05 打ち上げ(下)

 そうしてしばらく食事と歓談を楽しんでいると、あちこちで席替えが開始された。

 ユーリがまだまだ食欲を満たしているさなかであったため、瓜子も同じ場に留まっていたのだが――そこに近づいてきたのは、この場でもっとも交流の薄い宗田選手であった。


「あの! 猪狩選手にご挨拶をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか!」


「あ、はい。もちろんです。今日はお疲れ様でした」


「お疲れ様でした!」と、宗田選手は満面に笑みをたたえている。彼女は灰原選手の猛攻によってなかなか痛々しい面相になっていたが、相変わらず試合の敗北にめげている様子は皆無であった。


「実はですね! わたしはしばらく、《アトミック・ガールズ》から離れる予定であるのです! それで、ご挨拶に参りました!」


「え? それじゃあ、《NEXT》や《フィスト》を主戦場にするんすか?」


「いえ! わたしはまだ、MMAに挑むのに力が足りていません! それで、武者修行することになったのです! 手始めは、《G・フォース》と柔術の大会ですね!」


 無邪気な笑みを保持したまま、宗田選手はそのように言いつのった。


「あの犬飼京菜という選手も、《G・フォース》と柔術の大会で結果を残していたでしょう? まあ、それを真似るわけではないのですけれど! とにかくわたしは、個々の技術が足りていないようですので! 立ち技と寝技をそれぞれ磨き抜くことになりました! もしも《G・フォース》のほうでお会いすることがあったら、そのときはどうぞよろしくお願いいたします!」


「柔道出身の宗田選手が、キックの試合に挑むんすか。なかなか、思い切りましたね」


「はい! それで結果を残せないようなら、わたしに柔道以外の才能がなかったということですね!」


 そんな風に語りながら、やはり宗田選手の瞳には一点の曇りもなかった。


「でもきっと、わたしの選手生活はあと何年も残されていないでしょうから! チャレンジできることには、すべてチャレンジしたいと思っています! 猪狩選手のように立派な結果を残せるように、頑張ります!」


