03 引退セレモニー

『それでは! 初の防衛戦を秒殺KO勝利で飾った猪狩選手に、喜びのお言葉を頂戴いたします!』


 瓜子の腰にチャンピオンベルトが戻されたのち、リングアナウンサーが元気いっぱいの声を張り上げた。


『猪狩選手! 本日も、目の覚めるようなKO勝利でしたね! ご感想は、いかがでしょうか?』


『はあ……正直言って、実感がありません。最後はてっきり、テイクダウンを取られるかと思っていたので……』


『猪狩選手は初の防衛に成功すると同時に、なんと、十試合連続KO勝利の偉業を達成されたのです! そちらに関しては、いかがでしょうか?』


『はい。光栄です。でも、自分は一本勝ちできるような選手を目指したいと思っていますので、記録にはこだわらずに頑張っていきたいと思います』


『勝利してなお、謙虚な猪狩選手でありますね! ……あ、ちょっと!』


 リングアナウンサーが驚きの声をあげたのは、父親に肩を借りて接近してきたラウラ選手が横合いからマイクを強奪したためであった。


『あんた! こんなもんで勝負がついたと思ってないだろうね? 約束通り、今度は《フィスト》の舞台で決着をつけてやるからね!』


 ラウラ選手がそのようにがなりたてると、歓声とブーイングが等分に響きわたった。


『次はこっちが秒殺で仕留めてやるよ! それまで、せいぜい粋がってな! あんたなんか、あたしの敵じゃないんだよ!』


 秒殺KOをくらった直後にこうまで強気でいられるのは、確かに立派なエンターテイナーであるのだろう。また、彼女は四発の攻撃しかくらっていなかったが、左の目尻から血を流し、右目の下を大きく腫らしてしまっていた。


 そうしてブーイングに見送られながら、ラウラ選手は退場していく。閉会式に参加する気は、さらさらないようだ。

 無事にマイクを取り戻したリングアナウンサーは、安堵の表情で再び声を張り上げた。


『それでは、勝利者インタビューはここまでといたします! 引き続き閉会式を行いますので、お時間のある方々はそのままお待ちください!』


 そんな声を合図として、二本の花道から出場選手たちが進軍してきた。

 赤コーナー側の先頭であったユーリがほとんど小走りでケージに乗り込んできて、さらなる歓声を誘発する。そしてユーリはでれでれの笑顔で瓜子に抱きついてきたのだった。


「うり坊ちゃん、おっめでとう! カンゼンムケツの秒殺KOだったねぇ。うり坊ちゃんはかっちょいいねぇ。そしてすこぶるかわゆいねぇ」


「はいはい、ありがとうございます。気分が悪くならない内に、離れてくださいね」


 瓜子はそんな憎まれ口で内心のくすぐったさをごまかしつつ、ユーリの背中を軽く叩いてみせた。

 名残惜しそうに身を離したユーリは悪寒にぶるっと肩を震わせてから、あらためて満面の笑みを届けてくる。そして、反対の側からは灰原選手が抱きついてきたのだった。


「うり坊! またド派手に決めやがったねー! ま、あんたの鈍器みたいなパンチだったら、秒殺KOも当然なんだろうけどさ!」


「押忍。キックの頃から通算しても、秒殺なんて初めてでしたけどね」


「うり坊のパンチはオープンフィンガーグローブのほうが強烈だって、立松っつぁんコーチも言ってたじゃん! とにかく、おめでとー!」


 灰原選手はユーリに劣らぬ勢いで、瓜子の頭に頬ずりをしてくる。過剰なスキンシップはいつものことだが、それを客前で披露するのは初めてのことであろう。それぐらい、瓜子の勝利に昂揚してくれているようであった。


 その後も、多賀崎選手や小柴選手がお祝いの言葉とともに握手を求めてくる。同じ陣営でそのように振る舞ってくれたのは、愛音と後藤田選手のみだ。ただ、宗田選手も遠くのほうから笑顔で会釈をしてくれた。


