ACT.3 Re:boot #1 ~Final round~

01 ピンクの怪物と西の猛牛

《アトミック・ガールズ》の試合模様が格闘技チャンネルで放映されるのは、おおよそ二週間から三週間後となる。

 よって、瓜子がユーリと兵藤選手の一戦を拝見できたのも、それぐらいの頃合いであった。


 試合前の兵藤選手は、実に気合の入ったいい顔をしていた。

 兵藤選手は百六十八センチの身長に七十九キロというウェイトであり、これは《アトミック・ガールズ》に出場する日本人選手の中で最重量の数値となる。その風貌は土佐犬めいており、ついた異名は『西の猛牛』だ。彼女は名古屋の出身であり、地元の柔術道場に籍を置きながら、十年以上にわたって《アトミック・ガールズ》のトップファイターとして君臨していたのだった。


 もともとは柔道の選手であり、若かりし頃には世界選手権で第二位となっている。それからブラジリアン柔術とMMAに傾倒し、《アトミック・ガールズ》の黎明期から活躍することになったのだ。

 デビュー当時、兵藤選手は無差別級で敵なしであった。国内には目ぼしい相手もいなかったため、毎回のように外国人選手と試合を組まれ、そのすべてに打ち勝っていた。


 兵藤選手が初めて敗北を喫したのは、デビューから数年後――ミドル級の王者であった来栖舞が無差別級に転向したのちのことである。

 両者のライバル関係は、そこからスタートしたのだった。


 ただ――瓜子の記憶にある限り、脚光を浴びていたのは常に来栖舞のほうであった。

 無差別級で敵なしであった兵藤選手を最初の対戦で打ち負かしたことにより、いよいよ来栖舞の実力とカリスマ性が確立されたような印象であったのだ。


 無論、兵藤選手がまぎれもない実力者であったからこそ、来栖舞の実力がいっそう際立つことになったのであろう。

 しかし世間は、来栖舞こそが《アトミック・ガールズ》の代名詞であると認識していた。両名が対戦するとき、期待されているのは来栖舞の勝利であった。規格外のパワーと厳つい風貌を持つ兵藤選手は「恐るべき強敵」という扱いであり、それに勝利する来栖舞が正義のヒーローのように取り扱われていたのだった。


 しかしそれでも、《アトミック・ガールズ》の最大の売りは、来栖舞と兵藤選手のライバル関係であったのだろう。

 その後、小笠原選手が新たな実力者として台頭するまでは、来栖舞と兵藤選手の対戦こそが《アトミック・ガールズ》における最大のビッグマッチであったのだった。


 そこに陰りが生じたのは、4年ほど前のことであろうか。

 来栖舞も兵藤選手も長年の激戦によって故障が多くなり、試合の数を絞らざるを得なくなってしまったのだ。

 なおかつ、その前年ぐらいにはタクミ選手こと秋代拓海によるクーデター劇も勃発していた。フィスト系列の選手がそれで大量離脱してしまい、来栖舞たちは《アトミック・ガールズ》を守るためにいっそう奮起することになり――それで連戦を重ねたために、いっそうの故障を抱えることになったのかもしれなかった。


 ともあれ、来栖舞と兵藤選手はそれぐらいの時期から試合を欠場することが多くなった。

 クーデターが失敗に終わって離脱していた選手たちが出戻ったのちも、《アトミック・ガールズ》はどこか精彩を欠いていたような印象であり――そんな中、三年ほど前にユーリ・ピーチ=ストームがプロデビューを果たしたのだった。


 ユーリはファイターとしての実力ではなく、その類い稀なる美貌と色香でもって、《アトミック・ガールズ》に新たな活力をもたらした。

 来栖舞たちが年に一度か二度しか出場できていない中、毎回必ず出場を果たして、連敗記録を更新しながらも興行の集客に貢献し続けたのである。


 おそらくは、それこそが時代の転換期であったのだろう。

 もともと余所の興行よりは華やかさを売りにしていた《アトミック・ガールズ》が、いっそう軟派な印象に成り果ててしまったのだ。


 瓜子自身、それぐらいの時期から《アトミック・ガールズ》への熱意が減退し始めていた。まったく実力のともなっていないアイドルファイターがもてはやされるなど、我慢のならないことであったのだ。サキの活躍には毎回胸を躍らせながら、自分はキックの世界でサキのような存在を目指すべきか、と――瓜子はそんな思いを抱くようになっていたのである。


 だからきっと、来栖舞や兵藤選手も瓜子と同じような思いであったのだろう。

 なおかつそれは、自分たちが試合をできないがために招いてしまった事態であるのだから、いっそう無念をたぎらせることになったのだろうと思われた。


(何せ兵藤選手は、控え室でユーリさんに殴りかかろうとしてたぐらいだしな)


