02 前半戦
開演時間から十分ほどが過ぎた頃、ユーリを除く七名のメンバーがステージへと進軍した。
アラビアの民族音楽めいたSEが流される中、客席には歓声が吹き荒れる。
一万名もの観客が集まった年末イベントとは比べるべくもないが、それでも三千名である。舞台袖で見守る瓜子のもとにも、まったく不足のない歓声と熱気が届けられていた。
こちらの会場にも個別の客席は存在しないため、三千名からの観客たちが人の波と化してステージのすぐ手前まで押し寄せている。サキと理央を含む招待客たちは、壁に沿って設えられた二階席からのんびりとステージを見下ろしているはずであった。
メンバーたちは客席に吹き荒れる熱狂もどこ吹く風で、淡々と楽器のセッティングを始めている。
今回のライブから採用された、特別仕立てのステージである。その場には二台のドラムセットと、さらにパーカッションのセットまで準備されていた。
ベースアンプは二台、ギターアンプは三台で、上手から、陣内征生、山寺博人、ドラムとパーカッションのセットをはさんで、漆原、リュウ、タツヤ、という並びになっている。これまでもアンコールなどで全メンバーが居揃うことはあったが、今回からはそれがスタンダードの形とされていた。
最初の曲では、西岡桔平とダイもそれぞれのドラムセットに陣取っている。上手に『ワンド・ペイジ』、下手に『ベイビー・アピール』が固まった配置であったため、ステージ衣装の方向性の違いもそれほど気にはならないはずであった。
舞台袖に控えたユーリは、うきうきとした面持ちで屈伸運動をしている。
そんな中、目配せでタイミングを合わせたダイと西岡桔平が同時にスネアを叩き、それに合わせて五名の弦楽器部隊も派手に演奏をかき鳴らした。
SEの音は断ち切られ、歓声はいよいよ勢いを増していく。
そんな中、リュウが『ピーチ☆ストーム』のイントロをタッピングで奏で始めた。
所定のタイミングですべての楽器が同時に音をかぶせ――瓜子と拳をタッチさせたユーリが、ステージの真ん中に躍り出る。それでさらなる歓声が爆発した。
『こんばんはぁ! 「トライ・アングル」でぇす! 一曲目、「ピーチ☆ストーム」!』
そうして、その日のライブは開始された。
およそ三ヶ月ぶりのライブであるが、ユーリたちの勢いはまったく減じていない。いや、その三ヶ月の間に蓄積したエネルギーと、この日のために施された楽曲のアレンジによって、これまで以上の勢いが生まれているぐらいであった。
この曲でリズムの主導権を握っているのは、ダイだ。西岡桔平はそれを追いかけつつ、ときたまダイとは異なるシンバルやタムを鳴らすことで、さらなる彩りを添えているようであった。
あとのアレンジはこれまでと同一であったが、彼らはこの三ヶ月間でスタジオ練習を重ねたため、クオリティが格段に増している。西岡桔平のパーカッシブなドラムばかりでなく、山寺博人の荒々しいギターと陣内征生の流麗なるアップライトベースも、『ベイビー・アピール』を基調にした楽曲のアレンジに新たなダイナミズムを加えているように感じられた。
彼らが目指していたのは、二つのバンドのサウンドの融合であったのだ。
二つのバンドが個々にユーリの歌の伴奏を務めるのではなく、『トライ・アングル』として八名全員がひとつの楽曲を構築できるようにと、そんな思いでアレンジを施し、練習を重ねてきたのである。
ずぶの素人である瓜子にも、彼らが正しい進化を遂げていることが体感できていた。
きっとユーリも、それは同様であるのだろう。類い稀なる歌唱力を持ちながら、音楽的な知識をほとんど持ち合わせていないユーリは、それを肉体で理解して、力に変えているように見えた。
そうしてステージ上のメンバーが素晴らしいパフォーマンスを見せることで、客席の熱狂度も上昇する。
格闘技の試合においてもそういう相乗効果は見受けられるものであるが、ロックバンドのライブというものはそれがよりダイレクトであるようであった。
