帰試合であったのだった。


 新宿プレスマン道場からの出場選手は、サキとユーリと愛音の三名だ。

 その中で、瓜子はサキとユーリのセコンドを掛け持ちする予定になっている。もちろん役割は雑用係であったものの、これほど誇らしいことはなかった。


「今回は、アタシの入場でイノシシコールが連呼されるかもしれねーな。まったく、念の入った嫌がらせだぜ」


「そ、そんな事態はありえないっすよ。自分は、ユーリさんと違うんすから」


「うにゃー! 二人の争いで、ユーリの古傷をかきむしらないでいただきたいのです!」


 去年の一月、サイン会の大役を果たしたユーリは、そのまま瓜子のセコンドを務め――そして瓜子の入場時に、盛大なコールを浴びることに相成ったのだった。


「大勢のファンの方々が、サキさんの復活を心待ちにしてたんすからね。会場は、サキさんコールの一色っすよ」


「はん。この一年半で、アトミックはずいぶん様変わりしたからなー。アタシなんざ、ロートルの仲間入りだろ。こんなポンコツに声援をあげる物好きなんざ、いるもんかよ」


 そんな風に言いながら、サキは瓜子の肩にのしかかってきた。


「ま、そんなもんは試合内容でひっくり返してやらー。見当違いの心配なんざしてねーで、おめーはエロポスターの配布に勤しんどけ」


「だから、エロくありませんってば」


 そんな言葉を返しつつ、瓜子は見当違いの心配を打ち捨てることにした。瓜子とて昨年は、試合内容で客席の人々を黙らせてみせたのだ。たとえ万が一のことがあろうとも、サキだって同じ姿を見せてくれるはずであった。


「なんや、騒がしい思うたら案の定、プレスマンの面々かいな。今日も団体様で、景気のいいこっちゃね」


 と、気安い挨拶の言葉とともに、沙羅選手が控え室に乗り込んでくる。それに続くのは、ドッグ・ジムの面々だ。

 犬飼京菜、大和源五郎、マー・シーダム、ダニー・リー、そして今回は榊山蔵人も顔をそろえている。ここ最近は瓜子とユーリも日曜日にまで仕事を詰め込まれていたため、彼らと顔をあわせるのはひと月以上ぶりであった。


「お? うり坊もいたんかいな。今日はサイン会やらいう話やったやろ?」


「はい。そっちは四時の開始なんで、ルールミーティングの後っすね」


「もう表には、エロいボスターがばんばか張り出されてたで。あんなん、わいせつ物陳列罪に問われへんのかなぁ」


「だから、エロくありませんってば!」


 瓜子が同じ言葉を繰り返すと、横合いからひょろひょろとした人影が首を突っ込んできた。


「いやぁ、わいせつ物の定義って難しいですけれど、アレは人の欲情をかきたてる域に達してますよねぇ。ボクだって、思わずムラムラしちゃいましたもん」


「お、ピエロはんもこっちのコーナーだったんかいな。これはひさびさの、チーム・フレアがそろいぶみやね」


「はぁい。その節はお世話になりましたぁ」


 沙羅選手の人を食った軽口にも、のほほんとした笑顔を返す。それは『マッド・ピエロ』たるイリア選手であった。ひさびさに、彼女も瓜子たちと同じ陣営に割り振られることになったのだ。


「そうか。うちのメイさんに犬飼の嬢ちゃんと、沙羅選手にイリア選手で、確かにチーム・フレアの現役選手はそろい踏みだ。青コーナー陣営には、オルガさんだっているわけだしな」


 立松が苦笑まじりに口をはさむと、沙羅選手は「ほうかほうか」と笑い声をあげた。


「ま、ウチらに後ろ暗いところはあらへんからな。文句のあるお人は、運営のほうによろしゅう頼むわ」


「別に、文句はありませんよ」と、進み出てくる者があった。

 そちらを振り返った犬飼京菜が、きゅっと眉をひそめる。それは彼女がチーム・フレアの時代に対戦した、前園選手に他ならなかった。


「おかしな理念を掲げていたのは、秋代選手と一色選手だけでしたからね。わたしと犬飼選手の試合には、なんの不正もありませんでした。ですから遺恨を抱くことなく、手を携えて《アトミック・ガールズ》の灯火を守っていきたいと願っています」


