06 好勝負

 期待に満ちた大歓声の中、第二ラウンドの開始である。

 ウォームアップは終了したとばかりに、両陣営はどちらも戦略を変えてきた。沙羅選手は多彩な打撃の中にタックルや組みつきのモーションを多く取り込み、青田ナナのほうは倍ぐらいの勢いで手数を増やしてきたのだ。


 それでどちらが優勢になったかというと――瓜子の目には、青田ナナのほうであるように思えた。沙羅選手の組みつきはすべて的確にディフェンスされてしまい、青田ナナの攻撃でぐらつく場面が多発したゆえである。


 沙羅選手のほうも有効打は許していないのだが、ガードの上からでも体重差がきいて、どうしても押されてしまうのだ。それでダメージを負うことはなかろうとも、判定勝負となれば不利は否めなかった。


「でも、ペースは取られてないな。打撃も組みつきもがっちりディフェンスされちまってるが、おかまいなしで攻め込んでる。こいつはおたがいに、一瞬も気が抜けないだろうから……けっこうメンタルの削り合いにもなってると思うぞ」


 立松などは、そのように評していた。

 確かに試合は、大接戦の模様である。そして両者が絶え間なく攻防を繰り広げているため、客席の盛り上がりようもなかなかのものであった。


 来栖選手も魅々香選手も、きわめて真剣な眼差しでこの一戦を見守っている。魅々香選手がフライ級の王座を目指すなら、この沙羅選手に勝利しなければならないのだ。それは多賀崎選手も同じことであるため、彼女も天覇館の面々に負けない真剣さを漂わせていた。


 そうして第二ラウンドも終わりが近づいてきたとき――それまでの均衡が一気に突き崩された。

 沙羅選手の三日月蹴りが、青田ナナのレバーに突き刺さったのだ。

 体重差を帳消しにする急所への一撃に、青田ナナはたまらず崩れ落ちる。そこで沙羅選手がのしかかり、何発かのパウンドを叩き込んだところで、ラウンド終了のブザーが鳴らされた。


 沙羅選手は両腕を振って客席を煽りつつ、赤コーナー陣営に凱旋する。

 いっぽう青田ナナは脇腹を抱えつつ足取りもふらついて、ダメージのほどをあらわにしていた。


「最後の最後で、いいのが入ったね! あの三日月蹴り、ちょっと面白い入り方じゃなかった?」


「ああ。ダブルステップだったのかな? それで青田のほうも、間合いを見損なったみたいだ」


 灰原選手と多賀崎選手の会話に「いや」と割り込んだのは、珍しくも来栖選手であった。


「今のはダブルステップではなく、後ろ足の踏み込みだったように思う。その直前にスイッチで右足を引いて、後ろ足になった右足で踏み込みながら、左の蹴りを放ったのだろう」


「えー? よくわかんない! ……おっとっと、タメ口きいちゃってごめんなさい!」


「べつだん、謝られるようなことではない。……しかしこの沙羅選手は、本当に細かい技巧が優れている。しかも、試合を重ねるごとに練度が増しているようだ」


 それは間違いなく、ドッグ・ジムに入門した成果であろう。沙羅選手は瓜子たちのいない場で、古式ムエタイやジークンドーの技をも習っているはずであるのだ。それがどのような技術であるのかは謎のヴェールに包まれているが、去年の夏ごろから半年ばかりも稽古を積んでいれば、そろそろ実戦に活かせるレベルに達するのではないかと思われた。


(スイッチの直後に後ろ足で踏み込みなんて、聞いたこともない技術だもんな。地味だけど、十分にトリッキーだぞ)


 そしてきっと犬飼京菜も、派手な大技の裏でそういった技術を駆使しているのであろう。だからあれほどに、彼女はやりにくい相手であるのだ。

 ちなみにその犬飼京菜は遠い位置でパイプ椅子にふんぞり返りつつ、横目でモニターをにらみ据えている。表面上はキャンキャンと吠え合うことの多い両名であるが、彼女も新たな門下生たる沙羅選手に大きな思い入れを抱いているのであろうと思われた。


