04 打ち上げ
無事にライブを終えたのちは、また打ち上げである。
ユーリの音楽活動が軌道に乗って以来、打ち上げの機会がずいぶん増えたように感じられる。しかし酒をたしなまない瓜子としても、この顔ぶれで行われる酒宴には何の不満も抱いてはいなかった。
今日は業界の関係者やスタッフなどが数多く集まって、五十名ていどの大人数である。そしてメンバーの後押しもあって、瓜子たちの友人である六名も参席することが許されたのだった。
「いやー、今日のライブも最高だったよ! あっという間に時間が過ぎてて、もう終わりなの? とか思っちゃった!」
酒宴が開始されるなり、灰原選手が元気いっぱいの声をほとばしらせる。
その他に参じたのは、多賀崎選手、小柴選手、サキ、理央、愛音という顔ぶれである。サキを除けば、このメンバーがもっともユーリの音楽活動に興味を寄せているということなのであろう。招待客のサキと理央以外は、みんな自力でチケットを購入してこの場に駆けつけてくれたのだった。
「桃園さんの歌は、本当にすごかったです。年末ライブの倍ぐらい長かったので、あのときの倍ぐらい感動した心地でした」
小柴選手が熱心にそう言いつのると、ユーリはふにゃふにゃした笑顔で「ありがとうございますぅ」と応じた。ライブ中のアクシデントからも、ようやく完全に立ち直れたようである。
千駄ヶ谷の要請で、ユーリの周囲には女子選手が寄り集まっている。今日は交流の薄い業界関係者も数多いので、千駄ヶ谷はそちらの接待に尽力しているのだ。その間、若い男性スタッフなどがユーリにちょっかいをかけてこないようにガードするのが、瓜子に与えられた使命であった。
「あとは、来週と再来週に大阪と仙台でライブなんだって? 平日はみっちりトレーニングだし、桃園たちは大変だね」
「あははぁ。でもでも最近は日曜日にもドッグ・ジムにお邪魔しておりますため、ユーリとしては物足りないぐらいなのです。ライブもカロリーを消費しますけれども、試合やお稽古ほどではありませんからねぇ」
「本当に大した体力だね。週七のトレーニングなんて、あたしには想像もつかないよ」
多賀崎選手は苦笑をしながら、ユーリのグラスに自分のグラスを合わせた。
「それにしても……ついさっきまで大歓声をあびてた人間とこうして向かい合ってるなんて、なんだか奇妙な気分だね」
「ほえ? 多賀崎選手だって、試合では大歓声をあびているではありませんかぁ」
「試合とライブは、違うんじゃないかな。特にあたしなんて、ファンのつくような選手じゃないからね。どれだけ会場が盛り上がってたって、あたし個人に歓声を送るようなお客はほとんど存在しないだろうと思うよ」
「そんなことないよ! マコっちゃんだって、ここ最近はのぼり調子じゃん!」
灰原選手が勢い込んで割り込むと、多賀崎選手は苦笑しながら手を振った。
「でも、それが厳然たる事実なんだよ。ま、あんたはあんたでファン人気が高いから、あたしの気持ちはわからないだろうね」
「何それー! なんか、納得いかないんだけど!」
「あたしはあたしなりに納得してるんだから、あんたが騒ぐ必要はないよ。……でも、そうだなぁ。あたしがそんな風に思うようになったのは、桃園に対する反発心からだったのかもしれないね」
たちまちユーリが小さくなりかけると、多賀崎選手は笑いながら「違う違う」と言葉を重ねた。
「今のあんたじゃなく、連敗記録を更新してた頃のあんたさ。あの頃のあんたは全然勝てないのに人気者だったから、あたしはいっそう意固地になっちゃったんだよ。あたしは人気者になりたくて格闘技をやってるんじゃない、ただ格闘技が好きで、試合に勝ちたいだけなんだ、ってさ」
「そりゃーあたしだって、あの頃のピンク頭にはムカついてたけど! ……でもそれは、運営の連中が結果を出せないやつをひいきしてたからなんだよね。あたしだってその頃は全然勝てなかったけど、バニーの衣装でそれなりに人気はあったから……ひょっとして、マコっちゃんはあたしにもムカついてたの?」
今度は灰原選手が不安そうな顔になってしまい、多賀崎選手は「なんだよ、もう」と頭をかいた。
「どうしてみんなして、あたしなんかの言葉に一喜一憂してんのさ。あたしなんかの戯れ言は気にしないで、どっしりかまえてりゃいいでしょ?」
「いや、多賀崎選手の言葉には重みがありますからね。ユーリさんも灰原選手も、それは不安になっちゃうと思いますよ」
