04 打ち上げ(上)

「お疲れさん。打ち上げに行く人間は、ひとまず駐車場に集合だとよ」


 シャワーと着替えを済ませた瓜子たちが控え室を出ると、廊下で待ってくれていた立松がそんな風に呼びかけてきた。


「で、こっちからは深見くんの陣営が参加することになった。別に問題はねえよな?」


「押忍。でも、今日は宗田選手もほとんど近づいてこなかったんで、自分たちには興味がないのかと思ってました」


「いや。深見くんはフィストの連中と懇意にしてるから、他の選手の目を気にしてたみたいだな。……ああ見えて、なかなか計算高いお人だからよ」


 そのように語られる深見氏と宗田選手は、すでに姿がなかった。早めの出番であった宗田選手は興行のさなかに着替えを済ませていたので、もう駐車場に向かっているのだろう。

 よって、その場に居残っているのはプレスマン陣営のみである。瓜子、ユーリ、愛音の出場選手に、立松、ジョン、柳原、サイトー、サキ、メイのセコンド陣という、これだけでなかなかの大人数であった。


「場所はまた、灰原さんがセッティングしてくれるらしいな。毎度のことだが、灰原さんはずいぶん色んな店に顔がきくみたいだ」


「押忍。とにかく宴会がお好きな人ですからね」


 そうして和やかに語らいながら、瓜子たちは駐車場に向かったわけであるが――その場に集結していた顔ぶれに、瓜子は度肝を抜かれることになってしまった。


「猪狩さん、ユーリさん、邑崎さん。今日もお疲れ様でした。どの試合も素晴らしい内容でしたよ」


「キ、キッペイさん! それに、ヒロさんとジンさんまで……ど、どうして『ワンド・ペイジ』の方々が勢ぞろいしてるんすか?」


「今日は三人で観戦させてもらっていたんです。それでタツヤくんが小笠原さんと連絡先を交換してたもんで、そっちのルートから俺たちにまで声をかけてもらえたわけですね」


 西岡桔平はにこやかに微笑みながら、後方に寄り集まった人々を指し示した。そちらで談笑していたのは、小笠原選手を筆頭とする女子選手たちと、漆原を除く『ベイビー・アピール』の三名だ。


「そ、そうだったんすか。でも、『ワンド・ペイジ』でこれまで試合を観にきてくれてたのは、キッペイさんだけですよね? ジンさんはともかく、ヒロさんは格闘技に興味なんてなかったでしょう?」


「ジンはこれが、初参戦ですね。一度は実際に試合を観てみたいっていうんで、俺と友人がエスコートすることになったんですよ。そうしたら、友人に急用が入っちゃったもんで、余ったチケットをヒロに譲ることにしたんです」


