ACT.4 Record release live
01 開演前
《アトミック・ガールズ》三月大会から、一週間後――三月の第四日曜日である。
その日がついに、『トライ・アングル』の記念すべきレコ発ライブ東京公演の当日であった。
ユーリのダメージも問題なかったので、『トライ・アングル』は公演を延期することなく、この日を迎えることがかなったのだ。瓜子は直接目にしていないが、各関係者は心の底から安堵の息をついていたはずであった。
会場は、『ツェペリ東京』なるコンサートホールである。
収容人数は三千名ほどで、ロックバンドにとっては定番の会場であるらしい。ユーリのソロ活動時代を含めて単独の公演としては最大規模の会場であったが、チケットは問題なく完売したとの話であった。
『トライ・アングル』としてはこれが正式なデビューライブとなるため、運営陣もこれまで以上に気合が入っている。物販のグッズもこの日のために一新され、その品揃えもこれまでとは比較にならない豪華さであった。
「Tシャツは三種類でカラーリングがそれぞれ二種類ずつ、ポスターにスポーツタオルにキーホルダーに缶バッジに、ドリンクホルダーにマグカップにエコバッグに……これは、にゃんだろう? お財布のような形でありますけれども」
「それはスマホケースらしいっすよ。ガラケーの自分たちには無用の長物っすね」
物販グッズのサンプル品が届けられた日には、ユーリとそんなやりとりを交わすことになった。
ポスターとピンナップの作製だけでいっぱいいっぱいであったパラス=アテナとは、比べるべくもない豪華さである。これもすべては、デビューシングルとライブDVDの売れ行きが好調であったがゆえなのであろう。二つの音楽事務所とスターゲイトで形成された運営陣も、『トライ・アングル』には大きな期待をかけてくれているようであった。
ただ一点だけ、今回は不測の事態を迎えていた。
一週間前の試合で負ったユーリの顔の負傷が、完治しなかったのである。
「お医者様のお話によると、前回と同じ場所の負傷であったがゆえに、治りが遅いのかもとのことでしたぁ。でもでも、ユーリは元気いっぱいですよん」
完治しなかったのは、右目の上に負った打撲傷であった。青紫色に内出血しているばかりでなく、腫れも完全には引ききらず、まぶたのほうまで多少ながら圧迫されてしまっていたのである。
協議の末、ユーリはジャケット撮影でも使用されたピンク色の派手派手しい眼帯を装着してライブに臨むことになった。
ユーリは歌そのものできちんと勝負できているのだから、視界をふさいでまで傷を隠さなくてもいいのではないかという意見もあったようなのだが――それでもやっぱり、卓越したビジュアルを最大限に活かすべきであるという意見のほうがまさったようであった。
「どっちみち、ユーリは両目を開いてると、ステージの豪華ケンランな照明によって頭がクラクラしちゃうことがあるのですよねぇ。もしかしたら、片目のほうが楽なぐらいかもしれないですぅ」
と、ユーリは前向きな姿勢で運営陣の決定を受け止めていた。
幸いなことに、極端に視力が弱いのは右目のほうであったのだ。これが逆の目であったのなら、安全面の問題から眼帯のアイディアは却下されていたのかもしれなかった。
そうして不測の事態をも乗り越えて、ユーリたちはこの日を迎えることになった。
遅刻常習犯の山寺博人もあくびを噛み殺しながら定刻に参上し、リハーサルも無事にやりとげることができた。歌も演奏も完璧で、眼帯の着用も何ら問題はないようであった。
「昨日の通しリハから思ってましたけど、どの曲もアレンジが無茶苦茶カッコよかったっすね。年末のライブから三ヶ月しか経ってないのに、こんな様変わりしてるとは夢にも思っていませんでした」
瓜子がついつい内心の昂揚をこぼしてしまうと、タツヤが「だろ?」と嬉しそうに笑った。
「本当は瓜子ちゃんにも、本番でサプライズしたかったんだけどさ。まあ、こればっかりはしかたないよな」
「はい。お客さんも、びっくりするでしょうね。……こんなにアレンジに手を加えるのって、さぞかし大変だったんでしょう?」
「俺なんかは基本のベースを弾くだけなんで、そうでもなかったけどな。やっぱ一番大変だったのは、ドラム連中だったと思うよ」
「そうそう! ワンドの連中にパーカッションで割り込むのは、ひと苦労だったよ! かといって、ツインドラムばっかりじゃ面白みがないしさ! でもまあ苦労に見合った成果が出てるだろ?」
「はい。どの曲もみんなカッコよかったです」
瓜子が素直に感想を伝えると、タツヤもダイも心から嬉しそうな顔をしてくれた。
そうしてリハーサルを終えたならば、メイクとお着換えの時間である。
