03 後始末

 翌日は、襲撃事件の話題で持ち切りであった。

 生放送中のテレビ番組でアーティストが刃物を持った暴漢に襲われそうになったのだから、それも当然の話であろう。リアルタイムで番組を視聴していた人々の多くは、ユーリの格闘家らしさを演出するための小芝居であったと思い込んでいたようであるが――あれが本当の襲撃事件であったと知れるなり、蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまったのだった。


 それでけっきょくその一件は、テレビや新聞などでも大きく取り上げられることになってしまった。くだんの音楽番組と同じテレビ局の報道番組では、ユーリが美しいミドルキックでタクミ選手を撃退するさまが、繰り返し放映されていたとのことである。


 瓜子のもとにも、ニュースを見た友人知人から質問責めの電話が殺到することに相成った。しかしまあ、瓜子だって報道されている以上の情報は知らされていないのだ。瓜子に言えるのは、ユーリの負った怪我が軽傷であるというぐらいのものであった。


『しっかし、こんな何ヶ月も経ってから、ナイフを持って襲いかかってくるとはねー! 秋代のやつ、クスリで頭がどうかしちゃってんじゃないの?』


 電話でそんな風に言いたてていたのは、灰原選手であった。

 瓜子としても、同じ気持ちである。警備員に取り押さえられたタクミ選手は、明らかに正気とは思えないような目つきをしていたのだ。


『ま、警察につかまったんなら、ひと安心だね! 一色のやつは地元で大人しくしてるはずだから、うり坊が襲われる心配はないはずだよ!』


 灰原選手は、そんな風にも言っていた。一色選手もタクミ選手と同じだけのスキャンダルにまみれながら表舞台から姿を消したわけであるが――そちらは入院中に栃木の両親が押しかけてきて、大騒ぎしながら実家に引きずって帰ったという情報が、当時からネットニュースで喧伝されていたそうなのである。


 いっぽうタクミ選手はこの数ヶ月間、どこで何をしていたのか――ユーリとの試合で潰された鼻もろくに治療していなかったようであるし、荒んだ生活に身を置いていたことは明白であった。


 考えれば考えるほど、瓜子は心配になってしまうのだが。それを打ち消してくれたのは、千駄ヶ谷の「問題ありません」というひと言であった。警察に通報する前にタクミ選手と秘密の面談をした千駄ヶ谷は、もはや彼女が不埒な真似に及ばないという確信を得ている様子であった。


「でも本当に、千駄ヶ谷さんはどんな方法でタクミ選手を黙らせるつもりなんすか? タクミ選手は、真っ当な説得に耳を貸せるような精神状態ではないように思えるんですけど……」


 瓜子がしつこいぐらいに問い質すと、千駄ヶ谷はようやく重い口を開いてくれた。


「どうしても懸念が晴れないと仰るのでしたら、お話ししましょう。私は、彼女の抱える欲望を発散させる方法を教示してみせたのです」


「タクミ選手の抱える、欲望?」


「はい。彼女が抱えている欲望は、二つ。自己顕示欲と、理不尽な世の中に対する攻撃衝動です。私はまず、その攻撃衝動をユーリ選手ではなく徳久一成に向けるようにと誘導いたしました」


「え……まさか、タクミ選手に徳久を襲わせようっていう作戦なんすか?」


 瓜子がそのように口をはさむと、千駄ヶ谷は数ミリだけ首を傾げて不審の念をあらわにした。


「現在も収監中である徳久一成を襲撃することは、何者にも不可能でありましょう。そもそもあの悪辣なる人物に必要なのは法的な裁きであるかと思いますが、猪狩さんは異なる見解をお持ちなのでしょうか?」


「いえ! 決してそういうわけではありません! ……でもそれじゃあ、どうやって攻撃衝動を発散させるんすか?」


「私が教示したのは、暴露本の出版です。徳久一成がどのような手管でもって彼女を悪徳の世界に引き込んだのか、それを書籍として出版すれば、憎い相手にダメージを与えると同時に自己顕示欲も満たされて、少なからぬ印税の収入も手にすることがかなうでしょう。……そもそも徳久一成は、己の歪んだ欲望を満たすために彼女を利用していたのですから、彼女とて被害者であるのです。ですから、憎むべきはユーリ選手ではなく、浅はかな悪だくみに彼女を巻き込んだ徳久一成であると、私はそのように説得してみせたのです」


