16th Bout ~The day before the transformation~

ACT.1 黄金の日々、再び(上)

01 集結

 四月の第三日曜日に行われた『トライ・アングル』の東京追加公演も、無事に終了した。

 音楽番組のテレビ放映とタクミ選手の襲撃事件でいっそうの名を馳せた『トライ・アングル』はその話題性に恥じないライブパフォーマンスを発揮させ、三千名からの観客たちを再び熱狂させることがかなったのだ。


 ファーストシングルなどは発売から二ヶ月近くが経った現在も売り上げをのばしており、ライブ会場と公式ウェブサイトで販売されている各種のグッズも売り切れと再販の繰り返しで、想定以上の収入を叩き出しているとのことである。


 そして二ヶ月後ぐらいには、今回のライブも映像作品として販売される段取りになっている。セカンドシングルのプロジェクトも進行中であるし、『ハダカノメガミ』は深夜のバラエティ番組のエンディング曲としてタイアップが決まったそうであるし――『トライ・アングル』の活動は、怖くなるぐらい順調そのものであった。


 そうして追加公演から二週間ほどが経過すると、世間はもうゴールデンウィークである。

 ありがたいことに、瓜子たちは本年も小笠原選手から合同合宿稽古のお誘いを受けることがかなったのだった。


                  ◇


 ゴールデンウィークの記念すべき初日、瓜子たちは再び武魂会の東京本部道場に集結した。

 プレスマン道場所属の女子選手は、当然のように全員が居揃っている。サキ、ユーリ、瓜子、愛音――さらに本年はメイも加わって、総勢は五名だ。


「たしか去年は、全部で十名だったっけ? それじゃあそこから、三人が増えたわけだ」


 広々とした鍛錬場に集まった面々を見回しながら、小笠原選手はにこやかな面持ちでそう言った。

 プレスマン道場の門下生に限らず、昨年の参加者は全員が顔をそろえている。小笠原選手、灰原選手、多賀崎選手、小柴選手、鞠山選手、オリビア選手――そして、メイとともに初の参加となるのは、来栖舞と魅々香選手に他ならなかった。


「もちろんわたしはあちこちに故障を抱えているため、スパーなどには参加できない。まったくおこがましい話だが、コーチ役として少しでも力になれればと考えている」


 来栖舞がそのように挨拶をすると、小笠原選手は「とんでもない」と微笑んだ。


「舞さんは天覇の指導員なんだから、もともと立派なトレーナーじゃん。頼りにしてるんで、どうぞよろしくお願いします」


「よろしくお願いします!」と、瓜子たちも復唱する。

 同じ言葉を返してから、来栖舞もあらためて稽古場の面々を見回した。


「それにしても、頼もしい顔ぶれがそろっているな。ただ……やっぱり赤星道場やドッグ・ジムの選手などは集まらなかったのだな」


「押忍。自分が声かけをしたんすけど、あちらはあちらでゴールデンウィーク中にも稽古をする環境ができあがってるみたいです。それに……あまり手の内を見せたくないっていう心理も働くみたいっすね」


 瓜子がそのように答えると、来栖舞は「ふむ」と小首を傾げた。


「わたしも五月大会のマッチメイクは確認してきたが……赤星道場やドッグ・ジムの選手と対戦する人間は、この場にいないと記憶している。最近になって、何か変更でもあったのかな?」


「いえ。その先を見越しての判断であるみたいです。……特にユーリさんなんかは、あちこちの選手にターゲットにされちゃってますからね」


 もともとユーリと階級が見合うのは、赤星弥生子、青田ナナ、マリア選手、沙羅選手の四名となる。しかしユーリは赤星弥生子に打ち勝ったことで、犬飼京菜や大江山すみれにも注目されてしまっているのだった。


「それに、赤星道場やドッグ・ジムはもともと手の内をさらさない方針なんすよ。古武術スタイルや古式ムエタイやジークンドーの稽古なんかは、外部の人間の前では絶対に見せようとしませんからね。そうすると、こういう合同稽古に参加する意義が半減しちゃうんだと思います」