『それではこれより、閉会式を開始いたします! まずは、本日で引退される兵藤選手に、花束の贈呈です!』


 リングアナウンサーがそのように告げると、客席から歓声がわきたった。

 フードつきのスウェットにだぼっとしたボトムというラフな格好をした小笠原選手が、花束を抱えてケージに上がってきたのだ。


 交流の深い先輩選手の引退試合ということで、小笠原選手はずっとリングサイド席で観戦していたのだった。

 去年の九月に負傷して以来、半年ぶりに姿を見せた小笠原選手に、温かい声援と拍手が送られる。小笠原選手はにこやかに微笑みながら、ウェアを着込んだ兵藤選手に花束を差し出した。


 さらに今度は、来栖舞がケージに上がってくる。

 こちらは後藤田選手のセコンドとしてあらかじめ姿を見せていたが、それでも歓声の大きさに変わりはなかった。

 来栖舞はいつも通りの引き締まった面持ちで、大きな花束を兵藤選手に受け渡す。

 両手に花束を抱えた兵藤選手は――とても静かな面持ちで、ただとめどもなく涙を流し続けていた。


『それでは、兵藤選手に最後のご挨拶をお願いいたします!』


 セコンド陣に花束を託した兵藤選手は、涙をぬぐおうともしないままマイクを受け取った。

 そうして四方に礼をしてから、男のようにしゃがれた声を振り絞る。


『わたしの格闘技人生は、《アトミック・ガールズ》とともにありました。これからは選手を育てる人間として、《アトミック・ガールズ》の一助になりたいと思います。どうかこれからも……《アトミック・ガールズ》をよろしくお願いいたします』


 それは、迷いや苦悩を感じさせない、真っ直ぐな気持ちの乗せられた言葉の数々であった。

 来栖舞は引退試合にて深いダメージを負ってしまったため、こういった挨拶の言葉も残してはいない。よって、瓜子がデビューしてから《アトミック・ガールズ》においてこのような言葉を聞くのは、初めてのことであり――それが、思いも寄らぬほどの勢いで胸の中をかき回してきたのだった。


 自分もいつか選手を引退するときは、兵藤選手のようにありたい。

 兵藤選手とほとんど交流のない瓜子でさえ、そんな思いを強く噛みしめることに相成ったのだった。


 マイクをリングアナウンサーに返した兵藤選手は、あらためて来栖舞や小笠原選手と握手を交わす。

 そして――兵藤選手は痛む両足を引きずって、ユーリのもとに近づいてきた。


 グローブとバンデージを外した兵藤選手の手が、ユーリのもとに差し出される。

 それを両手でつかみ取ったユーリは、天使のような表情で微笑んでいた。


「兵藤選手。今日はユーリなんかと試合をしてくれて、ありがとうございました」


 兵藤選手は土佐犬のような顔を涙で濡らしながら、子供のように「うん」とうなずいた。


『兵藤選手! 長きにわたるご活躍、お疲れ様でありました! ……それでは、駒形代表に総括をお願いいたします!』


『は、はい。駒形でございます。まずは兵藤選手、本当にこれまでありがとうございました。わたくしも《アトミック・ガールズ》の設立当初から運営に関わってきた立場でありますため、兵藤選手がこれまでどれだけ尽力してくださったかは、すべて見届けてきたつもりであります。今後も兵藤選手たちが守ってきてくださった《アトミック・ガールズ》の灯火を消してしまわないように死力を尽くす所存ですので、どうぞお見守りください』


 駒形氏はこれまでブッキングマネージャーとして、ユーリと無差別級トップスリーの確執に悩まされてきた立場である。そんな駒形氏の言葉には、非常な重みと説得力が感じられた。


『また、本日も素晴らしい試合の目白押しでありました。これもひとえに、選手の方々が精一杯の思いで力を尽くしてくださった結果でありましょう。本日の試合に出場したすべての選手の方々と、すべての関係者の方々と、そして会場にまで足を運んでくさったすべての皆様に、あらためてお礼の言葉を伝えさせていただきたく思います』


 そんな風に語らってから、駒形氏はハンカチで額の汗をぬぐった。


『ただ……非常に申し訳ないことながら、現段階ではまだ次回の興行の開催が決定されておりません。このような内情をさらすのは、本来つつしむべきなのでしょうが……我々は昨年の不祥事からもたらされた痛手から回復しておらず、危機的な財政状況に陥ってしまっているのです』