「ああ、なるほど……でも、それでタクミ選手は納得したんすか?」


「納得していました。と、いうよりも……彼女には、気の毒なほど知性が欠落しているのです。あれで頭脳が明晰であれば、人を操る支配者の側に立てたのでしょうが、彼女は自尊心だけが肥大しており、道徳観念や倫理観が欠如している上に、知性も足りていないのです。言ってみれば、低能なサイコパスといったところでしょうか」


 毒舌のサキや沙羅選手でも舌を巻くような、辛辣なる言葉である。

 冷や汗を流す瓜子の前で、千駄ヶ谷はさらに言葉を重ねた。


「よって彼女は、他者を支配したいと誰より強く願いながら、他者に隷属することでしか行動の指針を定められない人間であるのです。おそらく徳久一成も彼女のそういった資質を見抜いたがゆえに、《カノン A.G》の旗印に担ぎあげようと目論んだのでしょう。徳久一成こそ支配者的資質を有する真正のサイコパスでしょうから、彼女のように不完全なサイコパスを操るのは赤子の手をひねるより苦労は少なかったものと推察されます」


「な、なるほど……でも、そんな簡単に暴露本なんて出版できるんすか? それに、あまり迂闊な真似をすると、そのスジの人間たちも黙っていないでしょう?」


「攻撃の対象を徳久一成個人に絞ることによって、そういった危険は回避できましょう。また、彼女の文章は私がすべてチェックいたします。それらの条件を呑むならば、私が出版の道筋を立てると約束しましたため、彼女も最後には満足そうな面持ちになっておりました」


 瓜子は渾身の力で溜息をつくばかりであった。


「あらためて、千駄ヶ谷さんのお力を思い知らされました。でも、なんだか……今度は千駄ヶ谷さんがタクミ選手を操ってるみたいな感じで、ちょっとばっかりおっかないっすね」


「私も支配者的資質を有するサイコパスである、と?」


 瓜子は「いえ」と笑ってみせた。


「サイコパスって、人間らしい感情を持たない人のことを言うんでしょう? だったら千駄ヶ谷さんは、サイコパスじゃないっすよ」


「……サキ選手などは、こういった場面で貴女の頭を小突くのやもしれませんね」


 絶対零度の声音でもって、千駄ヶ谷はそのように言いたてた。


「ともあれ、彼女は現在も取り調べのさなかです。暴露本の出版に関しては私が内密裡に進めますので、そちらは口外無用にてお願いいたします」


 そんな感じで、瓜子はタクミ選手に対する懸念をおおよそ晴らすことがかなったのだった。


                 ◇


 その後、『トライ・アングル』は仙台公演をも成功させて、デビューシングルのレコ発ミニツアーもひとまず幕を下ろすことになった。

 追加公演という名目でさらなるライブも控えているが、そちらは二週間後の開催となる。三週連続のライブ公演という初の大役をやりとげて、ユーリは至極満足げな様子であった。


 ただ一点、特筆するべきは――音楽番組の出演と思わぬ襲撃事件を経て、ユーリと『トライ・アングル』の名は想定以上に世間に広まったようであった。

『トライ・アングル』のステージが全国放送されるというだけで宣伝効果は十分であったのに、それが近年まれに見るセンセーショナルな事件で彩られてしまったのだ。テレビの報道番組ではさすがに翌日いっぱいまでの騒ぎであったが、インターネットの電脳世界ではいつ果てるとも知れぬ熱狂が渦巻いているとのことであった。


「やっぱりユーリちゃんは、トラブルをパワーに変えちまう存在なんだなぁ」


『ベイビー・アピール』の面々などはそんな呑気な言葉で評していたが、とにかくユーリと『トライ・アングル』の存在は世間で凄まじい反響を呼び起こしているらしい。追加公演のチケットも、これまで以上の勢いですぐさま完売してしまったとの話であった。