瓜子がそのように発言すると、小柴選手も「そうですよ!」と身を乗り出した。
「わたしだって大した結果を残せていないのに、年末の人気投票ではベストテンにランクインしてしまいました。もしかして……わたしも多賀崎選手に軽蔑されてしまっているのでしょうか?」
「だから、誰のことも軽蔑してないってば! 昔の桃園に反感を持ってたのは、きっとロクに稽古もしてないんだろうなと思ってたからなんだよ。桃園って、見た目からして全然筋肉がついてるように見えなかったからさ」
多賀崎選手は一同の不安をなだめるように、穏やかな表情で言いつのった。
「今はみんながどれだけ真剣にトレーニングを積んでるか、この目で見届けてるからね。あとはもう、外見なんて持って生まれたもんだし、試合衣装やキャラ作りなんかは趣味の問題でしょ。見た目で人気が出ようと出まいと、格闘技に真剣に向き合ってる限り、あたしが軽蔑する理由なんてありゃしないさ」
「なるほど。自分も完全に同意見です。自分もプレスマンに入門するまでは、ユーリさんのことを軽蔑したおしてましたからね」
「うにゃー! それはまぎれもなく事実なのでありましょうけれども、にゃんだか古傷をえぐられるような心地なのです!」
「それは自分の誤解だったんすから、古傷でも何でもないっすよ。……それにきっと、多賀崎選手もいずれ他人事じゃなくなるんじゃないっすかね」
「ん? それはどういう意味かな?」
「多賀崎選手は沖選手を相手に、豪快なKO勝ちを決めてみせたじゃないっすか。この調子でいったら、ぐんぐんファンがついていくと思いますよ」
「そーそー! マコっちゃんだって、男前なんだから! きっと今でも、女のファンはついてるはずだよ!」
「あんたはそれで、ほめてるつもりなんだろうね。好きでごつい顔に生まれついたんじゃないっての」
多賀崎選手は苦笑しながら、無言でビールをあおるサキに向きなおった。
「そういえば、サキなんかはアトミック随一の男前なんて言われてたね。こんな美人なのに、言動がやたらと荒っぽいせいでさ」
「うるせーなー。低能まるだしの井戸端会議に、アタシを巻き込むんじゃねーよ」
「あんた、ほんっと口が悪いよね! あたしやマコっちゃんは年上なんだから、少しは敬ったら?」
「ババア自慢も間に合ってるよ。いきりたつと、小じわが増えるぞ」
灰原選手は「むぎぎ」と歯ぎしりしてから、にこにこと微笑んでいる理央に向きなおった。
「理央ぽん! 妹分だか何だか知らないけど、こいつの性格の悪さだけは、ぜーったいに見ならっちゃダメだからね!」
「あい」
「あいじゃねーんだよ、このタコスケ」
そうしてサキが理央の短い髪をひっかき回したところで、しばらく余所で騒いでいたタツヤとダイとリュウが近づいてきた。
「よー! そろそろ俺たちも、女子成分を補給させてもらえる?」
「おー、来なよ来なよ! 今日の主役は、あんたたちなんだからさ!」
灰原選手は年末の忘年会以来、すっかり彼らと意気投合していた。おたがい社交性は豊かであるし、年齢もおおよそ同世代であるのだ。
「あらためまして、お疲れ様! 今日のライブは、ほんとにサイコーだったねー! 年末のライブとも比較にならないぐらいだったよ!」
「この三ヶ月、やれることはやってきたからな! 去年までは出たとこ勝負だったけど、しっかり準備すればこんなもんよ!」
「うん、すごいすごい! 八人もいるのに、全員が取り換えのきかない感じだもんね! これじゃあ逆に、それぞれのバンドに戻ったときに物足りなくなっちゃうんじゃない?」
「いやいや! 人数が少ないなら少ないで、やりがいは増えるもんだからな! この人数だと、音量や音数を遠慮しなけりゃいけないことも多いからさ!」
「へー! 今度はあんたたちのライブも観にいってみようかな!」
そうしてひとしきり騒いでから、灰原選手は周囲を見回した。
「ところで、今日もあんたたちのヴォーカルはこっちに近づいてこようとしないね。もしかして、部外者のあたしらをウザがってる?」
「そんなことねえよ! ウルなんて、俺たち以上に女好きだからな!」
「ああ。だけど今は、ひとりの女性に夢中みたいだし……それより何より、音楽のことで頭がいっぱいみたいなんだよな」
と、リュウが座敷の片隅へと視線を飛ばす。漆原は、西岡桔平や『トライ・アングル』の運営陣と何やら真剣に語らっている様子であった。