ひそかに胸を高鳴らせる瓜子の眼前で、『ピーチ☆ストーム』はあっという間に終了する。
立て続けに開始されたのは、『ベイビー・アピール』のアップテンポの楽曲、『境界線』であった。
『ベイビー・アピール』は普段通りの調子で演奏を奏で、陣内征生が弓を使った流麗なる音色を重ねる。そして西岡桔平は悠然たる挙動でパーカッションのセットへと移動し、山寺博人はギターをエレアコに持ち替えた。そうしてAメロに入る頃、両名も演奏に参加するのだ。
アップライトベースとパーカッションとエレアコギターの音色によって、『ベイビー・アピール』のエレクトリックな演奏により生々しい肉付けがされたように感じられる。
さらにサビでは、漆原ではなく山寺博人がハモりのコーラスを担当した。
ユーリと山寺博人の歌声が絡み合い、いっそうの迫力が形成される。
もともとは『ベイビー・アピール』の四名で完成された楽曲が、八名がかりでさらなる魅力を引き出されたのだ。『ベイビー・アピール』単独のファンであった人々も、きっとこのアレンジに文句を言うことはないだろう。これが気に食わないというのなら、それこそ『ベイビー・アピール』単体のライブで堪能してもらうしかなかった。
『どうもありがとうございましたぁ。あらためまして、「トライ・アングル」でぇす』
二曲目を終えたところで、ユーリがのほほんと挨拶の声をあげる。
歌っている間はとてつもない躍動感を見せつけながら、合間のMCではまったくそのテンションを持ち越さないのが、ユーリのユーリらしい特徴であった。
『今日は「トライ・アングル」としての、初めての単独ライブというやつなのですよねぇ。みなさん、楽しんでらっしゃいますかぁ?』
地鳴りのごとき声援が、ユーリの呼びかけに応えてくれた。
ユーリはにこにこと笑いながら、『ありがとうございまぁす』と一礼する。
『最後まで楽しんでもらえるように、ユーリたちも頑張りまぁす。ではでは準備もできたようですので、次の曲……ふわふわ楽しい、「ジェリーフィッシュ」でぇす』
ユーリが語っている間に、西岡桔平はドラムセットに舞い戻り、今度はダイがパーカッションのセットに陣取っている。そうして山寺博人がエレアコのままギターを奏でると、リュウと漆原がエレキギターの旋律を重ねた。
タツヤは原曲には存在しない重低音のベースを響かせ、陣内征生はバイオリンのような高音で軽妙なる音色を紡ぐ。こうして『ワンド・ペイジ』の楽曲に関しても、演奏陣の全員が参加できるアレンジが施されているのだった。
デジタルなエフェクターをかけまくったリュウの音色は、普段とまた一風異なる浮遊感をこの曲に与えている。
漆原はもともと山寺博人が弾いていたフレーズを踏襲しつつ、細かい部分で彼らしい粘ついた音色を差し込んでいた。
演奏する人間の数が倍以上に増えたため、静から動への移り変わりもいっそう強調されるようである。
『ワンド・ペイジ』のファンであった瓜子にも、まったく不満のないアレンジであった。
その後は西岡桔平のドラムを主導にしたまま、ユーリのサードシングルたる『ハッピー☆ウェーブ』まで突入し、それで第一幕の終了であった。
ただし、ここで退くのはユーリのみである。ユーリが手を振りながら退場すると、観客に不満の声をあげる間隙も与えず、『ベイビー・アピール』が彼らの持ち曲を披露した。そして、それを歌うのが山寺博人であったものだから、観客たちはユーリの不在を嘆くことなく新たな熱狂に包み込まれたのだった。
「お疲れ様です。時間にゆとりはありますが、まずは着替えとメイク直しを済ませてからおくつろぎください」
千駄ヶ谷の呼びかけに、ユーリは「はぁい」と応じつつ瓜子に向きなおってきた。
「でもでもうり坊ちゃんとしては、ヒロ様の熱唱を聞き届けたたいところですわよねぇ。その怒りの矛先がユーリに向けられないか、いささか心配なところですわん」
「いいんすよ。仕事なんすから」
瓜子はぞんぶんに後ろ髪を引かれつつ、ユーリを楽屋へと先導した。
