02 怨敵
胸を高鳴らせる瓜子の眼前で、番組は粛々と進行されていく。
出演アーティストはセットに準備された雛壇に着席し、歌や演奏を披露する前に司会者と女性アナウンサーからインタビューを受けるという段取りであった。
よって『トライ・アングル』のメンバーも、雛壇の一画に着席している。ユーリはカメラの有無など関係なく終始愛想笑いを振りまいており、山寺博人は仏頂面で、『ベイビー・アピール』のメンバーはにやにや笑いながらずっと仲間内で密談に励んでおり――そんな彼らの普段通りの様相が、瓜子の胸を和ませてやまなかった。
トップバッターの女性アーティストが左側のステージで歌唱を終えると、二度目のCMタイムが訪れる。その間に、ユーリたちは最前列の席へと移動させられ、観客たちに歓声をあげさせていた。
いよいよ『トライ・アングル』の出番である。
ますます緊張する瓜子の前で、ADからキューが出され――司会者のタレントが、カメラに向かってにこやかに語りかけた。
『では次は番組初登場、「トライ・アングル」です』
『ベイビー・アピール』の面々が無邪気な面持ちで客席を煽りたて、観客たちは声援で応える。それが静まってから、司会者は西岡桔平に向きなおった。
『「ワンド・ペイジ」のみなさんは、おひさしぶりです。これは二つのバンドと女性アーティストのユニットだそうですね』
『はい。俺たち「ワンド・ペイジ」と「ベイビー・アピール」、そして格闘技の選手を本業とするユーリさんの八人で組んだユニットです』
当然のことながら、『トライ・アングル』でスポークスマン役を受け持ったのは、常識人たる西岡桔平であった。ユーリはその隣でにこにこ笑っている。
『そのユーリさんっていうのは、有名なアイドルファイターなんでしょ? 「ワンド・ペイジ」と「ベイビー・アピール」がユニットを組むってだけでびっくりだったけど、つくづく異色の組み合わせだねぇ。でも、ファーストシングルの売り上げも好調みたいじゃない』
『ええ、おかげさまで。俺も「ワンド・ペイジ」に負けないぐらい楽しませてもらってます』
『それにしても、ユーリさんは格闘家とは思えないようなビジュアルだね! ユーリさんは、もともとグラビアとかモデルの活動で有名だったんでしょ?』
『はぁい。でもでも本業は格闘技ですので、ご興味を持たれたかたはよろしくお願いしまぁす』
ユーリが笑顔で手を振ると、また歓声がわきおこった。
このあたりのやりとりは台本通りであるので、瓜子も安心して見ていられる。司会者の男性もユーリの脚線美に目を奪われつつ、きちんと職務を全うしてくれていた。
『「トライ・アングル」は明後日も仙台でライブだそうだけど、もうチケットも完売しちゃったみたいだね。告知ができなくて、残念でした』
『いえ、それが――』と西岡桔平が答えようとしたところで、二段目の席に配置されていたタツヤとダイが背後から割り込んできた。
『レコ発ミニツアーは大好評につき、追加公演が決定したぜ!』
『四月の第三日曜日! ツェペリ東京でもういっぺんやるから、よろしくな!』
実はこれも、台本の通りである。演奏に関しては口パクも当て振りも許さない彼らであるが、それ以外の部分ではテレビ番組の流儀に従うことに異存はないようであった。
『追加公演も決まって、幸先のいいスタートだね。それじゃあ、演奏の準備をどうぞ』
歓声をあびながら、メンバーたちは右側のステージへと移動していく。
そちらのセッティングをしている間は、司会者とアナウンサーで場をつないでいた。
『僕は格闘技とかよくわからないんだけど、あのユーリさんってのはかなりの有名人なんでしょ?』
『はい! あんなに可愛くてスタイルもいいのに、ものすごく強いんですよ! 去年からは負けなしで、チャンピオンベルトも持ってるんです!』
芸能関係の女性においては、過半数がユーリのことを嫌っている。しかし幸いこの女性アナウンサーは少数派の部類であるらしく、目をきらきらと輝かせながらユーリのことを語っていた。
いっぽう司会者のほうは本当にユーリの存在を認知していなかったらしく、ただその色香に心を奪われている様子である。まあ何にせよ、ユーリにとっては幸いな組み合わせであったようだ。