 そうして前園選手が右手を差し出すと、犬飼京菜はますます眉を吊り上げた。


「……何これ? あんたと握手する理由はないと思うけど?」


「おたがいに遺恨を抱いていないと証明するには、こういった行いも必要なのではないでしょうか?」


 天覇館の所属である前園選手は、来栖舞や魅々香選手に負けないほど生真面目であるのだ。

 犬飼京菜が不機嫌なポメラニアンめいた形相で後ずさろうとすると、沙羅選手が笑いながらその手をひっつかみ、無理やり前園選手の手を握らせた。


「馴れあう必要はあらへんけど、いらん波風たてる必要もあらへんやろ。京菜はんも、ちいとは社交性を身につけんとなぁ」


「う、うるさいなっ! 余計な真似しないでよ!」


 犬飼京菜は顔を赤くして、二人の手をまとめて振り払った。

 前園選手は一礼して、セコンド陣のもとに引き下がっていく。彼女は川崎支部の所属であったが、そちらには東京本部所属の高橋選手と、セコンドである来栖舞に魅々香選手も居揃っていた。


 それ以外で懇意にしているのは、小笠原選手とセコンドの小柴選手のみとなる。灰原選手と鞠山選手は、本日も別々の陣営になってしまったのだ。しかしまた、ドッグ・ジムと同じ陣営というだけで、賑やかさには事欠かないように思われた。


「しっかし、会場が小さいと控え室まで狭苦しくなるもんやねぇ。息が詰まりそうやから、さっさと試合場に移動せえへん?」


 沙羅選手のそんな言葉で、赤コーナー陣営の関係者はのきなみ試合場に向かうことになった。

 会場では、すでに客席の設営も完了している。三百席の半数は備えつけの雛壇席であるため、設営の手間もごくわずかであるのだろう。これまで二千名規模の会場が続いていたせいか、客席もずいぶん手狭に感じられてしまった。


(でも、客席の数なんて関係ない。選手にとっては、一戦一戦が真剣勝負なんだからな)


 それに、会場が小さいなら小さいで、いっそうの一体感が生まれやすいという作用もあるはずだ。瓜子としては、この日に出場できないことが残念なぐらいであった。


「おー、来た来た! みんな、お疲れさん!」


 ケージの少し手前では、天覇ZEROと四ッ谷ライオットの面々が寄り集まっていた。瓜子と同様に欠場である多賀崎選手は、灰原選手のセコンドだ。やはり自分の試合の一週間前でも、家でゆっくり休んでいようという気持ちにはなれなかったのだろう。


 ちなみに本日は、本選十試合の内の半分が調整試合と見なされている。

 調整試合とは、おもにトップファイターが肩慣らしのために格下の相手と対戦する試合のことを指す。負傷のために欠場していたサキ、小笠原選手、前園選手、山垣選手の四名と、あとはフライ級の王者でありながら目ぼしい相手のいない沙羅選手が、それぞれ中堅選手と対戦することになったのだった。


 しかしこれは、決して小規模の会場だからとマッチメイクで妥協したわけではないのだろう。《アトミック・ガールズ》は格闘技チャンネルにおける人気も保持しなければならないため、会場の規模と関わりなく、マッチメイクで妥協することは許されないのだ。


 それに、調整試合イコール退屈な試合という図式は当てはまらない。実力差があれば豪快なKOや一本で勝負がつく可能性が高まるわけであるし、また、中堅選手が不調のトップファイターを相手に下剋上をやりとげる期待も生じるのだ。

 なおかつ、サキと小笠原選手に関しては、実力が飛びぬけている上に、ファン人気も高い。長きの負傷欠場から復帰する両選手に対しては、いっそうの期待が寄せられているはずであった。