 そんな中、最終ラウンドが開始される。

 青田ナナはしっかりとした足取りでケージの中央に進み出たが、レバーのダメージというのはそうそう回復するものではない。この試合が終わるまで、彼女はそのダメージを負いながら戦うことになるはずであった。


 沙羅選手はいっそうギアを上げて、苛烈な打撃技を披露する。

 もとより空手をルーツにする沙羅選手は右構えも左構えも巧みなスイッチャーであったが、この試合では頻繁にスイッチを活用して、青田ナナをどんどん追い込んでいった。


(青田さんは無個性、か……)


 かつて大晦日にメイから聞かされた言葉が、瓜子の脳裏に蘇る。

 確かに青田ナナは打撃技も組み技も寝技も達者な選手であるが、突出した武器というものがない。すべての局面においてパワフルな攻めと堅実な守りを行使することがかなうのだが、この局面に持ち込めば絶対に有利だと言えるようなストロングポイントが見当たらないようなのである。


 ただ彼女は、それらの総合力だけで赤星弥生子を追い込めるほどの実力者であるわけだが――赤星弥生子が古武術スタイルに切り替えるなり、あっさりとKO負けしてしまった。個性の塊であるユーリにも一ラウンドで敗北してしまったし、邪流の相手に弱いという一面もあるのかもしれなかった。


(沙羅選手なんて、むしろ正統派のオールラウンダーだと思ってたけど……それでも青田さんに比べれば、十分に個性的だもんな)


 瓜子がそんな風に考えたとき、青田ナナが猛然と攻撃を繰り出した。

 左右のフックに、左ミドル。さらに突進して、左のジャブから右ストレート。さらに、左のローから右のボディアッパーという、息もつかせぬコンビネーションだ。

 パワーで劣る沙羅選手は、辟易した様子で後退する。しかしその足取りには、まだまだ余裕がうかがえた。これをやりすごせば相手のスタミナが尽きて、また自分が優勢に立てると確信している様子だ。


 それが、油断に繋がったのであろうか。

 右フックをフェイントにした両足タックルという王道のコンビネーションによって、沙羅選手は呆気なくテイクダウンを取られてしまったのだった。


「わー、もったいない! 立て立て! 立てば、相手はもうガス欠だよ!」


 と、灰原選手がぐいぐいと瓜子の腕を揺さぶってくる。灰原選手も沙羅選手とはさして交流を深めていなかったが、やはり《アトミック・ガールズ》陣営の選手ということで応援していたのだろう。


 だが、青田ナナはレスリング巧者である。それは沙羅選手も同様であったが、ここで効いてくるのが体重差だ。仮に両者が同等の実力であれば、ウェイトではるかにまさる青田ナナが有利であるのだった。

 それを証明するように、青田ナナはハーフガードのポジションをしっかりキープしながら、重そうなパウンドを打ち込んでいく。ラッシュを仕掛けた青田ナナは肩や背中が波打っていたが、ここで休もうという気はさらさらない様子であった。


 残り時間は、半分を切っている。沙羅選手は懸命に身をよじってフェンスのほうを目指していたが、その間にもパウンドの雨が降り続けた。


(けっこうくらってるな。この体重差だと、ダメージが溜まるぞ)


 立松やサイトーも、いつしか身を乗り出している。

 そんな中、ようやくフェンスまで到達した沙羅選手は、それを支えにして半身を起こした。

 が、それでも青田ナナは頭で沙羅選手の顔を圧迫しつつ、中腰で拳を振るい続ける。今度は沙羅選手の引き締まったボディにダメージが溜められることになった。


 沙羅選手はようよう立ち上がったが、まだフェンスに押しつけられた格好だ。そして青田ナナは壁レスリングの勝負を挑み、再度のテイクダウンを狙う様子であった。


 残り時間は、じわじわと減じていく。

 これで判定勝負となったら――結果は、どうなるのだろう。第二ラウンドはダウンを奪った沙羅選手、第三ラウンドはテイクダウンからパウンドを浴びせた青田ナナにポイントがつくであろうから、ほとんど互角の勝負であった第一ラウンドで勝敗が分けられてしまいそうだった。