この会場には小さな個室の楽屋が存在したので、そこがユーリ専用の控え室と定められた。メイク係も衣装係もこれまで以上の大規模なイベントで、意気も揚々であるようだ。
ユーリに最初に与えられたのは、デビューシングルのジャケットと同一の衣装であった。どうせ眼帯をつけるならばと、こちらが採用されたのだそうだ。
ショッキングピンクのハーフトップ、ワッペンだらけのワークジャケット、ダメージだらけのショートデニム、そして古びたエンジニアブーツという、ワイルドかつ色気たっぷりのコスチュームである。シングルのジャケットにおいては椅子に座っていたため判然としなかったが、こちらのショートデニムは本来の生地が三十パーセントぐらいも失われており、とてつもない露出度であったのだ。そうしてあちこちの隙間からは、ハーフトップと同じ色合いをしたビキニと白い肌が垣間見えるという寸法であった。
そうして着替えを済ませたユーリがユニットメンバーの楽屋に乗り込むと、盛大な歓声で迎えられる。これももはや、ライブの日の定例行事であった。
「穴だらけのショートパンツとビキニの重ね着って、ビキニ単体よりエロいよな! 衣装を準備した人間も、よくわかってるよ!」
「うんうん! せっかくのライブなんだから、やっぱり色気も武器にしないとな!」
ユーリが色気たっぷりの衣装を纏うことに反対するメンバーはいないようである。せいぜいが、陣内征生が派手に目を泳がせるぐらいのものであった。
「まあ、これが猪狩さんだったら、ヒロは集中を乱されて大変だったんだろうけどな」
西岡桔平がそんな軽口を叩くものだから、山寺博人は「うるせえよ」と怒った声をあげ、瓜子は赤面することに相成った。
ともあれ、ライブの開始が迫っても、緊張をあらわにする人間はいない。『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』は外見も人柄も音楽の方向性もバラバラであったが、自然体でライブに臨むというただ一点だけは共通していたのだった。
「ところで、今日は誰と誰が観にきてくれるんだっけ?」
ダイがそのように問いかけてきたので、瓜子が「えーと」と思案することになった。
「普通に来場してくれるのは、邑崎さん、灰原選手、多賀崎選手、小柴選手の四人っすね。あとは千駄ヶ谷さんのお許しをもらって、サキさんと理央さんを関係者枠の特別席に招待させていただきました」
「ああ、松葉杖だとオールスタンディングは大変そうだもんな。年末のイベントでも、危なくないように隅っこで観てたんだろ?」
「はい。血縁者でもないのに招待を許していただけて、本当に感謝しています」
「別に、血縁者に限るってルールがあるわけでもないだろ。うちらだって、事務所の関係者を呼んでるはずだしさ」
しかし、業界の関係者ならぬ人間を招待するユニットメンバーは、他に存在しない。余所のバンドでは家族や恋人や友人を招待する人間も多いようであるのだが、『ワンド・ペイジ』や『ベイビー・アピール』はそういった行いをつつしんでいるのだ。ダイの恋人でさえ、友人と一緒にチケットを購入して来場しているのだという話であった。
「うちは下の子が来場できるぐらいの年齢になったら、家族をまとめて招待するつもりですよ。上の子が大きくなったとたん下の子ができちゃったんで、女房もすっかりライブはご無沙汰です」
と、西岡桔平は笑顔でそんな風に語らっていた。
いっぽう山寺博人などは結婚そのものを秘匿しているため、招待のしようもないのだろう。その人物がタツヤの恋人と同じようにチケットを買って来場しているかどうかも不明であったし、瓜子もそのような話を勘ぐるつもりはなかった。
(別にアイドルじゃないんだから、本来は結婚を隠す必要もないわけだからな。それでも隠してるってことは、何かそれなりの事情があるってことだ)
瓜子がそんな想念にとらわれている間にも、開演時間は刻々と迫っている。ユーリはワークジャケットを脱いでウォームアップを始めており、また一部の男性陣に歓声をあげさせていた。
今回のレコ発ライブというものは、東京、大阪、仙台と、三公演が決定している。さらにその後にもう一本、東京で二回目の公演を行うために会場をおさえているのだが、そちらは追加公演という名目でのちのち発表されるらしい。
ともあれ、それらはいずれも日曜日の公演であったため、ドッグ・ジムに通う機会が激減してしまい、犬飼京菜がたいそう立腹していたものだ。しかしこれでも多忙なユニットメンバーのために、ずいぶんライブ本数を絞っているのである。なおかつ、ユーリはモデル活動を縮小すればいくらでも時間を作れる立場であったため、本当に多忙であるのは『ワンド・ペイジ』と『ベイビー・アピール』のメンバーたちであったのだった。