「なんか、作り途中の曲をお蔵入りにして、まっさらな新曲をセカンドシングルに仕上げたいんだってよ。ユーリちゃんの歌やワンドの演奏に触発されて、創作意欲が暴走してるっぽいな」
「ふーん? それって、いいことなの?」
「ああ。もともとウルは、曲作りに関してムラッ気があるからな。歌や演奏は、機械みたいに正確なのによ」
「そうそう。前に暴走したときなんかも、すげえ新曲を仕上げてきたもんな。だから今回も期待できるんじゃねえかな」
そんな風に語るタツヤたちは、子供のように自慢げにしていた。
すると、多賀崎選手が「いいですね」と笑顔で発言する。
「なんか、みなさんの仲の良さが伝わってきます。だから、あんなにすごいライブができるんでしょうね」
「はは。それを言ったら、そっちもみんな仲良しじゃん?」
「そうそう。別々のジムの選手が入り混じってるなんて思えないぐらいだよ。格闘技なんて個人競技なのに、そんなに団結できるもんなんだね」
「個人競技だから、なおさら一緒に頑張れる仲間が大切なのかもしれません。あたしもこいつが入門するまでは、今ほど熱心じゃありませんでしたしね」
と、多賀崎選手が親指で灰原選手を指し示すと――灰原選手はきょとんとしたのち、いきなりぽろぽろと涙をこぼし始めてしまった。
「なんだよ、もー! そんな下げたり上げたりされたら、こっちの気持ちが追いつかないじゃん!」
「何も泣くことはないでしょうよ。ていうか、さっきの話をまだ気にしてたのかい?」
「うっさいよー! マコっちゃんの、女たらし!」
灰原選手は珍しくも、多賀崎選手に抱きついた。多賀崎選手は困った顔で笑い、そんな二人の姿にタツヤたちも笑う。何だか今日は、いつも以上に騒がしくて、いつも以上に和やかな打ち上げであった。
と――そこに今度は、山寺博人が単身でやってくる。
しかも彼は真っ直ぐ瓜子のもとにやってきて、座りもせずに傲然と見下ろしてきたのだった。
「おい。ちょっと話があるんだけど」
「待て待て。瓜子ちゃんに、なんの話だよ?」
「そうだよ! 瓜子ちゃんとユーリちゃんには、恋愛禁止だぞ!」
すかさずタツヤやダイがわめきたてると、山寺博人は「うるせえなぁ」と頭をかき回した。
「そんなしょうもねえ話じゃねえよ。五分もかからないから、ちょっと顔を貸せ」
それだけ言い捨てて、山寺博人はさっさときびすを返してしまった。
さっぱり事情はわからないが、相手は山寺博人である。瓜子は困惑する気持ちをねじ伏せつつ、愛音のほうを振り返った。
「すみません、ちょっと行ってきます。ユーリさんのガードはお願いしますね」
「言われるまでもないのです! 何人たりとも、ユーリ様には近づけないのです!」
瓜子はユーリやタツヤたちにもうなずきかけてから、山寺博人の後を追った。
山寺博人は座敷の隅で、壁にもたれて座り込んでいる。瓜子がその正面に膝を折ろうとすると、指先で招き寄せられた。
「他の連中に聞かれたくねえんだ。もっとこっちに来いよ」
「そうっすか。あんまり近づくと、タツヤさんたちが乱入してきそうですけど……」
「いいから、来いって」
しかたなく、瓜子は山寺博人の隣にまで移動することにした。
タツヤやダイや灰原選手が、怖い目でこちらの様子をうかがっている。瓜子がそちらに頭を下げていると、山寺博人は唐突に語り出した。
「なあ。あのユーリって人は、もう大丈夫か?」
「え? それはあの、ライブ終わりのトラブルに関してですか?」
「それ以外に、何があるんだよ?」
山寺博人は正面を向いたままであるので、瓜子からは横顔しかうかがえない。しかしあちらは前髪の向こう側から横目で瓜子を見つめているのかもしれなかった。
「はい。ユーリさんは、もう元気いっぱいですよ。ああやって、にこにこ笑ってるでしょう?」
「あいつはいつでもへらへら笑って、本音を隠そうとするだろ。俺ていどのつきあいじゃあ、本音か建て前かわかんねえんだよ」
「そうっすか。でも、本当に大丈夫です。ユーリさんは本気で落ち込むと、笑ってごまかすこともできなくなるお人ですからね」
「そうか」と、山寺博人は深く息をついた。
「それなら、よかったよ。あいつ、本気でビビってるみたいだったからな」
「それはまあ、大事なメンバーのギターを壊しちゃったわけですからね。自分が同じ立場でも、ビビリたおしますよ」