「あれ? ピエロのやつが見当たらないね。まさか、また遅刻とか?」


 灰原選手がそのように言いたてると、メイが「いや」と答えた。


「彼女、控え室に残ってる。コーチと二人で、ウォームアップを始めていた」


「ふん。チーム・フレアが壊滅しても、あいつはもともと一匹狼きどりだったんだわよ。こっちも馴れあうつもりはないから、好都合だわね」


 と、イリア選手の対戦相手である鞠山選手が、眠たげな顔でにんまりと笑う。

 こちらの対戦もトップファイターと格下の選手という構図であったが、きっと調整試合という扱いではないのだろう。鞠山選手は中堅選手とトップファイターの狭間にあるような存在であったから、調整試合に駆り出すには実力がありすぎるのだ。よってこれは、昨年から連勝を重ねている鞠山選手にトップファイターと対戦するチャンスが与えられたという構図であるはずだった。


 いっぽう灰原選手は、鞠山選手に次ぐ実力とされている中堅選手の筆頭格、奥村選手との対戦である。これに勝利すれば、次はいよいよトップファイターとの対戦であろう。鞠山選手よりも派手に勝ち星を集めており、人気のほどでも負けていない灰原選手には、運営陣も大きな期待をかけているはずであった。


(うーん、やっぱりあたしも出場したかったなぁ。《フィスト》の興行が六月だったらよかったのに)


 瓜子がそんな風に考えていると、小笠原選手が「おっ」と声をあげた。

 その視線を追ってみると、オルガ選手の父親でありコーチでありセコンドであるキリル氏が、誰かと語らっている。それはキリル氏よりもさらに大柄な白人男性であり――そのかたわらには、ユーリの対戦相手であるジーナ・ラフ選手の姿も見えた。


「もしかしたらと思ったけど、ゴードン会長も自ら来日か。あちらさんも、完全に本気モードみたいだね」


 それは昔日に《JUF》の四天王と謳われた、ゴードン・ロックハート氏であったのだ。

《JUF》が壊滅したのち、ゴードン氏は大々的に自分のジムを立ち上げて、現在では《アクセル・ファイト》に数多くの有望選手を輩出しているのだ。それでジーナ・ラフ選手はゴードンMMAジムの所属であるのだから、彼がセコンドとして同伴することもおかしくはないのだが――やはり会長自らがセコンドを務めるというのは、あちらの気合を如実に示しているのだろうと思われた。


「ま、ジーナのやつがどういうつもりでアトミックに舞い戻ってきたのかは知らないけど、本気でやりあわないと意味はないもんね。桃園がどんな具合にリベンジを果たすのか、じっくり拝見させていただくよ」


「はぁい。ユーリはいつも通り、死力を尽くす所存なのですぅ」


 ユーリがあどけない笑顔でそんな風に答えたとき、灰原選手がにまにまと笑いながら瓜子のほうに近づいてきた。


「ところでさ、ルールミーティングの後はバタバタしそうだから、今の内に仕上げちゃわない?」


「そうだわね。わたいも異存はないだわよ」


「え? なんの話です?」


 何か不穏な雰囲気を感じた瓜子は、思わず後ずさろうとした。

 すると、灰原選手と愛音に左右から腕を取られて、無理やり客席のパイプ椅子に座らされてしまう。そして瓜子の正面に、何かのスプレー缶とヘアブラシを持った鞠山選手が立ちはだかったのだった。


「ちょ、ちょっと、何をするんすか! 離してくださいよ!」


「いいからいいから! 悪いようにはしないって!」

「そうなのです。すべてをまりりん選手の手にゆだねるのです」


 力持ちの灰原選手はもちろん、愛音も片腕で振り払えるような相手ではない。それに、出場選手である彼女たちに、あまり乱暴な真似はできなかった。

 そうして拘束されてしまった瓜子の頭に、スプレーが噴射される。それは何かの花のようにフローラルな香りがした。


「あんたはサイン会なんだから、それに相応しいヘアメイクをするだけだわよ。ああもう、ワガママな猫っ毛だわね」


「ヘ、ヘアメイクなんて、必要ないっすよ! おでこ! おでこは出さないでください!」


「前髪をちょいと流すだけだわよ。うん、いい感じだわね。……ピンク頭、例のブツは持ってきたんだわよ?」


「ははー! これにございます!」


 地べたにひざまずいたユーリが、鞠山選手のほうに手を差し伸べる。その手の平にのせられていたのは――かつて瓜子の誕生日に灰原選手からプレゼントされた、ブランドもののカラーリップに他ならなかった。