 すると、前髪で目もとを隠した山寺博人が、ぶすっとした顔を瓜子に向けてきた。


「なんだよ。何か文句でもあるのかよ。チケット代は自腹を切ったんだから、何も文句を言われる筋合いはねえぞ」


「も、文句なんてありませんけど、あまりに意外だったもんで……ど、どうもご来場、ありがとうございます」


 そうして瓜子があたふたしていると、こちらに気づいたダイが「あーっ!」と大声を張り上げた。


「いつの間にか、瓜子ちゃんたちも来てんじゃん! 瓜子ちゃん、タイトル防衛おめでとう! 《フィスト》の王者を秒殺なんて、さすがだな!」


「ど、どうも、ありがとうございます」


 ダイとタツヤとリュウまでもが集まってきたので、もう大変な騒ぎである。

 そして彼らの姿を見回しながら、立松が渋面で声をあげたのだった。


「こいつは確かに、DVDで拝見した顔ぶれだな。これが桃園さんの副業のお仲間ってわけか」


「んー? 誰、あんた? ……わっ、まさか、瓜子ちゃんの親父さんとか?」


「な、なんで試合に父親を同伴させるんすか。こちらは、道場のコーチさんです」


「あー、なるほどなるほど! 瓜子ちゃんたちには、いつもお世話になってます! こんな見てくれだけど悪さはしないんで、どうぞよろしく!」


 タツヤとダイが愛想を振りまくと、立松は渋面のまま溜息をついた。


「まあ、小笠原さんたちが招待したんなら、何も文句は言えねえが……今日は騒がしくなりそうだな」


「お、押忍。でもまあ自分たちだけじゃなく、サキさんやメイさんなんかも面識はあるんで……別に問題はないかと思います」


 瓜子としても、あまりに想定外の事態であったために、胸が騒いでしまうだけであるのだ。よくよく考えれば、コーチ陣を除くメンバーはおおよそ年末の忘年会でご一緒した間柄であったのだった。


「おっと、そっちのお人は柳原さんじゃん! 俺、もともとは野郎の試合ばっか観てた口だから、あんたのことはよく知ってますよ! この間の《フィスト》は、残念でしたね!」


 ダイがそのように声をあげると、柳原は恐れ入った様子もなく「どうも」と返した。格闘技の男子選手にも強面の人間は多いので、『ベイビー・アピール』のガラの悪さに怯むことはないのだろう。それは何より幸いなことだった。


「おー、うり坊たちも到着したね! それじゃあ、これで勢ぞろいだ! 車に収まりきるか、計算してみないと!」


 と、灰原選手が取り仕切り始める。

 その場に集まっていたのは、灰原選手と多賀崎選手と四ッ谷ライオットのセコンド陣、小笠原選手と小柴選手、深見氏と宗田選手と深見塾のセコンド陣――そして、オルガ選手とキリル氏と通訳氏という顔ぶれであった。


「あれ? 鞠山選手はいないんすか?」


「うん。花さんは、舞さんやアケミさんと食事会だってさ。アタシもそっちにお邪魔しようかと思ったんだけど……今日のところは、遠慮しておいた」


 小笠原選手はゆったりと微笑みながら、そう言った。


「あたしもアケミさんにはお世話になったけど、つきあいの長さはほどほどだからね。思い出話を語るには、ちょっとばっかり年季が足りてないんだよ」


「そんなことはないと思いますけど……でも、小笠原選手のお気持ちもわかるように思います」


 小笠原選手も、兵藤選手たちとはもう五年やそこらのつきあいではあるのだろう。しかし、兵藤選手や鞠山選手や来栖舞は、十数年来のつきあいであるのだ。兵藤選手を見送るのは、《アトミック・ガールズ》の黎明期からともに過ごしてきたメンバーが相応しいのかもしれなかった。