 言いたいことを言いたいだけ言って、宗田選手は引っ込んでいった。

 瓜子は苦笑しながら、ユーリを振り返る。


「自分なんてそんなに交流もないのに、律儀なお人っすね。……ユーリさんは、ああいうお人が苦手でしょう?」


「はぁい。もしかしたら、マリア選手より苦手かもですぅ」


「自分も宗田選手は、あまり得意じゃないかもしれません。でも、ああいう熱意は、尊敬できますね」


「うんうん。ヒトとしては苦手でも、ユーリは格闘技にまつわるすべてのお人を尊敬たてまつっておりますよん」


 ユーリがふにゃんと笑ったとき、また「猪狩さん!」という元気な声が響きわたった。

 お次は、『ワンド・ペイジ』の陣内征生である。そして彼の後からは、二名のメンバーも追従していた。


「今日! あらためて! 猪狩さんが僕たちの曲を入場曲として使ってくれていることに! 感動しました! どうもありがとうございます!」


「ど、どうも、恐縮です。……でも、ユーリさんなんかは『トライ・アングル』の曲を使ってますよね?」


「それは! ユーリさんはユニットの一員ですので! それよりも! 猪狩さんが! 僕たちの曲を!」


「まあ落ち着け」と、西岡桔平が苦笑しながら陣内征生の肩を揺さぶった。


「すいませんね。生で試合を観た興奮で、いつも以上に酒が進んじゃったみたいです。……でも本当に、猪狩さんもユーリさんもすごい試合でしたよ」


「ありがとうございます。自分はユーリさんの試合を観られなかったんすけど、そっちは大激戦だったみたいっすね」


「ええ。兵藤選手の気迫が物凄かったです。……ユーリさんは、それでもまったく寄せつけなかったですけどね」


「とんでもなぁい。ユーリはこの有り様でありますしぃ」


「でも、負ける要素はゼロだったでしょう? 並の選手なら、最初の突進で潰されていたと思います」


 そんな風に言ってから、西岡桔平は瓜子にも微笑みかけてきた。


「それに、猪狩さんも……《フィスト》の王者を秒殺ですもんね。俺は我が目を疑っちゃいました」


「いえいえ。あれは相手が勝手に自爆しただけですからね。実力通りの結果ではないはずです」


「いえ。俺には実力通りの結果に見えましたよ。今の猪狩さんには、メイさんぐらいの実力者じゃないと相手にならないんじゃないですかね」


 まだ瓜子の隣に陣取っていたメイは、うろんげに西岡桔平をにらみ据えた。

 それをなだめるように、西岡桔平はいっそうやわらかい微笑をたたえる。


「素人が偉そうな口を叩いちゃって、どうもすみません。でも、ここ最近のお二人を見ていると、本当に実力が飛びぬけているように感じられちゃうんです。ユーリさんには、大怪獣ジュニアか小笠原選手、猪狩さんには、メイさんかイリア選手……もうそれぐらいしか、まともな試合になる相手はいないんじゃないかと思えるぐらいです。あとはそれこそ、上の階級や男子選手に挑むぐらいでしょうかね」


「いやあ、それはあまりに言い過ぎじゃないかと……」


「あ、もちろん、海外の強豪選手は除いての話ですよ。あくまで現在、アトミックに参戦してる選手っていう枠組みに関しての話です」


 そう言って、西岡桔平はどこか夢見るような眼差しになった。


「だから俺は、期待しているんです。猪狩さんたちが、いずれもっと大きな舞台で試合をする日のことを。……お二人には、それだけの力があるんだと思います」


「ふん。カミさんのいないスキに、ずいぶん熱く語りやがるな」


 山寺博人が仏頂面で口をはさむと、西岡桔平は笑顔でそちらに向きなおった。


「まあ、妄想を垂れ流すのはこれぐらいにしておくか。それで、俺以上に素人のお前は、どういう感想だったんだよ?」


「はん。一分足らずでおしまいなんて、金の無駄としか思えなかったな」


「なんだよ、そりゃ。お前、猪狩さんの試合にしか興味がなかったってことか?」


 山寺博人は怒った顔をして、西岡桔平につかみかかろうとする。西岡桔平は笑いながら、「悪い悪い」とその手から逃げ惑った。

 実に微笑ましい光景だが、瓜子としてはリアクションに困る流れである。それでしかたなく愛想笑いを浮かべていると、「なに笑ってんだよ」と山寺博人ににらまれてしまった。


「言っておくけど、俺は目が悪いんだからな。あんな遠い席じゃ、お前みたいちっこい姿はロクに見えなかったよ」


「それは申し訳ありませんでした。……でも、目が悪いなら眼鏡をかけたほうがいいんじゃないっすか?」


「……こんな邪魔くさいもん、つけてられるかよ」


 と、山寺博人はふにゃふにゃ笑っている陣内征生の銀縁眼鏡を指先で弾いた。


「だったらヒロくんも、キッペイさんの家で昔の試合を観せてもらいましょうよ! 僕も格闘技のことなんてまったくわからないですけど、この前の試合なんてすごかったですよ! 特に! ユーリさんなんて! ピンク色の、エネルギーの塊みたいでしたもん! あれは! 『トライ・アングル』のライブにも匹敵する! カッコよさだったと思います!」


「ああもう、うるせえな。今はそれよりも、来週のライブだろ。どうやら延期はしないで済むみたいだからな」


 すると、無言で愛想笑いを振りまいていたユーリが、突如として「あーっ!」という雄叫びをほとばしらせた。


「そういえば、ユーリはヒロ様にお礼を言わなければならなかったのです! 今は座っているのでおしりを蹴られる心配もなく、大チャンスなのです!」


「なんだよ、馬鹿でかい声を出しやがって。酔っぱらってんのか?」


「ユーリは、お酒をたしなまないのです! えーとえーと……うり坊ちゃん、何からどのように説明するべきでありましょう?」


「わかんないっすよ。好きに喋って、ヒロさんを困らせてあげたらいいんじゃないっすか?」


「なんだと、この野郎」と、山寺博人は誰のものとも知れぬおしぼりをつかみ取る。瓜子がとっさにユーリの背後に隠れようとすると、愛音が逆の側からぐいぐいと押し戻してきた。