「なるほど、納得した。まあ、どのような姿勢で稽古に取り組むかは、人それぞれだからな」


「そーそー! それにあっちは、無愛想な人間も多いからねー! 気心の知れた人間に絞ったほうが、楽しいっしょ!」


 灰原選手がうきうきとした声をあげると、小笠原選手も「そうだね」と同意した。


「ただ、アタシなんかはオルガあたりも来るんじゃないかって期待してたんだけど、やっぱりあいつも同じような心理なのかな?」


「はい。たぶんオルガ選手は、小笠原選手を意識してるんだと思いますよ。何せ小笠原選手は、《アトミック・ガールズ》の誇る無差別級のトップファイターですからね」


「それは光栄な話だね。それじゃあ話を戻すけど、五月に試合が決まってるのは――」


「あたしとマコっちゃん! うり坊とピンク頭! それに、トッキーと魔法老女とサキと……けっきょくイネ公も決まったんだっけ?」


「はいなのです! 扱いとしてはプレマッチなのですが、プロ昇格をかけた査定試合のリベンジなのです!」


 愛音が肉食ウサギの眼光で応じると、小笠原選手は「そっか」とまた微笑んだ。


「八人も試合が決まってるなんて、豪気な話だね。これからの稽古にも関わってくるんで、まずはそのマッチメイクの内容を確認させてもらおうか」


「はいなのです! 愛音のお相手は、フィスト・ジムの榊原選手なのです! 《G・フォース》にも出場している、生粋のストライカーなのです!」


「《G・フォース》って、プロのほう? MMAは、まだアマなのかな? なるほど。《G・フォース》で実績を積んだプロ選手と、立ち技でアマ二冠の邑崎が、MMAのプロ昇格をかけてやりあうわけね。プレマッチとは思えない豪華さだ」


「で、マコっちゃんとうり坊はアトミックじゃなくって、《フィスト》のタイトルマッチねー! 二人とも前回勝った相手なんだから、今度も絶対に勝ってよー?」


「多賀崎さんが沖さんで、猪狩がラウラか。二試合まとめてダイレクト・リマッチなんて、《フィスト》もなかなか気のきいたことをするね。……舞さんも花さんも、こっちに肩入れすることに問題はないのかな?」


「ないだわよ。まあ一美ちゃんとはそれなりに古いおつきあいだわけど、どちらかといえばビジネスライクなおつきあいだわね」


「じゃ、ラウラは?」


「あいつこそ、接点はゼロだわよ。わたいはうり坊を動画チャンネルのゲストに呼んだ身だから、あっちのほうこそ敵認定してるはずだわね」


 アッシュブロンドのウェービーヘアーを頭のてっぺんでくくった鞠山選手はそんな風に言いながら、そばかすの目立つ顔でにんまりと微笑んだ。おそらくは、鞠山選手ももともとラウラ選手をライバル視していたようなのである。


「それじゃあまあ、多賀崎さんと猪狩は花さんたちにみっちりグラップリングの稽古をつけてもらうってことで。それで、灰原さんは……ヒロ・イワイ道場の奥村さんだったっけ?」


「そー! コッシーは階級変更でリベンジできなくなっちゃったから、あたしが仇討ちしてあげるよ!」


 小柴選手をパワーファイトで打ち負かした中堅選手の筆頭、奥村選手が灰原選手と対戦するのだ。彼女もまた、立ち技では荒っぽいインファイトを得意にしながら、本領はグラップリングであった。