(『ワンド・ペイジ』は今月の頭まで全国ツアーで、『ベイビー・アピール』はこれからニューアルバムのレコーディングだって話だもんな。そんな忙しい中、『トライ・アングル』の活動も頑張ってくれてるんだ)
来月の頭には、ついに地上波の音楽番組にも出演が決定されている。なるべく期間を空けずにセカンドシングルを作製しようという話もあがっているし――彼らの尽力が最大限に報われることを、瓜子は切に願っていた。
「開演十分前になりました。スタンバイをお願いします」
スタッフの声に従って、メンバーたちはのんびりと出陣の準備を整える。
そこで瓜子は、ウォームアップを終えたユーリに呼びかけることになった。
「ユーリさん、例のアレはどうします?」
「あ、やるやるー! せっかく持ってきたんだからね!」
「やるって、何を?」と、リュウが興味深そうに顔を寄せてきた。
「いや、実はキックミットを持参したんすよ。ライブ前と試合前って雰囲気が似てるから、ミットを蹴ったらいっそう気合が入るんじゃないかっていう話になったもので」
「へえ! そいつは是非とも拝見したいもんだな!」
そんなわけで、瓜子がユーリの控え室からキックミットを運んでくると、廊下にはユニットメンバーが見物人として勢ぞろいしてしまった。
「ただ問題は、自分がどこまでユーリさんの破壊力に耐えられるかなんすよね」
瓜子は膝のクッションをきかせつつ、ぐっと腰を落としてみせた。
ユーリは嬉々としてエンジニアブーツを脱ぎ捨て、キックミットを構えた瓜子の前に立つ。
「そんな本気で蹴らないから、大丈夫だよぉ。でもでも、お手々がしんどくなったら、すぐに言ってねぇ?」
「押忍。いつでもどうぞ」
ユーリは笑顔で「はぁい」と応じるや、白く肉感的な右足を振り上げた。
バシンッと鋭い音色が響き、瓜子の両腕にとてつもない衝撃が走り抜ける。そして、見物人の何名かがどよめきをあげた。
さらにユーリは、連続で三発のミドルキックを射出する。
飽くなき反復練習で完成されたユーリの打撃技は、きわめてフォームが美しい。その美しさと力強さが、人々にいっそうのどよめきをあげさせた。
「うーん、気持ちよし! お次はコンビネーションもお願いできますかしらん?」
「自分はそんな、ミットも得意じゃないんすよ。ワンツーと左ミドルぐらいでお願いします」
「了解でぇす」
縦に構えた左右のミットでユーリの左ジャブと右ストレートを受け、最後は角度を調整して左ミドルの衝撃に耐える。
その時点で、ダイが「すげえすげえ!」と声をあげた。
「MVの撮影もすごかったけど、あれは空振りの応酬だったもんな! そんなキックをまともにくらったら、アバラが折れちまいそうだよ!」
「本当にな。俺も知り合いのジムを覗かせてもらったことがあるけど……野郎の選手に負けてない迫力だよ」
リュウも、感服しきった様子で息をついている。
「できれば俺もその破壊力を体感したいところだけど、ミットで受けただけでギターを弾けなくなっちまいそうだ。平気な顔をしてる瓜子ちゃんもすげえな」
「ユーリさんが、手加減してくれてますからね。これで六分ぐらいの力っすか?」
「んー、わかんにゃい! 本気の三歩手前といったぐらいでありましょうか」
「なんか、物足りなさそうっすね。一発だけでも、本気で蹴ってみます?」
「いいの?」と、ユーリは瞳を輝かせた。
瓜子は苦笑しながら、さらに深く腰を落としてみせる。
「一発ぐらいなら、耐えてみせますよ。初めてお会いした頃は吹き飛ばされちゃいましたけど、自分もあれから鍛え抜きましたからね」
「わーい! でもでも、ほんとに気をつけてね!」
ユーリはあらためて、立ち位置と足の幅を調整した。
瓜子は深く息をつき、下半身から上半身にまで力をみなぎらせる。
「どうぞ」
「いっきまぁす」
ユーリの右足が、ひゅんっと空気を切る。
次の瞬間、ミットを蹴られた衝撃が、瓜子の背骨にまで伝わってきた。
その一撃だけで、ミットに守られた両腕がびりびりと痺れるほどだ。
しかし瓜子は、なんとか耐えきってみせた。
拍手と歓声と口笛が、廊下に響きわたる。
すると、慌て顔のスタッフが飛んできた。
「さ、さっきから物凄い音がしてますけど、いったい何事ですか?」
ユーリは「てへへ」と自分の頭を小突いてから、いそいそとエンジニアブーツを履きなおした。
かくしてウォームアップは終了し、『トライ・アングル』の面々は万全の態勢でその日のライブに臨むことに相成ったのだった。
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