 瓜子が初めてユーリと出会った日――千駄ヶ谷に連れられて、控え室のユーリを訪れた際のことである。兵藤選手はユーリにつかみかかり、雷鳴のような怒声を響かせていた。周囲のセコンド陣が止めていなければ、本当に乱闘沙汰になってしまっていたはずであった。


 そんな確執を抱いていた兵藤選手が、引退試合の相手にユーリを指名したのだ。

 ユーリはもはや、ただのアイドルファイターではない。来栖舞や小笠原選手を含む数々の強豪選手を撃破した、怪物のごとき実力を持つアイドルファイターである。兵藤選手は、そんなユーリに《アトミック・ガールズ》の行く末を託そうとしてくれているのだった。


 格闘技チャンネルにおいて放映された試合場において、ユーリと相対した兵藤選手は燃えるような眼差しになっていた。

 ただし、怒りや憎悪の眼差しではない。自分のすべてを目の前の怪物に叩きつけてやろうという、それは悲壮なまでの覚悟に満ちみちた眼差しであった。


 いっぽうそれと相対するユーリは、普段通りのにこやかな表情である。

 ただその瞳には、相手を慈しむような光が宿されていた。ベリーニャ選手や赤星弥生子を見るような眼差しで、ユーリは兵藤選手を見つめていたのである。


 そうして試合が開始されると――兵藤選手は、猛牛そのものの勢いで突進した。

 片目をつぶったユーリに的確なタイミングで前蹴りを叩き込まれても、その突進は止まらなかった。そしてそのままユーリをフェンス際まで押し込んで、狂ったように左右の拳を振るい始めたのである。


 ユーリがしっかりとガードを固めても、兵藤選手はおかまいなしで拳を振るい続けた。スタミナの計算など度外視した、死に物狂いの乱打である。二十キロ以上も重い兵藤選手の猛攻に、さしものユーリも防戦一方になってしまった。


 ジョンやサキが懸命に声を飛ばしても、ユーリは動けない。右も左も拳の壁にふさがれて、動きようがないのだ。そして、どれだけガードを固めようとも、その隙間からねじこまれる拳によって、ユーリは何発も顔面を叩かれてしまっていた。


 客席には、凄まじいまでの歓声がわきたっている。

 レフェリーは、早くもストップのタイミングをうかがっているように見えた。


 そんな中――ユーリが意を決したように、右のアッパーを繰り出した。

 ユーリの拳は兵藤選手の下顎に突き刺さり、兵藤選手の拳はユーリの右頬に突き刺さる。それでぐらりとよろめいたのは――兵藤選手のほうであった。


 しかし兵藤選手はとっさにユーリの頭を抱え込み、ボディに強烈な膝蹴りを叩き込む。

 ユーリがたまらず身を折ると、兵藤選手は首相撲の技術でユーリの重心を崩し、背後のフェンスから引き剥がすようにしてマットに押し倒した。

 そうしてユーリの上に覆いかぶさり、今度はパウンドの嵐である。

 ユーリがこれまでに積み上げてきた技術を嘲笑うかのような、それは力まかせの乱打であった。スタンドにおいてもグラウンドにおいても、兵藤選手はパワーでユーリを押し潰そうという算段であるようであった。


 また実際、それは有効な戦略であったのだろう。立ち技においても確かな技術を習得しつつあるユーリに対して、兵藤選手が唯一圧倒的にまさっているのは、二十キロ以上の体重差から生じるパワーのみであったのだ。


 マットに片方の膝をついたレフェリーは、今にもストップをかけそうな様子である。

 そのとき――ユーリの身が、跳ねるようにして横合いに移動した。兵藤選手が腕を振り上げるタイミングに合わせて、おもいきり腰を切ったのだ。


 兵藤選手は逃がしてなるものかと、さらに覆いかぶさろうとする。

 その重心の移動に合わせて、ユーリが上体をひねりあげた。

 バランスを崩した兵藤選手は、マットに左腕をつく。するとユーリはその手首をつかみ取り、さらに上体をひねることで、兵藤選手を横合いに引き倒した。


 おたがいが、横向きに倒れた格好である。

 そこから有利なポジションを確保しようと、両者が同時に躍動し――上を取ったのは、ユーリであった。


 兵藤選手はとっさに両足でユーリの左足をからめとり、ハーフガードの姿勢を取る。

 その顔面に、ユーリが拳を叩きつけた。

 今回は、ポジションを取るごとに五発のパウンドを落とせと指示を受けている。ユーリは愚直にその命令を遂行してから、左足を引き抜きにかかった。


 しかし兵藤選手も、柔道と柔術を修めた猛者である。現在は両膝に故障を抱える身であったが、そうとは思えない頑強さでユーリの左足をロックしていた。

 するとユーリは頭で相手の下顎を圧迫し、両手で右腕をからめ取ろうとした。

 二十キロの体重差でも、ユーリは体重の掛け方に長けている。兵藤選手と同じような体格の男子選手でも、ユーリの圧迫からはそう簡単に逃げられないのだ。兵藤選手は必死に身をよじりながら、なんとか腕を取られまいと注力し――そうして兵藤選手の注意を上半身に向けさせたユーリは、魔法のように左足を引き抜いた。