「こいつは花さんが大活躍だね。いっぽう花さん自身は、けっこうな正念場だ」


「ふふん。待ちに待ってたリベンジマッチなんだわよ。今度こそ、あいつのひょろひょろとした足をへし折ってやるんだわよ」


 鞠山選手は、『マッド・ピエロ』たるイリア選手との対戦が決定されたのだ。これはほとんど三年ごしのリベンジマッチであるはずであった。


「ピエロに関しては、プレスマンのメンバーががっちり研究してるはずだよね。サキ、お願いできる?」


「あー。あたしとガキんちょも、さんざんピエロの役をやらされたなー。ま、あんな大道芸は再現不可能としても、おちょくりながら逃げ回るのはお手のもんだ」


 そんな風に言いながら、サキは親指で瓜子のほうを指し示してきた。


「ただ、あのピエロが厄介なのは、タイミングの外し方だ。それについては、この一年で二戦してるこのタコスケがまだカラダで覚えてんだろ」


「それじゃあ、猪狩もよろしくね。で、サキの相手は――」


「アタシは調整試合でクソザコが相手だから、対策もへったくれもねーよ」


「普通に中堅選手のストライカーを当てられたんだっけ? それじゃあまあ、試合勘を取り戻すのに注力するべきだろうね」


「へん。そいつは、おめーも一緒だろ。たかだか八ヶ月ていどの休養で、ずいぶん楽な相手を当てられたもんだなー」


「大村さんは、楽じゃないよ。あのお人の頑丈さとド根性は規格外なんだから。ねえ、舞さん?」


「うん。わたしも朱鷺子もアケミも、彼女からKOや一本を取れたことはないからな。……先月のオルガとの試合は、目を疑ったよ」


「あの大村さんを、秒殺KOだもんね。つまりアタシも結果を出さないと、オルガより格下だって見なされちゃうわけだ」


 あくまでにこやかな表情を保ちながら、小笠原選手は強い意欲をみなぎらせた。


「さすがに秒殺はキツいけど、アタシもKO勝ちを狙うつもりだよ。それぐらいしないと、桃園へのリベンジが遠のくばかりだからさ」


「いえいえ! 恐縮の至りですぅ」


 と、しきりに愛想笑いを振りまいていたユーリが、瓜子の隣で小さくなる。

 その姿を見やりながら、小笠原選手は芝居がかった仕草で「ふむ」と言った。


「それで最後は、桃園だけど……あんたの相手のジーナ・ラフって、一昨年ぐらいまでアトミックに参戦してた、あのジーナ・ラフのことなんだよね?」


「はいはぁい。ジーナ選手がひさびさに参戦するということで、ユーリにリベンジの機会が巡ってきたのですぅ」


 ジーナ・ラフ選手とは、瓜子がユーリと初めて出会った日に対戦をしていた、北米の選手である。その試合に敗北したユーリは、通算十敗目という不名誉な記録を達成してしまったのだった。


「あいつはたしかアトミックを離れた後に実力をあげて、《アクセル・ファイト》と契約したって話だよね。それから一年ていどで、もうリリースされちゃったってことなのかな?」


「リリース? ジーナ選手もCDをリリースしたのですかぁ?」


「そっちのリリースじゃなくて、契約解除って意味のほうだよ。花さんは、なんか知ってる?」


「わたいが知ってるのは、あいつが《アクセル・ファイト》でデビューするなり二連敗したって話だけだわね。それで試合内容がお粗末だったら、リリースされても不思議じゃないだわよ」


「え? 二連敗しただけで、契約解除されちゃうんすか? それはずいぶん……シビアな話っすね」


 瓜子がそのように口をはさむと、鞠山選手はずんぐりとした肩をすくめた。


「《アクセル・ファイト》は世界最高峰の舞台なんだから、そりゃあ世界一シビアなんだわよ。世界中から新しい選手をばんばかスカウトしてるんだから、金にならないと見なされた選手はばんばか切り捨てられるわけだわね」


 瓜子がかたわらのメイを振り返ると、そちらも平然とした面持ちでうなずいていた。


「僕、女子選手の試合は、全部観てる。ジーナ・ラフ、悪い選手じゃなかったけど、際立ったもの、感じない。ユーリなら、地力で勝てると思う」


「にゃはは。でもでも前回の対戦では、秒殺で一本負けしてしまいましたけれどねぇ」


「その試合も、観た。あの頃のユーリは、まったく資質を活かせていない。僕だって、簡単に秒殺できたと思う」


「じゃあ、今なら?」と、灰原選手が好奇心に満ちみちた面持ちで問い質すと、メイは可愛らしくきゅっと眉をひそめた。


「今は、わからない。むしろ……ユーリが波に乗る前に秒殺しないと、勝てないと思う」


「そっかー。まあ確かに、大怪獣ジュニアとの対戦は、最終的に怪獣大決戦だったもんね! あたしもピンク頭と対戦したら、短期決着を狙って突撃するだろうなー」


「そうかな。あたしだったら粘りに粘って、あの化け物みたいな力を引き出したいと思うけど」


 多賀崎選手までもが身を乗り出すと、小笠原選手が「あはは」と笑った。


「やっぱあの日の試合を思い出すと、みんな血がたぎっちゃうよね。とにかくまあ、ジーナ・ラフが今でもオールラウンダーなら、桃園はこれまで通りにまんべんなく鍛えるしかないか」


「はいはぁい。道場の方々にも、そのように言われておりますぅ」


「でも、今のアトミックに海外の選手を呼ぶ財力はないって話だったよね。この前のラニみたいに、たまたま日本に来る用事でもあったのかな?」


「それは謎なのですけれど、ジーナ選手のほうから対戦の申し込みがあったようですよぉ」


「対戦の申し込み? ジーナのほうから、桃園と対戦したいって申し出てきたの?」


「はぁい。ユーリはそのように聞いておりますぅ」


 その返答に、小笠原選手と鞠山選手がいぶかしげな表情を浮かべた。


「なんか、よくわからない話だね。《アクセル・ファイト》までのぼりつめた選手が、今さら日本で出直そうってつもりなのかな」


「それは考えにくいだわね。アトミックなんてファイトマネーは雀の涙だし、海外からまったく注目されてない団体なんだから、北米の選手が固執する理由はゼロなんだわよ」


「えー? アトミックって、そんな雑な扱いなの?」


 灰原選手が不満げな声をあげると、鞠山選手は「そりゃそうだわよ」と一蹴した。


「でもまあアトミックもルールが世界標準に改正されたから、今後はどうなっていくかわからないだわね。《アクセル・ファイト》では女子選手の試合が盛り上がってるみたいだから、うまくいけば北米への道が切り開かれるかもしれないだわよ」


