ACT.2 Re:boot #1 ~First round~

01 来場

 そうしてついにやってきた、三月の第三日曜日――《アトミック・ガールズ》三月大会の当日である。


《レッド・キング》との合同イベントを終え、今大会からあらためて開始される本年のシリーズタイトルは、『Re:boot』と銘打たれた。

 瓜子にはあまり馴染みのない単語であったが、リブートというのは再起動の意であるらしい。救い難い動乱を経て、新たな道に踏み出そうとする《アトミック・ガールズ》には、相応しい名前であったことであろう。


 試合会場は、またもや二千名規模の『PLGホール』だ。

 しかしここまでは、元代表の黒澤氏がプランニングしていた興行となる。次回の興行は開催できるかどうかも未定であり、たとえ開催できても小規模の会場しかレンタルすることはできないという事実が、すでに決されていたのだった。


「でもでもユーリは、目の前の試合に死力を振り絞るのみであるのです! 頑張ろうね、うり坊ちゃん!」


「ええ、もちろんです」


 瓜子もすべての不安や雑念を捨て去って、試合だけに集中する所存であった。

 瓜子は昨日の前日計量の後、パラス=アテナの準備したイベントスペースで調印式を行っている。瓜子もラウラ選手も規定のウェイトをパスしたため、本日の試合は予定通りストロー級の王座防衛戦に認定されたのだ。


 瓜子にとっては人生で初めての、タイトル防衛戦だ。

 しかも、《アトミック・ガールズ》の舞台では初めてとなるメインイベントである。

 なおかつ昨日の調印式では、対戦相手のラウラ選手がめいっぱいの勢いで挑発してくれた。ある意味ではタクミ選手や一色選手よりも棘のある言葉で、瓜子や《アトミック・ガールズ》の存在を罵倒したおしてくれたのだ。


 まあ、トラッシュトークというのはそういうものであるし、瓜子は試合の結果がすべてだと思っている。《アトミック・ガールズ》のベルトにどれだけの重みと価値が存在するかは、瓜子がこの身をもって証明するしかないと考えていた。


 よって瓜子は盤外のさまざまな要素にも心を乱されることなく、普段通りの平常心で会場に乗り込んだわけであるが――控え室を目指す道中で、いきなり心を乱されることになってしまった。行き道に見かけた物販ブースには、すでに瓜子とユーリのあられもないポスターがべたべたと張られまくっていたのである。


 駒形氏の懇願によって急遽作製された、A2サイズのポスターだ。

 その片方は試合衣装で、瓜子もユーリも肩にチャンピオンベルトを抱えながら、ファイティングポーズを取っている。そして、サウスポーの構えをした水着姿のポスターが、それと対になる形で展示されているわけであった。


「瓜子、肉体、美しい。何が恥ずかしいのか、僕にはわからない」


 本日も一緒に来場したメイは、心から不思議そうにそう言っていた。

 ユーリは満面の笑みで、「ですよねー!」と賛同する。


「でもでもメイちゃまは、そのうり坊ちゃんとほぼ同一の体格をされておりますため、同じぐらい美しく感じられるのです! 今度ご一緒に、水着グラビアなどいかがでありましょう?」


「僕、興味ない。それに、格闘技以外の活動、養父から怒りを買うと思う」


「ああ、それでは致し方ありませんねぇ。ではではご一緒に、格闘技の道を邁進いたしましょう!」


「最初から、そのつもり」


 そんな両名の罪のない会話で心を癒やしながら、瓜子はさらに歩を進めることになった。

 本日も、プレスマン道場の所属選手は赤コーナー陣営だ。これは完全に、タイトルマッチで王者の立場である瓜子に合わせた配置となる。そうでなければ、兵藤選手や大江山すみれと対戦するユーリや愛音は青コーナー陣営に配置されていたはずであった。


 そうして、いざ控え室に到着してみると――その場には、馴染みの深い選手がほとんど見受けられなかった。残念ながら、本日は灰原選手も多賀崎選手も小柴選手も犬飼京菜も青コーナー陣営に配置されてしまっていたのである。

 まあ、瓜子たちが個人的にそれらの選手と親睦を深めていることなど、主催者の知ったことではないのだ。これまで陣営を同じくする機会が多かったのは、それ以外の事情とたまたまの偶然が続いていただけのことであったのだった。


 多賀崎選手と対戦する沖選手、小柴選手と対戦する奥村選手、犬飼京菜と対戦する金井選手――この三名は間違いなく格上であるのだから、赤コーナー陣営とされるのが当然のところであろう。唯一、アトミックで結果を残せていない宗田選手は不相応であるように思われたが、これは対戦相手の灰原選手が同門の多賀崎選手とまとめられた結果であった。


 あとは、オルガ選手と対戦する大村選手と、イリア選手と対戦する亜藤選手も、赤コーナー陣営に割り振られている。これもまた、今までのキャリアを鑑みた結果であろう。オルガ選手は本国にてキャリアを重ねていたがアトミックでは一敗したのみであるし、イリア選手は二代前の王者ながら、サキにベルトを奪われたのち、亜藤選手にも惜敗を喫していたのだった。