「よしよし! ベイビーのお人らにトッキーとコッシーをおまかせできれば、問題ないみたいだね! プレスマンのお人らも、足はあるんでしょ?」


「いや。こっちは七人で定員オーバーだ。二人ばかり、あぶれちまうな」


「あ、そーなの? ダイくん、あと二人いける?」


「余裕余裕! こっちも七人乗りだからな! 瓜子ちゃんとユーリちゃんで、ちょうどいいじゃん!」


 ダイがそのように応じると、立松がおっかない顔で「駄目だ」と言った。


「俺たちは、選手の安全に責任のある立場だからな。……ジョン、ヤナ、お前さんがたがお世話になれ」


「えーっ! つれねえなぁ! ……このヒト、ホントに瓜子ちゃんの親父さんなんじゃねえの?」


「だから、違いますってば。自分だって、立松コーチみたいなお父さんが欲しかったっすよ」


「な、なに? あ、あまり素っ頓狂なこと言うんじゃねえ!」


「あはは。立松っつぁんコーチ、嬉しそう!」


 そうしてやいやい騒ぎながら、一行は打ち上げの会場に向かうことになった。

 プレスマン号に乗り込むのは、運転手の立松を除くと、全員が女子選手である。これはこれで、なかなか奇妙な取り合わせであった。


「そういえば、赤星の連中がいなかったな。あいつらは、また自分らの道場で打ち上げか?」


 助手席に収まったサイトーの言葉に、瓜子が「いえ」と応じてみせる。


「道場で打ち上げをするのは、《レッド・キング》の日だけみたいです。でも、今日のところは失礼するって、さっき弥生子さんからメールがありました」


「ふん。ま、普通は対戦相手と打ち上げなんざするもんじゃねえからな。……しょぼくれてんなよ、邑崎。地力じゃ、まったく負けてねえからな」


「しょぼくれてないのです! 次回こそ勝利して、プロの資格を勝ち取ってみせるのです!」


 メイとのジャンケンでユーリの隣を確保した愛音は、悔し涙をぬぐいながらそのように言いたてた。


「大江山すみれサンにも犬飼京菜サンにも、いずれ打ち勝ってみせるのです! そして、雅選手のタイトルに挑戦するのです! そこまでいって、愛音はようやくユーリ様の足もとに追いつけるのです!」


「ああ、その意気込みだ。たっぷりしごいてやるから、頑張りな」


 こちらに横顔を見せたサイトーは、仁王像を思わせる面相で勇猛に笑う。サイトーはキック部門のサブトレーナーであったが、はねっ返りの愛音をたいそう可愛がっているようなのだ。


 そうして和やかに語らっている内に、目的地に到着する。駐車場の料金を鑑みてか、都心から少し外れた場所に位置する居酒屋であった。

 コインパーキングに車をとめて、全員集合してから居酒屋へと突撃する。本日は三十名近くにも及ぶ人数であるというのに、二階席をまるまる確保できたとのことであった。


(それにしても、すごい顔ぶれだよなぁ)


 格闘技関係者と音楽関係者が入り乱れるというのは昨年末に体験済みであったものの、本日はそこにコーチ陣とオルガ選手たちまで加えられているのだ。通訳の男性などはいったいどのような心境で同席しているのか、傍目から内心を推し量ることは難しかった。


 瓜子とユーリが適当に着席すると、メイと愛音が当然のように左右を固めてくる。さらにはメイの向こう側に、立松までもが陣取った。その正面に腰を下ろしたのは、『ベイビー・アピール』の三名である。


「みんな、飲み物はそろったかなー? じゃ、立松っつぁんコーチ、挨拶をお願いね!」


「なに? どうして俺なんだ?」


「だって、今日の主役はタイトル防衛したうり坊でしょ? だったら、プレスマンのボスに挨拶してもらわないと!」


「俺はしがないコーチに過ぎないんだがな。……まあいいか。承ったよ」


 立松は帰りも運転役を担うつもりであるらしく、緑茶のグラスを手に立ち上がった。


「みなさん、今日はお疲れ様でした。勝った選手も負けた選手も、また明日から頑張ってください。切磋琢磨して、これからも業界を盛り上げていきましょう。……乾杯」


「かんぱーい!」と、たくさんの声が唱和される。

 そして瓜子の目の前には、タツヤたちの掲げるジョッキが差し出されてきた。


「あらためて、お疲れ様! ほんと、瓜子ちゃんの秒殺はすごかったよ!」


「それに、ユーリちゃんもな。また自慢のお顔に色をつけられちまったみたいだけど、来週のライブは問題なさそうだな」


「はぁい。消費したカロリーを取り戻せれば、きっと元気いっぱいだと思いますぅ」


 ユーリは腫れあがった右目の上にガーゼをあてられていたが、その豊麗なる肢体にはいつも通りの活力がみなぎっていた。

 まあ、瓜子のほうなどは完全無欠にノーダメージであり、むしろ力を持て余しているぐらいである。一発の攻撃ももらわずに試合を終えたというのは、《アトミック・ガールズ》のデビュー戦で小柴選手と対戦した日以来のことであった。


