ACT.5 live on air
01 出番待ち
三月の第四日曜日に東京公演、最終日曜日に大阪公演をやりとげて、二日後に仙台公演を控えた、四月の第一金曜日である。
その日は『トライ・アングル』にとって初めてとなる、テレビ出演の日であった。
それも地上波で、生放送の特別番組である。
これまでにもCS放送の音楽番組にユーリと漆原だけがトークゲストとして招かれたことはあったが、テレビカメラの前で演奏を披露するのはこれが初めてのことであった。
昨年、いまだ『トライ・アングル』を結成していなかった時代、ユーリと『ベイビー・アピール』のメンバーでテレビ出演することが決まっていたが、それは徳久の悪だくみによって、収録当日に中止されてしまった。言ってみれば、これは数ヶ月ごしのリベンジ戦である。また、これだけ顔と名前の売れたユーリにとっても、地上波のゴールデンタイムに出演するというのは初めての体験であったのだった。
(やっぱりまだまだ世間的には、格闘技っていうのはマイナースポーツなんだろうな)
格闘技ブームの時代には、それこそ毎月のようにゴールデンタイムに試合が放映されていた。しかし、格闘技の選手が野球やサッカーやオリンピック競技の選手のように、報道番組や情報番組に出演していたかどうか――少なくとも、瓜子の記憶には残されていない。せいぜいバラエティ番組で腕相撲か何かをさせられるぐらいで、あとはのきなみ深夜番組に限られていたような印象であった。
だからきっと、それは認知度だけではなく「格」の問題なのだろう。
たとえばボクシングの世界王者などであれば、野球やサッカーの選手と同じような扱いを受けているように感じられる。日本の国技たる相撲や、オリンピック競技である柔道なども、それは然りだ。よって、MMAに足りていないのは、スポーツとしての格式なのではないかと思われた。
MMAは、この近年でようやく世界標準と呼べるようなルールを確立された、若い競技だ。先人たちの尽力によって数多くの国々に普及されたものの、いまだボクシングのように世界的なコミッションは存在しない。いまや《アクセル・ファイト》は北米においてプロボクシングにも負けない興行成績をあげているとのことであったが、それでもやっぱり歴史の重みなどは比べるべくもなかったのだった。
「でもさ、それは日本が世界に後れを取ってるってことなんじゃねえのかな」
と、そんな持論を展開したのは、格闘技関係者ならぬリュウであった。
「俺も聞きかじりの話だけど、北米なんかでは《アクセル・ファイト》の王者とボクシングの王者で知名度の差なんてなさそうだしさ。それに、《アクセル・ファイト》で王者になったロシアやアイルランドの選手なんかは、母国で英雄扱いらしいぜ?」
「そうなんすか。それじゃあ、卯月選手あたりが《アクセル・ファイト》で王者になったら、日本の状況も少しは変わるんすかね?」
「いや。実のところ、そんな想像がつかねえんだよ。だって、日本で《アクセル・ファイト》を知ってる人間なんて、一部の格闘技ファンだけだろ? それじゃあマスコミも食いつかねえし、格闘技に興味のない人間は無関心のままなんじゃねえのかな」
リュウはドレッドヘアの先端をいじりながら、そのように言葉を重ねた。
「《JUFリターンズ》なんかは今でもちょいちょい地上波で放映されてるし、きっと視聴率だってそんなに悪くはねえんだろう。でもそれは、あくまで日本国内のお祭り騒ぎで……なんていうか、《アクセル・ファイト》のムーブメントとはまったく重ねられてないだろ? だから、MMAが世界的な競技だってことが、日本ではいまいち認知されてないって印象なんだよな」
「なるほど。自分は別に、そこまでMMAがメジャーになることを夢見てるわけじゃないんすけど……でもやっぱり、ちょっと寂しい話っすね」
「寂しいよ。日本なんかは総合格闘技発祥の地で、けっこう世界の選手からリスペクトされたりしてるのによ。肝心の日本国内では、いまだにイロモノ扱いだ。それもこれも、《JUF》がMMAをスポーツじゃなく見世物として盛り上げようとしたツケなのかもしれねえな」
「なんか、納得できました。リュウさんって、自分なんかよりよっぽど格闘技業界にお詳しいんですね」
「そんなことねえよ」と、リュウは照れた顔で笑う。
すると、ダイとタツヤが左右からリュウにのしかかってきた。