 そんなわけで、控え室には気軽に声をかけられそうな相手もいない。

 そんな中、唯一同じ志を抱いたことのある陣営が、瓜子たちに声をかけてきてくれた。天覇館の後藤田選手と、そのセコンドである来栖選手である。


「みなさん、おひさしぶり。今日はよろしくお願いします」


 実直な気性をした後藤田選手は、深々と頭を垂れてくる。一色選手を相手に不本意な敗北を喫してしまった後藤田選手は、これが半年ぶりとなる復帰戦であった。

 そして、瓜子がそれに答えるより早く、ユーリがけたたましい声を張り上げたのだった。


「く、来栖選手! あの、実は、折り入ってお話があるのですが!」


 控え室に集まっていた他の選手たちが、ぎょっとしたようにこちらを振り返る。本日は古参の選手が多く、そういった選手は来栖選手に対する尊敬の念が深いのだ。そしてまた、そういう選手は得てしてユーリを忌避する傾向にあったのだった。


「ちょ、ちょっと待ってください、ユーリさん。ここではご迷惑になるでしょうから、お話をするなら外に出ましょう」


「ちょっと待ちなよ。別に逃げる必要はないんじゃない? そいつが来栖さんに何を言おうってのか、あたしらだって気になっちゃうしさ」


 そんな風に言いたてたのは、瓜子と同じ階級のトップファイター亜藤選手である。そして、沖選手や大村選手や奥村選手なども、うろんげにこちらを見やっている。我関せずの顔をしているのは、若手の金井選手と新参の宗田選手のみであった。


「ユ、ユーリはその、来栖選手にお詫びを申し上げたいのですが! どうかお聞き届け願えるでしょうか!」


「……お詫び? 君に詫びられる筋合いはないように思うのだが」


 来栖選手自身も、ずいぶんいぶかしそうにユーリを見返している。いっぽうユーリは、すっかり舞い上がってしまっていた。


「じ、実はユーリは、過去にとらわれない女であるのです! なおかつ、すべての選手の方々をごく均等に尊敬つかまつっていたために、《アトミック・ガールズ》の屋台骨であられた来栖選手にも特別な感情は抱いていなかったのです!」


「……何だろう。やはりわたしには、いまひとつ話が見えないのだが」


「それはユーリの知能が足りておらず、言葉のチョイスが不適当であるゆえなのでありましょう! ……とにかくあの、これまで《アトミック・ガールズ》を支えてきてくれて、ありがとうございました! ベル様との引退試合も、残念ながら勝つことはできませんでしたが、とってもとってもかっちょよかったです!」


「あの」と声をあげたのは、当惑顔の後藤田選手であった。


「桃園さん、それは何だか、来栖さんの引退に向けた挨拶のように聞こえるのだけれど……」


「はいっ! ユーリは浅はかであったため、引退された当日には何のご挨拶もできていなかったのです! そのご無礼を、何とかこの場で晴らさせていただきたいのです!」


 後藤田選手がさらに言葉を重ねようとすると、来栖選手が手振りでそれをさえぎった。


「わたしが引退試合を行ったのは、もう八ヶ月も前のことになる。それでどうして、今さらそんな話を取り沙汰しようと考えることになったのだろう?」


「それは、まりりんさんに兵藤選手の引退試合のお相手に指名された重みを考えよと言いわたされ、うり坊ちゃんにその意味を諭された結果と相成りまする!」


「そうか」と――武人のように精悍な来栖選手が、わずかに口もとをほころばせた。


「それじゃあ一点だけ、訂正を求めたいことがあるのだが」


「はいっ! どういった点でありましょうかっ!」


「わたしはすでに引退しているので、選手という呼称は不適当なのではないかな」


「あああああっ! ご、ご無礼にご無礼を重ねてしまって、申し訳ありませんですー! ではでは今後は、来栖舞殿とお呼びいたしまするなのです!」


「いや、揚げ足を取ってしまって、申し訳なかった。君の慌てぶりが、つい可笑しくなってしまってね」


 とても穏やかな表情のまま、来栖選手――いや、来栖舞はそのように言葉を重ねた。


「何にせよ、君がわたしなどに詫びる必要はない。わたしのほうこそ、君に対しては散々失礼な態度を取ってきたのだからね。……でも、君がアケミの気持ちを受け止めてくれたら、嬉しく思うよ」