『では、準備ができたようです』
『「トライ・アングル」のデビューシングル、「ハダカノメガミ」です』
偽りのない大歓声の中、『トライ・アングル』が演奏を開始した。
『ベイビー・アピール』だけでも爆音であるのに、さらに山寺博人のエレアコと陣内征生のアップライトベース、西岡桔平のカホンも重ねられて、凄まじい迫力だ。ライブ会場に比べれば音響の質は下がってしまうのであろうが、瓜子にとっては真正面から彼らのステージを観賞できる貴重な機会であった。
ユーリは並み居るカメラにウインクや目配せを送りつつ、いつも通りの躍動感に満ちたステップを見せている。
そしてユーリが振り絞るような歌声を解き放つと――客席ばかりでなく、雛壇のアーティストたちもどよめきをあげたようだった。
撮影スタジオとしては広大であるが、ライブ会場に比べれば手狭である空間に、爆音の演奏とユーリの歌声が響きわたる。
瓜子はもう、最初から鳥肌の嵐であった。
これがリアルタイムで日本中に放送されているという事実も、ユーリの足枷にはならないのだろう。ユーリはミリタリージャケットの裾をひるがえし、左右のメンバーに衝突しないように細心の注意を払いながら、エネルギーの竜巻を発生させていた。
(もしユーリさんが《JUFリターンズ》に出場できていれば……本業の格闘技で、同じぐらいの物凄さを見せつけられたのにな)
『トライ・アングル』のステージに魅了されながら、瓜子はふっとそんな想念にとらわれた。
《JUFリターンズ》は昨年もその前も、大晦日に地上波の生放送で試合を放映されている。一昨年にはユーリもオファーを受けていたのだが、その前月における《アトミック・ガールズ》の試合で負傷したために出場を辞退することになり、そして昨年は女子選手の試合そのものが存在しなかった。《カノン A.G》の騒ぎのせいで女子選手が敬遠されたのだという、もっぱらの噂であったが――何にせよ、ユーリは大きなチャンスを二回も逃していたのだった。
もちろん瓜子は、『トライ・アングル』の活躍を誰よりも願っているつもりである。
しかしそれでも、ほんの少しだけ――ファイターとしてよりも歌手としての認知度がまさりつつあるユーリの境遇に、切なさを覚えずにはいられなかった。
(まあ、あたしが気に病んだって、しかたないよな。今は《アトミック・ガールズ》が潰れちゃわないように頑張るだけだ)
瓜子がそのように考えたとき、黄色い歓声に不協和音が入り混じったような気がした。
何か、歓声の中に悲鳴まじりの声があげられたような――そんな感覚にとらわれたのだ。
そして次の瞬間、黒い人影が客席からステージへと躍り出た。
黒いフードつきのパーカーで人相を隠した、不審者だ。
瓜子は何を考えるいとまもなく、ほとんど反射的にステージへと駆け出していた。
しかし不審者は、すでにユーリへとつかみかかろうとしている。
その右手には――銀色に光る刃物が握られていた。
「ユーリさん!」と、瓜子は走りながら絶叫する。
まるでその声に応えるかのように――片目をつぶったユーリが、白い右足を振り上げた。
禍々しい銀色の光をかすめて、ユーリのミドルキックが不審者の腹部に叩きつけられる。
不審者はもんどり打って、ステージの脇に転げ落ち――ユーリは何事もなかったかのように、最後のサビを歌いあげた。
瓜子がステージ脇まで駆けつけると、不審者はどこからともなく出現した警備員に二人がかりで抑えつけられている。しかしその人物は、ユーリのミドルキックによってすでに暴れる力を失っているようだった。
「君! 危ないから、下がって!」
別の警備員が、瓜子と不審者の間に立ちはだかる。
その間に、『ハダカノメガミ』の演奏はエンディングに突入していた。
その爆音に肌をびりびりと揺さぶられながら、瓜子は声も出ない。
警備員の手によってフードが剥がされて、その不審者の素顔がさらけ出されていたのである。
それは、まだ若い女性であった。
セミロングの髪は血のような赤色に染められており、生え際だけが黒くなっている。
顔立ちは端整であるのだが、鼻だけが不自然な方向にねじ曲がって、彼女を不気味な魔女のような面相に仕立てあげていた。
「タクミ……選手……」
そう。