「おい! お前はいつまで瓜子ちゃんを独占してるんだよ!」
「そうだよ! お前はユーリちゃんの担当だろ!」
「だから、担当もへったくれもねえってのに。瓜子ちゃん、こいつらを何とかしてくれよ」
「あはは。ちょっと自分には難しいかもしれません」
ここは放送局の楽屋であり、メンバーたちは番組の開始を待ちかまえているところであったのだ。それでユーリが漆原から手渡されたデモ音源をイヤホンで試聴中であったため、無聊をかこった瓜子はついつい雑談にかまけてしまったのだった。
「どう? こいつはいちおう、自信作なんだよなぁ」
ユーリがイヤホンを外すと、漆原がそのように語りかけてくる。
それに対するユーリは、「はあ」と頼りなげな声を発した。
「なんといいますか……頭の弱いユーリには、いまひとつ理解が及ばないようですぅ」
「理解が及ばないって、どのへんが?」
「えーとえーと……とりあえず、ウルさんのお歌があっちゃこっちゃから聴こえてきて、何が何だか判別がつかないと申しますか……」
「あははぁ。いちおうコーラスは左右で振ったし、声にもエフェクトで違いをつけたつもりなんだけど、やっぱりわかりにくかったかぁ」
漆原はのほほんと笑いながら、ユーリからイヤホンとプレイヤーを受け取った。
「それに、歌詞もほとんどついてねえしなぁ。この段階でユーリちゃんに感想を求めるのは、ちっとばっかり酷だったかぁ」
「あうう。お力になれず、申し訳ないのです。そもそもユーリには、音楽のよしあしを判別する能力も備わっておりませんため……」
「でも、俺たちやワンドの曲は気に入ってくれてるんだろぉ?」
「もちろんでありますっ! ……ただそれも、何がどのように素晴らしいのかも言葉では説明できませんので……」
「そこまでいくと、天然じゃなくって天才だよなぁ。つくづくユーリちゃんは、歌うことだけに特化してるってわけだぁ」
すると、リュウへのお仕置きを終えたタツヤが苦笑まじりの声をあげた。
「今日はテレビで明後日はライブだってのに、新曲の打ち合わせかよ。ほんと今回は、ウルの暴走が止まんねえな」
「いやぁ、昨日の夜にやっと新曲が形になったから、テンションがあがっちまってよぉ。もう創作活動に関しては、ほとんどガス欠だなぁ」
そんな風に言いながら、漆原は正面のソファに座した『ワンド・ペイジ』の面々へと視線を巡らせた。
「そっちも聴き終わったかなぁ? よかったら、感想をもらえるぅ?」
「これは、ものすごく刺激的ですね」
と、西岡桔平が穏やかな笑みを投げ返してくる。
「このメンバーでこの曲を完成させたらどんな仕上がりになるんだろうって、身体が疼いてきちゃいましたよ。なあ?」
「は、は、はい! ぼ、僕、今すぐにでも演奏してみたいぐらいです!」
「でも、そのお人が実力を発揮できるかどうかは、歌詞次第だろ」
山寺博人がぶっきらぼうな言葉を返すと、漆原は「そうなんだよなぁ」と愉快げに微笑んだ。
「でもさぁ、メインパートの歌詞が思いつかなくてよぉ。こいつはあんたとユーリちゃんに丸投げしようと思ってたんだよなぁ」
「ほえ? ユーリが歌詞を書くだなんて、天地がひっくり返っても不可能だと思いますけれど」
ユーリがきょとんとした顔で応じると、漆原はいっそう楽しそうに笑った。
「ユーリちゃんはあれだけ俺たちの歌に感情を込められるんだから、その色っぽいカラダの中には色んな気持ちが渦巻いてるんだろぉ? それを言葉にすりゃいいだけのこったよぉ」
「いえいえいえ! ユーリなどは、おしゃべりでもとんちんかんちんな言葉を吐いてしまうのですから! どうしてウルさんやヒロ様はあんな素敵な歌詞を書けるのかと、心より尊敬たてまつっているのです!」
「うん。ユーリちゃんにそんな才能があったら、最初から歌手やら作家やらを目指してたんじゃねえのかな」
と、リュウがやわらかい表情でそのように発言した。
「たぶんユーリちゃんは、言葉にならない気持ちを抱え込んでるから、格闘技にハマったんだと思うよ。きっと脳味噌までふにゃふにゃの筋肉なんじゃねえのかな」
「あはは。それはユーリも同意ですぅ」
ユーリが無邪気な笑みをこぼすと、漆原は「そっかぁ」と頭の後ろで腕を組んだ。
「なんか、俺も納得できちまったなぁ。じゃ、あとは山寺クンにおまかせするよぉ」