「何すか、それ! ユーリさんの、裏切りものー!」


「だってぇ。うり坊ちゃんがかわゆらしくアレンジされるお姿を拝見したかったのだものぉ」


 色っぽく身をよじるユーリの手から、鞠山選手がカラーリップをつまみあげる。

 瓜子がきゅっと唇を内側に巻き込んでみせると、鞠山選手は左手を不穏な形に蠢かせた。


「無駄な抵抗は、苦しみが増すだけなんだわよ。あんたは今、無防備な肢体をわたいの前にさらしてるんだわよ?」


「メイさん! メイさん、助けてくださーい!」


「……ウリコ、身を飾ることで、パラス=アテナの財政難、救われる。だから、ウリコも最後には納得する、聞いている。……それ、真実じゃなかった?」


 メイはとても心配そうな眼差しで、そのように語らっていた。

 瓜子が思わず言葉を失うと、鞠山選手が平たい顔を鼻先に近づけてくる。


「パラス=アテナは社運をかけて、あんたのグッズとベストバウトDVDを準備したんだわよ? もしもその売り上げが想定を下回ったら、次回の興行の開催も危うくなるんだわよ? たかだかヘアメイクとリップぐらいでグッズ販売の売れ行き向上を期待できるんなら、安いもんなんだわよ」


「ああもう、わかりましたよ……どうぞ好きにしてください」


 瓜子はがっくりと脱力して、唇に異物を塗られる感触に耐えた。

 そうしてカラーリップの塗布が完了すると、ユーリが真っ先に「かーわゆい!」と声を張り上げる。


「うん、いいじゃん! あたしの選んだリップのカラーも、ばっちりだね!」

「はい。ユーリ様には遠く及ばないものの、多少は王者としての華やかさを獲得できたようであるのです」


 そんな言葉を残して、灰原選手と愛音も瓜子のもとから身を離した。

 すると、遠巻きにこちらの様子を眺めていた沙羅選手が近づいてきて、「ほーん」と声をあげる。


「やっぱうり坊は、ちょちょいといじくるだけで様変わりするなぁ。それで水着姿でもさらしたら、グッズの売り上げも倍増やで」


「そんなのは、死んでも御免ですよ! サイン会ではこのグッズTシャツを着るように厳命されてますんで!」


「そうだわね。下だけビキニっていう作戦も検討しただわけど、女性ファンが引きそうだからやめておいただわよ」


 そんなおぞましい作戦も、水面下では検討されていたのである。

 瓜子がパイプ椅子に座したまま嘆息をこぼしていると、目の前にユーリがちょこんと屈み込んできた。


「あのねあのね、ついでにこのようなものも持参したのだけれども……やっぱり余計なお世話であったでしょうか?」


 ユーリがおずおずと取り出したのは、四葉のクローバーのネックレスであった。

 去年の一月、二人の出会った一周年記念として、ユーリがプレゼントしてくれたものである。


「……自分を着飾らせたいなら、勝手につければいいじゃないっすか」


「だってぇ。これだけは、うり坊ちゃんにいやいやつけてほしくないんだよぉ」


 瓜子はもういっぺん溜息をついてから、自分でそのネックレスを装着してみせた。

 ユーリはとても幸福そうに、にっこりと笑う。

 瓜子は腹が収まらなかったので、ユーリの耳もとに口を寄せて、ユーリを悶絶させるための言葉を囁きかけてみせた。


「これは自分の大切な宝物なんですから、今後は勝手に持ち出さないでくださいね」


 瓜子の思惑通り、ユーリは「にゅわー!」と悶絶した。

 そうして瓜子はさまざまな感情を抱え込みながら、人生初のサイン会に挑むことに相成ったのだった。

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