 それではならじと判じてか、沙羅選手は猛烈な勢いで相手を押し返そうとする。

 パワー勝負では勝ち目がないので、隙間が空いたならば肘打ちだ。しかし青田ナナは的確に顔をずらして、有効打を許さなかった。


 残り時間が、一分を切る。

 沙羅選手は決死の形相で、左膝を振り上げた。

 青田ナナのレバーに、膝蹴りが突き刺さる。

 これはさすがに効いたらしく、沙羅選手が青田ナナの腕をすりぬけて自由を得ることになった。


 サイドに回り込んだ沙羅選手は、すぐさま右拳を振り上げる。

 しかし青田ナナはそれをダッキングでかわすと、ボディブローをお返しした。

 沙羅選手もボディにダメージを負っていたのか、苦しげに身を折ってしまう。


 しかし沙羅選手は、身を折ったまま拳を繰り出した。

 青田ナナも一歩も引かずに、乱打戦が展開された。


 おたがいの拳が、ごつごつと顔面や腹を打つ。

 回転力でまさるのは沙羅選手であったが、一発が重いのは青田ナナだ。

 そして――青田ナナの左フックが炸裂し、沙羅選手がぐらりとよろめいたところで、試合終了のブザーが鳴らされた。


 勝負は判定決着であるが、客席には凄まじい声援がわきたっている。

 控え室でもあちこちで大きく息がつかれて、灰原選手も「ふわー!」と大きな声をあげていた。


「最後はすっげー殴り合いだったね! これ、どっちが勝ったんだろ?」


「うーん……第三ラウンドは、確実に青田だよね。それで第二ラウンドは、沙羅のほうがダウンを取ったから……やっぱり、第一ラウンド次第か」


「最初のラウンドは、どっちもノーダメージだったじゃん! ま、手数が多かったのは圧倒的に沙羅だけどさ!」


「でも、青田もまったく下がってなかったし、カウンターで何回もぐらつかせてたよね。どっちにポイントがついてもおかしくないと思うよ」


 そうして騒いでいる間に、ジャッジの集計が完了した。

 両者は荒い息をつきながら、レフェリーの左右に立ち並ぶ。レフェリーは厳粛なる面持ちで、両者の手首に手を添えた。


『それでは、判定の結果をおしらせいたします! ……ジャッジ横山、29対28、赤、沙羅!』


 最初のジャッジは、沙羅選手だ。

 大きな歓声が吹き荒れて、すぐにそれが沈静化する。


『……ジャッジ大木、29対28、青、青田!』


 二票目は、青田ナナだ。

 客席には、さらなる歓声が吹き荒れた。

 それが静まるのを待ってから、リングアナウンサーが最後のジャッジを宣告する。


『サブレフェリー原口、29対28、赤、沙羅! ……判定の結果、2対1で沙羅選手の勝利です!』


 レフェリーに右腕を掲げられた沙羅選手は逆の腕も振り上げて雄叫びをほとばしらせ、青田ナナはマットに突っ伏した。

 父親の青田コーチが駆けつけて、その肩を揺さぶっても、青田ナナは動こうとしない。そしてその逞しい背中は、大きく震えてしまっていた。

 彼女は《アトミック・ガールズ》に参戦して、二連敗となってしまったのだ。しかも相手は、合宿稽古の頃から嫌っていたユーリと、赤星道場を挑発していた沙羅選手であったのだから――その口惜しさは、想像するに有り余った。


 しかし会場には、歓声と拍手が渦巻いている。

 その何割かは、青田ナナに向けられたものであるはずだ。それぐらい、これは素晴らしい勝負であったのである。

 対抗戦は赤星道場の三連敗となってしまったが、これで赤星道場を弱小となじる人間はいないことだろう。もしもそのような不届きものが存在するならば、瓜子が赤星道場の面々に代わって殴り倒してやろうという心境であった。

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