 サイドポジションを確保したユーリは、五発のパウンドを顔面に叩き込む。

 それから、あらためて兵藤選手の右腕に狙いを定めた。


 兵藤選手は鼻血を流しながら、懸命にブリッジを繰り返している。そのたびにユーリの身体が浮き上がったが、決して相手を逃がしはしなかった。

 そしてユーリはアームロックを狙いつつ、ニーオンザベリーの姿勢を取る。

 本来であれば、ここでもパウンドを狙うはずであったが――ユーリいわく、ジョンから「キャンセル」の言葉が飛ばされたらしい。それはパウンドを打たずに寝技で攻めろという合図であった。


 よってユーリはアームロックのプレッシャーを与えながら、そのままマウントポジションを奪取した。

 ここではキャンセルの指示もなかったため、アームロックからパウンドへと移行する。

 ユーリの怪力で顔面を叩かれながら、しかし兵藤選手は怯まなかった。懸命に腰を切り、ユーリの腰に手をあてがって、マウントからガードに戻そうというアクションを見せた。


 五発のパウンドを終えたユーリは、兵藤選手の手を払いながら、じわじわと上方に移動していく。兵藤選手はここぞとばかりに腰を跳ねあげたが、しかしユーリが振るい落とされることはなかった。


 ほとんど相手の胸もとまで到達したユーリは、あらためて相手の右腕をつかみ取る。

 そして左肩をまたぎ越し、足先を相手の後頭部へとねじ込んだ。上のポジションから、三角締めを狙っているのだ。


 そこに、ジョンの「ワン」という指示が飛ぶ。

 一発だけパウンドを打て、という指示である。

 ユーリはその指示通りに兵藤選手の顔面を殴りつけ、そして右腕ごと相手の頭を両足ではさみ込んだ。


 兵藤選手は、凄まじい勢いで身を起こした。

 しかし、三角締めのクラッチは完全に完成されている。ここからどれだけ体重をかけようとも、自分の首がより深く締まるだけのことであった。


 すると兵藤選手は両足でマットを踏みしめて、ユーリの身体をリフトしてしまった。

 両足で頭と右腕をホールドされながら、その場に立ち上がってみせたのだ。

 ユーリの身は、危険な高さに持ち上げられてしまっている。しかしユーリはクラッチを解こうとはせず、空中で相手の首を締め続けた。


 兵藤選手は、渾身の力でユーリの背中をマットに叩きつける。

 しかしユーリは、それでもクラッチを解かなかった。

 なおかつ、両腕で頭を抱え込み、後頭部だけは守り抜いていた。

 そして――三角締めを取られたまま、兵藤選手は横合いに倒れ込んだ。


 レフェリーが兵藤選手の左腕をつかむと、肘から先が力なく揺れた。

 レフェリーは片腕を頭上で振りながら、もう片方の手でユーリの肩をタップする。ユーリが両足を解除すると、ブラックアウトした兵藤選手はそのままマットに突っ伏した。


『一ラウンド、四分四十三秒! 三角締めにより、ユーリ・ピーチ=ストーム選手の一本勝ちです!』


 大歓声の中、ユーリはマットに正座をして兵藤選手に深々と礼をしてから、立ち上がった。

 そうしてレフェリーに右腕を掲げられたユーリは、またもや右目の上を大きく腫らして、目尻からは血を流してしまっていた。なおかつ、両方の腕もあちこちが内出血してしまっている。それほどに、兵藤選手の打撃は強力であったのだ。


 しばらくすると、意識を回復した兵藤選手も半身を起こした。

 そして、ドクターの制止も聞かずに立ち上がろうとする。どうやら膝の故障が悪化してしまったようだが――兵藤選手は誰の手も借りずに立ち上がり、両足を引きずるようにしてユーリへと近づいた。


 ユーリは直立の姿勢を取り、再び深々と頭を垂れる。

 兵藤選手は小さく首を横に振ると、ユーリの右腕をつかみ取って、それを高々と掲げさせた。


 その挙動が、兵藤選手の思いのすべてであるのだろう。

 兵藤選手はその土佐犬めいた顔を涙と鼻血で濡らしており――そして、透き通った笑みをたたえていた。


 そうして兵藤選手は、マイクを通さずに「ありがとうございました!」という言葉を振り絞り、歓声の吹き荒れる試合場から退場していったのだった。

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