「だけどあいつ、ライブ中はぶるぶる震えて、石みたいに固くなっちまってたんだぞ。それに全身、鳥肌まみれだったしよ。……いくら何でも、過剰反応じゃねえか?」
瓜子は思わず息を呑んでから、「いえ」と言ってみせた。
「千駄ヶ谷さんから以前にお話があった通り、ユーリさんは人に触れられるのが苦手なんです。それと申し訳なさがプラスされて、そんな反応になっちゃっただけっすよ」
「……本当に、お前の目から見ても大丈夫なんだな?」
「はい。今はもう、普段通りのユーリさんです」
「そうか」と繰り返し、山寺博人は再び息をついた。
その姿に、瓜子はむしろ山寺博人のほうが心配になってしまう。
「そこまでユーリさんのことを心配してくださるのは、とてもありがたいお話なんですけど……ヒロさんのほうこそ、大丈夫っすか?」
「あいつが大丈夫なら、俺だって大丈夫だよ」
山寺博人は立てた膝に頬杖をついて、さらに低い声で言葉を重ねた。
「あんな騒ぎでこのユニットが潰れちまったら、他の連中にも顔向けできねえからな。……畜生め。ぶつかってきたのはあいつのほうなのに、なんで俺がこんな気分を抱えこまなきゃいけねえんだよ」
「す、すみません。どうかお気になさらないでください」
「……なんでお前が、俺に謝らなきゃいけねえんだよ」
「だって、ここにいるのは自分だけですし……自分を呼び出したのは、ヒロさんのほうでしょう?」
「お前だったら、あいつの本音をきちんと語ってくれると思ったんだよ」
山寺博人のそんな言葉が、思わぬ勢いで瓜子の胸に食い入ってきた。
それで瓜子がつい微笑をこぼしてしまうと、山寺博人が「なに笑ってんだよ」と不機嫌そうな声をぶつけてくる。
「あ、すみません。ヒロさんに信用してもらえたことが、嬉しかっただけっすよ」
「信用もへったくれもあるかよ。お前ぐらい嘘の下手な人間はいないってだけの話だろ」
「そうっすね」と、瓜子はさらに笑ってみせた。
「とにかく、ユーリさんは大丈夫です。というか、ヒロさんがユーリさんを責めたりしなかったから、すぐに立ち直ることができたんすよ。だからこれは、ヒロさんのおかげです」
「ふん。あんなボロギターを壊されたぐらいで、目くじらを立ててられるかよ」
「でもあのギターは、ファーストアルバムの頃から使ってたでしょう? 本当に買い替えちゃうんすか?」
正面を向いていた山寺博人が、瓜子のほうに向きなおってくる。
その理由を悟った瓜子は、思わず赤面してしまう。
「あ、いや、ファーストアルバムのジャケットにあのギターが写ってることを覚えてただけっすよ。自分には、ギターの音の区別なんてつきませんし……」
「……お前、マジで俺たちのファンだったんだな」
「そ、そうっすよ? 何か問題でもありますか?」
瓜子はついつい、挑むような口調になってしまう。
それに対して、山寺博人は落ち着いた声を返してきた。
「……あのボロギターはもうトラスロッドが回せなくて、ネックの反りを直せねえんだ。もともと中古の安物だから、トラスロッドを交換するぐらいなら買い換えたほうが安上がりなんだよ」
「そ、そうっすか。専門的なことはよくわかりませんけど……またいいギターに巡りあえるといいっすね」
山寺博人は、三たび深々と溜息をついた。
「なんか、お前と話してると調子が狂うわ。くだらねえことで悩んでた自分が、馬鹿みてえだな」
「な、なんすか、人を呼びつけておいて! お話が終わったんなら、失礼しますよ!」
瓜子が猛然と身を起こすと、山寺博人が手首をつかんできた。
「悪い。感謝してる。お前のおかげで、助かった」
「……そんなこと言われたら、こっちの調子が狂っちゃいますよ」
長年の憧れであった人物に手をつかまれても、瓜子の心臓は騒いだりしない。その結果に満足しながら、瓜子はもういっぺん山寺博人に笑いかけてみせた。
「ところで、タツヤさんたちがすごい目でにらみつけてますよ。こんなことで、大事なメンバーさんたちと喧嘩しないでくださいね?」
「ふん。喧嘩になったら、どこかのお人好しが止めてくれるだろ」
山寺博人はほんの一瞬だけ白い歯をこぼして、瓜子の手首をふわりと手放した。
瓜子はもう一度そちらに笑いかけてから、ユーリたちのもとに戻ることにした。
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