「それに、桃園さんの見事なミドルキックも、ニュース番組でなんべんも放映されてたからな。少しばかりは、ファイターとしても名が売れたかもしれねえぞ」


 立松は苦笑まじりに、そんな風に言っていた。

 また、報道ではタクミ選手の素性や犯行の動機なども公開されていたため、《アトミック・ガールズ》にまつわる昨年のスキャンダルも再燃することになったのだ。良くも悪くも、《アトミック・ガールズ》の名も少しばかりは世間に浸透したのかもしれなかった。


 そんなさなか、瓜子は二本の連絡を受けることになった。

 最初の連絡は、赤星弥生子である。《レッド・キング》は《アトミック・ガールズ》と同じく五月に興行を打つことが決定されたのだが、そちらのチケットが即日で完売されたとのことであった。


『恥ずかしながら、《レッド・キング》のチケットが完売したのは数年ぶりのことなんだ。これも《アトミック・ガールズ》との合同イベントに踏み切った成果だね』


 ひさびさに電話をくれた赤星弥生子は、襲撃事件に対するいたわりの言葉を語り終えたのち、そんな風に言っていた。


『あとは我々が、お客に失望されないような試合を見せるだけだ。道場の門下生たちは、みんな奮起しているよ』


『おめでとうございます。ちょっとその日は観にいけないかもしれませんけど、弥生子さんの勝利と興行の成功を祈っています』


『ありがとう』と応じる赤星弥生子の声はいつも通りの凛々しさを保持しつつ、喜びの気持ちを隠しきれていなかった。それで瓜子も、ぞんぶんに温かい気持ちを授かることになったわけである。


 そして二本目の連絡は、パラス=アテナからであった。

 こちらはプレスマン道場あてに入った連絡を、立松ごしに聞くことになったのだ。

《アトミック・ガールズ》のほうも、まだマッチメイクを発表していない段階から五月大会のチケットは完売となり――そして、三月大会の放映の反響から、格闘技チャンネルにおける放映も無事に継続されることが決定されたのだという話であった。


「メインイベントとセミファイナルに選手を出したウチとしても、ひと安心ってところだな。ま、あの試合内容でケチをつけられる筋合いはねえけどよ」


 立松などは、ご機嫌そうな面持ちでそのように語らっていた。

 瓜子としても、心から安堵したものである。


「自分なんかは不完全燃焼でしたから、少なからず心配だったんすよ。何せ、相手の自爆で勝ちを拾っただけの試合でしたからね」


「あのなぁ、お前さんがカーフキックに適切な対処をしたからこそ、相手は足を痛めることになったんだろ? あれは偶然や幸運なんかじゃなく、お前さんの地力で勝ち取った勝利なんだよ」


「はい。それは理解してるつもりなんすけど、観ている人たちに満足してもらえたかどうかは自信がもてなくって……」


「それじゃあお前さんは、サキや桃園さんが同じような試合をしてもつまらん試合だと思うのか?」


「いえ。余所の団体の王者を相手に秒殺なんて、すごいなあと思います」


「だったら世間のお人らも、そう思ってるってこった。だいたいな、足を痛めてようが何だろうが、たった三発のパンチで相手をKOできる選手なんて、そうそういやしねえんだよ」


 そんな言葉で激励されて、瓜子は若干の羞恥心とそれを上回る誇らしさを抱くことになった。


 ともあれ――ユーリの音楽活動もひとまず落ち着いたため、また副業の仕事と稽古の日々である。

 瓜子は《アトミック・ガールズ》の五月大会を欠場することになってしまったが、その翌週の《フィスト》でラウラ選手と再戦することになる。前回の試合をまぐれ勝ちなどと言われないように、瓜子も全力で稽古に臨む所存であった。


 そんな中、瓜子はひとつの案件を迎え撃つことに相成った。

 駒形氏から持ちかけられた、ベストバウトDVDの作製である。格闘技チャンネルにおける放映の継続も決定され、次回の興行もチケット完売の運びとなったため、財政難に苦しむパラス=アテナもそれだけの予算を捻出することがかなったのだという話であったのだった。

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