「はいっ! 全身全霊で受け止める所存でありまする!」


 亜藤選手は拍子抜けした様子でセコンド陣のもとに戻り、遠目にこちらをうかがっていた沖選手らはほっとした様子で息をついていた。

 立松は、満足そうに笑いながらそちらの面々に声を投げかける。


「どうも騒がしくしちまって、申し訳ありませんでした。……それじゃあ俺たちは、試合場に向かうとするか」


 まだまだ時間に猶予があったため、プレスマン道場の陣営に続こうとする人間はいなかった。

 そんな中、立松はユーリに笑いかける。


「いきなり何をおっぱじめるのかと思ったが、まあ、桃園さんの心意気は伝わったと思うよ。あとは、試合で語ることだな」


「はいっ! フンコツサイシンの覚悟で、兵藤選手の引退試合に臨ませていただくのです!」


 そうして試合場に到着すると、青コーナー陣営の人々がわらわらと寄り集まってきた。灰原選手と多賀崎選手、小柴選手とそのセコンド役たる鞠山選手である。


「やっと来たねー! そっちの控え室は、居心地悪かったっしょ? あたしらは出稽古でプレスマンのお世話になってるんだから、一緒にまとめてくれてもいいのにねー!」


「そんな馴れ合いを許してたら、団体の規律が保てないんだわよ。舞ちゃんとアケミちゃんすら別々の陣営にされてるんだから、あんた風情がガタガタ騒ぐんじゃないだわよ」


 灰原選手と鞠山選手の掛け合いを聞いていると、瓜子もついついほっとしてしまう。しかしそうだからといって、瓜子も灰原選手のような主張をする気にはなれなかった。


「陣営は別々でも、おたがい頑張りましょう。みなさんの試合は、モニターでしっかり拝見しますよ」


「こっちこそ! アトミックを小馬鹿にしてた柔術女に、ガツンと思い知らせてやってよねー!」


 そうして瓜子たちがやいやい騒いでいると、ドッグ・ジムの面々も挨拶をしにきてくれた。本日の出場は犬飼京菜のみであるので、セコンドは正規コーチの三名のみだ。

 そしてそれを追いかけるように、赤星道場の面々も近づいてくる。愛音と対戦する大江山すみれに、父親である大江山軍造とマリア選手――それに、赤星弥生子である。


「よう。師範と師範代がそろい踏みとは、なかなか気合の入った布陣だな」


 立松がにやにやと笑いながらそのように言いたてると、大江山軍造は豪快な笑い声でそれに応じた。


「何せ、プロ昇格をかけた査定試合だからな! 二試合連続で恥ずかしい結果にならないように、最強の布陣を準備したんだよ! 悪いけど、今日ばかりは譲らないぜ?」


「そんな大層なもんがかかってなくても、勝負を譲る理由なんざどこにもねえだろ。こっちこそ、去年のリベンジを果たさせてもらうぜ」


 先日の対抗戦ではまったく近寄ることすらできなかったが、これこそが赤星道場の本来の姿であるのだ。

 それで瓜子も心置きなく、赤星弥生子に挨拶をさせてもらおうと思ったのだが――赤星弥生子は何やら張り詰めた面持ちをしており、瓜子と目を合わせてくれようとしなかった。


「あの、弥生子さんは何か怒ってるんすか?」


 直球勝負で瓜子がそのように問いかけてみると、赤星弥生子はいっそう張り詰めた面持ちでちらりと視線を向けてきた。


「私の側に、怒る理由などはない。……猪狩さんこそ、私に腹を立てているのでは?」


「え? どうして自分が、腹を立てないといけないんです?」


「それはその……私がイワン氏を通じてあれこれ画策していたことを、隠し立てしていたから……」


 瓜子は、呆気に取られてしまった。

 赤星弥生子はオルガ選手がユーリに抱いていた誤解を晴らすために、旧知の相手であるイワン氏なる人物に何度も連絡を入れていた、という話なのである。それらの関係者はのきなみロシアの在住者であったのだから、赤星弥生子の苦労というのは並大抵のものではないはずであった。


「弥生子さんはユーリさんのために、そんな苦労をかぶってくれたんでしょう? メールでも、きちんとお礼を伝えたじゃないっすか」


「しかし……理由はどうあれ、隠し事というのは褒められた行いではないだろうから……」


「いやいや、そんなことで腹を立てたりしないっすよ。自分って、そこまで器の小さな人間に見えるんすか?」


「い、いや、決してそういうわけではないんだ。どうか誤解をしないでもらいたい」


 すると、聞き耳を立てていたらしい大江山軍造が、また豪快な笑い声を響かせた。


「どうも猪狩さんを前にすると、師範の威厳が吹っ飛んじまうみたいだな! まあ、可愛らしくてけっこうなことだけどよ!」


「し、師範代。その発言こそ、赤星道場の威厳を揺るがしてしまうのではないだろうか?」


「道場の威厳なんざ、試合の結果で示せりゃ十分だろ。……さて、火花で炎上する前に失礼するか」


 セコンド陣は和気あいあいとしていたが、当の選手たる愛音は爛々と燃える目で大江山すみれの姿を見据えていたのだ。いっぽう大江山すみれは内心の知れない微笑みをたたえているため、余計に剣呑な空気が生じるのだった。


 ラウラ選手や兵藤選手の陣営は、それぞれ個別に輪を作っている。そうして対戦相手と距離を取ろうとするのも、ひとつの正しい姿であろう。

 試合前にどのように振る舞おうとも、それは各自の自由であるのだ。瓜子自身も、親交のあるお相手とは親しく口をきき、そうでない相手とは適切に距離を取り――普段通り、試合へのモチベーションを着実に高めることができていたのだった。

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