「アメリカで試合とかできたら、すごいよねー! でも、ちゃんと飛行機代とか出してもらえるのかなー?」


 灰原選手がそのように言いたてると、鞠山選手は大きなお口で溜息をついた。


「そのいじましい発言が、もう世界との格差を物語ってるだわね。なんだか、切なくなってきただわよ」


「なんだよー! あんたに溜息とかつかれると、すっごくムカつくんだけど! アメリカまでの飛行機代とか馬鹿にならないんだから、心配になるのが当たり前でしょー?」


「だから、その貧乏根性が切なくてたまらないんだわよ。……あんた、《アクセル・ファイト》の選手がどれだけのファイトマネーをもらってるか、知らないんだわよ?」


「そんなの、知るわけないじゃん」


「《アクセル・ファイト》の女子バンタム級王者のアメリア・テイラーは、この前のタイトルマッチのファイトマネーが十万ドルだったそうだわね」


「へー! 一試合で十万円ももらえるなんて――え? 十万ドル?」


「そうだわよ。円で換算するなら、ざっと一千万円だわね」


 灰原選手は金魚のように口をぱくぱくとさせており、多賀崎選手や小柴選手も驚嘆の表情になっていた。


「ちなみに《アクセル・ファイト》では、階級や選手の人気でファイトマネーが大きく変動するんだわよ。ミドル級の絶対王者であるジョアン・ジルベルトなんかは、一試合で五十万ドルとか言われてるだわね」


「た、たったの一回試合をするだけで、五千万円ももらえるってこと!? いくらなんでも、ありえないでしょ!」


「《アクセル・ファイト》ってのは、それだけの規模の興行だってことだわよ。それにあっちのMMAは日本の競馬や競輪みたいに賭けの対象だから、余計に大きなマネーが動くわけだわね」


「日本の競馬の騎手とかだって、億単位の年収だったりするもんね。……でも、昔なんかは《JUF》とかでもファイトマネーの豪快さが話題になったりしてなかったっけ?」


 小笠原選手が穏やかな面持ちで相槌を打つと、鞠山選手は「ふん」と平たい鼻を鳴らした。


「初期にジルベルト柔術の選手を招聘するときなんかは、ファイトマネーが百万ドルだとか二百万ドルだとか騒がれてただわね。それが末期にはファイトマネー未払いのスキャンダルが持ち上がったりしてたんだから、落ちぶれたもんだわよ」


「すっげー! 格闘技で食ってくなんて夢のまた夢とか思ってたけど、そんな世界もあるんだね!」


 灰原選手は興奮しながら、瓜子の肩をがくがくと揺さぶってくる。それに対して「はあ」と適当な返事をすると、灰原選手はうろんげに瓜子の顔を覗き込んできた。


「うり坊は、なんでそんなにクールなの? ファイトマネーで一千万円とか、すごくない?」


「そうっすね。でも、そういう話は前からメイさんに聞いてたんすよ」


「あ、そーか! あんたもアメリカで試合をしてたんだもんね! それじゃああんたも、がっぽり儲けてたってこと?」


「いや。《スラッシュ》の規模、《アクセル・ファイト》に遠く及ばない。ファイトマネー、十分の一ていど」


「それでも、百万円じゃん! あんた、そんな場所からアトミックに移ってきたの? ほんっと、酔狂だねー!」


「僕の目標、《アクセル・ファイト》の王者だから。ベリーニャ・ジルベルトに勝利する実績、欲しかっただけ」


「ふーん。で、ベリーニャがいなくなった後も、強くなるためにプレスマンに居残ったってわけだ? やっぱ、酔狂だねー!」


 そんな風に言いながら、灰原選手はにっと白い歯をこぼす。メイのほうは表情の選択に迷って、口もとをごにょごにょさせていた。


「ま、今のあたしたちはファイトマネーなんかより、目の前の試合に勝つことを考えなきゃねー! そろそろ稽古を始めようよ!」


「脱線させたのは、あんたなんだわよ。でもまあ確かに、余所の団体のファイトマネーなんか論じても、不毛なだけだわね」


「うん。それじゃあ楽しい稽古を始めるとしようか」


 そうして瓜子たちは腰を上げ、楽しい楽しい合同稽古を開始することに相成ったのだった。

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