「ユーリ様を盾にすることは許さないのです! というか、山寺サンも女性への暴力は控えるようにと、厳重注意されている立場であるはずなのです!」


「まったくですね。お前も反省の色を見せろよ」


 西岡桔平は苦笑しながら、山寺博人の手からおしぼりを奪い取った。

 そうしてやいやい騒いでいると、今度は多賀崎選手の手をつかんだ灰原選手が突撃してくる。


「やー、こっちも盛り上がってるね! 今日はパワハラとか、大丈夫?」


「はいなのです! 愛音が事前に食い止めてみせたのです!」


「おー、えらいえらい! あんたもさー、ステージの上ではあーんなにカッコイイのに! ファンが見たら、ガッカリしちゃうよー?」


 山寺博人は心底からうんざりした面持ちで「うるせえよ」と言い捨てた。

 憧れの人物がすっかりいじられる立場になってしまい、なんとも複雑な心境の瓜子である。


「ところでさ! 《NEXT》が、またバンドがらみのイベントを企画してるんだって? そっちにもオファーがあったってタツヤくんが言ってたけど、ほんと?」


「ええ。まだ内々の話ですけど、個々のバンドじゃなく『トライ・アングル』にオファーがあったそうです。……あくまで内定の話なんで、まだ口外しないように言われていたんですけどね」


 西岡桔平がそのように答えると、灰原選手は「だいじょーぶ!」とグラスをあおった。


「あたし、口は固いほうだからさ! タツヤくんも、まだナイショだよーって教えてくれたの! ……それじゃあ、うり坊たちも知ってたんだね? ったく、水臭いなー!」


「自分たちには怖い上司の目があるもんで、秘密は厳守いたします。どっちにしろ、三ヶ月ぐらいは先の話ですしね」


「そっかそっか! もし試合のほうでオファーがなかったら、客として観にいくからさ! ていうか、来週のライブも行くけどね!」


「あ、チケットを買ってくださったんですか?」


 すかさず相槌を打つのは、やはり社交的な西岡桔平だ。灰原選手は元気いっぱいに「うん!」と応じた。


「今回は予約開始と同時に速攻で申し込みをして、なんとかかんとかゲットできたんだよー! 年末のあのイベント以外は、速攻で売り切れちゃってたからさー!」


「今回は三千人のキャパなんで、さすがにゆとりがあったみたいですね。でも、おかげさまで当日にソールドアウトになったそうです」


「へー、すごいじゃん! ま、あの新曲はどっちもすっごくカッコイイし、うり坊の水着も色っぽかったもんね!」


「じ、自分を巻き込まないでくださいよ」


「でも、ほんとのことじゃん! 試合もグラビアも絶好調で、いまやうり坊とピンク頭がアトミックの二枚看板って感じだよねー!」


 灰原選手はけらけらと笑いながら、腕をのばして瓜子の頭を引っかき回してきた。


「でも、あたしやマコっちゃんだって、すぐ追いついてみせるからね! トッキーだって復活するし、コッシーだって頑張るだろうし、あんたたちだけに苦労はさせないよー!」


「はい。みんなでアトミックを盛り上げていきたいっすね」


 やはり兵藤アケミの引退を目の当たりにしたためか、傍若無人なる灰原選手でさえ思うところがあるようだった。

 きっと他の場所でも多くの人々が、同じような思いを噛みしめているのだろう。去年の騒動の余波で《アトミック・ガールズ》の屋台骨が揺らいでいるからこそ、そういった思いもいっそう強まるはずであった。


 そして今ごろは兵藤アケミも、来栖舞や鞠山選手を相手に、この十数年で積み重ねてきた思いを吐露しているのだろうか。

 そんな姿を想像すると、瓜子の胸はむやみに熱くなり――ともすれば、涙がこぼれてしまいそうだった。


「なーにをしんみりしてんのさ! 今日の主役がしみったれた顔しないでよ!」


 灰原選手がばんばんと背中を叩いてきたので、瓜子も「そうっすね」と笑ってみせた。

 そうして試合の余熱を保ったまま、その日の打ち上げも大いに盛り上がり――瓜子はまた、充足した気持ちで新しい日々に臨むことになったのだった。

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