 客席の歓声が、一気に不審のどよめきへと転じた。

 小心なる駒形氏はぐっと踏ん張って、さらなる言葉を振り絞る。


『よって、次回の興行はたとえ開催することがかなっても、ごく小規模な会場で執り行われることになるでしょう。ですが! 我々は何とかこの危機的な状況を乗り越えて、また皆様にご満足いただけるような興行をお目にかけたいと念じております! どうか……どうか温かい目で、《アトミック・ガールズ》の行く末をお見守りください!』


 駒形氏はきわめて誠実なお人柄であるが、残念ながら言葉で余人を鼓舞できるようなタイプではない。

 そこで毅然と進み出たのは、小笠原選手であった。


『おかしな連中が《アトミック・ガールズ》をかき回してくれたもんだから、その後始末が大変みたいだね。でも、これまでにも小規模の会場で興行を打ってたことはあったでしょ? 《JUF》が潰れて格闘技ブームが終焉した直後とか、秋代の馬鹿がクーデター騒ぎを起こした時とかさ。でも、《アトミック・ガールズ》はそのたびに苦境を乗り越えて、復活してきたんだ。今回だって、絶対に乗り越えられるはずだよ』


 小笠原選手の闊達な物言いに、ほっとしたような歓声が巻き起こる。

 小笠原選手はにこりと笑って、さらに朗らかに言葉を重ねた。


『まあ、選手のアタシたちは試合を頑張るだけだけどさ。アタシも半年間しっかり休ませてもらったから、なんとか復帰の目処が立ったよ。いい感じの対戦相手を見つけられたら、次回からでも試合を組んでもらうつもりだからさ。みんな、楽しみに待っててよ。秋代相手にぶざまな姿をさらしちゃった分、これからはいっそう頑張るからね』


 その発言に、いっそうの歓声が巻き起こる。

 小笠原選手は満足そうに笑いながら、周囲の出場選手たちを見回し――そして、瓜子のもとで視線を止めた。


『それじゃあ他のみんなにも、意気込みを聞かせてもらおうか。まずは、猪狩からね』


「え? じ、自分からっすか?」


『今日のメインイベンターなんだから、当然っしょ。ていうか、ちゃんとマイクを通して喋りな』


 瓜子が小笠原選手にマイクを押しつけられると、歓声の熱量が一気にふくれあがった。

 瓜子は頭をかきながら、それでも即座に覚悟を固めてみせる。


『押忍。自分にとっても《アトミック・ガールズ》は大切な場所なので、なんとかその灯火を守れるように頑張りたいと思っています。どうかみなさんも、応援お願いいたします』


『あの色っぽいポスターとかも、運営陣の財政危機を救うために、文字通りひと肌脱いだんでしょ? みんな、ばんばん買っていってよね』


『ちょ、ちょっと! カンベンしてくださいよ! ……あの、買ったポスターはなるべく人目につかないようにしてください! どうかお願いします!』


 瓜子が慌てて声をあげると、歓声に笑い声が入り混じった。

 小笠原選手もまたにこやかに笑いつつ、マイクをユーリへと受け渡す。


『あ、ユーリもですかぁ? ユーリにとっても《アトミック・ガールズ》はすっごくすっごく大切な場所ですので、この身が砕け散ろうとも守り抜く所存なのです!』


 ユーリが語ると、爆発的な歓声がそれに応える。

 そしてその後も、出場選手がひとりずつ意気込みを語っていくことになった。

 そのたびに、温かい歓声や拍手が巻き起こり――その熱気に五体を包まれながら、瓜子は(大丈夫だ)と思うことができた。


(こんなにたくさんの人たちが《アトミック・ガールズ》を大切に思ってくれてるんだから、きっと大丈夫だ)


 そんな風に信じることができるのは、なんと幸福なことであろう。

 そうして瓜子は初めての防衛戦をやりとげた喜びと、それを上回る充足した気持ちを噛みしめながら、その日の興行を終えることに相成ったのだった。

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