それは去年の十一月大会でユーリの膝蹴りによって鼻を潰された、タクミ=フレアこと秋代拓海であったのだ。
警備員たちに組み伏せられた秋代拓海は、黒い穴のように虚ろな目で、ぼんやりとあらぬ方向に視線を飛ばしていた。
◇
『トライ・アングル』の演奏終了後、撮影現場の舞台裏はてんやわんやの騒ぎであった。
生放送中の撮影現場に不審者がまぎれこみ、出演アーティストに襲いかかろうとしたのである。瓜子の知る限り、昨今のテレビ番組でそんなハプニングはそうそう生じていないはずであった。
『トライ・アングル』の他のメンバーたちは段取り通りに雛壇へと舞い戻っていたが、ユーリだけは別室に保護されている。番組関係者に事情聴取されるだけでなく、ユーリは刃物で右足を少しばかり傷つけられていたため、その手当ても必要であったのだ。瓜子は千駄ヶ谷の命令により、警備員に守られた楽屋でずっとユーリに付き添っていた。
「タクミ選手の手に刃物が見えたときは、心臓が止まるかと思いましたよ。ユーリさんは、よくあんな冷静に対処できましたね」
「うん! 何があっても歌いぬくべしと、ヒロ様に厳命されておりましたので!」
右の膝下に包帯を巻かれたユーリは、ふにゃんとした顔で笑っていた。
暴漢に襲われたショックよりも、職務を全うできたという満足感にひたっている様子である。
「今日という今日は、ユーリさんの図太さに驚かされました。いちおう聞いておきますけど……無理したりはしてないっすよね?」
「うみゅ。なんの自慢にもなりませぬけれど、不審者やストーカーなんかに襲われるのは慣れっこだからねぇ。でもでも今回は、一年以上ぶりの襲撃になるのかしらん? あのときはうり坊ちゃんがナイト役をつとめてくださり、お姫さま気分だったのです」
と、ユーリは幸福そうに瓜子へと微笑みかけてくる。その屈託のない笑顔によって、ユーリが負の感情を無理に押し殺していないことが瓜子にも確信できた。
「でも今回は、見知った相手が犯人でしたからね。そういう意味で、ショックを受けたりはしないんすか?」
「ふにゅう。ユーリは人様に嫌われても致し方なしというスタンスで、気ままに生きておるからねぇ。誰に刃物を向けられようと、特に思うところはないのです」
そんな風に言いながら、ユーリは両手で自分の顔を覆い隠した。
「それに……タクミ選手は敵対関係にあった間柄でありましょう? であれば、ユーリを恨む理由など山盛りでありましょうし……全力のミドルキックを叩き込んだユーリのほうにも、取り立てて罪悪感は生まれていないのです」
「それはわかりましたけど、どうしてお顔を隠してるんすか?」
「だってだって、今のユーリはきっとものすごく醜い形相になっているもの! 試合でもないのに人を傷つけて平気な顔をしている醜さを、愛しいうり坊ちゃんには見せられないのです!」
「隠し事なんて、水臭いっすね」
瓜子は微笑をこぼしながら、ユーリの髪をつまんでみせた。
「たとえユーリさんが楽しそうに笑ってたとしても、自分は幻滅したりしないっすよ。ユーリさんは、それだけひどい目にあわされてきたんすからね。ついでに言うと、大事なベリーニャ選手を傷つけられた恨みだってあるんでしょうし」
「あうう。でもでもうり坊ちゃんは、どこかシリアスモードなのです。それはユーリに対する軽蔑の念なのではないのかしらん?」
と、ユーリが指の隙間から瓜子を見つめてくる。
そちらに向かって、瓜子はもういっぺん笑ってみせた。
「自分はこの先のことを心配してるだけっすよ。きっとこのていどの罪じゃあ、タクミ選手には大した処罰も下されないでしょうからね」
「ふみゅ。タクミ選手は、そこまで執念深いのかしらん?」
「ええ……あれはちょっと、まともな人間の目つきじゃありませんでした」
瓜子がそんな風に答えたとき、楽屋のドアがノックされた。
瓜子は思わず身構えてしまったが、そこから現れたのは千駄ヶ谷である。
「お待たせいたしました。警察への通報は、番組の収録後まで持ち越されるようです」
「ええ? そんなのんびりしてて、いいものなんすか?」
「この場で警察に通報すると、撮影の中止を命じられる公算が高いのでしょう。生放送中の番組をそのような形で中止するというのは、テレビ局の人間にとって悪夢そのものの事態なのであろうと推測できます」