「自分の曲の歌詞を、他人に丸投げかよ。そっちだってこれまでずっと、自分の曲は自分で歌詞を書きあげてきたんだろ?」
「別にいいじゃん。それぐらいしねえと、ユニットを組んだ甲斐がないんじゃねえのぉ?」
とぼけた笑みを振りまきながら、漆原はそのように言いたてた。
「だいたいさ、俺の歌詞がこの曲に合うと思うかよぉ? 俺が歌う分は俺が仕上げるとして、ユーリちゃんのパートはあんたの生々しい歌詞じゃねえとマッチしねぇだろぉ?」
「……面倒な仕事を押しつけやがって」と、山寺博人は無精にのばした髪を乱暴にひっかき回した。
「わかった。まずは家に持ち帰る。こんなもん、まずは手前で歌ってみないと始まらねえからな」
「期待してるぜぇ。俺の名曲を台無しにしないでくれよぉ?」
そうして漆原がにんまり笑ったところで、千駄ヶ谷が楽屋に舞い戻ってきた。
「本番の十五分前となりました。みなさん、撮影スタジオに移動をお願いいたします」
◇
撮影スタジオにはきらびやかなセットが組まれ、その手前には百名ばかりの観客が入れられている。瓜子と千駄ヶ谷は他の業界関係者に入り混じって、観客たちのさらに後方からセットを眺めている格好であった。
撮影スタッフがせわしなく行き来するセットの左右には、ライブ演奏のためのステージが設えられている。本日は十組ばかりのアーティストが出演するために、片方のステージで演奏がされている間に、もう片方のステージで次に演奏ずるアーティストのためのセッティングが為されるという段取りになっていた。
ちなみに『トライ・アングル』の出番は二番手であるため、右手側のステージにはすでに彼らのためのセッティングが為されている。本日の曲目は『ハダカノメガミ』なので、ドラムセットの手前には西岡桔平のカホンが準備されていた。
「生放送って、むやみに緊張しちゃいますね。ユーリさんたちは、大丈夫でしょうか?」
「『トライ・アングル』のメンバーに、緊張で調子を崩すお人はいないかと思われます」
そのように語る千駄ヶ谷もいつも通りの冷徹さであったため、緊張しているのは瓜子ひとりであるようであった。
時刻は間もなく、午後の八時となる。きっと愛音も本日ばかりは稽古を休んで、自宅のテレビにかじりついていることだろう。セット上ではADと思しき人物が拍手のタイミングなどを客席の人々に説明していた。
やがて八時ジャストになると、軽快なBGMとともに司会者たちが登場する。
観客たちは段取りの通りに拍手を打ち鳴らし、ついに番組が開始された。
女性アナウンサーの紹介で、最初の出番である女性アーティストがセットの階段から降りてくる。
次に、『トライ・アングル』の面々が姿を現すと――格段に熱気を増した歓声が爆発した。
『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』は人気の若手バンドであるが、どちらも生演奏にこだわっているため、あまりテレビ出演の機会がなかったのだ。そんな両バンドが結合した『トライ・アングル』には、大きな期待が寄せられている様子であった。
それに、客席には女性の姿しか見受けられないようであったが――ユーリに対する歓声も、山寺博人や漆原に負けていなかった。もとより女性ファンも少なくはないユーリであったが、音楽活動の場においてはいっそうその傾向が強いのかもしれなかった。
本日のユーリはやや露出を抑えて、ペイントだらけのミリタリージャケットに物販Tシャツを改造したタンクトップ、ショートデニムとミリタリーブーツという格好をしている。まあゴールデンタイムのお茶の間が相手では、タンクトップの起伏と極上の脚線美だけで十分以上であろう。試合の日から三週間近くが経過しているために右目の上の青痣もすっかり消え去って、ピンクの髪には缶バッジだらけのキャップをのせられていた。
その後もぞくぞくと本日の出演者たちが入場してきたが、瓜子が名前を知っているようなアーティストはいない。まあ、世事に疎い瓜子であるから、それは致し方のないことであろう。よって、瓜子が何を語らったところで、説得力は皆無であるのだろうが――やっぱり瓜子には、『トライ・アングル』がもっとも輝かしいオーラを纏っているように思えてならなかったのだった。
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