本日は二回のアンコールまで見越して全二十曲が準備されていたが、ユーリが歌唱を習得できたのは十二曲のみである。よって、ユーリは出番を三回に分けて、合間にこうしたインターバルを入れることになったのだ。『トライ・アングル・プロローグ』でも似たような措置が取られていたが、今回はユーリのいない時間にもさまざまな趣向が凝らされているため、観客たちはいっそうの満足感を得られるはずであった。
「ゆくゆくは、ユーリ選手がすべての歌唱を受け持つのが理想的かとは思いますが……その反面、山寺氏や漆原氏の歌唱を期待する人々には、こういった趣向にもご満足いただけることでしょう。今後の方針に関しては、運営陣とメンバー間で入念に協議を重ねて決めていきたく思っています」
ユーリが着替えをしている間、千駄ヶ谷は冷徹なる声音でそのようにのたまわっていた。副業の業務において自己主張の少ないユーリは、「はぁい」と笑顔で応じるばかりである。
「ユーリにはさっぱりわからんちんですので、すべてご指示に従いまぁす。そりゃあお客さんたちだって、ユーリばっかり歌っていたら飽き飽きしてしまいますもんねぇ」
「ユーリ選手の歌に飽きるなどということはありえないかと思われますが、こうしてヴォーカルの担当を変更できるのも『トライ・アングル』の強みでありましょう。また、ユーリ選手が不在である時間を設けることによって、いっそうおたがいの魅力を際立たせる効果も期待できるかと思われます」
そんな言葉を交わしている間に、ユーリの着替えが完了した。
これまでのステージ衣装とはぐっと趣の異なる、ワインレッドのドレスである。胸もとは谷間が露出するぐらいV字に切れ込んでおり、足もとにも大きなスリットが入っているため、色香のほどが尋常でない。これは妖艶なる楽曲、『アルファロメオ』のイメージから選ばれたステージ衣装であった。
ピンクの眼帯も外されて、代わりに黒いヴェールで右目を覆い、大きなつばの波打つハットを斜めにかぶせられる。おまけに足もとは黒いピンヒールで、ちょっとレトロな悪い貴婦人のような仕上がりであった。
「うふふ。こういうアダルティなお洋服も、たまにはいいものですわねぇ」
ユーリは満足げに微笑みながら、姿見の前でふわりとターンを切った。
「ではでは、舞台袖に参りましょう! まだヒロ様が歌っておられたなら、うり坊ちゃんの怒りも軽減されるはず!」
「だから、怒ってませんってば!」
そうして舞台袖に戻ってみると、山寺博人ではなく漆原が歌っていた。山寺博人が『ベイビー・アピール』の曲を歌うという趣向は二曲のみであったので、まあ当然の結果であろう。瓜子はユーリに冷やかされないように、無念の思いを懸命に吞み下すばかりであった。
ただし、漆原が歌っているのは、『ワンド・ペイジ』の曲である。これは『ワンド・ペイジ』の持ち曲を『ベイビー・アピール』がカバーした楽曲であったのだった。
『トライ・アングル・プロローグ』においても似たような趣向はお披露目されていたが、ただし今回は『ベイビー・アピール』が主体となった演奏に、『ワンド・ペイジ』の面々も加わっている。これこそが、ユニットバンドたる『トライ・アングル』の強みであろう。こんなアレンジは、『トライ・アングル』のライブでしか実現し得ないのであった。
そうして漆原が二曲を歌いあげたならば、第三幕。ユーリの再登場である。
リュウが重々しい『アルファロメオ』のイントロを奏で、陣内征生がそこに不協和音すれすれのヒステリックな音色を重ねると、また歓声が爆発した。
ユーリは瓜子と拳をタッチさせてから、しゃなりしゃなりとステージの中央に進み出る。言動は子供じみているユーリでも、モデルとして大人っぽく振る舞うことはお手の物であるのだ。
そうしてユーリは妖しい色香に満ち満ちた歌声で『アルファロメオ』を歌い上げ――この日のライブも、中盤戦に突入したのだった。
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