そんな風に言いたてながら、千駄ヶ谷は氷の刃のように目を光らせた。
「それを承諾する代わりに、私は秋代選手と秘密裡に言葉を交わす権利を獲得いたしました。二度とこのような事件が起きないように私が取り計らいますので、ユーリ選手はどうぞご安心ください」
「ええ? タクミ選手を亡き者にしてしまうのですかぁ? さすがにそれは、タクミ選手が気の毒なのですけれど……」
「たとえどのように理不尽な運命に見舞われようとも、私が法を犯すことはありません。ユーリ選手は、撮影後の事情聴取にお備えください」
それだけ言い残して、千駄ヶ谷はすぐさま楽屋を出ていってしまった。
瓜子としては、ユーリと顔を見交わすばかりである。
「千さんは何やら自信満々のご様子だねぇ。タクミ選手を改心させる秘策でもあるのかしらん」
「そんな説得を素直に聞けるような状態には見えませんでしたけど……でも、何せ千駄ヶ谷さんですからね。法に触れないぎりぎりの何かで、タクミ選手を黙らせるつもりかもしれません」
「いやーん、おっかない。タクミ選手も千さんの恐ろしさを知っていれば、こんな暴挙に手は染めなかったろうにねぇ」
ユーリはあっけらかんとしているし、瓜子もようやく人心地をつくことができた。ユーリを守るためであれば、千駄ヶ谷は無類の力を発揮してくれるのだ。普段は死ぬほどおっかない上司であるが、味方としては誰よりも頼もしい千駄ヶ谷なのである。
(だいたい、タクミ選手を野放しにしておいたら、『トライ・アングル』にだって迷惑がかかっちゃうかもしれないもんな。それならなおさら、千駄ヶ谷さんも死に物狂いで対処してくれるはずだ)
と、いうよりも――現時点で、『トライ・アングル』には多大な迷惑をかけてしまっているのだ。ようやくその事実に思い至った瓜子は、新たな苦悩を抱え込むことになってしまった。
しかし、そんな苦悩も番組の撮影が終わるまでのことであった。
雛壇の賑やかしという役割を終えた『トライ・アングル』のメンバーたちは、誰もが心配そうな面持ちでユーリのもとに駆けつけてくれたのである。
「大丈夫かよ、ユーリちゃん? その足、試合に影響が出たりしねえよな?」
「あの暴漢野郎は、チーム・フレアの秋代だったんだって? 逆恨みして刃物を振り回すなんざ、見下げ果てたやつだな!」
「次に何かあったら、絶対に俺たちが守ってやるからな! ま、俺たちなんかよりユーリちゃんのほうが、よっぽど頼もしいんだけどよ!」
「はいぃ。せっかくのテレビ出演だったのに、お騒がせしちゃって申し訳ないですぅ」
「それは別に、ユーリさんのせいじゃありませんよ」
「そーそー! ユーリちゃんだって、被害者だろ! 悪いのは、ぜんぶ秋代だよ!」
「それに、いい画が撮れたんじゃねぇのぉ? やっぱユーリちゃんって、トラブルをパワーに変える才能があるよなぁ」
仏頂面の山寺博人と目を泳がせている陣内征生は無言のままであったが、ユーリを責めるような気配は微塵もない。それでようやく、瓜子も胸を撫でおろすことができた。
そうして瓜子がひと息つくなり、山寺博人が頭を小突いてきたのだった。
「お前なぁ、あんなトチ狂ったやつに近づこうとするんじゃねぇよ。猪突猛進もいい加減にしとけ」
「だからお前は、気安く瓜子ちゃんを小突くなよ!」
「そうだよ! 久子ちゃんに言いつけるぞ!」
久子ちゃんとは、灰原選手のことである。タツヤとダイに左右から責めたてられて、山寺博人はげんなりした様子で溜息をつき――そして瓜子は、メンバーの全員に深々と頭を下げてみせた。
「あの、みなさん、どうもありがとうございます」
「んー? 俺たちは別に、何もしてねーぜ?」
「そうそう。ユーリちゃんは、自力で秋代をぶっ飛ばしたんだしな!」
「いえ。ここはお礼を言わせてください」
彼らは誰もが、ユーリのことを大事な仲間と認めてくれているのだ。
それは当たり前の話であり、今さら瓜子がお礼を言う筋合いではなかったのかもしれないが――それでも瓜子は、胸の奥底からわきあがってくる感謝の念を押し殺すことができなかったのだった。
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