「本当はリングサイド席を取りたかったんだけど、チケットが速攻で売り切れちまったんだよなぁ」


「それで次回は、小さな会場なんだって? それじゃあますますリングサイド席は難しいよな」


「すいません。選手のほうには、あまりいい席のチケットが回ってこないんすよね」


「いいよいいよ! 選手のルートでチケットを買えば、少しはマージンが入るんだろ? リングサイドが取れなかったときは、また瓜子ちゃんにお願いするからさ!」


 いつも通り、ダイとタツヤは瓜子に集中砲火である。

 すると立松が、「なあ」と口をはさんできた。


「お前さんがたは、桃園さんの仕事仲間なんだろ? それなのに、ずいぶん猪狩にご執心みたいだな」


「ユーリちゃんの担当はリュウで、俺たちは瓜子ちゃんの担当なんすよ!」


「そうそう! 仲良くさせてもらってます!」


 スキンヘッドのタツヤと髭面のダイが、にこにこと笑いながらそのように応じる。立松はいかにも文句を言いたげな面持ちであったが、二人の無邪気な笑顔にそれを封じられた様子であった。


「でも、愛音ちゃんは残念だったな。けっこう楽勝ペースに見えたのに、ワンパンでひっくり返されちまったもんな」


「……決して楽勝ペースではなかったのです。ただ、あのスープレックスを予測できなかったため、敗北を喫してしまったのです。けっきょくは、愛音の実力不足であるのです」


 肉食ウサギの眼光で、愛音はそのように言いたてた。

 すると、タツヤの隣席であった小笠原選手が、首をのばしてくる。


「あのスープレックスには、アタシも驚かされたよ。あの大江山って選手は、夏の合宿でもあんな技は見せてなかったもんね。やっぱり部外者のいる場では、そうそう手の内をさらさないってことなのかな」


「はいなのです。それでもすべての攻撃に対処できるように、トレーニングを積むしかないのです」


「うん。アンタはきっと、強くなれるよ」


 小笠原選手の優しい言葉にじんわりと涙を浮かべた愛音は、慌てた素振りでそれをぬぐった。

 すると、タツヤがビールをあおって景気をつけてから、小笠原選手に向きなおる。


「お、小笠原さんも復帰が近いんですよね? 怪我が治って、本当に何よりでした。復帰試合、楽しみにしてます」


「うん、ありがとう。まあ、この半年ですっかりなまっちゃったから、じっくり取り組んでいこうと思ってるよ。……なかなか倒し甲斐のある相手も参戦してくれたしね」


 と、小笠原選手は朗らかな微笑をたたえたまま、横目でオルガ選手のほうをうかがった。それに気づいたタツヤは、瞳を輝かせる。


「お、小笠原さんとオルガの試合なんて、想像しただけでテンションあがっちまいますね! でも小笠原さんだったら、絶対勝てますよ!」


「ありがとう。まずは、打倒オルガが当面の目標かな。それぐらいクリアしないと、王者に挑戦する資格はないだろうからね」


 小笠原選手の視線が、ユーリへと移動される。

 失われたカロリーをもりもりと取り返していたユーリは、「ほえ?」と小首を傾げた。


「ほえ、じゃないよ。秋代に負けたアタシなんて、もう眼中になかった?」


「はわわ! と、とんでもありませぬ! も、もしも小笠原選手との再戦がかなうのでしたら、今度こそフンコツサイシンのココロで挑ませていただく所存なのです!」


「おお、おっかない。……でもまあアタシの図体だったら、最終目標はアンタと大怪獣ジュニアに絞るしかないからね。こっちこそ、死ぬ気でかからせていただくよ」


 そんな風に語りながら、やっぱり小笠原選手は和やかな笑顔だ。

 来栖舞に続いて、兵藤選手――いや、兵藤アケミが引退した今、小笠原選手の復帰が約束されたのは頼もしい限りである。瓜子もユーリや小笠原選手とともに、《アトミック・ガールズ》の灯火を全力で守っていく所存であった。

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